ヨモツヘグイ その一

 むかしむかし、といってもそう遠い昔のことではありません。


 ある一人の子供がおりました。


 子供は依童と呼ばれる存在で、あやかしを降ろす器として、家に福を招く者として、大切に大切に育てられておりました。


 ですがそんな平穏は、ある日唐突に崩れました。


 子供に降りたあやかしが、肝心の器を破壊してしまったためです。


 あるいは、もともと限界がきていたのかも。


 あるいは、もともと人に許される所業ではなかったのかもしれません。


 壊れた子供を見て、壊れた器を見て、周りの大人は大層悲しみました。


『嗚呼。これでもうこの子は使えない』


 だからまたを用意しなければ。


 そういって、あっさりと子供を捨てました。


 大切にされていた筈の子は、塵のように捨てられました。


 大量に失われていく血液。

 大量に失われていく生命いのち


 空の器だった子供は、その時初めて――生まれて初めて強い感情を抱きました。


 そんな子供の存在を、哀れに思ったモノがおりました。


 それは子供に言いました。


『可哀相に可哀相に。このような幼子が、身を粉にするまで仕えた家に、斯くも無残に捨てられるとは。そなたにはもうなにもない。さしあたっては命がない』


 命がない。

 本当に、この身にはもう何もない。

 あるとすれば――


『我が救おう』


 それは唐突に言いました。


『望むのであれば。その傷を癒し、我がそなたの命を救おう。そなたがまだ、生きたいと願うのであれば』


「わ、た、し、の、ね、が、い、は……」


 途切れそうになる意識の中で。


 子供は生まれて初めて抱いた欲望を、感情を、目の前に現れた偉大なモノに、ありのままに告げました。





 ――その願いが何を対価にするとも知らず。



 *****

 

 

 サヤカの誘拐未遂事件から数日が経ち、春明は自宅で内職に勤しんでいた。


 いや別に、資産管理する式神がいなくなって生活が苦しいとか、極悪ピックアップ直後にめちゃくちゃ好みの新キャラが来て、ガチャ貯金を予定より多く使いすぎた挙句全部爆死したとかそういったことではなく。


 壊れた式神の形代を作り直しているのだ。


 本来この世に『実在』しない式神にとって、形代というのは仮初の肉体のようなものである。形代については特にこれといった決まりもないが、生前の一部であったもの、存在に起因するものなど、なるべく宿る神霊にとって縁故の強いものが望ましい。識を再臨させるにあたり、春明は以前と同じものを用意することにした。


 識はもともと野狐だった。陰陽師が呪によって創造した疑似生命ではなく、現世での肉体を持つ実在の狐が神へと昇華したもの。ゆえに形代とするならば、毛皮や骨など本体の一部であったものが最良だが、同時に主君と式神とは魂の緒で結ばれた者同士でもある。なので、主君である春明が魂を込めて手ずから造った形代であれば、本人の現実の肉体に匹敵するレベルでよく馴染む筈だ。


 手っ取り早く済ませるなら呪符でも、それこそ適当に買ってきた狐の毛皮でもいいのだが、せっかくなので自分で造ることにしたのだ。


 いや別に、ガチャで爆死して金がないからといったことでは本当になく。


 そもそも、無料石でキャラが出ないことは爆死とは呼ばないし。


 爆死と言っていいのは諭吉五人からだし。


 今回はまだ三人だけだし。今年の課金額の総計はまだ五ケタだから、実質爆死じゃないし。


 形代も手作りにすると、道具代だけで済むからお財布に優しいのだ。それにどうせ。


 どうせ、一人きりでやることもないことだし。


 畳の上に新聞紙を広げて、せっせせっせと無心で削る。もともと、手先はそれなりに器用なほうなのだ。使われる機会は殆どないけど。


「……っし。結構いい感じになってきたな」


 あとはこれにやすりをかけて、もう少し微調整してから仕上げ用のやすりをかけて、布で磨いてけばだちを取ってから、最後にニスを塗って艶出しをして乾かしたら完成だ。順調にいけば、次の週末までには完成するだろう。


 霊体の復元自体は終わっているので、あとは形代さえ準備出来ればいつでも識を顕現できる。別に急ぐことでもないが、そろそろ洗濯物も溜まってるし床がざらざらし始めたし、そこはかとなく家が散らかってきた。これ以上腐海が広がる前に、さっさとあの毒舌小言狐に帰ってきて欲しい。


 その時、スマホが着信に震えた。表示を見ると兄からだ。あちらから連絡してくるとは珍しい。


「おっす、兄」

「おっす弟。調子はどうよ?」


「んー、まあまあ。どしたん? なんか用?」

「あー、用っつーか……」


 兄は少し言いよどんだが、気を取り直したのかすぐに続けてきた。


「そろそろ識の零基の修理も終わる頃だろ? あいつがぶっ壊れたのも、元はといえば俺がサヤカちゃんのことをお前に頼んだからだし、もし起動式に必要な霊力が足りなければ協力するぞい、と」

