第12話 金農パンケーキ

 この世界は広い。

 国が変われば文化が変わり、言語もまた変わる。そして、食もまた変わるものだ。

 私は世界中を飛び回ったわけではないけれど、ほかの土地を知るうえで、食というのはとても重要であり、また気軽に試せるものでもあると思っている。

 この作品タイトルに『トリップ』とつけたのも、そのような想いからだった。

 日本の北国で生まれた私にとって、パイナップルを餡にするという考えは浮かばない。それは台湾の気候と風土、そして現地の方々の生活があって生まれたものなのだ。

 手のひらに乗るほど小さな包みには、そんな見知らぬ世界が詰まっている。簡単に行けない外国でも、手のひらサイズの包みひとつで、興味と親近感が沸く。ご当地スイーツとは、そのような存在なのだ。

 今はとにかく便利な世の中で、クリックひとつで様々なものが手に入る。

 憧れの国のマカロンも、思い出の地のチョコレートも、日常を送っていればある日家に届けられるのだ。

 いつでも買える。いつでも食べられる。その便利さに、胸をときめかせた憧れや懐かしさが、ほんの少し色褪せるような気がしてしまう。

 そんな時、ふと郷愁に襲われることはないだろうか。

 それは海風に感じるものだったり、遠くで聞こえる汽笛だったり、風に吹かれた稲穂が擦れる風音だったりする。


 私が生まれ育った秋田は、これといった特徴がない県だ。

 それを痛感したのは、以前友人達とヨーロッパに旅行した時のことだった。

 ツアーを使わず、現地で暮らす友人を訪ねて行ったわけだが、現地の友人を交え四人のアジア人が街にいれば、いくら観光大国とはいえ、それなりに目立つようだ。

 街中で、メトロでと、結構話しかけられた。


「やあ、日本人? 日本スキだよ。トーキョー、オーサカ。あとキョウトは鉄板だよね」


 にこやかに話しかけてきては、こう続ける。


「君たちは、日本のどこから来たの?」


 ああ、来たか。この質問が……。

 実はこの旅、関西時代の友人達と休日を合わせて実現したものだった。


「大阪」

「オー、大阪城、USJ! 楽しい街だよね」

「私は神戸」

「コウベビーフ! 美味しいよね!」

「京都」

「ワォ。ギオン、フシミ。また行きたい素晴らしい場所だよ」


 知ってる地名ばかり出て、話は弾む。そして、私に目が向けられる。

 やめて、なんで最後なの。オチかよ。

 知ってる。そのキラキラした目。東京とか聞きたいんでしょ。それか、この流れなら奈良。「野生のシカに触れあえるよね!」とか言いたいんだよね、知ってる。でも、ごめん。


「……エート、秋田」

「……オゥ……アキタ?」


 しゅんとしないで、頼むから。私だって、期待に応えたかった。

 それでもジェントルなその人は、とても気を使ってくれた。


「どういうところなのかな?」

「メニーメニー スノー タウン」


 ごめん。それしか表現できなくて、ごめん。

 なぜかニセコのスノーパウダーの話になったけど、気を使ってくれたんだよね。きっと、そう。でも、ごめん。それ北海道なんだ。

 その人が言ったことは間違っていない。大阪は古い物も新しい物も混在していて、とにかくワチャワチャと楽しい街だ。神戸牛は世界的に有名だし、京都はいわずもがな。日本の中でも大きな都市があるというのもあるが、とにかく特徴がしっかりしていて、個性がある。


 正直、秋田って、どうだろう?


 米と酒は有名だが、新潟の方が知名度が高い。美人処だが、それは一部の人間の話で、秋田の女性は県外で出身地を答えることに大きなプレッシャーを感じている。

 どこかのんびりしていて商売下手な県民性とよく言われるが、ようするにパッとしないわけだ。

 それは魅力度ランキングにも現れていて、大体いつも可もなく不可もない、真ん中辺りをフラフラしている。

 真ん中辺りならいいじゃないか、という意見もあるだろう。だが、果たしてそうだろうか。私はそう思わない。それは、『よくわからないけど、悪い印象はないかも』ということだと思うのだ。それは、『興味がない』とも言い換えることができると思う。

