ロクでもない兄弟


 幸い部屋だけでなく客用布団も余っていたので、サヤカにはそれを使わせることにした。一人暮らしには広すぎる家を購入して今日ほどよかったと思ったことはなかった。


 客室から戻ってきた識に、飲みかけていた第三のビール缶を掲げて労いの声をかける。


「おーぅ。お疲れ。もう寝たか?」


「はい。ですがやはりまだ不安なようですね。離れようとすると泣いて起きてしまうので、分身わけみを一つ残してきました」


「お前、子供の抱き枕用に分身まで作ったの……?」


「やれやれ。それにしても、久しぶりに分身を作ったら少しお腹が減りましたね」


「待ってお前なんで命令もしてないのに分身まで作ったあげく、勝手に俺の霊力食べてるの?」


「むしゃむしゃ」


 自我のある式神というのも困ったものだ。


 だが、所詮抱き枕一体分の霊力なので大した量ではない。指先からうっすらと自分を構成するナニカが抜けていく感覚は少し献血にも似ていた。するすると喰われるがままに式神に霊力を譲り渡す。


「して、主殿の方は如何ですか? 兄君様へのご連絡は」

「いましてるー。一七四回かけたのにまだ電話繋がらねーの」

「……主殿は時折、鬼よりも怖いところがありますよね」


 なぜか微妙に慄いている式神を無視して、もう一度スマホのアプリを起動する。


 世間巷では陰陽師と聞くと摩訶不思議な術を使う和製魔法使いのようなものを想像するのかもしれないが、そんなものは所詮フィクションの世界の話だ。千年前であればいざ知らず現代に生きる以上、陰陽師だってスマホも使うしソシャゲもする。


 怪しげな呪符ではなくリンゴ社のスマホを取り出した春明は、指紋認証でロックを解除しLINEで兄に再びコールをかけた。既にメールとスカイプでも八十五回ずつ連絡しているがなかなか繋がらない。これだけかけても出ない以上、ひょっとして電源が切れているのかもしれない。そう思って、アプローチを変える。


 イメージは糸。細く伸びるそれを手繰り寄せるように。三方に息を吹きかけ穢れを祓い、生日を唱えて、


「【間宮秋貴まみやあきたか】」


 たまを掴むと同時――


 春明の手の中のスマホに即座に着信がきた。発信者は見るまでもない。迷わずとって呼びかける。


「よぉ、兄貴」

「阿呆かー!!」


 兄の絶叫は――


 既に予想出来ていたため、容易に避けることが出来た。喧々囂々と続く怒声も耳元からスマホを遠ざけて難なくかわす。


「てめぇたかだか電話に出ないだけで人の魂を直接掴もうとする奴があるか! ビビったわ超ビビったわ! ていうか十回出なかった時点で普通は諦めるだろストーカーかお前は!?」

「気づいてんじゃん」


 一気にまくしたてる兄に素っ気なく告げる。


「気づいててもすぐに電話に出れない時だってあるでしょ! 電車の中とか仕事中とか! もう少しお兄ちゃんの都合も考えようよ!?」


 そうして兄――間宮秋貴は、かなり盛大に自分の事を棚にあげてそんな勝手なことを言った。


 つまるところ彼は、そういった人物だった。陽気で人懐っこくお人好し。兄弟仲はまあこの年齢の兄弟同士ならこんなもの、といったところだろう。比喩ではなく生まれた時からの付き合いなので、お互い気兼ねなく言い合うことが出来る。なお、顔は似ていない。


「喧しいわ。呪詛るぞこのクソ兄貴。人の都合も考えずに勝手に子供送りつけてきた奴に言えた台詞か」


 うんざりと吐き捨てる。が、それを単なる冗談だと思ったのか、スマホの向こうで兄の声がからかうような色合いを帯びた。うざい。とてもウザい。


「へーぇ。呪詛る。呪詛るねーぇ? 出来るもんならどーぞご自由に? 呪詛の苦手な春明君」


「出来ないとでも思ってんのか? 俺はお前の誕生日と本名を知ってるんだぞ。この意味分かってんのか?」


「お前こそ言ってる意味分かってる? 人を呪わば穴二つ。その辺の素人相手ならいざ知らず、プロを相手に祟った場合は逆もまた然りだ。跳ね返される覚悟があるならいいけどね」


