第6話 この羽を舐めろ

「妾の裸を見て倒れるとは、なんとまあ無礼な奴じゃ。死刑よりも重罪じゃな」


 この前買っておいたカップアイスをちびちびと食べながら美少女は言う。

 あれから三〇分後。目を覚ました時、俺は全裸でベッド上に寝かされていた。

 それも仰向けで、いろんなものが全開(オープン)になっていた。


 俺は土下座に近い正座で、正面のソファーにのけぞりながら座る美少女をチラ見した。

 見た目は自分と同じくらいの年齢。スラリとした体型に見合わない胸のボリューム。

 バスタオルで身を包みながら脚を組み、食べ終わったカップアイスを遠くに放り投げる。


 湿った髪を撫でながら、彼女は俺を見た。

 俺はすぐさま目を逸らす。


 若干つり上がった、パッチリとした二重の目。鼻は高く唇は薄く淡いピンク。

 最大の特徴は、眩しく輝く銀色の髪。

 腰くらいまで伸び、毛先が若干ウェーブがかかっているその髪は、濡れているせいか、周りに輝く粒子が舞っているかのごとく幻想的で美しい。


 素直に綺麗だ、と思った。


 それ以上の感想はない。人間離れした美しい造形の顔や身体は、俺のPCの美少女画像フォルダの中にも存在しない。

 いや、そもそも人間なのだろうかという疑問が俺の中で浮上した。


 だって、彼女の背中には、漆黒の翼が生えているのだから!


「貴様、先から思っていたが無口な奴じゃ。一人でいる時はあんなに喋っておるのに、妾の存在に気づいてからは一言も発しておらぬではないか」



 銀髪少女。



 あの女が目の前に座っている。このよくわからない状況に俺は混乱せざるを得ない。


「ふむふむ、まあ無理はない。妾のあまりに美しい姿を見て畏怖しておるのじゃろう。はっはっはー」


 眉をつり上がらせてドヤ顔する美少女。

 てかなんでここにいるんだ? いろんな意味でドキドキして、心臓が爆発しそうだ。


 ……いや、よく考えろ。こんな美少女がこのボロアパートにいるというこの状況を。

 それもこの美少女は、我が家の初のお客様なのだ。



 ――茶をだそう。



 俺は立ち上がり、台所へ向かった。

 ガッタガタと震える手で、俺はホットコーヒーを淹れて差し上げた。


「ほう、妾が名乗る前からその忠誠心。関心したぞ」


「い、イいぃンスタント、ですが」


「構わぬ。妾は心が広く美しい」


 安物のカップに口をつけるだけで、そのカップが高級品に見えてしまう少女のその美貌。まるでどこかのお姫様だ。まあバスタオル一枚でコーヒーを飲むお姫様がいるかは不明だが。


 見た目はどう見ても日本人ではないが、かといってこの地球上に存在するどの人種にも属さないような顔立ちをしている。ハーフとハーフが生んだ数カ国の血が流れているような感じだろうか。その国それぞれのいいところだけをうまく取ったような、一〇〇人中一〇〇人が振り返るような美しさだ。


 って、いつまで顔を褒めているんだ俺は。

 この子が綺麗で可愛いということは一秒見るだけでアホでもわかる。


「おい貴様」


「は、ハヒっ」


 ドスのきいた睨みを利かせながら、俺を見下ろす美少女。ああ、その顔のなんと美しいことか。


「見苦しい。そろそろ服を着ろ」


「ん?」


 俺が自分の姿を見直した瞬間、再びこのボロアパートに俺の絶叫が響き渡った。


     ■□■


「さて、今日からここが妾の活動拠点となったわけじゃが」


「え、いやあの……は、初耳です、が」


「それにしても狭いの。妾の城の浴槽以下のスペース……うむ、明日には引っ越せ」


「無理……です」


 俺の激しいツッコミ(?)を華麗にスルーし、彼女はふんぞり返った姿勢で、目だけを動かし部屋を見渡している。未だにバスタオル一枚で過ごされているのは目に毒だ。脚も組み直してるし。それもこんな至近距離で……。


