「なあアメちゃん、マジでバイクだよバイク。俺たちに必要なのは」

「間違いないよイヌちゃん。いずれ絶対作ろう、絶対にだ」


 幹人をアメちゃんと呼ぶ、同学年同学科の彼は犬塚という名字。アメちゃんイヌちゃんと呼び合う仲だ。


 犬塚は、人間の足はバイクのタンクを挟むためにあるのであって歩くためのものではないという過激派だが、こうも連日長距離を歩いていると幹人もそちら側に落ちてしまいそうだった。


「くそ、ああ、一昨日の疲れが取れてないのにまた徒歩移動……。足に乳酸が……」

「部長、大丈夫っすか?」

「お前は平気そうだな……釣りで鍛えられてるのか」

「めっちゃ山道とか行きますからね」


 幹人たち二人の前を行くのはやはり身体が重そうな照治と、彼とは反対に軽い足取りの釣り好きロボ研部員。自作した水中カメラの出来を確認するために釣りを始めたという工学系らしい人間である。

 幹人と犬塚にその二人を足した以上四人が現在のパーティだ。







「……で、ここら辺だな。全員、武器構えとけよ」


 より真剣なトーンに声音を変えた照治の指示に、他三人は揃って従った。

 幹人たちが着いたのは、討伐対象である魔物の出現エリア。ガレージのある森よりも木の密度の低い、林のような場所である。足下に生えている草の背は少し高く、腰の近くまである。


 特に照治は堪えていたようだが実際のところ、街からはそこまで遠いわけではない。歩いたのは三十分程度だ。


「照兄、足ちゃんと動く? 戦える?」

「なめんな、無理だ駄目だと嘆きながら俺が土壇場でいくつの単位を取ってきたと思ってる。いざという時に生き汚いでお馴染みの高専生を、俺はお前より二年も長くやってんだぞ」

「最高に頼もしい」


 冒険者協会に行ったのが一昨日の事。ガレージに帰ってから次の一日は準備に費やし、おかげで自動刺突熱槍は四本に増えた。

 残りのメンバーもガレージから出て来ているが、材料の関係で槍が四本しか作れなかったので街に留まり情報収集を担当している。また、最大戦力であり斧という武器も持っている鉢形はあちらの女性陣のガード役である。


《話すのは想話でやった方がいいな、獲物が逃げるから》


 釣り好き部員の提案に従って、全員口を噤む。ちなみに想話は謎テレパシーの事であり、魔法のある異世界にテレパシーは似つかわしくないワードだと言う事で採択された。さらにちなみに言えば、幹人の大好きなアニメ、魔法少女ラジカルつばきから引っ張ってきた言葉である。

 想話は臨時の女子たちも含めてロボ研全員、扱えるようになっている。


《膝から腰くらいまでの大きさの、強そうで悪そーな兎、なんだよなアメちゃん》

《そー、ペットとかには出来なさそうなビジュアルの……ん?》


 注意深く周囲を警戒しながら草をかき分け歩を進めていると、少し先からガサガサという音。

 草の上には二本の茶色く細長い何かが揺れていて。


《……あれって、耳か……? じゃあ、……うおおおおあああ!?》


 それは突然だった。バネで吹き飛ばしたかのような勢いで、目の前へ茶色の塊が迫る。

 細長い何かはやはり、それの耳だったのだろう。


「どわっ!?」


 思わず肉声を零しながら反射的に槍の柄で弾き、身体に当たるのは防いだものの、二、三歩後方へたたらを踏む。


「幹人、大丈夫か!?」

「な、なんとか!」


 怪我はないが、照治に答えながらも心臓はバクバク言っている。視界の中ではまるであざ笑うかのように、中型犬ほどのサイズのある茶色の兎が跳ね回っていた。


「こいつだ! こいつがターゲット! コニャッラ! ……おら!」


 想話を使う余裕はもはやないし、意味もないだろう。大声で叫びつつ、気合を籠めて槍を突き出す。

 しかしさすが野生の獣、運動不足の人間の攻撃などヒラリと躱して距離を取った。


「よしアメちゃん、タイミング合わせ……うお、もう一匹!」「一匹どこじゃない! 釣りだったら嬉しい大漁だけど!」「お前ら気を付けろ! ……というか一旦逃げるべきか!?」


 最後に叫んだ照治が言うとおり、あっという間に危機的な状況だった。

 自分たちの周りには、どこから現れたのか凶暴な面構えの兎たちが続々と七匹。動きは素早く力は強く、その脚や牙には鋭い爪、牙が光っている。

 この状況、どちらの方が捕食者かと言えば悲しい事にあちらだろう。






「ジャアアアアアッ!」


「う、うさぎってこんな声で鳴くんだっけ……?」


 呟く自分の声は少し情けなく震えている。逃げようにも絶対にあちらの方が速い。本当に、これはまずい状況なのではないだろうか。

 異世界の魔物退治を、甘く見過ぎていたか。


「……くっ!」


 近くの一頭が、グッと身体に力を溜めるのがわかった。今度跳んできたら、またさっきのように弾けるだろうか。

 弾けなかったら転がされるだろう。転がされたらどうなるだろうか。

 キラリと輝く牙が目に焼き付いて、背中の冷たさに気づく。


(くそ……)


