第5話 振り返れば全裸美少女
身体に不調があれば病院へ行くようにと保険医に言われた俺と赤月さんは、薄暗くなった空の下で校門を抜けた。
「もう五時半ね。君、家どっち?」
「あ、あっちのほう」
「そうなんだ。じゃあ逆ね。それじゃあまた明日」
「う、うん。また明日……って明日!?」
「なに言ってるの? 明日も学校でしょ?」
「おお、おおおお俺、い、いいいい今まで……今までそんな………………なんでもない」
首を傾げながら、赤月さんは自分と逆方向の道を進んでいった。
「……また、明日、か」
これが、「また明日」というやつか!
破壊力パネエ!
思わずズボンに突っ込んでいた両拳に力が入った。
高校生活――もとい、中学生活ですらそんなこと言われたことはない。中学唯一の友人のあいつと別れる時なんか「んじゃ」「ん」で終わっていた。
それも今日別れの挨拶を言ってくれたのは女の子。それもかなり可愛い子だ。明日もあの子は俺に会ってくれるというのか。話しかけてくれるというのか。
嬉しさのあまり顔がにやけてどうしようもない。制御できないほどたるみきっているこの顔を、部活帰りの女子たちに見られているような気がするが、もはやどうでもよい。
俺は今日。女の子と話したのだ!
「むふ。むふふふ」
こんなに嬉しいことはない。夢にまで見た女の子との言葉のキャッチボールを、何回往復させたのだろうか。軽く一〇は超えている! これだけで中学校生活の記録を更新した。
にやけながら帰り道を進む。平凡なこの道も、普段の景色と違って見える。
学校から俺の住むアパートまでの距離は、徒歩二〇分程度。信号もあまりないため、歩くスピードで時間が前後する。
自転車で行くほうが楽で早いけれど、俺は自転車は使わない。なぜなら俺の知る不良高校生というものは、皆歩き登校だからだ。
特に中身の入っていない、使い古したような潰れた革の鞄をセカンドバッグ風に腋に挟んで歩く。それが良いのである。実際俺もそうしている。
途中で小さなスーパーに立ち寄り、今日の記念に半額シールの貼られたイチゴのショートケーキをひとつ買った。この幸せが続くことを祈っておこう。
買い物袋をブラブラと上機嫌に前後させ、俺はそのまま家に真っ直ぐに向かう。すでに辺りは真っ暗だ。月明かりと、数十メートルおきにある電灯の光を頼りに進んでいく。
「そういえば、ここの公園だっけ」
家まであと五分。そんな場所に小さな公園がある。
ドラ○もんに出てくる空き地みたいな狭い場所。ブランコと砂場があるだけの、誰が使っているのかよくわからない地味な空間。
ここが昼間スマホで呼んだニュース記事にあった「背中ペロペロ事件」の現場の一つだ。
あの銀髪少女。そいつによってすでに数人の犠牲者が生まれている。犠牲といっても、服を剥かれて背中を舐められているだけみたいだが。
一体なにが目的でそんな迷惑すぎる事件を起こしているというのか。
まあ、赤月さんの家に住んでいたというのだ。いずれまたそいつに会う機会もあるかもしれない。関わりたくはないけれど、綺麗だったし少し興味はある。
「帰るか。ケーキが待ってる」
しばらく公園を眺めていた俺は、大事に持っている半額ケーキの存在に気づき再び歩き出した。
その時、強い風が吹いた。思わず目を閉じてしまうほどの、突風だった。
「――あ」
今の風で手が開いてしまったのか、右手に持っていたスーパーの袋が見事に消え去った。
「うそん……!」
俺の半額ケーキ! 大事な記念日にするために買った半額ショートケーキ! 風呂あがりにホットコーヒーと一緒にいただこうと思っていた俺の記念が!