「そういえば貴様、名はなんという」


「……あ、はい。俺は――」


「あー、やはりよい。どうせ三文字以上の名は覚えられぬ」


 追い払うような手の仕草で名乗りをキャンセルされた俺氏。確かに三文字以上だけどさ。


 美少女は、「んー」と一瞬考え込み、


「レッドは我ながら良いネーミングじゃった」


「レッド?」


「レッドはレッドじゃろ?」


 お前当然知ってるだろみたいな顔はやめてください。そんな名は初代ポケ○ンの主人公と、レッド吉○しか知らないのだ。


「前に家を借りていたあの小うるさい女のことじゃ。あー、名前は……」


「も、もしかして……赤月緋音」


「ん、確かそんな名だったような……妾はあの女をレッドと呼んでいたのじゃ」


 なんでレッド……? ああ、そういや苗字と名前に〝あか〟ってついてるのか。


「あいつのような簡単な名がよいな。貴様はそうじゃな……露出狂な下僕一号でいいじゃろ」


「……っ」


 三文字超してんじゃねえかとかすげえたくさん漢字使ってるとか、そういうツッコミはいけないんだろうなきっと。


 あんたのほうが露出狂だよというのも。


「ほう、不服そうな顔じゃの?」


「いえ……」


 不服かと言われましても。それよりも今俺になにが起こり、何故にこんな状況なのかを是非ご説明いただきたいのだが。

 脳内でいくら反論文を作ったとしても、決して言葉として発することができない。何度も言うようだが、それがコミュ障というものだ。ちくしょうめ。


「……ム、貴様先程からなにか言いたそうな顔をしておるな。意見があるならはっきりと申せ」


「そ、そういえば。あなたのお名前は……?」


「おお、すまぬ。名乗っておらぬかったな。妾はイ・オンモール王国第二王女。名はクリアという。クリア・ランスセールじゃ」


 ショッピングモールで大安売りがなんだって!?


「ガぼッ!?」


 突然飲みかけのコーヒーカップが俺の顔面を直撃した。


「貴様、今なにか馬鹿にしたような顔をしたな」


「と、と、とんでもない。かかか、かっこいいなーと……はい」


「ならよい」


 むすっとした表情で俺を見るクリアという少女。一瞬考えが読まれているのではないかと思い、「可愛いなー可愛いなー」と念を送ってみたが、特に表情は変わらなかった。


「と、ところで」


「なんだ一号」


「くく、クリア……さんは、どうして、ここに」


「馬鹿者っ。姫と呼ばぬか!」


「はひっ」


 知らんてそんなこと。


「妾がこの世界で成し遂げたいことはひとつじゃ!」


「この、世界?」


「うむ。妾は――……ええと、うん。あれじゃ」


「?」


 なにやら口ごもった姫さまは、手と足をもじもじとさせながらこちらの様子を窺っている。顔も赤いし一体どうしたんだ?


「そ、そうじゃ! ち、チキューを征服するのじゃ!」


 チキューを征服……だと?


 チキューとはあれか、〝地球〟のことか?


