「……み、幹人! 大丈夫か!」「アメちゃん生きてる!?「ちびってないか!?」




 誰もが何も言えずにしばしの時が経ってから、照治たちがこちらへ駆け寄ってきた。犬塚に差し出された手を借りて、とりあえず立ち上がる。


「とりあえずはちびってもいないけど、めっちゃ怖かった……」

「……それはどっちだ幹人、兎か、それとも」

「今となってはあの兎も可愛いんじゃないかと思う……」


 もちろん本当に生命の危機は感じたわけだが、彼女の威容の前ではどこか遠い過去だ。幹人の返答に深く頷いて、あの女性が去っていった方を見ながら照治も身体をブルリと震わせた。


「……助かったのは確かだが、何だったんださっきの液体窒素より温度低そうな眼ぇした娘は! 兎どころかあの一つ目熊だって可愛いぞ!」

「すっげ、地面えぐれてる……アメちゃんあれ食らってたらぺちゃんこだったぜ……」


 犬塚が彼女の叩いた地面を見ながら戦慄の声を上げる。その向こうでは木に叩きつけられた兎の様子を伺いに言った釣り好き部員が「……グチャグチャだ」と呟いた。


「すっげえ力だったね……照兄、こっちの人類ってみんなああなのかな?」

「いやあ、さすがにどうだろうな……。しかし、あれくらい出来ないと冒険者としてはやっていけないという事だろうかな……」


 照治がそう渋い顔で零す。そうだとしたら、自分たちにはあまりに荷が重すぎる。


「……ひとまず帰ろう。結局、今の俺たちじゃああの兎は倒せそうにないし、それに戦ってるのをまたあの娘に見られようものなら本当に殺されかねん」

「じゃあ冒険者登録は諦めるの?」

「今回は、とりあえずな」


 頷いた照治の判断は、正しそうではある。生きるための手段として冒険者登録をしようと言うのに、それで無理をして死人が出ては本末転倒だ。仕方ないが、幹人としても否やはない。



 だが。



「……わかった。だけど照兄、すぐに帰るってのは反対。やるべき事がある」

「なんだ?」

「俺、さっきの娘ともうちょっと話してくるよ」

「……はあ!?」


 目を剥く照治の反応はむべなるかな。彼はこちらの肩を掴んで続ける。


「お前な! さっきのヒエッヒエな感じ! 忘れたわけじゃないだろ! 凍らされてから棒で砕かれて明日のアイス屋の店先にシャーベットとして並べられるぞ!」

「うーん、まあ、……うーん」

「駄目だろあれは! 関わっちゃならんタイプだ!」

「……んーいやいや照兄。違う、違う違うって。あの人の冷たそうな感じとかはこの際、どうでもいいんだ」

「……は?」


 怪訝な顔をした彼に、幹人は続ける。


「あの人がどんな風に振舞って、どんな風にものを言ったかじゃなく、何をして何を言ったか、その内容をこそ考えるべきだ。照兄、あの人はさ、俺たちを助けてくれたでしょ? 見ず知らずの俺たちを」

「そ、れはその通りだが……」

「うん、で、見返りも要求しなかった。しかもその上で何を言ったか? 多分あれは、こんなところに出てくると危ないぞって、俺たちに注意・警告をしてくれたんだ」


 一連の展開に、彼女にとって得となるものなどほとんどなかったはずだ。確かに素人がこういった場でふらついているのは邪魔かもしれないが、彼女は本来、おそらくこんな初歩的な魔物が出るエリアで戦う実力ではないだろうから。


「すなわち、論理的に考えれば彼女は良い人であるはず! ただちょっと雰囲気とか言い方とか冷たそうなだけの! だからお近づきになっておくべきだ!」

「……幹人、お前、前々から思っていたがマジでちょっと頭おかしいぞ。高専の中でもあんまりいないタイプのイかれ方しちまってる」

「そうかもしんないけど、今はそれに感謝したい。……ちょっと行ってくる!」

「あ、おい!」


 言うが早いか、照治の制止にも取り合わず幹人は駆け出した。これでも理系の端くれだ、肌感覚よりも立てた理論の方に賭けたい。






 彼女が去っていって方へ走り、ほどなくしてその背中を捉えた。桜色の長い髪がかなり眼を惹く。


「あの、すみません!」

「……さっきの」

「はい、助けてくださって本当にありがとうございました」


 足を止めて振り返りはしてくれたものの、その表情はやはり冷たい。


「わざわざ言いに来たんですか? ……ああ、それともまた兎が出た? 早く帰らないからですよ、面倒ですね」


 まるでまた追っ払ってくれそうな言い方である。いや、自分の予想が正しければまるでではないのかもしれない。


「あ、いえ、そうではなくてですね」

「……? なんですか」

「さっきはついつい頷いてしまったんですが、ごめんなさい、俺たちまたああやって魔物退治をするつもりなんです」


 それはやはりと言うべきか、またしても胸ぐらに手が伸びてきた。ぐっと掴まれる力は気持ち、先ほどよりも強いかもしれない。


「私の言ったこと、もしかして伝わってませんでした?」

「伝わってはいたんですが」

「ではそれが最後の言葉で良いんですね。あなたの頭くらい、すぐにでも砕けますが」


 背筋の凍る極低温の眼光が容赦なく正面から幹人の網膜に刺さる。


「すみません、砕かれてもやらなきゃならないんです。生きていく術が欲しい」

「……ん。…………道楽で来たんじゃないんですか?」


 ほんの少しだけ、彼女の眼光が弱まった気がする。気のせいでない事を祈りたい。


「遠い異国からの人間でして、仕事も何もないんです。お金もありません。こっちの常識にも疎ければ信用もなくて、普通に働くのも難しい。だから戦える事を示して、冒険者になって、身分の証明とお金になる依頼、それから諸々の情報を手に入れたい。手に入れなきゃならない」


