初めての授業


「ではこれから、第一回、見鬼眼の授業をはじめまーす」


「はーい! きをつけぴっ! てはおひざ! よろしくおねがいします!」


 場所は間宮家の居間。畳敷きの十二畳(結構広い)にて。


 先日、密林さんにて届いたばかりの(発送超早かった)自分専用のお子様椅子に腰かけたサヤカは、向かいに座る春明の宣言に、やたらといい姿勢で深々と頭をさげた。


 オブザーバーとして参加するつもりなのか、一人(一匹?)上座にてのんびりと座っている識がくあぁ、と呑気に欠伸する。


 授業ということではりきっているのか、弟子の前にはクレヨンと画用紙が広がっていた。色鉛筆ならともかくクレヨンでメモは取りにくいんじゃないかなぁとは思ったが、瞳をキラキラとさせて張り切っているサヤカを前に、そんな無粋なことは言いにくい。そもそも大前提としてまだ字が書けないんじゃないかとも思ったが、そんな無粋なことはなおさら言いにくい。今度、筆記用具一式も買っておこう。


「授業を始める前にまず基本的な確認から始めよう。サヤは見鬼眼ってのは知ってるな?」


「うん! サヤげんき!」


「元気じゃない。見鬼だ見鬼」


 元気一杯、間違った方面に頷いてくる弟子をやんわりと否定する。


「見鬼眼っていうのは、漢字で書くと『見る鬼の眼』。ようするに、この世のものではないものが視える目のことだ。サヤも俺もこれを持ってる」

「この字なんて読むの?」


 画用紙一杯に大きくマジックで『見鬼眼』と書いてやると、サヤカは指をさして聞いてきた。 


「鬼」

「これは?」

「眼」

「がん」


「眼っていうのは眼球の眼。眼球っていうのは目のこと。鬼が見える目。通称、見鬼眼。わかる?」

「サヤおねえさんだけど、ちょっとまだ学校行ってないからそういうのはよくわかんないなー」


 初めの一歩で躓いた。

 授業以前の問題だった。


「………………う、うん。そうだよな。まだ四歳だもんな。漢字はちょっと難しいよな」


 少しだけ挫けそうになったが、そもそも相手は四歳児なのだ。あまり難しいことを期待してはいけない、と自分に言い聞かせる。


「……えーと。まあいいや。この授業では、サヤや俺のように、異形が見える目の使い方を勉強していきます。分からないことがあっったらなんでも聞くように」

「いぎょうってなに?」

「四歳児の語彙力レベルが分からない!」


 用語説明で躓いた。


 予想外の展開に思わず頭を抱えて叫ぶ。さすがに遅々とした進行を見かねたのか、識がやんわりと口を挟んだ。


「サヤカ嬢。異形というのは私のように、人ではないのに人の言葉を喋れたりするお化けのようなもののことですよ。サヤカ嬢は動物園に行ったことはありますか?」


「うん、あるよ。ウサギさん、サヤのこと好きよ好きよーってスリスリしてた」


「それはそれは。ええ、サヤカ嬢は可愛らしいから、きっと動物さんたちも会いに来てくれて嬉しかったでしょうね。ですが普通の動物は喋ったりはしないのです。私のように言葉を話せる動物や『人なのに身体のないもの』を異形と呼びます。難しければおばけだと思って下さい」


「識はおばけなの?」


 噛み砕いて説明する異形に、子供が直接話法で尋ねる。どストレートな質問に、しかし識は怒るでもなくやんわりと首肯した。


「そうですよ。でもわるいおばけではなく良いおばけです。サヤカ嬢はおばけが怖いですか?」

「ううん。こわくない。識優しいもの」


 ぷるぷると首を振る。狐は満足げに頷いた。


「ありがとうございます。ですが世の中には悪いおばけもいるので、サヤカ嬢が怖い思いをしないために、おばけを見ない方法をお勉強するのです。なにせうちの主殿は、他の才能はからきしな代わりにそういう方法にだけは詳しいですから」


 式神の説明ははたで聞いていても分かりやすく非常に丁寧だったが、なぜか無駄に嫌味だった。


 だが、純粋な幼女はそんな皮肉にも気づかなかったらしい。それより別の事に不安を覚えたのか、心配そうに聞いてくる。


「サヤの目、わるくなるの? 眼鏡かける? もうテレビも見ちゃ駄目?」


「テレビはほどほどにした方がよいですが、眼鏡は必要ありませんよ。そうですねぇ……サヤカ嬢はかくれんぼをしたことがありますか?」


「うん。保育園でやった!」


「それと同じですよ。上手に隠れていると、鬼のお友達がどこにいるか自分からも見えないでしょう? でも鬼の子からも上手に隠れている相手を見つけることは出来ないのです。鬼を見えなくする、というのはつまり、サヤカ嬢が悪い鬼に見つからないようにする為でもあるのです」