 馬鹿にするような兄の言葉に腹が立った。仮にも陰陽師ともあろうものが、そんな下手を打つわけもない。


「馬鹿言え。そんな阿呆な手を打つかよ。具体的にはここに十年ほど前に流行り、今となっては忘れ去られたとあるSNSサービスがあります」

「……ん?」


 秋貴が微妙に怪訝そうな声をあげた。気にせずに続ける。


「ちなみに俺はログインIDとパスをちゃんと覚えているので今でも中に入れます」

「……あの、もしもし? 春明さん?」


「そしてここでお前の垢を見つけます。先ほども言った通り、俺はお前の誕生日も本名も知っているので見つけるのはわりと簡単です」

「待って」


「おっとー。なんと十年前に兄貴の書いた日記を見つけてしまったぞー。なになに? プロフは『見習い陰陽師です! 人に忘れ去られた世の闇を祓うため、日夜修行に励み中』ふんふん、日記の内容はー」

「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待てー!!!!!!!!!!」


 電話の向こうで兄が絶叫した。


 少し煩かったが今回も予め耳元からスマホを離しておいたので問題なかった。


「これ以上なめたことを抜かすとこの呪詛をばらまくぞ。ちなみにこの場合の呪詛というのは貴様の十年前の日記のスクショとリンクをインスタとついったにうPするという意味だ。なお俺の日記は非公開にしてあるので同様の呪詛返しは効かない」


「それ俺の知ってる呪詛と違うよ!? ていうか仮にも歴史ある間宮家の陰陽師ともあろうものが陰陽道まったく関係ない呪い方するのどうかと思うんですけどぉ!?」


「いやだって、冗談でも勝手に兄弟同士で勝手に呪いなんかかけたら宗主に怒られちゃうじゃん。お前はともかく俺は無実なのに嫌だよそんなん。この方法ならダメージを受けるのは兄貴だけで俺にはまったく被害がない」


「オーケーオーケー。分かった話し合おう春明さん……いやさ春明様。僕らはきっと分かりあえる」


「あっれー? 俺の気のせいかなー。聞こえるべき言葉が聞こえてこないぞー。やっぱりここは画像一つぐらい放出して……」


「すみません俺が悪かったです申し訳ございませんでした。全面的に非を認めて謝罪致しますので、どうかそれだけはお許しください……!」


 兄から全面敗北の宣言が来た。


 素直に謝ったので謝罪を受け入れてやることにする。


 スマホの奥で、兄の慄く声がした。


「お前ってときどき鬼より鬼だよな……」


「わけの分からんこと言ってないでとっとと説明しろ。今日、うちにサヤカって子が突然訪ねてきたぞ。どういうことだ」


 険悪に尋ねると、兄から妙にきょとんとした反応が返ってきた。


「どうって……あれ? ひょっとしてまだ手紙読んでない? サヤカちゃんに預けておいたんだけど」


「読んだ。読んだから聞いてる。一体どういうつもりだてめぇ」


「どうってまあ……手紙に書いた通りですよ」


 兄の声からふざけた調子が消える。お互いに顔は似ていないが、昔から声だけはそっくりだと言われていた。受話器から聞こえてくる低い音声に、ふと自分自身が喋っているような錯覚を覚える。


 兄は心なし神妙なトーンで続けた。


「サヤカの母親は由良彩華ゆらあやかさんていって、書いた通り俺の職場の知り合い。女手一つで娘ちゃんを頑張って育ててるワーキングママさんで、まあそれでも熱だなんだってお子さん関係で急な休みも入ること多かったし、俺もいろいろフォローしてるうちにサヤカちゃんとも仲良くなったんだけどさ。もともと繊細なところがある人だったんだけど、ちょっと最近仕事で無理がたたったせいか、本人が身体壊して入院になっちゃって。となるとサヤカちゃんが一人になっちゃうだろ? かといって施設に預けるのも可哀想だし、俺が保護者代理を引き受けることになったのよ」


 それは概ね手紙に記されていた内容と同じことだった。とりあえず頷く。


「そこまではいい。だったらなんでお前が引き受けた子供がいつの間にかうちに来てるんだよ」


「だから手紙にも書いたじゃん。急な出張が入ったのー。でも引き受けた以上、断るわけにもいかんし、かといってあの子を出張先まで連れて行くわけにもいかんし。どこかに俺の代わりにサヤカちゃんの面倒を見てくれる、彼女もいないくせに子供一人くらい受け入れられそうな広い家に住んでるお人好しで都合のいい人間はいないかなぁ、と」


