三章 マジでちょっと頭おかしい
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「は、は、ああ、……つっかれた」
「照兄、頑張ろう、……あー、くそ、でも疲れた……」
「二人ともだらしなぁい! 足腰貧弱! 運動不足! 体力テストで恥かきますよ!」
陽光降り注ぐ草原の上、照治と並んで肩で息をしながら歩く幹人の前、妹はまだまだ元気だった。かれこれ一時間半という、インドア派からしてみれば常軌を逸する長時間を歩いているというのに、実に頼もしい事である。
「ざん、ねん、だった、な、咲……。高専には、体力テスト、なぞ、存在、しない」
基本はインドア派とは言え、スポーツ好きな妹に付き合ってそれなりに動く幹人と違い、
「え、そうなの!?」
「あのな、咲ちゃんや。兄ちゃんのクラスでは体育の時間、準備体操が終わった時点で『一仕事終えたさあ帰ろうもう無理だわ』みたいな顔してる奴がごろごろいるんだぞ。体力テストなんてやろうもんならそんな悲惨な現状が白日の下に晒されちゃうだろ」
喋るのも辛そうな照治の代わりに幹人がそう言うと、咲は「そ、そっか……」と気の毒そうな顔をした。
「タ、タイピング速度が、種目に入るなら、やってやっても、いいんだがな」
「そしたらそこだけ一般の高校やらとは別格のスコアにはなるだろうけども。みぃちゃん先輩とか世界レベルなんじゃない?」
「体育会系、ならぬ、タイプ会系、だな」
「ちょっと面白い」
疲れていても頭は回るのが、さすがと言えばさすがの照治だった。
「……ま、目標は見えてるんだから頑張りましょ」
「だな、はあ、くそ、ああ、徒歩って、こんなに遅えんだな……」
視線の彼方、少し下りになっている草原の先には幹人たち三人の目的地――大きな壁で囲まれた、街だろうものがある。
本格的に、この世界の住民とコンタクトを試みる。
今までいわば森の中に引きこもった状態で謎アイテムと戯れていたわけだが、もうそろそろここから脱してみよう、そうしなければならないという話になったのはもちろん、あの熊に襲われた一件があってからだ。
あれが起こった事で、森が絶対安全な場所というわけではない事がわかり、誰かが大怪我をしてしまうかもしれないというのがリアルな危機として持ち上がってきたのだ。
「あと30分くらいかね。もう森を抜けて一時間半は歩いてるから計二時間。人間の徒歩はだいたい時速4kmだから、つまり8kmくらいか」
「そう、聞くと、まったく、遠くない、気がする、のにな」
今向かっている壁に囲まれた街は、何の偶然か事件の同日、周辺調査を行っていた照治たちがそれまで探索の終わっていなかった方角の森の終わりまで行き着いて、そこから見える景色の中に発見したものだ。
「時間が計れるのはやっぱり便利だね。しててよかった腕時計」
「まったく、だ。なかったら、1秒という単位を、失うところ、だったしな。まあ、時刻は、ズレ放題、だが」
「こっちの一日、当然のように24時間じゃないもんね。21時間と57分」
街に向かうのは良いが、まさか全員でぞろぞろと行くのはいかにもリスクが高い。入る時に警戒されてしまいそうだし、何かあった時に全滅してしまう可能性すらある。
そこで、先遣として代表者の照治、初対面相手のコミュニケーションにも苦手意識のない幹人が行くことになったのだが、本人の強い希望により咲も同行している。
「うーん、おひさまの下を歩くのは気持ちがいいですね! 人はこうあるべき!」
肌質で日焼けこそしていないが、咲は県選抜に名を連ねるほどのテニス選手で足腰が違う。自分たちよりもよっぽど長時間の徒歩移動に向いてはいる。
とは言っても幹人としては、最悪のケースまで考えると妹にはガレージに残って欲しかったのだが、熊事件のショックが尾を引いているのか彼女は離れる事に納得をしてくれず、結局押し切られてしまった。
何があってもこの娘だけは。幹人に出来るのは、その覚悟を再確認する事くらいだ。
「おー……これはまた近くで見るとなかなか」
「すごいねえ~お兄ちゃん……こういうの、歴史の教科書とかで見たことある」
辿り着いて近距離から改めて見れば、それは威圧感のある姿をしている。
「城郭都市、ってやつかな」
息の落ち着いてきた照治が、眼鏡の位置を直しながらそう言った。
街を囲う、直方体に切り出された石を積む形で出来上がっているその壁は高さ4メートルほど。そこまで高いわけではないが、一つの街を囲む規模で作られていると圧巻だ。
当然、こっそりと忍び込むのは難しそうである。
「さ、……いよいよだな。正面から行くっきゃなさそうだが」
「門は全開なんだよね……よし、咲も良いか?」
「うん!」
三人揃って覚悟を決め、開かれた門へと歩を進める。
