大人として
「――だ、そうですよ識さん」
兄との電話を終えて振り向くと。
座布団(上座)に前足をそろえてお行儀よく座っていた狐の式神は、退屈だったのか呑気に毛づくろいなどしていた。式神の聴力ならばこの距離でも会話は充分聞き取れる。識は興味なさげにちらりとこちらを見やり、
「……何もない、と仰っておられましたが」
「なにもないわけがない」
いっそ楽しそうに口元さえ歪めて、だけど春明は微塵も迷わずに断言した。
「だってもしこれが本当にただの子守なら、わざわざ俺に頼む必要なんてない。ちょっとふっかけたぐらいであっさり呪符を百枚も寄越すような
それは仮定ではなく確信だった。兄自身も隠し通す気はなかったのだろう。本人も言っていた通り、術士は嘘をつかない。つけないのだ。意図的に何かを誤魔化すことがあったとしても、言霊を操る術士が虚偽を口にした場合、その効力が極端に弱くなってしまう。
「だいたい、あの子の母親が兄貴の同僚ってんなら、その人は『あの』零課異係の人間だってことだ。つまりはあの兄貴と同等の能力者だぞ? そんな人間がどんな事情があったら入院するほどの事故に巻き込まれるってんだよ。逆に想像がつかんわ」
「ふむ……そう言われると、確かに些か妙な話ですね」
「些かどころじゃなく、それこそ狐を化かされるようなヨタ話。眉唾ものの類だ。――まあ、狐に化かされるってのはあながちヨタ話ではないんだけど」
式神に気遣って慌てて付け加えるが、相手は特に気にした様子もなかった。不思議そうに聞いてくる。
「つまり……兄君様は、子守ではなく別の何かを主殿に任せようとしておられる?」
「じゃなきゃ説明がつかないだろ? だって俺は陰陽師であって保父さんじゃねーもん。子守なんて専門外ですよ。第一、あれだけ凶悪な加護を持った子供がただの子供なわけねえじゃん」
そう。それは一目あの子供を見た時から分かっていたことだった。
サヤカはその身こそただの幼女であるが、背負っている加護が尋常のものではない。なるほど、あれだけの加護があれば確かに、あの歳で見鬼の能力があっても問題なく生きられるだろう。半端な呪や疫神の類では近寄ることすら出来ない筈だ。彼女を害する意思がある限り。
「問題は、俺に何を期待されてるかってことなんだよなぁ……見鬼以外に特に取り柄がなく戦闘能力から言えば下から数えた方が早い雑魚の俺と、家事は万能だが逆にいうと家事以外なにも出来ない識。この面子で何をしろと……?」
我ながら、考えてみるだにつくづくバトルに向かない面子だ。パーティー編成を改めて、装備を整えてから挑戦し直す必要がある。
識はこともなげに言った。
「それはやはり……見鬼の才を見込んで、ということなのでは? というか、こと霊能面における主殿の取り柄ってぶっちゃけそれぐらいしかないわけですし」
「ねえお前本当に俺の式神? 式神なの? 実は敵だろ? 正直に言えよいまなら許すぞ? たとえ本当のことであっても、世の中には言っていいことと言うまでもないことがあるって知らんのか?」
「だって事実じゃないですか」
特に反省の色もなくしれっと言ってくる。敵ではないかもしれないが、ある意味、敵以上に容赦のない式神だった。
「いやまぁ、俺だってそんなとこだろうとは思ってるけどさ……」
霊能のあるものならば多少の差異があれ誰しも異形を視ることは出来るが、こと見鬼眼の持ち主ともなると、その精度とレベルが格段に跳ね上がる。狭い業界でもさらに持ち主の少ないスキルだ。そういう意味では確かに自分が師として最適だろう。
「使用方法とフィルタリングか……うーん。見る限りでは加護があるだけで見鬼眼の使用自体はザルだし、血継由来じゃなくて俺と同タイプの固有能力者なのかもな。将来あの子が霊能方面の道に進むのかは親御さんと本人次第として、とりあえずうちにいる間にオンオフ機能の使い方だけでも教えてやるか。預かるっていつまでなのか知らんけど」
仮にサヤカが母親と同じ道に進むにしても、常時開眼状態で異形が見え続けるのは、いわばアプリが裏でずっと稼働しているようなものだ。それだけでリソースを食うし、必要ない時にoffにする手段を覚えておけば、仮にあの子が普通に生きていく道を選んだ上でも役に立つ。
サヤカの生きる未来の選択肢が一つ増えることにも繋がる。
「それにしても、子守とついでに弟子の世話込で十万かぁ……しがない兼業陰陽師とはいえ、俺も買い叩かれたもんだよなぁ……」
しみじみとぼやくと、識は呆れたように肩(場所はよく分からない)を竦めた。
「そこまで兄君様の意図が分かっていらっしゃったのなら、最初から断ればよろしかったのに」
「ん? だってお前が言ったんじゃないか。大人の思惑に子供は関係ないって」
「………………」
そう言うと式神は。
なぜか一瞬、驚いたように沈黙した。
ふさふさとした自慢の尻尾が惑うように揺れている。
「えっと……いえ、それは確かに、そうですが……」
「どさくさ紛れに兄貴に利用されたのはムカつくが、それとこれとは別問題だろ。兄貴が俺を買い叩こうが何をさせようが、そのことに関してサヤカにはなんの責任もない。木を見て森を見ざるような真似はしないよ。俺だって大人なんだから」
それは実際、当たり前のことだった。
考える必要もないほどに。
「大人なんだから、困ってる子供がいたら出来る限りのことをするよ。だってそれが人間ってもんだろ?」
人でない狐は、だけどそれを聞いて。
一瞬だけ言葉に詰まるように沈黙したものの、それは本当に一瞬のことで。彼女はそしてゆっくりとどこか嬉しげに眼を細めた。
まるでそれは、我が子の成長を喜ぶ親のように。
