第7話 魔法(物理)

 朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。寝返りをした時に丁度日光が目に当たる。


「ん……」


 目を擦りながら目覚まし時計を見ると、いつもセットしている時間を大幅に越し、時刻は一〇時になろうとしていた。


「うわ遅刻! なんで鳴らないんだよ」


 スイッチを見たが、そもそも目覚ましをセットしていないようだった。


「なんで……くそ、遅刻だけはしたことなかったのに……!」


 思わずため息が漏れた。不良っぽく授業はサボるように努力していたけれど、遅刻だけはなんとなくしてこなかった。正直言うと、遅刻してなおかつ授業をサボるというのは良心が傷んだからだ。


「せ、せめて次の授業から全部出よう」


 今は二限が始まる時間だ。一〇時五〇分からの三限から出られるようにしなくては。時間まで十分ある。今から支度しても間に合うだろう。


「これじゃあマジの不良になってしまう……うう」


 半べそをかきながら、俺は制服に着がえ――ってあれ。


「俺、着替えてないじゃん。それに髪も」


 洗面所の鏡を見ると、部屋着に着替えていないだけでなく、髪も昨日のまま。セットした状態だった。当然寝癖はついているが。

 てか、頬に青あざができている。それに唇の端は切れて血が固まっていた。


「痛ぇ……。俺、昨日なにやってたんだっけ」


 昨日の出来事を一から振り返る。いつものように登校し、一、二限は授業を受けた。そして三時間目の授業の時、俺は屋上にいて……。


「あ」


 まるで夢のような、実際に夢だったのではないかと思う出来事が起こったのだ。


「いや、てか夢……だよな」


 部屋を見回してみる。この狭い部屋にあの銀髪少女――クリア・ランスセールという自称姫はいない。

 それもそうだ。俺があの赤月緋音と話すだけでもリアリティゼロだというのに、さらに黒い翼を生やした銀髪美少女がこの部屋に上がり込んできたなんて、あるはずがない。


 虚しさが胸の奥へ一気に押し寄せてくる。ははは、と、おそらく無表情で俺は笑い、学校へ行く支度を再開した。

 夢ならすぐに忘れるさ。すべてはいつも通りに戻るだけ。


 いや、そもそもなにも始まってないんだけどな。



 アパートを出て五分。例の小さな公園がある通りに差し掛かかった時、一台のパトカーが止まっているのが見えた。


 近所のおばちゃんたちも数人通りに出てきていたが、もちろん俺にはなにが起こったのかを訊ねることができない。俺は地味に湧き出る好奇心を隠しながら、公園の様子をチラ見して通過した。


 警察官二人とスーツを着た男性二人がなにやら話している。雰囲気からしてスーツの方は刑事だろうか。


「あー、君! ちょっと!」


 俺が公園を通り過ぎた瞬間、後方から男性の誰かを呼ぶ声がした。まさか俺を呼ぶはずはない。スルーして構わんだろう。だが、


「そこの高校生!」


「……」


「サイド刈り上げ少年!」


 お、俺でしょうか……。

 スーツの男二人が、気付いたら俺の背後に立っていた。そして警察手帳を見せてくる。やはり刑事か。


「これから学校かい? 呼び止めてすまんな。東警察の者だが、今朝この公園で君の学校の生徒が襲われてねぇ、さっきまで聞き込みしてたんだわ。ニュースとか学校で聞いたことあるよね、その変質者がまた出たのさ」


「は、はあ」


 話しかけてきたのは五〇歳前後の髭面のおっさん。もう一人は二〇代後半くらいの男だ。それにしてもおっさんのほう、刑事のオーラ半端ねぇんですけど。威圧感で汗が吹き出てくる。


「君は毎日ここを通るのかい?」


「ま、まあ……そうです。はい」


「聞きたいんだけど、昨日の一八時前後、ここ通った?」


「昨日……ああ、ええと。昨日は、ええーと」


 何故にそんなことを聞く。昨日の帰りに関しては正直記憶が曖昧だ。夢と現実がごっちゃになっちゃってるもんで。


「自分の帰った時間、わからない? 昨日のことだよ?」


「ええと、たぶん学校が終わってすぐ帰ったんで……四時過ぎだと、思い、ます、はい」


「そう、不審者見なかった?」


「特に……」


 二人してすげー俺のこと見てるんですけどおおお。なになに、俺なんかした? なんかしたかな? もしかして疑われてんの?


