溶けたこちょアイス


「では私は早速サヤカ嬢を慰めて参りましょう。きっと今頃、楽しみに楽しみに楽しみに、ただそれだけを心の支えにして頑張ってきたママとの面会を、どこぞの人の心の分からぬ陰陽師によって寸前で禁止され、可哀相にも一人めそめそと寂しく泣いていることでしょうから」


「おいお前その言い方はちょっと卑怯だろ。そういう言い方はさすがにやめましょうよ識さん。そんなことを言われたら、まるで俺が人の心の分からないロクデナシみたいじゃないっすか。反省する以外の選択肢がないじゃないっすか」


「どうやらこちらの意図は明確に伝わっているようですね」


「歯に衣着せない物言いが、いつでもどこでも誰にでも受け入れられると思ったら大間違いだからなお前。もう少し具体的に言うと、俺が傷ついて泣きだす前にそろそろやめてくれなさい」


「なんですか。大の男がこの程度で泣き言を言うなど情けない」


 開き直って低姿勢になってお願いしてみるが、狐の態度はまったく変わらずに厳しいままだった。主君に対する尊敬とか敬愛とか忠誠とかを一体どこに捨ててきたのだろう。一緒に探してやるので、もし落したのなら是非拾ってきて欲しい。おまわりさん、落とし主はこちらです。


「まあ、説教自体は間違っていなかったにしろ、もう少し言い方というものがあったと思ったのは本音ですよ。というかそもそも、主殿がもう少し言い方を選んでいれば、喧嘩にもならなかったわけで。ですがここで過ぎたことをうだうだと言っても仕方ありません。あの子の説得と慰めは私が担当しますので、話が拗れぬように主殿はしばしの間、どこかにお出かけでもなさっていて下さい」


「言いたいことは分かるけど、お前こそもう少し言い方ってもんを選べんのか」


「邪魔だから消えて下さい」

「選んだ結果そうなるの!?」


 逆方向にチョイスしやがった。


 なかなか斬新な選択だった。


 使役している式神に自宅退去命令を食らったので、仕方なく財布とスマホだけを持って家を出る。彼はサヤカと違って立派な大人なので、家出をする時も隣の部屋ではなくもっと遠いところまで行けるのだ。近所のカフェとかコンビニとか。


 冷静に考えると式神に自宅を追い出されるというシチュエーションはかなりおかしい気がしたが、冷静になってしまうと逆にもっといろんなことに気づいてしまうので、開き直って冷静さを捨てておく。忠誠を失くした式神と冷静さをなくした主君。なんだ、意外とお似合いじゃないか俺たち。


 それでもやはり少しばかりは悔しかったので、出かけ間際に玄関先で奥に向かって一声かける。


「おーい、俺は出かけるからなー。夕飯まで帰ってこないぞいいんだなー」

「おや主殿。おでかけですか」


 子供部屋の襖が開いて、ひょっこり顔を覗かせた狐が実にしらじらしい台詞を吐いた。しらじらしいにもほどがあるが、同じ部屋にいる筈の弟子が見送りに出てくる気配はない。同じ部屋なのだから声が聞こえていない筈もないだろうに、まだ雪解けは遠いらしい。


(……ま、いーんですけど?)


 密かに感じた腹立ちはそっと心の中にしまっておく。大人なのだから。そう、自分は大人なのだから、拗ねた子供相手にむきになったりはしないのだ。散歩に行くのだって、断じて弟子と喧嘩したからではない。あくまで、自発的に、自分の判断で外出するのだ。


「テキトーにぶらついてくる。夕飯までには帰ってくるから、なんかあったら電話しろ」


「承知致しました。あ、サヤカ嬢にお土産をってくるつもりなら、チョコアイスが良いと思いますよ」


「うーるさいなもおおおおお!!」


 見透かしたような狐の言葉に背中を押され、結局半泣きになりながら家を出た。



 *****



 外はかなり寒かった。


(べつに、サヤと喧嘩して家出してきたわけじゃねーし……)   


 防寒のためにポケットに手を突っ込んだまま、特に目的もなくぶらぶらと歩く。平日の午後ということもあってか、道行く人の中には自分と同年代の姿は少なく、代わりに学生が多かった。通り過ぎる女子高生たちの短いスカートから覗くすらりとした脚に目を奪われながら、寒くないのかなとちらりと思う。


