「……グゥ」


 もう一発、ヘロヘロと飛んだ石が熊の頭に当たる。投げたのは誰という事もない、やはり魅依。


「みぃちゃん先輩!」


 熊が、彼女の方を向く。一歩二歩踏み込んで、その巨腕を振ればあの細身の先輩が肉塊と化すのはおそらく絶対だろう。

 間に合うか、震える足を思い切り回そうとしたその時だった。




「……――グゥオオオオオオオオアアアアッ!」




 突然苦悶の声を上げたのは、巨体を誇るはずの熊の方だった。その大きな一つ眼を両手で抑え、苦しそうに苛立たしそうに、雄叫びを上げながら身体を振り回す。


 一体何が。


 思う幹人の眼に、魅依が手に持つ細長い物体が映った。先端が強く輝いていて、まともに見てはいけないと反射的に感じる。

 それは、ロボ研の会議でもよく見慣れたアイテムだった。


「レーザーポインター!」


 指し棒の発展形として使われる、レーザー光で諸々を指し示すためのそれはおもちゃのような低出力の製品もあるが、万単位の値段が張るそれなりにしっかりしたものであればかなり強い、つまり危険な光が出る。

 ロボット展示やパフォーマンスなどで広い会場に赴く事も多いため、ロボ研のものはそこそこ高出力のモデル。電池もこの世界に来る直前に替えたばかりのはずだ。


「グゥオオオオ……ッ、アアアアッ!」


 あれだけ大きな瞳なら、反射的なまばたきも時間がかかっただろう。失明とはいかないだろうが、かなりダメージはありそうだ。


「……あ」


 ぺたんと魅依が地面に尻もちをつく。猛獣の怒りを前に、流石に限界が来たのだろう。


「咲! 兄ちゃんもみぃちゃん先輩拾ってすぐに行く! だからダッシュ!」

「……わ、わかった!」


 一瞬迷いはしたものの、咲はその健脚を発揮してガレージへ走り始める。幹人も転がるように魅依の下へと走り、膝と背中の下に手を回してその身体を持ち上げる。


「み、みき君……っ」


 会話している余裕が無い、そのまま全速力。我ながら人を一人抱えているとは思えない速度で駆け抜け、ガレージのシャッター脇ドアへと飛び込む。


「お兄ちゃん!」「雨ケ谷! 怪我は!?」「肩大丈夫!?」「わりい、俺たち助けに行けなくって……」


 先にたどり着いていた咲と共に、ここに逃げ込んでいたらしい部員たちが声を掛けてくる。照治や鉢形の姿はなく、どうやら全員はいないようだ。


「大丈夫、あれはしょうがない。俺も襲われてんのが咲じゃなかったら無理だ」


 言いながら、魅依を床に降ろす。

 しかしこの人は、それでも自分たちを助けに来てくれたのだろう。お世辞にもまったく荒事に向かない身体と心なのに。


「みぃちゃん先輩、あの……」

「み、みき君、けが、ない?」

「……みぃちゃん先輩のおかげで、五体満足です」


 誇張でもなんでもなく、多分本当にあの時魅依が来てくれなければ死んでいただろう。


「グゥオオオオアアアアアアアアアッ!」

「……っ」


 礼を言おうとした矢先、外から雄叫びが響く。思わず息を飲むほどに、生命の危険を感じさせる音色。

 そうだ、まだ危機は終わっていない。





「……しゃーないか」





 ガレージ内をぐるりと見渡し、息を吐きながら、幹人は壁に立てかけておいたものを手に取った。


「お、お兄ちゃん、何する気?」

「あいつがこっち来たらさ、こんなシャッターなんてひとたまりもなさそうだしな。そうなってからじゃ遅い」


 こんな時のために、これは作ったはずなのだ。

 スイッチを押しこめば、その先端はそう時を待たずに赤熱を始める。照治との共同制作品だが、彼は鉢形と共に周辺調査に向かっていて、今ここにはいない。


「お兄ちゃん、まさか……」

「みぃちゃん先輩、ちょっとごめんね」

「え、あっ」



 魅依の手からレーザーポインターを拝借、左手で握り込む。



「お兄ちゃん!」「み、みき君!」「お、おい! やめとけって!」「俺も……槍、あれだけしかねえんだっけ? 他に何か……」「あれに通用しそうなのはないでしょ!」


 掛けられる声を無視して、幹人はさっさとドアから外に出た。一旦躊躇してしまうと気持ちがくじけてしまいそうだからだ。


(この槍は、俺が作った。だから一番扱いに慣れてる。そんで今はアドレナリンが出まくってる、一応身体も動くだろ……!)