「実はね、昨日の一八時前後、この公園で不審な人物がいたらしいんだわ。暗い中這い蹲りながらなにかしていたって話でね。それでさっき、ここでこんなもの見つけたわけだ」


 そう言ってもう一人の若い刑事が一枚の写真を俺に見せてきた。そこに写っているのは――。


「ケーキ……」


 半額シールの貼られたショートケーキだった。


「こここ、これは……」


「見覚え……ないかな?」


 言葉が出てこない。たぶんコミュ障云々じゃなくてマジで口が動かなかった。

 この写真のケーキは、俺が夢だと思っていた昨日の出来事に出てきたケーキで間違いなかった。つまり昨日あった出来事って――。


「こんなことまで調べて申し訳ないんだがね、実は君がこれを一七時四八分に買ったっていうの、そこのスーパーの防犯カメラで確認済みなんだわ。びっくりしたよ、あとで学校へ行こうと思ってたところにカメラに映ってる張本人が現れて」


「え、え、え……?」


「別に君がこの事件に関わってるっていう意味じゃないさ。ただね、今帰りの時間を間違ったのが少ーし気になっただけで、ね。ついでに言うと、何故今から学校へ行くのかも聞きたいんだがね」


 まずいまずいまずい、完全に疑われてんじゃん。

 いや冷静になれ、ここで下手に嘘ついたりしたらきっと逆効果だ。すけえベテラン臭漂わせてるおっさん刑事に絶対に見抜かれる。ここは正直に、 


「じ、実は昨日、俺学校で頭打ったみたいで……数時間気絶してたんです。だからちょっと記憶が曖昧になってまして。い、今、思い出しましたけど、そのケーキ、確かに買ったの、俺です。帰った時間と気絶してた件は、学校に聞いてもらえればわかる、かと」


 刑事さんはふむ、と相槌をうった。


「それと、暗い中ここにいたのも、たぶん俺……だと思います。ケーキを風に飛ばされて、それで探してたんですけど……結局見つからなくて」


「そのあとはまっすぐ家に? そのあと外出た?」


「す、すぐ家に帰りました。それからは外に出てません。本当、です。これから学校へ行くのは……ただの寝坊、です。目覚ましセットし忘れてしまって……」


 俺の答えにほうほうと意味深に頷く刑事さんは、若い刑事に手を伸ばし、再び一枚の写真を俺に見せた。


「こんなもんもあるんだけど、これも見てもらっていいかい?」


 先ほど見せられたケーキの写真とは違い、解像度のかなり低い写真だった。


「今朝の七時一五分。最近町内会が防犯のために取り付けた監視カメラの映像を切り出したものなんだが。これ誰だか……わかる?」


 俺は目を細めて写真を覗き込んだ。そこに写っている人物は――。


「お、おお、俺っ……? なんで、そんな」


 野次馬のおばちゃんたちの視線が一気に集まる。

 カメラに映っていたその人物は――なんと俺だった。

 場所は公園前。制服姿でなにかを警戒しているような姿。一体どういうことだ。俺はさっきまで眠っていたはず。


「ちょっと不審な動きしてたんだよね。色々聞きたいことがあるから、付いてきてくれると嬉しいんだが。学校には連絡入れとくからさ」


 馬鹿な。まさか俺が、俺が背中ペロペロ事件の犯人に仕立てられようとしているのか。そんなわけあるか、だって、だって犯人を、俺は知っている。昨日のあれが夢でないのなら、犯人はあいつなのだ。



 クリア・ランスセール。



 ふざけた名の自称異世界の姫。その少女が犯人なのだ。

 いや、でも証拠はない。それにあの姫を捕まえて自白させるなんて……無理だ。


「お、おれ、俺」


「まあ詳しくは向こうで聞くからさ、とりあえず車乗って」


 パトカーへ誘導される。初パトカーがこんなろくでもない事件の容疑者として乗ることになるなんて思いもしなかった。

 俺は半ば諦めながら、頭をがっくり下に向けて乗り込もうとした時、うしろから透き通るような少女の声がした。


「えくすきゅーずみー?」


「? なんだ君は」


「ワタシ、その人の親戚の者デ――」


 ランスセール、と申しまス。

 そう名乗る声。俺はすぐに振り返った。


 そこには季節外れの黒いワンピースを着て、大きく胸元や腕を露出させた美少女が銀髪をなびかせながら立っていた。首には、白いモコモコとしたマフラーのようなものを巻いていて、季節感を混乱させる服装だった。