「なるほど。そこで浮上してきた都合のいいお人好しっつーのが」


「うん。お前」


「あ、兄貴のFacebookって職場の人間もかなり登録されてるんだな。ここにも日記リンク流しておくわ」


「やめてえええええええええええええ!!」


 兄の悲痛な悲鳴が響いた。


 断末魔の如き悲鳴を聞けたのでそれなりに満足した。


「ま、真面目な話、他に頼める人間がいなかったんだって! たまたまサヤカちゃんの家がお前と同じ地区で保育園に通える範囲だったってのもあるけど、それ以上にあの子、だろ?」


「まぁ……な」


 渋々頷く。確かにサヤカは見鬼持ちだ。――いや、あるいは自分以上の。


 同意の気配を感じ取ったのか、兄の声が途端にぐんと強くなる。


「そう! そうなんだよ! 今までは母親が対処してたんだけどさ。その庇護者を失ったいま、あの子はこのままだと『余計なもの』まで見てしまいかねない。だから俺の知る限りこの世で最も優秀な見鬼能力者であるお前に預けたってわけ! お前ならあの子の眼の使い方を教えてやることも、余計なものだけをフィルタリングしてやることも出来るだろ!?」


「まぁ……そうだけど……」


 不承不承に同意すると、兄は得たりとばかりに勢い込んで言っていた。


「もちろん、急にこんなことを頼むのは申し訳ないと思ってる。だが同時に、お前にしか頼めないことだからこそ頼んでるんだ! 信頼出来ないような相手に、まさか預かり物の大事なお嬢さんを任せるわけにはいかないだろ!? しかも同じ見鬼持ちだ! つまり陰陽師としての依頼でもある! ひゅー! その歳で弟子持ちなんて箔がつくじゃん春明!」


「なんだろう……お前に言われると正論のはずなのにうっすらとなんかムカつく……」


「それは別に俺のせいじゃなくね!?」


 どう考えても本人の普段の行いのせいだった。


「……事情は分かったけどさ。猫の子じゃあるめえし、だからと言ってはいそうですかと引き受けらんねぇよ。俺だって会社あるし」


 それは春明にとってしごく正論のつもりだったが。返ってきた兄の反応は、いまいち理解の悪いものだった。


「なんで? 識がいるじゃん。飯は作れないけど今の時代は出前とかいくらでもあるし、他のことは一通り出来るだろあいつ。もちろん、飯代は俺の渡した十万から使っていいし、足りなかったら請求してくれればいい」


 兄が事もなげに言ってくる。そのあまりの能天気さに腹が立った。


「じゃなくて。保育園の送り迎えとかあるだろ。残業だってあるし、毎日そんな早く帰ってこれねーよ」

「だから識がいるじゃん」


「……あいつ、しゃれこうべがないと人化出来ねーもん」

「へっ?」


 素で驚いたのか、兄が間抜けな声をあげた。それを愉快に思うより先に不快さがこみ上げてきて思わず語気を荒げる。


「だから! 識は単独じゃ人化出来ねーの! 家で面倒みることは出来ても保育園の送り迎えとかは出来ねーの! 家事は出来るけど、あんな子供に一日中家で出前だけ食わせるわけにはいかねぇだろ!」


「だ、だったらお前が人化の術をかけてやれば……」


「あーあーあー! これだから霊能一本で公務員になってらっしゃるエリート様は嫌だなー! たかだか保育園への送り迎えの為だけに気軽に人化の術を使うなんて! さすが『京都は千年魔都と呼ばれるだけあって行き交う人々の間にも妖が多い。だがそんな異形を打ち払うことこそ現代の陰陽師たるものの役目。がんばれ★俺』とかWeb日記に書けちゃうメンタルの持ち主は発想が違うなー! ――スクショスクショ」


「ごめんなさいなんかよく分からないけどすんませんっした春明様! お願いですからそれだけは勘弁してください!!」


 ついに兄が泣き声を上げた。


 とはいえ野郎の、しかも兄弟の泣き声など聞いていて楽しいものでもない。むっつりと黙りこんでいると、相手が慌ててまくし立ててくる。


「そ、そうだ! よしこうしよう! 俺が人化の呪符を作ってお前に郵送するから、識がそれで変化して保育園の送り迎えをすればいい。なっ、ほらそれなら問題ないだろ? とりあえず五十枚くらい作ってすぐに送るからさ!」