 念のため、ここで一言、言っておきたい。

 これは決して自虐的な言葉ではない。なぜなら、私は地元秋田を愛している。だからこそ、より一層そう感じるのだ。

秋田の人々の殆どが、そのような複雑な想いを抱いているのではないかと思う。

 愛しているけれども、時には全力で逃げ出したくなるのだ。

 例えばそれは、名作『君の名は。』を見ながら、「ああ、彗星が堕ちるなんて事がない限り、このしがらみは断ち切れないものなのかもしれない」なんて不謹慎なことを考えてしまうほどだ。それほどに強く、濃いしがらみが、田舎にはあると思う。そこから逃れ、華やかな外の世界で日常をほんの少し忘れたい。そんな時があるのだ。

 外に一歩でも出ると、秋田という存在の小ささや知名度の低さに、寂しさを感じつつ少し安堵する。本当に矛盾した感情だと思う。

 秋田で成功した人も、燻っている人も、はたまた外で成功した人も、一言では言い表せないような感情を、故郷に対して持っている。

 果たしてそれは、甲子園もそうだな、と思えた。

 秋田は、13年連続初戦敗退という不名誉な記録を持っている。勿論、当時の選手たちを責めているのではない。他が強すぎるのだ。

 高校野球において、秋田県というのは、出遅れ感半端無い。優勝がない東北の中でも、かなり出遅れていると言わざるを得ない。今では当たり前になった野球留学も、他県から受け入れているのは、まだまだ少ない。その他は、基本的に通学圏内の学生でチームを作っているのだ。

 だからといって、秋田県民が甲子園に興味がないということではない。娯楽の少ない秋田県では、甲子園は楽しみのひとつでもあるのだ。甲子園強豪校の名を、新旧問わなければ誰でも数校挙げられるだろう。

 楽しみだけれど、期待しすぎるのもチームにプレッシャーを与えてしまう。自分達の野球をしてくれれば、それでいい。あわよくば一勝……! そんな小さな願いを胸に、秋田県民はテレビに向き合う。ましてや地元の選手たちが殆どのチーム。野球留学を否定するわけではないが、やはり「◯◯さんちのあの子だ」「うちの甥っ子が」等々。選手ばかりではなく、そのご家族、監督や部長、関係者までもとなると、誰かしら知っている人がいるものだ。そんなわけだから、自然と観戦する姿勢にも気合いが入る。その中での金足農業高校のあの大活躍である。今大騒ぎしなければいつするのだ。そんな、夏だった。


 金農の試合の日は街から人が消えた。


 例えではない。本当に消えた。

 モール内の小さなお店が職場の私としては、その現象は売り上げに響き、困ったことになるのだが、ここぞとばかりにネットでライブ中継を見た。薄い壁越しに、お隣の店もまたネット中継を見ているのがわかった。

 試合を重ねる毎に、「甲子園に行く」と、強硬日程で旅立つ人もいた。もう、なにがなんだかわからない。でもとにかく楽しいし嬉しかった。

 皆が笑顔だった。

 子供も、大人も、年配の人たちも、笑顔で彼らの活躍を喜んだ。こんなに県民の心がひとつになった出来事を、私は知らない。こんなにも楽しい夏を、私は知らない。

 そして、彼らの活躍は県民を笑顔にしただけではなく、全国のたくさんの人たちをも虜にした。

 こんなに明るい話題で、全国放送で秋田の名を耳にすることは無かった。

 なにもない、関心を持たれることのなかった秋田にたくさんの人が注目し応援している。正直、信じられなかった。

 秋田県は、このままいけば日本で一番早く、消滅する県だとも言われている。

 過疎化が進む速さも日本一で、自殺者数もワーストランキングに入る。最近見たニュースでは、なんと地価ランキングも最下位だそうだ。暗いニュースばかりである。

 そんなニュースばかりで、愛着がありながらも、自虐ネタのひとつでも言わなきゃ笑えない。しかも、かなりシニカルな笑いだ。そんなどこか影が射す私たちの心に、この夏は甲子園ばりの青空が広がったのだ。

 笑顔で野球を楽しむ彼らを見て、胸を張って金農の応援ができることが誇らしかった。

 大阪桐蔭は強い。強すぎる。阪神より強いと冗談か本気かわからないネタが飛び出し、「三回に一回は阪神が勝つわ!」というオチがつくほど、強い。閉幕後、あちこちで「疲れがなかったら……」とか、「万全だったら」なんて声が聞かれたけれど、これは「だったら勝てた」という意味ではない。それほどに大阪桐蔭は強いし、簡単な相手ではない。

