ピンク色のなにかが通った。そんな認識が精一杯だった。


「……え、ザザ……か?」


 消去法。あんなに素早く移動する物体で、あの淡い桜の色合いをそれなりの面積で有しているのは彼女以外に知らないのでそう判断しただけだ。


 ビラレッリの敷地に着いて庭を抜け、玄関先に着いた矢先の出来事である。それなりに立派で重厚な扉が突然凄まじい勢いで開き、そこからピンク色を多めに持った人影らしきものが閃光じみた速度で飛び出して幹人の脇を抜けて行った。




(……なんかあったのか?)




 あんな事実が判明したタイミングで実に間が悪いが、もしかしなくても揉め事の匂いがする。

 あっという間の出来事に固まっていた身体を動かして、幹人は開け放たれたままの扉から屋敷の中に入った。



 とにかくと向かったのは食堂や作業部屋と並んで広い面積を持つ、とりあえず皆がなんとなく集まって雑談している事の多いダラダラ部屋と呼ばれている場所だ。なんとなく、そちらから話し声やらが聞こえる気がする。



「なああんでこんな時にアメちゃんいねええんだよおおお! こういうのはアメちゃんになんとかしてもらわねえとさああああっておおおおお帰ってきたああああ!?」


 入った部屋は正解だったらしい。足を踏み入れるなり、びしっとこちらを指差す犬塚の絶叫が迎えてきた。

 ソファやらが置かれた部屋を見渡して見れば、大体の部員が揃っているようだった。


「なんかさっき、すごい勢いでザザらしき影が質量を持った残像みたいな動きでどっかへ飛び出して行ったんだけど……」




「おにいちゃああああんっ……、ごべんなざあああいっ……!」


「咲?」


 部屋の中央、泣きべそをかいているのは妹だった。彼女はその手に品の良い、しかし可愛らしいデザインの服を抱えている。


「さ、さきが、さきがっ」

「……うん、まずは深呼吸だ」


 歩み寄って床に膝を突き視線を合わせ、妹の手を握りそう言って、とりあえず落ち着かせようとしながらちらりと他のメンバーを見やれば、窓際に居た照治が口を開いた。


「……えっとな、幹人。今日って衣裳部屋の補修をする予定だっただろ?」

「ああ、そうだったね」


 衣裳部屋とはザザとザザの家族が社交の時なんかに使っていたという服が置いてある場所だ。既に一通り掃除はしたが、もし雨漏りがあったら服は被害が大きいから、改めて念入りに壁や天上を見ておくかという話が、昨日の夕食時に出たのだ。


「お前が出かけてる間にやっちまおうって事になって、咲も手伝うつって入ってな、そうしたら、作業してる内にこういう服が結構出てきて」

「か、可愛くて、だから、だから、ザ、ザザさんに……」


 ビラレッリ家が貴族の社交会に出ていたのは没落しかける前までだと聞いている。つまり、その頃のザザはまだ子ども。対し、咲が手に持つ服は大人の女性向けのサイズだ。


「それ、……じゃあザザのお母さんの」

「みたいだ。そんで、地雷だったらしい」


 ちょうど今のザザの背丈に合うような可愛らしいデザインの服を発見した咲が、いつもクールで無骨な衣服しか身につけない彼女に着て欲しいとせがって。

 爆発は、早かったという。




『……そんな服ッ! 着るわけないでしょッ!!』




 大音声を張ってそう叫んだザザは、一瞬の後、固まった咲よりも泣きそうな顔をしたらしい。そしてそのまま、部屋を飛び出して行った。



「ごべんなざいいいぃ……!」

「……咲、……そうだな、お前が悪くない、とは言えないのかもしれない。けど、お前が悪いんだったら兄ちゃんも含めてこの場の全員が悪い。俺たちは、ザザの事を知らな過ぎた」