電灯の微かな明かりとスマホのライトを頼りに探してみるが、見当たらない。
思わず長いため息が吐き出される。いい日なのか悪い日なのか、ちっともわからん。
まあいい。思い出というものは形じゃない。心に残されるものなのだからな。
「……帰ろ」
いつも以上に猫背になった俺は、しぶしぶ家路についた。
■□■
俺は築四〇年のボロアパートの二階、一番奥の二〇五号室に住んでいる。
六畳ひと間の狭い空間を少しでもオシャレに見せようと、畳の上にウッドカーペットを敷き、アマ○ンや楽○ではなく、家具専門店に足を運んですべてを買い揃えた。
これも高校生活で友人にお洒落だと言ってもらうためであり、女の子を連れてきても平気な環境を得るためだ。不良は彼女なんて取っ替え引っ変えできるものだと思っていたからな。
一年前、引越し時に家族を入れた以降誰も入れたことのないこの部屋は、今日も美しかった。
カバンをPCデスクの横に置き、学ランを脱いでからまずやることは風呂掃除。引越し当初はカビだらけだったこの風呂も、毎日磨いていたら汚れ一つない、今では潔癖症の人でも入れるんじゃないかと思うくらい綺麗に変化した。
「うし」
掃除が終わると一人で頷き、風呂にお湯を入れる。沸くまでは夕食の準備だ。
「ケーキの代わりに、ちょいといいもん作るかな」
「妾の分も頼む」
「わかった」
冷蔵庫を開けると、半分にカットされたキャベツと少量の豚肉が目に入る。あとは味噌汁の具材があるくらいか。
「んー、野菜炒めと味噌汁……まあいいか。じゃあまずは米を研いで」
「牛肉はないのかの?」
「そんな贅沢品あるわけないだろ?」
米を研ぎ炊飯器のスイッチを入れる。早炊きモードで炊き上がりまで三〇分弱。その間におかずの準備をしなくては。
時計を見るとすでに一九時になっていた。いつもであれば学校が終わったあと速攻で家に帰るため、どんなに遅くても夕食は一八時には出来上がっている。先程からしつこいくらいに鳴り続けている腹の音はそのせいだろう。
二〇型の小さなテレビから、芸人がゲストに町のグルメを案内するという、地方に住む人間にはまったく意味のない番組の音が聞こえてくる。そこまで行く旅費があれば、万超えの高級料理が食えるっちゅうの。
それにしても。
「テレビつけたっけ?」
まあいい。疑問よりも食欲を満たす方が先だ。俺はこの一年の一人暮らしで鍛え上げた包丁テクニックで食材を刻んでいく。
オリジナル調味料を生成できるほどの腕前はつけた。これでいつ嫁に貰われても大丈夫だ。
「おっと」
風呂のお湯がいい感じの高さまで入る時間だ。俺は炒め始めた野菜と肉の火を止め、台所のすぐ横にある風呂場へ向かった。
このボロアパートの風呂は、お湯の温度設定が曖昧すぎる。同じ温度で設定しても毎日違う湯温なのだ。俺は湯船に腕を突っ込んでかき混ぜて、丁度いい温度になっていることを確認してから、再び台所に戻った。
「んん……?」
「どうしたのじゃ?」
「いや、なんかさっきと違うような」
炒めていた野菜と肉。明日の朝と弁当用にと三人前作っていたのだが、明らかに半分ほど量が減っている。炒めすぎて蒸発でもしたか?
「なかなかに美味かったぞ。あとは米とスープを早くよこせ」
「え、ああ」
差し出される一枚の皿。その上に箸が一膳乗っている。俺はそれをなにも考えずに受け取った。
どう見ても食べ終わったあとの状態なわけで、当然俺はその皿を洗い始めた。
おかしい。
俺、食ったっけ?
疑問を抱いていると、突然後ろのテレビの音量が上がった。おまけに先程までバラエティ番組だったはずが、今は録画してあったはずの、この地域唯一の深夜アニメ『魔装少女エクスペンダブルズ』が再生されている。ハードなアクションと消耗品のように次々と魔装少女たちが死んでいくという、毎回ハラハラさせられる今期覇権と言われているアニメだ。
俺は若干の疑問を浮かべつつも、振り返らずに皿を入念に洗い続けた。
ってあれ、ちょっと待って! さっき俺なにかと喋ってなかった!?