「ええ。そうですね」
とても嬉しそうに頷いた。
「そうなさるがよろしい。だってあなたは――人間なのですから」
*****
「ですがそうなると当然、色々と買い揃えなければなりませんね。暫時とはいえこの家は、幼子が暮らすにはあまりにも足りないものが多すぎますから」
「えっ」
式神の唐突な発言に驚くが。彼女はこちらの反応など気にもせず、次々と述べていく。
「まずはそうですね……子供用の食器が入り用でしょう。予備はありますが、サヤカ嬢はまだ四歳。あの手の小ささでは大人のサイズでは使いにくいでしょう」
「ああ、なるほど食器ね。まあ、それぐらいなら……」
「あとは着替え。彼女の持っていたリュックサックは年齢から考えればかなりの大荷物ですが、それでもそう何日分も着替えが入っているとは思えません。汚れた時に備えて靴の予備も必要ですね。ああ、あとこれからの季節、急な雨でもあれば随分と冷えてしまいますから、サイズにあった傘と長靴もあった方がよいでしょう」
「た、確かにそうだな。けど兄貴からの軍資金は多少余裕があるし、必要経費と考えれば……」
「それと風呂桶や子供用の椅子。あと日中は保育園とはいえ、家で過ごすこともありましょうに、遊具の一つもないとはとんでもない。ですがそれだけいろいろ購入すると、やはり専用の棚も必要になりますね。そうなると問題は置き場所ですが……幸い部屋は余っておりますし、いまサヤカ嬢が使っている部屋をそのまま子供部屋にしてしまいましょう。ふふふ、これは忙しくなってまいりました」
「あの……識さん……? なんかめっちゃ張り切ってるみたいですけど、ちょっとそれ買うもの多すぎじゃないっすかね……」
妙にテンションの式神に遠慮がちに告げるが、相手は一顧だにしなかった。それどころか、聞こえていないかのようにいそいそと計画を進める。
「サヤカ嬢は年の割にしっかりとしている様子でしたので、あまり子供っぽい遊具よりもパズルやおままごとなどの少し複雑な遊びの方がよいでしょう。最近ではいろいろ良い知育遊具があると聞きます。さっそく口コミサイトで評判を見て、よさげな遊具をピックアップしておきましょう。なに、費用に関しては先ほど主殿が仰ったとおり、兄君様の軍資金もありますし、足りなければ主殿が密かに貯めているガチャ貯金もございます。あれを吐き出せば充分事足りるでしょう」
「待ってお前なんでそれ知ってんの」
途中までは真っ当だったはずなのに、なにやら後半から尋常でなく聞き逃せない内容になってきた。
「なぜと言われましても。私はこれでも間宮家の家計管理を一身に担っている身。収支の比率を考えれば、給与口座以外の場所に余剰分があることなど明白です」
「給与明細渡してないのに!?」
「いまどき、会社のHPと本年度の業績を見れば、基本給とボーナス額の計算ぐらいは出来ますよ。それに私、少額ながら主殿の勤め先の株を購入しておりまして。株主の権利の一つとして、階級及び地域別による給与の算出方法は把握しております」
「この式神怖い!?」
いつの間にか預金残高どころか内緒にしているへそくりまでも把握されていた。
本当に怖かった。
「ていうかあれは! 年末の極悪ピックアップに備えて、俺が我が陣営に王をお迎えするためにコツコツ貯めた大切な貯金であってだな! そう簡単に使われるわけには……!」
「――お言葉ですが。主殿」
慌てて抗弁するこちらの台詞を遮るように、識が厳しい口調で、鞭のようにしならせた尻尾でぺしりと座布団を叩く。
埃が舞っただけだった。
「子育てというものは、もとよりお金がかかるもの。なれど、それをケチってはなりません。世の中には金と塵は積もるほど汚いという言葉もございます。貯蓄が悪いこととは申しませぬが、必要なときに使えずして何のための財ですか! たとえ自身のお子ではなくとも、子を不自由なく育てるというのは全大人にとって共通の義務のようなもの。目の前のSSRに惑わされて、大切なものを見失ってはなりません」
狐に人として大切なことを諭された。
そろそろ人間ってなんなんだろうなって思い始めた。
「だいたい主殿は陰陽師なのですから、この世の因果と乱数をちょいとばかり弄れば、狙いのキャラを引き当てることなど造作もないでしょうに」
「はぁ!? 嫌だよそんなの! つーか分かってねーなお前は!? ガチャっていうのは未来が確定していないからこそ引く意義があるのであって、最初から来るって分かりきってたらそれはもうガチャじゃなくてただの確定だろ!? 未来は未確定だからこそ価値があるのであって、定められた運命なんかに愉悦も娯楽も存在しないだろ!? 人は……人間っていうのは、未来が分からないからこそ前に向かって生きることが出来るんじゃないか! あとそれだと今回の件で俺の報酬が一切ないのでよくないと思います!」
力いっぱい抗議してみるが、狐はさして感銘を受けた様子もなかった。素っ気なく言ってくる。
「報酬であれば、兄君様から頂いた謹製の呪符がございましょう。彼の方が作られる呪符は主殿が自作するよりずっと質が良いですからね。充分な報酬に値すると思いますよ。……ああ、それにしても大層楽しみですねぇ! 人の姿であればサヤカ嬢と一緒に買い物にも行けますし、似合いの服を沢山見立ててあげましょう。はてさて、どの店がよろしいか」
ウキウキとしながら肉球のついた前足で華麗にI Padなど操り、近所の子供衣装店を検索し始める式神を見て。
――早まったかな。
春明は少しだけ素直にそう思った。
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