 口の中の乾きを自覚したタイミングと同時。魔物は地面を蹴りつけて幹人へ跳び込んで来る。

 ぐっと力を入れた両手は硬く、なんだかうまく動いてくれず。魔物の狙いはこちらの顔面。


 駄目だ、当たる――。








「ギィヤッ!?」


「……え?」


 衝撃に備える身が感じたのは、顔を撫でる風だった。

 ブオンとひどく重い音を伴うそれに竦んだ幹人の目の前、鈍い衝突音が鳴って、こちらに跳び込んできていたはずの魔物は短い悲鳴を上げ視界の端へと吹き飛んだ。

 ほとんど平行移動、木に激突。もはや声すら上げず、動かなくなる。


「逃げないのなら、追わない。私も疲れるから」


 ブオンとまたあの重い音が響いて、続いて地面が大きく弾ける。響いた衝撃に、魔物たちが揃って数歩退いた。

 地面に振るわれたのは、無骨な棒だ。二メートルはあろうかという背丈を持つ、太くいかにも重そうなそれが、とてつもないスピードで。

 先ほど幹人に迫っていた一頭を吹き飛ばしたのも間違いなくあれだろう。




「来るなら殺す、わかるよね」




(……うお)


 長身に映える長い髪は、淡い桜の色味を宿す。芯の入ったように伸びた背筋は凛として、すらりと伸びた手足は美しく、女性らしい起伏に満ちた身体のラインは滅多にお目にかかれないだろう肉感的な美を纏う。

 しかし幹人が彼女に、いつの間にか割って入り、こちらを救ってくれたのだろう女性に抱く印象は、浮ついた色合いとは無縁だ。


「どうするの」


 淡々とした口調は、わざわざ声を張ってはいない。

 それでも彼女の声が、言葉が、雰囲気が放つこの場の一切凍てつかせんと言わんばかりの、物理的なそれとは違った冷気は空間を完全に支配している。

 五感全てで感じる存在としての強靭さが、何よりも幹人の頭には焼き付いた。


「逃げるのなら、早くして」


 彼女はもう一度、どこか面倒そうに片手に持った棒をぞんざいに振るい、地面を叩く。


「お、おお……」「逃げてったぞ……」「すげえ……」


 照治たちがざわめいた通り、結局、魔物たちは全速力で逃げ出して行った。そのスピードはさすが兎というものだ。


「……助かっ、た」


 呟きながら、情けなく槍を地面に突いて体重を預ける。足に上手く力が入らない。


「あの、ありがとうございます、本当に」

「……」


 幹人の礼に、彼女はこちらを振り向いた。予想通り切れ長の眼は迫力満点で、だがその整った美貌は完全に予想以上だった。

 幻想的な翡翠の瞳がこちらを見据えて、そこに宿る温度の低さに心臓が一瞬凍る。

 動きが固まっているうちに、伸びてきた片手にあっさり胸ぐらを掴まれて。



「っぐぇ、……あ、あのぉ」



 気がつけば持ち上げられていた。身長はどうやらほぼ変わらないので、宙に吊るされている分幹人の方がやや顔が上になる。




「何なんですか、あなたたち」




 つまり、彼女に下から睨めつけられるという事である。

 形の良い瞳はまるで抜き身の剣よろしくで、恐ろしいほどわかりやすく恐怖を感じる。


「ええと、ですね……」


「何なんですか? どこからどう見てもどうしようもない雑魚なのに、どうしてこの森をチョロチョロしているんですか?」

「え、あの……」


「あんなに弱い魔物に腰砕け、まともに戦えなんてしない。それがこんなとこに出て来て一体何のつもりなんですか? 本当に不愉快」

「いえ、その」


 いつもは滑らかに動く口も、今ばかりは油切れだ。吊るされて苦しいというのもあって、まともに言葉を返せない。


「……」


 彼女は無言で手を放し、幹人は地面に尻もちを着く。草の長いおかげで柔らかく、痛くはないのがせめてもの救いか。


「目障りです、分際を弁えて。もし今度見掛けたら私が殺しますよ、邪魔なので」

「ええと……」


「今でもいいですが」


 本日三度目、棒が振るわれたのは幹人の真横だ。巨大なエネルギーがすぐ傍を通った恐怖に胃がキュウっと怯える。





「もうあなたたちはここには入ってこない。ですよね?」





 頷く以外に何ができよう。ガクガクと首を上下に振るうと、彼女はこちらからあっさりと視線を切って踵を返した。






 そのまま、名乗る事もなく去っていく。

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