第8話 魔法の代償

 おっさん刑事は上体を反らし、間一髪姫さまの右フックを避けた。姫さまの放った拳は勢いを殺せずそのまま壁へ突き刺さる。粉々に砕ける壁。


「ほぅ。これを躱すか」


 と、とんでもねえ破壊力だ。よく竹山刑事の頭が原型を留めていたもんだ。


「貴様、こんなことをして……どうなるかわかっているんだろうな……」


「次に妾のことを〝貴様〟と呼んだら五キロメートルほど地面を引きずり回すからの!」


 ふと俺がパトカーの方へ目をやると、警察官が応援を呼ぼうと無線のマイクを掴んでいた。


「ひッ、ひひ姫さま、まずいです! あれで仲間を呼ばれます!」


「なんじゃと?」


 姫さまはどこへ隠していたのか、見えなくなっていた翼を広げると、一瞬のうちにパトカーへ辿り着く。


「うわあ!」


 警察官二名も姫さまのデン○シーロールの餌食になっていた。

 そして姫さまは、そのすぐ後方で一部始終を見ていた近所のおばちゃんたちを睨みつける。


「すまんな。なるべく痛くないようにしてやろう」


 そう言って、無慈悲な攻撃を容赦なく叩き込んだ姫さまであった。


「……一般人まで巻き込むとは、なんて下劣な奴らだ」


〝奴ら〟って、勘違いしてないか刑事のおっさん。俺はなにもしてないですからね!?


「はぁ。はぁ。逃げるぞ一号」


「え?」


「今の悲鳴を聞いて人が集まってくる。掴まれ」


 確かに遠くから人がこちらを指さしている。サウナから出てきたような大量の汗を流し、肩で息をしている姫さまは翼を再び広げると、左足を一歩俺の方へ出した。


「な、なにを?」


「掴まれと申しておるのがわからぬのか!」


 こ、この生脚に……掴まれ……ということか?

 ゴクリと喉が鳴る。


 姫さまがお召しになっているのはワンピース。それもけっこうミニスカタイプだった。

 女の子の手ですら握ったことのないこの俺に、こんな美少女の生脚を触れというご褒美、いや試練……。


「はい……」


 急がなければまずいことになる(町人の被害的な意味で)。

 俺はカバンをズボンの内側に無理やり挟んで、汗で湿った太ももに両腕でしがみついた。頬に当たる柔らかな感触が心臓を暴れさせる。


「一号貴様ぁ! 頬を擦りつけるでない! くす、くすぐった――」


「貴様ら! 待て!」


 おっさん刑事が後ろから手を伸ばす。


「死刑!!」


 姫さまは振り向きながら、俺の掴まっている左足を勢いよくおっさん刑事の方へ振り回した。


「ごほっ」


「ぐえっ」


 俺の背中がおっさん刑事の顔面を直撃した。

 おっさん沈黙。


「征くぞ」


 飛び立つために翼を何度か羽ばたいてから、姫さまは勢いよく飛び立った。


「っぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああッ」


 一気に真上に飛び、風を切る不思議な感覚。逆バンジーというものをテレビで見たことがあるが、まさにそんな感じだろう。

 姫さまは、下にいる人物から顔を認識されなくなるくらいの高さまで、ぐんぐんと上昇していった。


 下を見ると緑の多いこの町が一望できる。やはりお世辞でも賑わいがあるとは言えない平凡な田舎町だ。


「お、おおおおおおぉぉぉぉちるうううううぅぅぅぅぅぅ」


「うるさい奴じゃ」


 イラっとした声でそう言う姫さまは、俺の捕まっている脚をブンブンと振った。


「がはあああああああぁぁぁやめてえええぇぇぇぇ」


 俺は滑り落ちそうになるのを必死に堪えた。脚の感触など味わっている余裕などない。


 と、そういえば。


「ど、どうして昨日、落ちた俺たちを助けてくれたんですか?」


「……征服予定のこのチキューから人口が減るのは嫌じゃからな。それにまあ、レッドには泊めさせてもらっていた恩があるからの、うむ。それに貴様が……いやなんでもない」


 どんな表情をしているのか、気になり顔を上げたところ、ミニスカワンピースだということに気づきすぐに顔を下に向けた。


「……それにしても貴様、妾をなんだと思っておる。死にそうな人間を見殺しにするような奴に見えるというのか」


「いいいいえ、そんなはずないじゃないですか。今も助けてもらっちゃって……優しい人だと思います」


 それを聞いて、ふんっ、と姫さまは強めに鼻を鳴らすと、飛び立つ時とは正反対の、緩やかな降り方で地上へ向かっていった。


「ここでよいな」


 そう言って着地した場所は、俺のよく知る場所だった。


「学校……」


 その屋上だった。


「貴様、ここへ向かっていたのじゃろう? わざわざ送ってやったのじゃ、感謝するがよい。はっはっはー」


「え、ええと。でも」


「ええい、うっとおしい! いつまでも顔を脚に密着させるでない!」


 いつまでも脚にしがみついていた俺を、姫さまは蹴るようにして無理やり放り、ドアの辺りにぶつけられた。


「ず、ずびばぜん。でも俺、ここにいたら、絶対捕まっちゃいます……よね。まあどこにいても同じか。はは」


「……まさか貴様、あやつ等の記憶を妾が消せていないとでも?」


「だ、だって」


「まあ、あの中年は妾が直接殴っていないから若干……問題ない」


 おい、なにを言おうとした。


「本当に、消せてるん……ですか」


 殴っただけじゃ? と付け加えようとして、俺は寸前で止めた。あの理不尽な暴力が自分に襲いかかってきたらたまったもんじゃないからだ。


「疑り深い奴じゃな、貴様は。あれは我がランスセール家に代々伝わる由緒正しき魔法じゃ。今までも散々使ってきたが特に問題ない」


 魔法という名の物理攻撃に見えたのだが?