「あー」


 言われてみればそれは、如何にも兄らしい気遣いだった。ありがたい申し出ではあったが、実際はそこまで困っているわけでもない。


「気遣い自体はありがたいけど、識は式神としてそこまで特別な権能を持たせてるわけじゃないからなー。むしろ機能制限版ていうか。ぶっちゃけアイツ、性能的には普通の人間と大差ないし、起動自体にはそんなに霊力も必要ないから大丈夫だよ。形代もちょうど雛型が完成したところだし。むしろ差し迫った問題は別のところにあるっていうか……」


「なんだ? 困ってることがあるならハッキリ言えよ。お前にゃ世話になったことだし、俺に出来ることなら力になるぜ」


 恩返しのつもりなのか、俄然乗り気になって尋ねてくる兄にもごもごと告げる。


「ゴミを――」

「ごみ?」

「ゴミを、捨てる場所が……もうない」

「……は?」


 一瞬の沈黙ののちに。

 兄は、間抜けな声をあげた。


「いや、だからね? ゴミ箱がもう一杯でゴミを捨てる場所がねーんですよ。いつもは識が片付けてたから、ほっとくと空になってたけどあいつ今いないじゃん? するとゴミ箱は空になんねーわ、空き缶は溜まってくわ、不燃も可燃もいっぱいいっぱいでめっちゃ困ってるんですわほんと」


「いや……そんなの普通に、自分で燃えるごみの日に出せばいいじゃん……」


「燃えるごみの日がいつか知らない」

「調べろよ……」


「あと調べても起きられない」

「起きろよ……」


「アルミホイルって燃えるごみ?」

「それは自治体によるからなぁ……」


 スマホの向こうで兄が困惑したように呻く。


 一応、春明も立派な大人である。社会人である。識がいなくとも食べ終わった後の片付けくらいは出来るし、レンジフードの空や食べ終わった弁当箱などは洗うようにはしている。だが最近は買い食いばかりなので、ゴミがかさむ一方なのだ。おまけに、


「あと生ゴミ系がそろそろヤバい。うち昼間は仕事で誰も家にいないし、まだ外気温が結構寒いからそれほど悲惨な事態にはなってないけどかなりヤバい。具体的にはここ最近、仕事から帰ってくると家全体がそこはかとなくゴミ臭い」


「それは俺の力じゃどうにも出来そうにないなぁ……」


 肝心なところでやはり役立たずの兄は力なくぼやいた。


「片付けに来てくれてもええんやで?」

「黙れ。滅ぼしたぞ」


 死の予告を通り越して既に事実が過去形だった。


「一応言っておくが、割と真剣に困ってる」


「奇遇だな。実は俺も、弟から聞かされた相談事の内容が想像以上にクソすぎて困ってる」


「かくなる上は一刻も早く識を顕現させるより他ないと、今も仕事後なのに頑張って形代造りに精を出していた」


「式神に頼らずともゴミ捨てぐらいは出来るようになれよ社会人……」


 出来る自分をさり気なくアピールしてみたりしたが、なぜか兄の声音に含まれる疲労がよりバージョンアップしたような気がした。なぜか。


「と、いうわけで、俺はこれからヤスリがけして磨いたりニス塗ったりする仕上げ作業が残ってるんで、用がそれだけなら切るぞー」


「あー、待った待った。別件なんだけどあともう一つ。これは直接お前に関係あるってわけじゃないんだけど、サヤカちゃん絡みの件で一応報告が」


「――何?」


 弟子の話、と聞かされて反射的に聞き返す。


 サヤカは既に母親と共に家に戻った。あの後、病院に戻った彩華は(半ば強引に)その日のうちに退院手続きを終わらせ、今ではまた母娘で一緒に暮らしているらしい。あれから春明は彩華とも連絡先を交換し、その際に是非今度御礼に伺わせて欲しい、と言われているので識の復活を急いでいるということもある(治った識をサヤに見せてやりたいし、まずそれ以前に家の中を人が迎えられる状態にしなければならない。そのためには式神の協力が必須だ)。


 弟の声の変質には気づかず、兄はどうということもないように続けた。


「いやまぁ、大したことじゃないんだけどさ。どうも日向のじいさんが、懲りないことにまーだサヤカちゃんのこと諦めてないみたいで、微妙にちょっかいかけてるらしい」

「あ?」


「つってもあんな老害、完全復活した彩華さんの敵じゃないんだけどね。つーか万全状態の彩夏さんが本気を出せば、そもそもこの地球上で敵になれる奴なんていないしね」


「ああ……分かる分かる。地球どころか異世界にもいなさそうだよな」


「異世界どころか異次元にもいなさそうだよな」


『わっかるー』


 兄弟たちはそろって仲良く意気投合した。


「だから問題ないとは思うけど、お前もこの件に関しては部外者ってわけでもないし一応。サヤカちゃんも既に自宅に帰ってる以上、また自宅を荒らされたりするようなことは起こらないとは思うんだが……」


「――ああ。そのことなら


 秋貴の言葉を遮って。


 断言する春明はどこか不思議な確信に満ちていた。奇妙に明るく奇妙に楽しげな。それを疑問に思うより早く、青年が続ける。


「実を言うと以前から常々、自分の孫を道具扱いする爺には一言いってやりたいと思ってたんだ」




 

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