「ていうかそうだよ、よく考えたら別に俺が家を出る必要はないんだよだってあそこ俺の家だし。マイホームだし。ローン払ってるのも俺だし契約書上だって俺の名義なのに、なんでこんなアウェイみたいな空気になってんだっつーの……」


 ぶちぶちと独り言をぼやきながらあてもなく街を徘徊するが、そんな怪しい男を通報する通行人は幸いにもいなかった。世間は思ったより冷たくはない。気温は予報より低いけど。

 しかしこうして、一人で出歩くのは随分と久しぶりだ。


 会社の営業や外回りに行くことはあったが、プライベートという意味では実に一か月ぶりである。サヤカを預かっている間は本当に朝から晩まで、おはようからおやすみまでずっとあの子と一緒にいた。


 振り返ってみれば本当に、あっという間の一か月だった。


 預かった当初は、こんなに長引くなんて思いもしなかった。それでも。


 朝起きて、誰かと一緒に食べる朝ごはんは美味しかったし。


 狭い湯船に一緒に浸かりながら入る風呂は、一人で浴びるシャワーよりも忙しなくて、それでも不思議と温まった。


 考えてみれば、家族と式神以外の相手とここまで一緒に過ごしたのは生まれて初めてのことだったかもしれない。


(それもあとちょっとか……)


 サヤカの母親が回復した以上、あの子が家を出ていくのもそう遠くはないだろう。なんだかんだで本人もずっと帰りたがっていたことは間違いないのだ。お見舞いを禁止されただけで、こちらに噛みついてくるぐらいに。ずっとずぅっと楽しみにしてたのだ。だから――


(あ……れ……?)


 だから、もうすぐあの子は帰るのだ。


 母親の元へ。お母さんの元へ。

 本当の家族の元へ。


 それは最初から分かりきっていた事だったはずなのに。めでたいことのはずなのに。兄から回復の連絡を受けた時は、本当に嬉しかったはずなのに。


 サヤカが家から居なくなる。そのことを考えた瞬間、春明の胸はちくりと痛んだ。

 ないはずの心が、不思議と傷んだ。


(いや……気のせいだ気のせい)


 だって自分は師匠なのだから。弟子の吉報を素直に喜んでやれないようではおかしいではないか。けれど識は随分とサヤカのことを可愛がっていたし、離れるとなれば寂しがるかもしれない。それに、兄の話によるとあの子の母親は働きながら子育てをしていて、しかも身体が弱いときている。今回の入院の原因は呪詛だったけど、今後も風邪とかで体調不良になることもあるかもしれない。そういう時なら、またうちで預かってもいいかもしれない。


(そうそう。なにせ俺はあいつの師匠なんだからな。弟子の面倒を見るのは当然だ。保育園が近いってことはきっと家もうちと近いはずだし。俺の家ならサヤも慣れてるし過ごしやすいし)


 そう。別にこれが今生の別れになるわけではない。部屋はどうせ余っているので、子供部屋はあのままにしておいてもいいだろう。遊びに来た時いつでも使えるように。


(そうだ)


 今後もあの子を預かるのなら、家まで送り届けられるように二人乗りの自転車も買わないと。


(ついでだしちょっと見に行くか……)


 ふいに思い立ち、目的地を設定して駅方面へと向かう。近所のサイクリングショップの場所を地図に描きながら。


 途中ですれ違った女子高生たちが、この季節だというのにアイスを食べながら楽しそうにおしゃべりをしていた。





「――で、なんで俺はこんなところにいるんですかね……」


 場所は駅前のサイクリングショップ――ではなく最寄駅ビル内にある某アイスクリームチェーン店の前で。


 春明はぽつねんと立ち尽くしながら小さくぼやいた。


「いや……偶然、偶然だ。たまたま今日が三十一日で、たまたま三十一%オフのセールしてて、たまたまアイスを食べたくなっただけだし。あくまで俺のためだし。そうそう。ほんとチョコのアイスとか関係ない」


 店名と同じ日になるとダブルコーンが三十一%オフになることで有名なチェーン店が近所にあることは知っていたが、こうして来るのは初めてだ。駅ビル内に入っているので、月末の帰宅時に通りかかるといつも行列が出来ていたが、今日はまだ時間帯が早いせいか空いている。これならゆっくり選べそうだ。


(選ばない。選ばないんだけど)