「……たしかに、ポンと迷い込んできた人間を働かせる場所なんてまともな所ではないですが。まだ冒険者として魔物とやり合った方がマシと言えばマシです」


 そこまで言ってから、彼女は深くため息を吐いた。


「……細かい事情は知りませんが、お遊びに来たわけじゃない事はわかりました、その顔を見る限り。……ですが、それでも無理でしょう、あなたたちに魔物退治は」

「……ですかね」

「でしょうね」

「でも、無茶でもなんでもやらなくてはならないんです。自分のためでもありますし、仲間や、なにより家族が……妹がいまして。あの娘のために」


 形の良い彼女の瞳が、その言葉に少しだけ瞠られる。


「…………家族。……その娘は、……まだ小さいんですか?」


 少し気の毒そうに、彼女がそう問うてきた時だった。






「やめてくださあああい! お兄ちゃんをいじめないでえええ!」



「は?」

「え?」


 女性と幹人、同時に声のした方を見やれば、こちらに猛ダッシュで駆けてくる人影が一つ。

 どれだけ距離のあろうとも見紛うわけもない、たった今話題に出したばかりの妹である。街でこちらの帰りを待っているはずの。


「いじめるって、……ああ、そう見えるでしょうか」


 胸ぐらを掴まれて、やはり幹人の体は小さく宙釣り。確かにそう見えるだろう。女性は少しバツが悪そうだ。


「やめてくださあああっ、ひゃえ!?」

 

「あ、咲!」


 草に足を取られたか、木の根にでも引っ掛けたか。勢いそのままに顔面から地面にダイブ。


「……もう」


 小さく声を漏らして、宙づりにしていた幹人を下ろし女性は倒れた咲の元へ足早に駆ける。追って幹人が二人の下へ着いた時にはもう地面に膝を着きながら、倒れた咲を助け起こしてくれていた。


「こんなところを足元も見ないで走らないで。せっかくの服も汚れちゃうから」

「ごべんなざい……」

「……謝らなくても、いいけれど」


 咲の服やら腕やら足やらについた土や草を払うその仕草は、よく見れば柔らかく丁寧で、どこか優しい。


「すみません、咲、怪我は?」

「していません、それなりに上手く転びました。下は草ですし」


 幹人の問いに咲より早く答えた彼女は、無駄のない所作で立ち上がった。


「次からは気をつけて。いいね?」

「はい……ありがとうございます……」

「…………こんなに小さい娘なんですね、あなたの妹」


 その呟きが心配そうな色だったというのは、もう気のせいではないはずだ。


「……そんなに、小さくはないです」

「そうなの? 勘違いだ、ごめんね」


 咲の小さな抗議に彼女はそう返すが、真面目に取り合ってはいなさそうだ。

 咲はこれでも一応中学二年生、十四歳ではあるのだが小柄で童顔な事から余裕で小学生に間違われる。その上この辺りの人たちは白色人種に近い、自分たち日本人は余計幼く見えるはずだ。

 下手をすれば、一桁台と勘違いしているかもしれない。


「ていうか咲、どうしてここに? 街で待ってなさいって言ったろ?」

「……お兄ちゃんが心配で走ってきました」

「……その健脚は誇るべきだけどなあ、駄目だぞ」


 一緒にいたはずのメンバーの目を盗んで来たのだろうか。大した行動力だが、無闇に発揮してもらっても危ない。


「街からあの勢いで? お兄さんよりは動けそうですね」

「そうなんですよ、俺よりよっぽど運動ができて……珍しいよな、お前が転ぶなんて」

「そ、それは、その……あ」


 言い淀んだ妹のお腹から、完璧なタイミングでグウーと音が鳴った。



「……あの、ちょっと、………………お、お腹、すいちゃって」



 顔を赤くしながら俯きがちで咲は言って、少しの沈黙が流れる。







「……あの」


 静寂の糸を切った女性は、自分の髪先を少し弄りながら幹人の方を向いた。


「あなたの仲間は、全部で何人ですか」

「俺を含めて十二人です」

「十二? ……結構多いですね。それで住処とかご飯とかはどうしてるんですか」

「あっちの方にある森の中でひとまず生活してまして。食べ物もそこで」


 こちらの答えに女性は眉間にわずか、皺を寄せる。


「あそこはここほど魔物はいませんが、まれにモノーコロが出ます。大きな一つ目の熊です。あなたたちでは厳しいでしょう」

「もう襲われました……。なんとか倒せたんですけど、ギリギリという感じで」



「……いつか本当に死にますよ、それ。……ああ、もういいです」


 ため息一つ、軽く落として彼女は街の方角へと歩き始めた。

 そしてそのまま、こちらを振り返らないまま言う。





「……付いてきて下さい、他の人達も一緒に。……家で、何か出しますから」



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