「はあ、そうですか」


「そう、ここチキューは妾のものになるのじゃ。光栄じゃろう?」


 輝く濡れた髪をかきあげながら、言ってやったぜ的な顔をする姫さま。


「えと、本当に姫さまは、違う世界から来たのですか?」


「言っておるじゃろ。妾はイ・オンモール王国から来たと。そんな国がこの世界にあるのか?」


 そんな商業施設みたいな名前の国名あってたまるか。


 俺は首をブンブンと振って否定した。


「うむ。そうじゃろ」


 姫さまは再びドヤ顔になると急に立ち上がり、身を覆っていたバスタオルを床に落とした。


「な、なにをっ?」


 俺は姫さまの行為に驚いて視線を横にずらす。


「ほれ、見ろ一号。この世界の住人にはこんな翼もないはずじゃ」


 姫さまは背中をこちらに向けて、漆黒の翼を大きく広げて見せた。

 二枚の翼は肩甲骨付近から生えている。すべて広げるとこの六畳部屋の横幅では足りないくらいに大きい。目の前で見ているから言える。これは決して造りものではない。


 俺はどうやらこの翼を見て、綺麗だ、と呟いていたらしい。

 目を細め、満足そうな表情をした姫さまは、俺の顎に右手を優しく添えて言った。


「妾に協力しろ」


 何枚もの黒い羽が部屋を舞う。

 目の前に迫る瞳は、角度によって色の見え方が違う。紫や青、時には赤にも見える。


 吸い込まれそうな感覚に陥るその美しい瞳から、コミュ障である俺でも視線をそらすことができなかった。

 この幻想的で美しい少女の命令に即時に首肯してしまった俺を、誰が責められよう。




「うむ。ならさっそく一号。この羽を舐めろ」




「は?」


「ム、舐めるの意味が伝わらんのかの。こう舌を出して――」


 そう言って姫さまは、先ほど俺がようやく着た服をめくると、なんのためらいもなく上半身を舐めてきた。


「ちょちょちょ! 舐めるの意味は、わかりますって。だから、何故に舐めるのかと。てか服を、着てほしいんですが……」


 心臓がいつ破裂してもおかしくないような胸の高鳴り。さすがの俺も早口になった。

 ただでさえ全裸な姫さまを直視できないというのに、急にこんなことされるなんて。


「これはじゃな。〝羽ペロ〟と言って我々の種族の友情の証じゃ。互いに羽を舐め合うことによって友情を育むのじゃ。これを妾は世界中の皆と行なうのが妾の夢……あ」


 おい征服要素どこいった。


「う、うるさい阿呆! 口がすべっただけじゃ、妾はこれっぽっちも友達が欲しいとか思っていなからの! そう、これは友情の証ではなく、忠誠の証じゃ!」


「ええ……」


「だいたい貴様さっきからなんじゃその態度は、命を救った恩人に対して失礼じゃろ!」


「あ、そういえば。その節は、ありがとうございました」


「礼はよい! 妾はとにかくチキューを征服するのじゃ、わかったな!」


 カ~~っと赤くなった姫さまの表情を見て、俺は少し安心した。態度も大きいしなにを考えているのかわからない人だと思ったけど、そうか。友達が欲しいのか。


「改めて一号、忠誠・・の証じゃ。妾の羽を舐めろ」


 猿の毛づくろい的な行為を強制されるのはアレだが、姫さまが頬を赤らめ両腕を挙げたセクシーポーズで待っている。ごくり。


 決してハレンチな行為ではない。言っているではないか、これは友情、もとい忠誠の証だと。本人が求めているのであれば舐めたって問題ないはずだ。それにこんなでも一応命の恩人でもあるし? 不良は一度受けた恩義は忘れないものだし?


 それにこの俺。今後いつ女の子に触れる、ましてや舐めることができるかなんて見当もつかないのだ。これはやるしかねえ。


「では、遠慮なく」


 ぺろり。


「ん……っ」


 姫さまの口から漏れる甘い吐息。


「うむ。いいぞ一号、その調子で……って貴様どうした顔色が――」


「う、うう」


 なんだろう、急に身体が痙攣し始めた。腹も痛くなってきた気がする。


「おい大丈――」


「おっぇヴぇええええええええええええええええええええええっ……」


 俺の口の中から、白く輝くなにかが吹き出した。


「ゲロゲロゲロゲロゲロゲロ」


「ちょ! 離れろ貴様! 妾にそんなものをかけるでない!」


「む、無理、死ぬ」


 姫さまの羽の味は、それはそれは魚を日光の下で一週間発酵させたような、舌が触れただけでこれだけの拒絶反応を起こちゃうような、たいそう立派なお味がしたそうな。


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