SCENE7

 その夜、私は大学で物理学を専攻していた友人をバーに呼び出した。

「要するに、この事件の解決には通常の捜査とは違う視点、例えば物理学、とりわけ量子論の考え方が必要というわけだね」

 友人はそういうと、常温のギネスを大事そうに飲みながら続けた。

「われわれ人間だって突き詰めれば原子核や電子の集まりで構成されている。だからわれわれが住むこの世界、つまり古典的なニュートン力学が支配するマクロの世界といえど、なにがしか原子核や電子の振る舞いに影響を受けないはずはない。ひとりの人間が二か所に同時に存在することだってあり得ないとは言えないだろう。ただしその状態というのは、いわば取り得るポジションを同時にカバーしてはいるが、後戻りできない確定した結果ではないということだ」

「ん、わからないな。つまりまだ決まっていない……」

「量子論では、ミクロな物体の位置がひとつに確定するのは、その物体が観測された時だ。観測されるまではその発見確率に従って複数の場所に同時に存在している。観測とはなんだろう。マクロな装置がミクロな観測対象に後戻りできない痕跡を与えることだ。いくつもの可能性をつぶし、動けない場所に追い込むことだ」

 私は混乱した頭をなんとか立て直そうとした。そう、頭の中がグルグルしているのは、アルコールのせいだ。口当たりの良さに騙されてモヒートをがぶ飲みしたせいだ。遠くの席でケラケラ笑い転げる見知らぬ女の嬌声が、幾重にもエコーになって耳に響いた。

「つまり、キミが言うところのマクロな観測が行われていなければ、B子を殺したA子と、殺していないA子のどちらかまだ決定していない。その発見確率に従い、どちらの世界に進むかはまだ分からない」

「B子さんの遺体は既に火葬に付されたそうだが、ミクロの観点でみれば単に原子の配列が変わって、灰や気体に再構成されたに過ぎない。もともとのB子さんを構成していた原子核や電子は何も変わっていない」

 私はグラスを握りしめ、残りの酒を一気に飲み干した。

「やり方によってはB子が生き返ることもある。そう考えていいんだね」

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