第2話 女流棋士、香子(未完成)
私が香子と出会ってからもう十年以上の月日が経つ。香子と知り合うきっかけとなったのは将棋教室だった。私が将棋教室に通いだすよりももっと前から、香子は通っていたようだった。初めて将棋教室を利用した時、講師が教室の奥のほうへ手を遣りながら、「あそこにいるのが香子ちゃん。女の子もここを利用してるんだよ。」と言って彼女のことを紹介した。
その時教室は太陽の西日を受け仄かな茜色に染まっていて、香子はその中で将棋を指していた。日光を浴びた後ろ髪は小麦のように燦然と輝き、彼女はその風景にふさわしい緋色の服を着ていた。私はこの時の美しい情景を今でも鮮明に記憶している。このような情景を眼前にして、なぜ彼女を否定的に見れよう。暖色に包まれた澄明な風景は、彼女の存在をつぶさに肯定した。時折パチリ、パチリという拙い駒音が、教室の片隅で響いた。
これが香子との出会いであったこともあり、将棋教室に通いたての頃は香子とどのように接して行けば良いのかに酷く悩まされた。人は子供の頃、誰かから存在を否定されれば自分の人生は終わってしまうという極端な迷妄思考に陥ることがあるが、私にとって香子はそういった存在であった。苦しみは日に日につのったが、ろくな解決策も出せないまま日ばかりが過ぎていった。当然将棋の成績も芳しくなく、講師からはすでに初段以上の実力があると言われ入った将棋教室だったが、入った後は格下相手に連敗を喫している始末であった。この悪評が香子の耳に入りそれが私に対する蔑視へと繋がろうものなら、私の人生はこの時点で大きく揺れ動いてたのは間違い無い。ところが話はここから進展を見せる。
「ヒロくんて本当に初段なの?これで初段なら俺も初段だってことだぜ。」
「なんだヒロくんまた負けたのか。おまけにこんな内容で。これじゃあどっちが 初段なんだか。」
悪童達の容赦ない非難の声が目の前を飛び交っても、私はうわの空であった。暗澹とした感情が私の体を包み込み、それがあらゆる感覚をぼかしているのだった。混濁した意識の中、このまま一日が終わるのであろう。そう思っていた矢先のことであった。
「この時角をさ、ここに打てば良かったんじゃないの?」
気品の無い雑多な声が飛び交うその中で、その声だけ暖色を帯びた輝きをもって私の胸に鋭く響いた。濁った感覚は途端に研ぎ澄まされ、繊細なものへと変化した。こうした魅力を持つ人間は香子のほかいなかった。すぐに声のした方へ視線を移した。はたしてそれは香子だった。
「それは僕も考えたんだけど、そうしたら相手は陣形固めてきて困る。」
「固めてきたらそれはそれでいいじゃない。自陣はすぐに崩壊しないから。」
今まで思案に暮れていたことが嘘のようであった。私は香子に対して一点の曇りもなく自分の胸中を明かせた。つい先程までわだかまっていた感情が、淀みない清流のごとく私の胸から香子のうちへと流れていった。それを見ていた悪童達は嗤うのをやめ、つまらなそうに散っていった。私と香子との会話はその後も続いた。私はこの時感じたのである。
この出来事は決して私の独力によって生じたものではない。私以外の、何か別のものが私と合わさり作用したのである。そして、それこそが将棋であったのだ。聴衆の心を揺るがす名演説家のスピーチが、蓋を開けてみると発している音そのものには意味が無いように、多くの読者を感涙させた名著に印字されている文字の並びが、本質的にはインクのシミに過ぎないように、世の中には本来…
(作成途中 最終更新日平成28年11月12日)
卍Xx†暗黒堕天真魔劣等将棋少年奮闘記†xX卍 長峯 策之 @nagamine1986
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