「……中に入れば、本格的にこっちの知的生命体とコンタクト。幹人、すまんが俺には自信がない」
「そのために俺来たんだし、任せて。言葉通じないだろうからあまり期待もしないで欲しいけど、そこはボディランゲージの力を信じよう」
人畜無害そうに見えるからかどうかは知らないが、やたらと訪日外国人に道を聞かれる幹人である。緊張がないとは言えないが、抵抗は特にない。
喋りながら止まらずにそのまま進んで、やがて壁をくぐる。特に誰かに何を言われるでもなく、あっさりとしたものだった。
どうやら、大丈夫らしい。
「……入っちゃったね、異世界の街」
「うわあー、中ひろーい!」
咲が声を上げた通り、その街は広大だった。遠目で見ていたときにもわかっていたが、周囲を壁で囲んでいるというのに、この広さは相当なものである。
まっすぐ視線の先に見えるのは白亜の建物。色合いは美しいが造形自体は曲線ではなく直線主体で、華美よりも堅実さに重きの置かれているような印象だ。
縦幅と窓の配置からして三階建てだろうか。規模としては、日本のちょっとした市役所くらいはありそうだ。
「あ、お兄ちゃん、良い匂いがしますよ!」
「ほんとだ。左側に並んでるのは店っぽい感じかな」
「食べ物だけじゃないな、なんかこう、雑貨屋的なのもある」
門と白亜の建物を繋ぐ道、そこに向かって左側で面するスペースにはどうやら飲食店や雑貨店らしきものが軒を連ねている。人はそれなりに入っているようで、ガヤガヤと喧騒が耳に届く。
建物は基本的に煉瓦造りのようだった。そのところどころで木や金属といった素材も見られる。
(文化レベルは、……どうだろ? 現代地球ほどじゃないか?)
少なくとも自動車は走っておらず、電子機器なんかも見かけない。
「で、右側に並んでいるのは……うーん、なんだろ?」
通路に対して左側にある飲食店やら雑貨店やらは広い入口がどこも完全にオープンになっているのに対し、右側に居並ぶ建物は逆に、扉がしっかり閉まっている。
思わずふらふらと歩を進め、一番近い建物の前へ。
「民家とか? でも看板があるし、こんなとこに建てるかな」
「兄ちゃん、うちは宿屋だよ。こっち側にあんのは皆そうさ」
「……え?」
ガチャっと扉が開いて、中から出てきたのは中年の中肉中背男性。色白でぱっと見は
オーバーオールのような服を着込んでいる彼は、いかにも人の良さそうな笑いジワが印象的な顔で言う。
「旅人さんかい? 短期から長期まで安くしとくよ」
「……宿屋さん、なるほど、そりゃあ門の近くに建てますよね。一番いい立地だ」
「そうさ、中でもうちは一等地! 俺がやり手だからなあ」
いやあ御見逸れしました、なんのなんのという会話を表面で交わしながら、当然、幹人の頭の中は大混乱である。
なんでだ。
なんで、どうして。
(人間、に見える。俺たちとそう変わらない……それもすごい偶然というか都合の良さだし、……日本語が、通じる、相手の言葉も、わかる、っていうのも、おかしいだろ)
宿屋だという建物の前に掛けられた看板の文字を目で追う。もちろんそれは日本語ではなく、何が書いてあるかも読めない。
(……あっちが、日本語を喋ってるってんじゃない、か? どうも言ってる意味をこちらが日本語として把握できてるみたいな、つまりどういう…………いや)
そこまで考えて、幹人はまばたきを長めに一回。頭を切り替える事にした。
今は、後回しにしよう。どうなってるのか後で絶対にもっとしっかり考えるが、ここはその時じゃない。
「兄ちゃんたち、さては遠くからだな? 着込んでるそのなかなかイカした服に見覚えがない」
「ご明察です。さすが宿屋のご主人」
「はっはっは、だろう!」
「はい。信じられないくらい辺境から出てきたもので、……お恥ずかしながらここらへんの常識に疎いんですが、こういう街に来たらまずどこへ行くべきなんでしょう?」
雑談を質問につなげると、宿屋の主人は快く答えてくれた。
「そりゃあお前、冒険者協会じゃねえのか? ほら、あの白い建物だよ。冒険者登録してあるなら情報やら仕事やらを仕入れられるし、ないならまずはそっからだ。……その感じじゃあしてないな?」
「はい」
「そうか、なら行ってこい行ってこい」
後ろを振り返って目線で問うと、照治はコクリと頷いた。
「ではそうします。すみません、ご丁寧に。ありがとうございました」
「良いって事よ。ここに来るのは初めてって旅人さんの案内役もやってんだ、俺は」
「あ、そうだったんですね」
やはり傍から見ても自分たちは挙動不審だったらしい。
男性に再度礼を言いながら、煉瓦で舗装された道を三人でまた歩き始める。
目標はもちろんあの白い建物、男性が言うところの冒険者協会だ。
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