 慌ててぶんぶんと首を振る。そうだ。選ぶまでもない。買うとしたらチョコのアイスと決まっているのだから――じゃなくて。


「いらっしゃいませー。よろしかったらお味見いかがですかー?」

「あ、じゃあの……」

 

 言いかけて、思わずばっと口を押える。心優しいお姉さんはこちらの発言に突っ込むことなく、笑顔でスルーしてくれた。


「でしたらこちらのダブルチョコなどいかがでしょう?」


 にっこりと笑顔の素敵なバイト(多分)のお姉さんに一口分のアイスをのせたスプーンを差し出され、つい受け取ってしまう。ぱくり。


(あっま……)


 さすがにダブルの名を冠するだけあって、なかなかに濃厚だった。珈琲が欲しい。切実に。しかしそんな春明の内心には気づかず、お姉さんはにこにことゼロ円なスマイルを浮かべてセールスアプローチを仕掛けてくる。


「他にもチョコのお味でしたら、ミルクチョコやビターチョコなどもございます。よろしければ、そちらもお味見なさいますか?」

「あ、ハイ」


 反射的に頷いてしまった。

 後の祭り。


 結局他のチョコシリーズも味見させられたあげく、しっかりお買い上げしてしまった。ダブルチョコとチョコミント。もう本当に偶然なのだが、たまたまダブルコーンが安かったので二種類買ってしまった。甘くないチョコミントは春明も結構好きなのだ。


「買っちゃったし……」


 しかも、一つあたりが意外と大きい。大人ならばともかく、これ一つを丸ごと食べるとなると四歳児にはちと大きすぎる。腹を下してしまうだろう。つまり識に怒られる(俺が)。


(……ま、いっか)


 ひょっとして、識には怒られるかもしれないが、たまにはこういうのもいいだろう。ちょうど今頃、サヤカも識に怒られている(あるいは慰められている)頃だ。帰ったら謝ってくるだろうから、仲直りの証に一緒にアイスを食べることにしよう。


 そして、折角早く帰ってきたのだから、やっぱり後で公園に行こう。もちろん、ちゃんと謝れたらだけど。最近はだんだん陽も伸びてきたし、暗くなるまで少しくらいなら遊べるはずだ。


 これからの予定を思い描くと、自然と頬が緩んでいった。通行人に見られたら今度こそ通報されるかもしれないので、速足で家へと向かう。その時。

 



 っ、と。




       自分の中で。

 



           一番奥にしまってあった大切なものが、魂消るような音を立てて壊れるのを感じた。



「――っは……!」


 何が起こったか。

 何が失われてしまったのか。それは知識ではなく本能が識っていた。


 声もなく。

 言葉もなく、胸中に渦巻く不安に急かされるように全力で走りだす。


「ぜっ……はっ……ぜぇっ……ぜぇっ」


 鍛錬の手を抜いていた愚かな自分を胸中で罵りながら、必死で足を動かす。だがその走りはあまりにも遅く、信じられないほどにただ遅い。


 汗が流れる――

 ――だからなんだ。


 使い慣れない筋肉が痛む――

 ――それがどうした。


 息が苦しい――

 ――知ったことか!


 脇目もふらずにただ彼は走る。

 走った。





「……った、だいまっ……!」


 自宅までの距離は永遠にも感じたが、着いてみればそれほどでもなかった。


(出かける前に鍵はかけ……かけて、ない……!)


 そもそも自宅には常に式神がいるので、春明に施錠の習慣はない。胡乱な記憶をあてにするのは諦めて、靴を脱ぐのももどかしく家にあがる。居間、風呂場台所洗面所庭――片っ端から覗いていく。


「サヤカ! 識! 俺だ帰ってきたぞ! どこだ!?」


 普段は使わない二階、物置となってる部屋、押し入れの中まで隈なく探す。だが、どんなに大声をあげて何度襖を開け放っても、肝心の二人の姿はどこにもなかった。そして最後に。祈るような気持ちで子供部屋の襖を開ける……。


「――……――――」


 それは、予め分かっていたことだった。

 全ては見るまでもなく最初から。



 開け放たれた小さな和室の四畳間。子供部屋の中に合ったのは、散らかしっぱなしで放置されたサヤカのおもちゃと、砕けて壊れた式神の形代だったもの。




 そこに弟子の姿はなく。

 そこに式神はいなかった。




 誰も彼の帰りを待っていなかった。




 放置されたチョコのアイスがどろりと溶けて、汚泥のように広がった。


 

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