別にエア友と喋ってたわけじゃないはずだ。俺にはそんなものはいない。
独り言が多発する一人暮らしでは、確かに誰かと喋っているような感覚に陥ることがある。それなのか? ああ、きっとそれだ。
同時進行で作っていた味噌汁も完成間近。最後の味見をしている時にご飯が炊き上がった。
「うし」
出来上がった三品を盛り付け、狭い六畳の部屋にお盆で運ぶ。テーブルに食べ散らかしたスナック菓子が散乱しているが、特に気にしない。昨日の夜に食べた気がしたからだ。
そして何故か再生されているアニメを最初から再生させて、俺は食事を始めた。
でもつい赤月さんとの会話を脳内で再生させてしまい、アニメに集中できなかった。
赤月さんは学校で男女関係なく人気があるということは知っている。中学時代も人気があったらしい。実は俺も教室などでチラっと見てしまうほどに、可愛いのだ。
そんな彼女に今日急接近してしまったのだから、興奮せずにはいられない。
「はあ、また明日……か」
嬉しさから出るため息などついたことがあっただろうか。いやないだろう。
気づけば、せっかく作った料理を味わうことも忘れて食事が終了していた。
「風呂、入るか」
マジで独り言多いな俺。
そんなことを思いながらトイレを済ませ、替えの下着と部屋着のスウェットを持って、風呂場へ向かった。
服を脱ぎ浴室のドアを開けると、何故か風呂場が水浸しになっていた。そしてまるで誰かが直前まで入っていたかのように暖かい。
「んん?」
流石の俺でも、自分がさっきまで夕飯を食べていたことは覚えている。
てかすげえ、いい匂いなんですけど。
自分が入ったあとでは絶対にならない甘~い香り。それはまるで、女の子が自分の真横を通った時にする、あの謎の良い香りをもっと濃厚にさせたような……つまり幸せフレグランスだ。
「この部屋に、誰か……いる? 女……の人? いや、なにを考えているんだ俺は……! あああるわけないだろ」
自分の部屋に、他の誰かも一緒に住んでいた。
ネットで好奇心からついつい見てしまう怖い話系のサイトにも、こんな話があったような。
――それはある女子大生が住んでいるアパートで起こった話。
彼女はかなりの几帳面な性格の持ち主で、自分の予定を手帳だけではなく、部屋に掛けてあるカレンダーにも記載していたらしい。それも何時にどこでなにをする。そんなことを事細かに書いていた。
計画は必ずその通りに行なう。大学に入ってからの一年はずっとこのスタイルで貫き通していた。
だがある日、隣の住人と階段ですれ違った時に声を掛けられたのだ。
毎日来るね。彼氏さん。もう長いの? ――と。
鳥肌が立った。
だが誰かが入った形跡なんてない。なにかの見間違いだろうと、そう思うことにしたのだ。
しかし、急に午後の講義とバイトが休みになったため、彼女はまっすぐ家に向かった。
そこで出くわしたのだ。もう一人の住人に……。
彼女はその数日後、遺体で発見されたのだという――。
カレンダーに書かれた予定。それを見て、もう一人の住人はアパートを訪れていた。
だから互いに会うことなく、女子大生はなんの疑問も抱かず生活を送っていたのだ。唯一不思議に思ったのは、光熱費が少し高いことくらいだったろうか。
「いかん! 変なこと思い出してしまった!」
こんな密室で怖い話を思い出すとかなにしてんだよ俺は。
天井から湯船に落ちる水滴の音が恐怖心を煽る。
「て、あれ? ボディーソープがきれてる」
ポンプを押してもスコスコと虚しい音が響くだけ。
俺は、何気なく替えのボディーソープを脱衣室に取りに行くために振り返った。
その時、俺は喉が破けるほどの絶叫を上げた。
こんな大声を出したのは、人生初だろう。
なにしろ振り返った先に、
美少女が全裸で立っていたのだから。
「おい。タオルが見当たらんのじゃが」
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