 ただ、最後の試合も全力笑顔でプレーする姿が見たかった。

 そんな金農ロスが吹き荒れる中、秋田では金農パンケーキが再販売された。

 高野連では、商用利用は固く禁じられているそうだが、農業高校として以前から企業と商品開発していたものであるため、認可されたようだ。

 スイーツ好きの私としては、嬉しい限りだ。というのも、今年のパンケーキは食べ損ねていたのだ。

 金農パンケーキは毎年5月頃に、ローソン限定で発売される。私も何度か食べていたが、今年の春に転職したことで通勤ルートが変わり、セブンイレブンの方が立ち寄りやすくなってしまったのだ。その時私は、金農パンケーキがローソンだけという事実を知らなかった。かくして転職の慌ただしさも相まって、発売時期は終了してしまったのである。そこに今回の再販となるわけなのだけれど、このフィーバーの中、簡単に買えるとは思っていない。だが、現実はもっと大変だった。

 農家の朝は早い。

 それは多分農家ではない人たちでも想像できることだろう。だが、実際は想像以上に早い。ちなみに、うちの父は夏場は4時に起きる。これは、数年前まで3時半だったものを、新聞すらまだ届いていないからという理由からなんとか遅らせてもらった時間だ。

 朝の4時半には外に出て一仕事している。

 パンケーキの入荷は、早いところで午前4時、遅いところで7時。農家のゴールデンタイムである。7時に目を擦りながら起きていたのでは間に合わないのだ。

 そんな中、たまたま朝早く出掛けた日に、やっと買うことができた。季節は秋になろうとしていた時だった。

 よくコンビニなどで見る、クリームなどを挟んだ手のひらサイズのパンケーキが、ふたつ入っているものがある。金農パンケーキはちょうどあんな具合の商品だ。違うのは、やはり地元の高校生が地元の食材で、秋田らしいパンケーキを作ったことだろう。

 まず、生地はもちもちだ。というか、もはやもちもちを通り越してモッチャモチャしている。校章の焼き印もうまくつかないほど、手にするとヘニャンと倒れてくるほどのもちもちだ。やはりこれは米粉、米粉に違いない!と思ってパッケージを見ると、そこには『米粉・もち米粉』と書かれていた。なんと、もち米粉まで入っていたのである。これは確かにモッチャモチャする。もはや食間がフワッと目の餅だ。しかも、生地には醤油が染み込んでいる。そのほんの少しの甘じょっぱい生地に挟まれているのが、リンゴの蜜漬けだ。リンゴはザクッとしたリンゴ独特の食感がわかるよう少し大きめのスライスで、蜜はかなり甘い。それが甘じょっぱいもちもち生地とよく合う。例えばこれが、ふんわり目のパンケーキ生地だったら、生地が蜜に負けていたような気がする。

 醤油のパンケーキ生地にリンゴというのも、なんとも不思議な組み合わせなのだが、なぜかしっくりする。

 たとえばこれが、都会のオシャレなカフェメニューだったら、正直人気は出なかったと思う。美味しいが、きっともっと美味しいお手柄スイーツはある。食べた時は「おおっ」と思うけれど、後日思い出すかはわからない。

 だがそれもまた、秋田らしくて良いのではないかと思う。飛び抜けた何かがあるわけではない。甘さもしょっぱさもどこか控えめで、懐かしさを感じる、金農パンケーキはそんな味だった。


 今年の夏、秋田で『金農』は魔法の言葉だった。

 皆が笑顔になって、皆が楽しんだ、濃くて短い、最高の夏だった。

 金農が旋風を巻き起こした夏が終わり、秋田の秋季大会で優勝したのは、スポーツコースがある私立高校だった。スポーツコースを新設してまだ歴史が浅いその高校は、まだ地元の子が多い。けれど確実に、昭和の野球と揶揄された秋田の野球も変わりつつあるのだ。もしかしたらこれが公立最後の大疾風だったのかな、と少し切なく、甘じょっぱい気持ちになった。

 秋になった。季節はどんどん、先に進んでいく。これからの地元を思うと、やっぱり明るいとは言えない。でも、あれは本当に宝物のようなキラキラした出来事だった。

 これからどこに旅しても、どこに住むことになっても、故郷を、そしてこの夏を思い出すだろう。

 あの夏を、熱い夏を、ほんとうにありがとう。

 

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スイーツトリップ 雪夏 ミエル @Miel

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