 あの一つ目熊の視力が回復し、妹に言った通りこの場所を襲われたら、それは最悪に過ぎる。

 まだ眼にダメージがある内に、なんとかしなければならない。


「グゥオオオオアア……!」


 ガレージ前の開けた空間、熊は眼を抑えたまま頭を振っている。


「……っ!」


 身体に溜まる恐怖を置き去りにするように、静かに、しかし出来る限り素早く、幹人はその巨体へと駆け寄って。


(頭も眼も、手で抑えられている。だから狙うならっ)



 強く踏み込み、レーザーポインターを握ったままの左手を添えながら思い切り右手に力を入れ、熊の喉元に切っ先を奔らせた。

 同時、熱を発生させるものとは別、その隣に設えておいたスイッチを押し込む。すると自分の力ではありえない加速が槍を彩る。

 槍の内部に仕込んであるのは、運動エネルギーを発生させるユニットだ。

 自動刺突熱槍、これなら貧弱なインドア派でもそれなりの攻撃が出来るはず――。





「……!? 硬っ!?」


「ガアアアアアアアアアッ!!」


 狙い違わず熊の喉元に先端は吸い込まれ、ジュウウと肉の焦げる音を響かせて、しかし浅いところで止まってしまった。

 体毛ではないだろう、おそらく、その奥の筋肉が強靭過ぎるのだ。突きを放ったこちらの肘と肩に、嫌な衝撃が響いている。


「くそっ!」


 慌てて槍を引き抜いてバックステップ、すると危ういところを熊の振り回した爪が通過していった。風切り音がなんとも恐ろしい。


「…………あ」


 とにかくもう少し距離を取ろうとして、足が上手く動かない事に気づく。ちらりと見ればガクガクと震えていた。

 それはそうだ、だってこんなに怖い。身体というのは正直だった。

 血走りに血走った眼を、熊が開く。こちらを見据えている。


「……こんのぉ!」

「ガアアアアアッ!」


 反射的にレーザーポインターを構え、その瞳に向けて光を放てば、熊は身を仰け反らせて苦悶の声をあげた。いかな猛獣と言えど光の速さは避けられないようで、なんとか命拾いだ。


 だけどどうする、こんな奴、どうやって。








「……おおおおおおおおおおおおおおおらぁッ!」

「グゥッ!?」


 巨体の横腹に、槍が突き立てられる。しかしそれは、幹人のものではなく。


「すまん遅くなった! くそ、かってえな……!」

「……照兄!」


 眼鏡の奥の瞳を眇めながら自動刺突熱槍の兄弟槍を引き抜いたのは、見慣れた兄的先輩。


「幹人ッ、俺たちで注意を引くぞ!」

「え? あ、……なるほど了解!」


 どういう事か一瞬わからなかったが、熊の背後の光景を見て理解する。


「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 連携を取りながら高温に熱された穂先を突き込むこちらへ、一際苛立たしげに熊が叫んだ。その姿勢はかなり低く、熱槍の熱さを無視して飛びかかってくる可能性もありそうで――。


「ガッ?」


 しかし、そうなることは結局なかった。突然背後から襲った衝撃に、熊がどこか間抜けな声を漏らす。

 それが、この巨体最後の叫びとなった。


「ゼエエエエエエエエエァッッ!!」


 あまりに雄々しい咆哮を上げたのは、幹人たちが注意を引く間にゆっくりゆっくり静かに近くまで接近し、そして今、満を持して熊を後ろから踏み付け空中へ飛んだ人物。

 まるで二頭目の熊かと見まごうばかりの巨体、テツさんこと鉢形鉄次郎。

 彼の手には、鈍く輝きを示す刃を持った大きな斧が携えられている。

 担ぐように振りかぶられたそれは、


「カァッ!!」


 意気篭る声の吐き出しと同時、常識を超えた速度を纏い、下方へと閃く。背負投げのように斧を振るった鉢形の剛力に、槍と同じく内部に仕込んだ運動エネルギーを発生させるユニットの加速が足されているのだ。


 斬撃一閃。


 重く苛烈な一撃が熊の首筋に吸い込まれ、やがて響いたのはボスンという鈍い落下音。


「……うわ」


 幹人の足元に、一つ目を虚ろに染めた熊の生首が転がった。

 続いて地響き、血を噴き出しながら倒れこんだ巨体が起こしたものだ。


「……遅く、なった。怪我はないか、雨ケ谷」

「おかげさまで……。ところでテツさん、今度から熊殺しの鉄次郎を名乗ろうぜ」

「サシで殺れねば名乗れんだろう。ほとんど二人の功績だ」


 いやあそうかなあと、転がる熊の太い首を見て思う。

 鉢形が来てくれなければ、こんな化け物倒せなかったはずだ。抵抗はともかく、打ち倒すのは不可能だったに違いない。

 危ない橋を何度も渡った事を再認識、幹人は崩れるように草原の上へ尻を落とす。


「……このガレージ暮らしも、安全じゃねえな。ちょうどいいタイミングかもしれん」


 ぼやきながら歩み寄ってきたのは照治。よく見れば顔が青い、彼も怖かったのだろう。


「何の話?」

「まとめて半円卓会議で話す。……ともあれ、お疲れさん。無事でよかった」

「いやいやほんと、おかげさまで。ありがとう照兄、すげえ助かるタイミングで来てくれたよ」


 周辺調査に向かうためとちょうどよく武器を持っていたのだろうとは言え、助けに飛び込んでくるのは勇気が要ったろう。素直に、心からありがたい。



「帰って来てみりゃお前が熊とタイマン張ってんだもんよ」



 ビビってる暇もなかったぜと、照治は笑った。

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