 魔法なら魔法陣くらい展開してくれよわかりづらい。それにあんなどきつい殴りを見せられて由緒正しきとか言われてもだな。


「む、向こうには俺の写真もありますし……きっとまた来るでしょうね。はぁ」


 ため息が出まくってしょうがない。モテる前にストレスでハゲたらどうしてくれる。

 そんなことを考えながら姫さまの顔を見ると、飛び疲れたのか、呼吸が荒くなっていた。

 それもどんどん激しさを増し、汗が滝のように流れ始めた。


「ひ、姫さま? 大丈夫ですか?」


「ああ、問題な――」


 言い切る前に、姫さまは膝から崩れ落ちた。


「姫さま!」


「……少し翼を使いすぎたの」


「え? なんだこれ」


 姫さまの黒い羽は、まるで枯れた植物のようにしおれ始めていた。


「回復せねば……」


「え、えと、俺はどうしたら。水でどうにかなりますかね」


 枯れたものには水という軽い発想。しかし姫さまは思いがけない対応策を呟いた。


「……羽を舐めるのじゃ」


「え」


「それで治る。頼む一号……」


 俺は姫さまの羽を凝視した。

 思い出したが、昨日の晩、これを舐めたせいでえらい目にあったのだ。生臭さが口いっぱいに広がる、まるで……いや思い出したくもない。


 足が震える。身体が嫌がっているんだろう。これを再び舐めればまた気絶するのだと。

 しかし姫さまは、高熱にうなされているような苦しそうな息遣いで、俺の〝羽ペロ〟を求めている。


「わ、わかりました」


 生魚も炙ればうまくなる。日光で熱くなっているこの羽なら、きっと今はいい感じに香ばしくなっているはずだ。

 俺はゆっくりと舌を近づけ、ぺろり、と舐めた。


「お」


 いける。思ったとおり炙った魚みたいな味だ。生臭さは解消されているし、これなら無制限にいける!

 と、一分ほど頑張って羽を舐めていると、


「ここなら立ち入り禁止ですし、二人きりになれますわ。ささ、入って頂戴」


 ガチャり。


「え」


 突然屋上の扉が開け放たれた。

 入ってきたのは二人の女子生徒。体操着を着ているようだが、逆光で顔はよく見えない。


「ちょ、あなたたち……一体ここでなにを」


「その、応急処置を」


「お、応急処置ですって!? い、嫌、変態や――――――――――――――!!」


「ちょ、えええええええ!」


 バタン! と力強くドアを閉められ、二人の女子生徒は逃げていった。

 一体俺のなにが悪かったのか。改めて今の自分の状況を確認してみる。


 頬を赤らめた姫さまの後ろから、覆いかぶさるようにして羽を舐めている。

 うん、いい具合に変態だな。


 いや、その前にあの二人は屋上になにをしに来たんだ一体。今は授業中だと思うんだが。



 すると、今度は二段飛ばしでもしてるんじゃないかってくらい、勢いよく階段を駆け上がる音が近づいてきた。


「ままま、まずい。また誰か来た」


 さっきの生徒が先生にでも報告したのかと思い、咄嗟に俺も隠れようとしたが、それよりも早く、ドアは開け放たれた。


「ヒイィィィ!」


「君! なにやってるの!?」


「あか、あかかかかか」


 大量の汗を額から流し、美少女が台無しの剣幕で現れたのは赤月さんだった。


「謎の飛行物体が学校に近づいてくるのが窓から丸見えよ! わたししか見てないことを祈った方がいいわね」


 もっとひどい状況を見られました。


「ところで……なにやってんの」


「その――」


 俺は簡潔に、今起こっていることを赤月さんに伝えた。


「……なんだかよくわからないけど、それならやってあげて一号くん」


 見られながら舌を出す行為は超恥ずかしいが、さすがにそれを女子にやらせるよりはいい気がしたので、俺は引き続き羽を舐め続けた。


「――だいぶよくなった。礼を言うぞ、一号」


 数分後ようやく汗も引き、表情がよくなった姫さまは身体を起こす。


「そういえばあんた、また今朝あの事件が起こったって知ってるわよ! もしかして彼を巻き込んだんじゃないでしょうね!?」


「うーむ。協力はしてもらったの」


「あ、そうですよ。俺、今朝公園に行ったのなんて、記憶ないんです、けど……?」

 さっき巻き込まれたのは忘れようがないが、協力した覚えなどない。あの写真は一体なんだったんだ。


「ム、一号には見張りを頼んだでなはいか。あ、そうかそうか、そういえば……」


 俺の頬を見て、汗をたらりと流す姫さま。


 え、俺殴られて言うこと聞かせられたんじゃないでしょうね。記憶がないのもそのせいだったりしてな。はは、この顔のあざ……あぁ笑えねえ。


「一号って?」


「お、俺のこと、らしい。下僕一号とか、そんな感じだった気がする」


「おいレッド」


「レッドやめて!」


 姫さまにレッドと呼ばれ、本気で嫌がる赤月さん。俺も今度呼んでみよう。


「まあ、色々聞きたいことあるから、昼休みにもう一度会いましょう。わたしトイレ行くって言ってあるから、そろそろ戻らないと」


「あ、俺も、教室行かなきゃ」


「うむ。なら昼頃また会おうかの。妾は疲れた」


 そう言って、姫さまは大の字になって眠り始めた。

 腕時計を見ると、三限から出るつもりだったのに、すでに三限の途中の時間になっていた。仕方がない、四限から出るか。


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俺、あなたの羽なら全部ペロペロできます 真堂 灯 @akari-s

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