「おにいちゃああん……」

「とりあえず兄ちゃんが話してみるよ。その後、皆でごめんなさいして仲直りだ。できるな?」


 頷いた妹の頭を撫でて、立ち上がる。


「行ってくるよ、……いい?」


 妹を任せても、という意味だ。視線を送ったのは照治と女子勢。

 彼らが頷いてくれたのを確認して、幹人は部屋から足早に出た。

 玄関を抜け、さあ、どこへ行けばいいのだろう。頭と一緒にとにかく、足を回す事にした。









「……見つけた」

「……」


 結局、彼女を発見したのは、商店街のメイン通りから二本ほど北に道を外れた細い路地裏だった。要したのが一時間というのは上出来なのかどうなのか。


「……ごめん、あのさ」

「ちがう」


 頭を下げようとした幹人に、壁に背を預けて座り込んだまま、ザザは暗い声で言う。


「サキは、悪くない。……悪くないです」

「……ザザ」

「…………ごめん、なさい。……私です……悪いのは。……私、あの、私……サキに、あんな、どなって……ごめんなさい、ごめん、なさい」


 その声が震えているのがわかって、だから幹人は彼女の隣に腰を下ろした。わずかに熱を持った地面のぬくさが少し優しい。


「……咲はさ、小さいでしょ、背が」


 唐突な話に、彼女の濡れた瞳がこちらを見た。


「あいつ、だからかな、自分と反対に背丈のある女の人っていうのにちょっと憧れてるみたいなんだ。……ザザみたいな」


「……私」

「だからさ、よければ、これからも仲良くしてやってくんないかな」

「……っ」


 頷いた彼女がどこか妹と被って、その頭に手が伸びる。撫でてみると彼女は拒まずに、さらさらの桜色の髪が指先で流れていく。






「……でも、私も、思うんです」


 しばらくそうしていると、ぽつりと彼女は零した。


「私も、サキみたいだったらよかった」


 自分の膝に顔をつけるようにして、少しくぐもった声で、そう零すのだ。


「可愛くって、女の子らしくって、きっと、……ああいう服だって似合う」

「ザザだって」 

「似合わないっ、……私は、あんなの」


 彼女がうつむいたまま頭を振って、桜色の髪が揺れる。


「あんなの、あんなの、似合わない。だって、……ちゃ、……ちゃんとした、女の子じゃ、ないから」

「……」


 黙って、聞こうと思った。自分の言葉を挟むよりまずは、彼女の事情を知らなくてはと思った。







 口を閉じた幹人に、ザザは続ける。


「私は、全然、あんな服が似合うような、ちゃんとした、女の子じゃない……目つきは冷たい、柔らかく笑うこともできなくて、武器を振り回して戦うのが何より得意で、だから、だから、私は……全然、母様みたいじゃない」


 彼女の口から直接初めて出てきたその単語には、一瞬さすがに身が固まった。


「か、母様は、あったかくって優しくって穏やかで、抱き着くといい匂いがして、私とは、全然、全然違って……母様みたいな人が、ちゃんとしてて、私は違くて、だから、……ミキヒトさんたちのこと、変だなんて言うけど、そんな事、私、ほんとは、言えない、ごめんなさい」


 それはまったく謝ってもらうことではないのだが、やはり口は挟まない。まだ、彼女の言葉を、聞くべき事情を、把握できてはいない気がするから。


 そして。


「……父様は、母様が大好きだった――ちゃんとした可愛らしい母様が」


 ああ、これだ。

 ようやく、そう思った。


 彼女の根幹の一つはこれなんだと、はっきりと。


「それで、母様が死んで、だから、父様は、おかしく、なった」


 濁ったまま中の見えないその声音は、堤防のヒビから僅か、溢れ出る泥水を思わせる。


「……本当は、わかっていたんです。なんで父様があんなに魔道具集めに熱中したのか。光の球体を出すあれは貴族の間ではインテリアとして人気があって、……母様は、特にそれが大好きだった」


 ザザの声から抑揚が消えていく。逆説的に、篭もる激情を示すように。


「好きだったものを集めれば母様が戻ってくるなんて、もしかしたら思っていたのかもしれない。……父様は、耐えられなかったんです。母様がいなくなっちゃったことに、耐えられなくて、だから、おかしくなっちゃって、……でも」


 ザザはそこで顔を上げた。虚ろな表情の中、少し滲んでいるのは翡翠色の瞳。

 それは彼女が一番好きな色で、父親からもらった色で。


「ザザ……君は」






「私……――納得いかないんです」


 彼女の白くほっそりとした手が握りしめられて、元から薄い色味をこれでもかと追い出した。



 そこから、堰を切ったように速度を速めた言葉が溢れかえっていく。


「じゃあ、私ってなんですか? 私だって、家族だったじゃないですか。娘だったじゃないですか。私が居ても駄目だっていうの。……駄目だったんでしょうね、母様に似ても似つかない私じゃ」


 そんな事ないなんて、軽々しく言えるわけもない。


「母様が死んでから、その眼に私を少しも映さないまま、結局、流行病で身体を壊して父様も死にました」


 それが寂しくて、なにより悔しい。


 語る彼女の口調はあまりに虚ろで空寒く、だからこそ耳に刺さる。その淡々とした声色が感情の、あまりに煮詰まり過ぎた故なのだとわかるから。


「だから、確認を、しなきゃ」

「確認、お父さんに……?」

「一言で良い、愛しているって言ってもらわなきゃ、気がすまない」


 死にたがりというあの口の悪い女冒険者の言は、揶揄どころか比喩ですらなかった。




「そのために、私は、あっちに逝かなきゃいけないんです」




 彼女が死にたがりというのは、あっさりとしたただの事実。【血染め桜】のザザ・ビラレッリが本当に髪を染めたかったのは、返り血ではなく己の血。


「だから、君は危険な依頼ばかり受けてる」


 彼女は、そうしてずっと『待って』いたのだ。父親のもとへ行ける機会を。


「……ほんとかどうか知りませんけど、一緒のところに逝けないんだそうです、自分で死んでしまうと」


 こちらの宗教事情はわからないが、彼女の教わってきたものではそうらしい。

 ぐっ、と目元をぬぐってザザは立ち上がった。死にたがりの彼女が立ち上がった。


「ザザ?」

「……このまま、受けた依頼の場所に向かいます」

「っいやいや待った、装備も武器もまともに揃ってないでしょっ、てか! ……その」


 慌てて同じように腰を上げ引き止めようとして、しかし言葉に詰まった。

 こんな時、なんて言えば。


「私はあなたたちを利用しようとした。あなたたちも私を利用した」


 躊躇うこちらを見透かす彼女の瞳は冷たく、そしてやはり、どこか虚ろ。


「お互い都合が良かっただけの、それだけの関係でしょう。私が私のしたいようにする事に、何か文句がありますか」

「……文句はないけど! でもっ」

「装備は、最低限くらい、いつも身につけてますし、買って揃えられます。武器も……適当なものを。なんでもいいんです、硬くて重くて殴れれば……だから」


 それから、ザザはこちらの顔を見なかった。




「あの、サキに、……ごめんなさいって、伝えておいてくれませんか」


「それは自分で言ってくれ、頼むから、なあザザ……ザザッ!」


 素早いなんてものじゃない、それはまるきり閃光のようだ。一瞬、桜色が美しく翻ったかと思うと、彼女はもうそこにはいなかった。


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