「そうそ。俺らみたいな見鬼持ちはただでさえ異形のターゲットになりやすいからなー。相手を駆除する実力がないなら、逆に能力レベルをダウンさせて周囲に溶け込んでしまえばいい。木を隠すなら森の中ってな」


 なんとなく教師役の立場を奪われそうな気配を感じたので、隙を見て口を挟むと、今度は意味が通じたのかサヤカもふむふむと頷いてくれた。快活な笑顔で言ってくる。


「ターゲットってなあに?」


「横文字は禁止か……」


 横文字の前にまず日本語の習得から始める必要がありそうだった。


「か、簡単に言うとおばけが見えるやつはおばけに見つかりやすい分、狙われやすいってことだ。悪いおばけに捕まらないようにするために、サヤもおばけを見ない方法を覚える必要があるってこと」


「分かった!」


 サヤカは。


 ここでようやく授業の主旨(そもそもまだ内容に一切入ってない)が理解出来たのか、勢いよく頷いた。いやむしろ、勢い余ってそのまま立ちあがった。椅子の横に立ち、リズムを付けて歌いだす。


「しーらなーいひーとにーは、ついていーかない! わーるいおっとなーにつかまったーあーて、きゃー! やだー! たすけてー!」


 リズムどころかご丁寧に振付つきだった。短い手足をぶんぶんと振り回し、楽しげに踊っている。


「……なんだこの可愛い生き物は」


「主殿。ご存知ないなら教えて差し上げますが、幼子は基本的に皆可愛いものですよ」


「まじで」


 確かに目の前で踊っているサヤカを見る限り、反論は思きつきそうにない。が、それはそれとして、


「しかしなぜ突然歌いだす」


「幼子はみな突然歌って踊るものです。主殿も御幼少の砌には、よくなんの脈絡もなく唐突に歌いだしておりました」


「マジで!?」


 実家の家業的に恐らく生粋の純血日本人であろう自分に、まさかそんなアメリカンな素養があったなんて思いもしなかった。


 二番目までフルコーラスで歌い終わったサヤカが、得意げなドヤ顔でポージングを決めているので、おざなりにパチパチと拍手をしてやる。あー、はいはい。可愛い可愛い。


「悪いおばけにつかまらないようにするって、それってこういうことだよね!」


「うんそうそう。そゆことそゆこと」


 正直、なにがどうそういうことなのかはよく分からなかったが、聞き返すのも面倒なので適当に頷いておく。大人ってやつはいい加減だ。


「前に保育園でおまわりさんに教えて貰ったんだよ。上手だった?」


「あー、はいはい。上手上手」


 確かに上手ではあったが、しかし反面、防犯目的とはいえあんなに可愛いダンスを突然始めたら、本来安全対象だったはずの潜在的ロリショタにまで狙われて、かえって危険度が上がる気がするが大丈夫なのだろうか。


「わるい人にも知らない人にもついていくのはぶっぶー! じゃないと子供は可愛いからさらわれて、閉じこまれちゃうんだって」

「そうそう。だからそのための練習をしまーす。悪いおばけに捕まらないようにするために」

「はーい!」


 五周ぐらい空回って、ようやく主旨を説明出来た。しかし内容的にはまだ入り口にしか立っていない気づき、この先の道のりの長さにげんなりする。


「なんかもう、早くも面倒くさい……」


「主殿。お気持ちは分からなくもありませんが、これも教育の一環です」


 式神は厳しかった。サヤカには甘いが春明にだけは厳しかった。なんで主君にだけ厳しいんだろう。


 深く考えだすと自分を傷つけることになりそうな疑念から無理やり目を逸らし、サヤカへと向き直る。


「じゃあまず手始めに、サヤの見鬼眼を俺が封印します。サヤにはおばけ的なものが見えない状態ってのに慣れてもらう」


 実は霊能で視力を強化することがデフォルトになっていると、実際の視力をなかなか使わないため『現実の視力』の方が低下しやすい、という弊害がある。なまじ視力がなくても視ることが出来てしまうので、生来の視力という機能があまり成長しないのだ。これを防ぐためにも、見鬼眼の持ち主はちゃんと使用方法をマスターした方がいい。


「みえないじょうたい」


「うん。たとえば、あそこに識がいるだろ? 俺がこれから見鬼眼を封じると、サヤには識が見えなくなるんだ」


 サヤカは得たりとばかりに頷いた。


「てじなだ!」

「違う」


「じゃあかくれんぼ?」

「だから違うっつに」


「識が先にかくれるのね? じゃあサヤ十数えてるからその間に隠れててね」

「……ったく。まあいいや。やってみた方が早かろ」


 微妙に刷りあわない会話を早々に諦めて、最初に用意していた教材――見鬼眼を封じる霊符を水に溶かしたもの――をスポイトで吸い取る。


「いーち、にー、さーん……これあってるかなー?」

「あってるあってる」


「しー、ごー、ろーく……これあってるかなー?」

「あってるあってる」


 本気でかくれんぼのつもりか、目を瞑って数まで数えだした弟子の両眼をこじ開けて霊水を垂らす。ちょっとうっかり結構な量が目に入ってしまったらしく、サヤカが両目を押さえて悲鳴をあげた。