「……なんか今、セレブ発言にお前との霊能格差を思い知ってより一層ムカついた」


「なんでですか!?」


 会社務めをしながらの兼業陰陽師である春明と違い、秋貴は霊能に関してはエリートだ。警視庁捜査零課特殊班異係。明治時代まで残っていた陰陽寮が瓦解したあと、戦時のどさくさで無理やり警視庁の中に組み込まれて作られた、怪異事件の捜査・解決のみに特化した霊能捜査班。聞くところによると西洋式から陰陽師、神道修験道でもなんでもござれのエリート集団で、霊能だけでまともに食っていけるかなりレアな職である。


 間宮宗家のように単価のお高い卜占固定客を持っているような一部の特殊な術士と違い、神秘が遠ざかった現代日本において、市井の術者たちにとって霊能で金銭を稼ぐというのは大変なことだ。その点、公務員になればボーナスもあるしローンも組める。おまけに有資格者なので首の心配をすることもない。それだけ好条件の職種なので、当然倍率もめちゃくちゃ高く、結果として就職出来るのは全国の中でも選りすぐりのエリート術者ばかりという実態だ。ちなみに春明は試験に落ちた。当然のように落選し、現在兼業陰陽師と到っている。


「……ま、しゃーねえ。そういう事情なら今回はあの子を引き受けるよ。その代わり、呪符はあと五十枚追加だ。半分は人化の術で、追加の五十枚は兄貴の得意な結界符でくれ」

「……別に、そのくらいならいいけど。意外とがめついよねお前」


 その声音から、兄の不服そうな表情が浮かんでくるようだった。ぐびり、とビールを一口飲んで笑う。


「陰陽師が陰陽師たる起源を考えれば、このくらいはむしろ当然のことじゃないか? 俺たちのご先祖は元々役人にして学者だったんだぜ? 損得勘定の計算ぐらい基本ですよ」


「どちらかというとこれは学者というより商人としての才能だと思うけどなぁ……とりま了解。呪符はすぐ送るよ。メール便でいい?」


「別になんでもいいよ。……あ、兄貴あともう一つだけ」


「ん?」


 切られる前に呼びかける。兄がヘリウムより軽く陽気に答えた。


「おう、どうした? 俺とお前の仲じゃんよ。聞きたいことがあるならなんでも気軽に聞いちゃってー」


「んじゃ聞くけど。あのサヤカって子の事情は本当にそれだけなんだな? 他には一切何もない?」



 兄は即座に断言した。

 即座すぎるほどに。


「何もない。あの子は他には何もない。でも、もし仮にだ。仮に万が一、あの子絡みでなにか『不確定要素』が発生した場合……それは全部お前の好きにしていい」


 それは――一種の契約だった。


 自分の声が自然、平素にはない張りを覚えるのを感じる。


 不必要に研ぎ澄まされた声は、気の置けない兄弟同士の会話というより、術士同士の密約めいたものを連想させた。確認するように問いかける。


「……言ったな?」


「ああ言った。術士の言葉に嘘はない。なんなら魚拓とってもいい」


「大丈夫。その点に関してはぬかりない。なぜなら作業品質の向上のため、この会話は最初から全て録音されております」


「マジで!?」


 魚拓をとってもいいとほざいたその瞬間に驚かれた。


 兄の発言の信ぴょう性が一気に遠のいた。


「いや……ま、まあ本当に心配ないよ。サヤカちゃんに関しての一切は基本的に、あの子の庇護者であり親である彩華さんの管轄だ。逆にいうと、あの子関連で何かあった場合、その責は全部彩華さん自身がとる。本人からの言質も貰ってるので安心していい」

「分かった」


 それだけ聞けば、あとは充分だった。ついでに思いつくことがあり、もう一つだけ付け加える。


「……あと兄貴。お前、小笠原諸島ってのは嘘だろ。うちの前まで送りにきてたってサヤカから聞いたぞ」

「てへぺーろ★」




 兄は謝罪することなく電話を切った。



 今度、やっぱり呪詛しようと思った。

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