「親戚? 外国の人?」


「エエ。最近ワケアリで一人でここに越して来まシタ。今はheの家でお世話になっているのですガネ……heに何かあったのですカ?」


「まあ、ちょいとね。よければ一緒に乗っていくといい。事情は向こうで話す」


 やはり昨日の出来事は夢ではなかった。

 姫さまの登場。いきなり過ぎて、というか予想外過ぎて絶賛混乱中である。


 何故来てくれたのだろう。昨日話した感じでは、俺のことなど絶対に見捨てそうな、自分中心のわがまま姫だとばかり……。それにしてもなんだ、そのエセ外国人みたいな話し方は。


「向こう、というノハ?」


「警察署だよ」


「ケーサツ……oh……」


 姫さまは無表情でそう呟いた。警察を知っているのだろうか。


「ケーサツハ、コッカケンリョク? と聞きましタ……」


「ん、まあそうだが」


「ツヨイ……ですカ?」


「強い……って表現はどうかわからんが、まあ、市民を守る名誉ある仕事ではあるわな」


 ふーんと、若干微笑んだような表情で姫さまは相槌を打ち、言った。


「――つまり貴様らをゴニョゴニョすれば、妾のチキュー征服に繋がる、ということじゃの? んん?」


 突然素に戻る姫さまを見て目を丸くさせる刑事たち。

 なんのためのエセ外国人だったんだよとツッコミたいのは山々だが、あいにく俺にはこの場でそんなことを言う度胸とスキルは持ち合わせていなかった。


「一号。どうなのじゃ」


「は、はひ」


 突然鋭い姫さまの視線が突き刺さり、俺は一瞬興奮、いや恐怖を感じた。


「け、警察はちょっとやめておいたほうがいいです姫さま。怒らせでもしたら一切行動が取れなくなるんです」


「ム、そうなのか、それは困ったの」


「もっとこう、まずはフレンドリーに、会話から始めた方がよろしい、かと」


 なにを言っているんだと眉を寄せる刑事と警察官たち。そりゃ当たり前だ。警察をゴニョゴニョするだの会話をしたほうがいいだのと言う少年少女を不審がらない人は誰もいない。


「なるほどのう」


「で、ですが姫さま。もう、無理っす……俺、背中舐める変態事件の、犯人にされそうなんです」


「背中を……? あー……今朝のか」


 やっぱあんたかよ!


「君もなにか関わっているのか?」


 そう言って姫さまに近づく若い方の刑事。


「妾を睨むな近づくな……地上一〇〇メートルから叩き落とすぞ」


 こえーなおい。

 姫さまは不気味な睨みを利かせ、怯んだ若い刑事は一歩下がった。だがおっさん刑事は顔色一つ変えずに姫さまを睨み返した。


「どうやら嬢ちゃんからも話を聞く必要があるみたいだな」


「面倒くさいの。一号、どうすればよい」


 状況を悪化させておきながら俺に振るのかよ。まったくもう、ホントどうしたら……。


 そうだ。


「ひ、姫さま。記憶、消せるんでしたっけ」


「ム、消せなくはない」


 昨日屋上での赤月さんとのやり取りで、俺の記憶を消せる消せないということを話していたのを思い出した。姫さまの答えは昨日と同じだった。


「消せなくはない、というのは……」


「言葉の通りじゃ。やろうと思えばできる。が、死ぬほど疲れる。下手すれば死ぬ」


 記憶消去なんてすごいことをするのだ。きっと強力な魔法でも使うのだろう。


「お、おおお願いします姫さま。なんでも言うこと聞きますから!」


「なんでも言うことを聞く? 当然じゃ、妾と貴様は完全なる従僕契約を交わしたのだからの」


 従僕契約ってなんだっけ。


「……仕方あるまい」


 姫さまはだるそうに言って、両拳を顔の前に構えた。

 幕之内コールをしたくなるような、両腕で顔を隠す構え。そして左右に揺れる軽快なフットワーク。


 ――え。


「くらえ」


 Hun! という掛け声と共に、姫さまの右フックが繰り出される。


「ぐはぁッ」


 若い刑事の左顎にクリーンヒット。身体が右に傾いたところで今度は左フック。今度は右頭部に拳を喰らい横に吹き飛ばされた身体は、数秒痙攣したあと沈黙した。


「竹山ああああああっ!」


 おっさん刑事が駆け寄り名を叫ぶ。竹山と呼ばれる若い刑事は綺麗な白目をむいていた。

 誰もが身体を硬直させた(色んな意味で)。


「ま、まさ……か」


 俺は気付いてはならないことに気付いてしまったのだろうか。記憶を消す方法――それは、



(物理)



「次は貴様――じゃ!」

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