「あー!? あーあーあー!! めがー! めがー!」


「大袈裟なやつだなー。ただの水だし大丈夫だよ」


「大袈裟っていうか、主殿が大雑把すぎるんですよ……目を閉じてるときにいきなり瞼こじあけて水を注がれたら誰だってああなりますよ……大人でもなりますよあれは」


 なぜかドン引きした様子の式神の小言は無視して、サヤカの様子を窺う。


 弟子は何度も何度も執拗に目を擦ったあとでぱちぱち瞬きし、不思議そうに首を傾げた。


「どうだ? ちゃんと見えるか?」


 ノーマルな方の視力までが低下していないかと尋ねる。眼球運動を見る限り完全に見えない、ということはなさそうだが。日常生活に支障を感じるレベルであれば、一度眼科に連れて行く必要があるかもしれない。


 だが、サヤカは答えずにきょろきょろとあたりを見回すだけだった。見鬼眼の持ち主が急に能力を封じられるとそれまでと視界が一転する。この感覚はノーマルには説明しづらいが、一番近いのは暗い映画館の中で映画を見ていたら、いきなり周囲が明るくなった時だろうが。全体としての視界は明るくなるのに、見えていた映像がその明るさに紛れてぼやけてしまう。


「あそこの文字は見えるか? もし極端に見えづらかったり、字がよく見えないとかだったら言えよ?」


「みえるよ。でも識がいなくなった。さがしてくるー!」


「いるいるいるめっちゃいる。今まさにお前の目の前にいるから探しに行かなくていい。いいっつーに人の話を……いや師匠の話を聞かんか!」


 座布団に座る識の目の前を素通りして、さっそく嬉しげに探しに向かおうとする小さな弟子を捕縛する。どうやら無事、霊視だけを封じることには成功したようだ。


「落ち着きのないやつだなまったく。とにかく、それが霊視――見鬼眼ではない普通の目で見える世界だ。今後、この家にいる間はこうやって俺がサヤの見鬼を封印するので、この視界に慣れる練習をするよーに!」


「しかし主殿。サヤの目が封じられてしまうと、主殿の留守中に私が彼女の相手をするのが不可能になってしまうのですが?」


 相変わらずサヤカに無視されたままの式神が不思議そうに聞いてくる。しかしその質問は予想していたことでもあった。気軽に答える。


「え? そんなんお前が根性出して実体化すりゃいいじゃん。人化までとはいかずとも、実体化ぐらいなら一人でいけるだろ」


 識は極めて心外そうにあっさりと言った。


「え? 嫌ですよ」


「なーんーでーだーよーもおおおおおお!!」


 全ての前提を覆されて、思わず頭を抱えて絶叫する。主君の悲哀など気にもかけず、狐は淡々と続けた。


「だっていまどき根性論とか。あなた一応平成生まれのはずなのに、なんで肝心のツメの部分でそうやって根拠もない力技に頼ろうとするんです。実は団塊世代のオッサンですか」


「お前こそなんでそうやって毎回毎回人の意見に反論ばっかするんだよたまには主の顔を立てようとか思わないの!? なんなの実はケルトの戦士なの!? 主君の言うことに一から十までケチつけなきゃなんねーってゲッシュでも立ててるの!?」


「な、何も泣かなくても……」


「泣くわ! 俺だってたまには泣きたくもなるわ! 一体しかいない式神に毎度説教くらうわ、一人しかいない弟子は師匠の話きかないでかくれんぼしようとするわ……!」


 実際に軽く涙目になりながら、一体しかいない式神に盛大に愚痴る。一方で、一人しかいない弟子は早々にこちらの手の中から抜け出し、見えなくなった式神を探すべくかくれんぼに行ってしまった。


 割と本気で泣きたかった。


「うぅ、ちくしょう……本当にちくしょう……けど、実体化に霊力がガチで足りないってんなら今日のところは俺の食っていいから。平日はサヤの送り迎えのために兄貴の呪符で人化するし問題ないだろ」


「まぁ……そういうことでしたら……」


 するすると霊力が失われていくに比例して、識の存在強度が増していった。本来ならば存在しない筈の狐は、しかし『可視』という一つのフィルターを潜り抜けこちら側へと『現出』する。





「しき、みーつけた!」


 途端、鬼を見る目を失った女の子が駆けてきて、笑顔で狐を抱きしめた。



〜〜お知らせ〜〜


次回更新より題名を「へっぽこ陰陽師〜」から「子育て陰陽師〜正しい弟子のしつけ方〜」に変更いたします。内容は変わりませんが、よろしくお願いします

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