A子の告白 2

「ねえ、佐藤のこと、好きじゃないんだよね?」

 ミナの突然すぎる言葉は、私の心臓を激しく揺さぶりました。

 私の頭は、一瞬真っ白になりました。――動揺しながらも、真っ白でした。

 何故私がそんなに動揺したのか、不思議ですか? ええ、不思議かもしれませんね。

 けれど私にとっては当然の動揺でした。だって私には聞こえてしまったのです。ミナのたったの一言によって、ミナの想いが聞こえてしまったのです。

「ミナ、は」

 私は言葉を続けられませんでした。けれどミナには私の言葉の続きが聞こえたようでした。

 私は何もいえませんでした。はにかんだように微笑む彼女に、かける言葉が見つからなかったのです。

 ああ、なんて悲しいことなのでしょうか。カミサマは天使に恋をしたのです!

 私の肺は重く、私の頭は透明でした。

 ミナは知りません。私の性癖を。だからこそ彼女は私にとって遠く、友と呼びたいカミサマなのです。

 ミナは知りません。彼の性癖を。だからこそ私は悲しいのです。近くにカミサマが来てしまったことが。友と呼べる位置にいることが。それでいて触れられない遠さが。

「応援……はしなくても良いけど、知っていてほしくて」

 言葉とともにミナは空を見ました。誰もいない教室で、空を見ました。

 つられて空を見ると、空は橙と紫が混ざり合っていて、私は奇妙な感覚に包まれました。その感覚は三度目でした。

 この一つの、教室という名を持つ空間が、まるで世界から切り取られたように感じたのです。

 ――きっと私は呆けたような顔をしていたのでしょう。ミナが困ったような、なんと言えばいいかわからない表情をしました。

「反対?」

 ミナは、おどけたように首を傾げて私に尋ねました。

 私は、私は。私は困ってしまって。

 そして、そして、そして。

「反対するわけないじゃん」

 ――嘘をつきました。笑って、嘘をついたのです。

 ミナは嬉しそうに、ほっとしたように笑いました。肺はやはり重く、まるで砂袋のようでした。

「よかった」

 ミナはそういった後、帰ろう、といいました。

「何処に、」

「家以外の何処があるの?」

 私の言葉に、ミナは笑いました。私も多分、笑いました。

 けれど、私は何で自分が何処にと聞いたのか、考えてわからなくてぐちゃぐちゃしていました。帰るとか帰らないとか考える余裕はありませんでした。

 いつのまにか『何処に、』といったことについて考える余裕もなくなっていきました。

 ただ不安が大きくなって、不安が私を占めました。

 私は知っているのでした。わかっているのでした。ミナは自分の気持ちがはっきりしたら、きっと告白するだろうということを。知っていました。予測していました。

 不安に思い、私は自分のいた場所を振り返ったのを覚えています。 世界は相も変わらずソコにありました。切り取られてなど、いませんでした。

 当たり前な顔をして、世界はソコにあったのです。


 そして当たり前な事実が、数日後、当り前でないものとともに、やってきました。

 彼が――佐藤君が欠席したのです。彼はいつも元気でした。休んだ、ということが不思議でした。

「私のせいだ」

 ミナが言いましたが、私は不思議でした。

 彼は優しい人です。だからこそ、休むことがミナを傷つけるとわかるはずです。だから休まないはずなのです。なのに彼は休みました。

 ミナは振られてしまったことを私に笑って教えてくれました。私はそれが空元気だとわかっていましたが、気づかないふりをしてミナの空元気を受け取りました。

 それから訪れた、理解できない彼の欠席。

 私は不思議とともに――もしかすると彼を責めていたかもしれません。だって私の一番はミナなのですから。カミサマなのですから。

 三日彼が休んで私は彼の元に行きました。――彼は私を見ると、泣き出してしまいました。

「どうしたの?」

 どうにか彼の部屋にあがり、私は尋ねました。それでも彼は泣いていました。

 私は困ってしまい、彼に触れることも出来ずただ傍に立っていました。……座ろうにも、座れませんでした。

「どうしたの?」

 彼が少し落ち着いたのを確認すると、私はもう一度尋ねました。彼は嗚咽の中、言の葉を落としました。たった一枚。

「――――バレた」

 一瞬、何のことかわかりませんでした。彼は泣いていました。

「何、で?」

 かろうじて口に出たのは、ただその一言でした。

 彼は嗚咽交じりに、事実を口にしました。ミナに告白されたこと。断ったこと。

 好きな人を問われ、カミサマをただ信じ、事実を口にしてしまったこと。――それが誰かに聞かれてしまったこと。彼の好きな人に、知られてしまったこと。

 私は重い砂袋に苦しみながら、聞いていました。いくら周りに頓着が無いとはいえ、その噂に気づかずにいた自身が馬鹿なようにしか思えず、苦しく思いました。

「気持ち悪いって」

「え?」

「気持ち悪いって言ったんだ、あいつ」

 それだけ言うと、彼ははらはらはらはらと涙を零しました。私は理解できませんでした。

 だって、変じゃありませんか? そんなこという人、嫌ってしまえば単純なのに。悲しみながらも憎まない彼が不思議で、とてもキレイに思えたのです。

 けれども私は彼に対して何も出来ませんでした。テレビみたいに抱き合って泣くことも出来ず、ただ、その場を後にしたのです。


 彼は結局それ以降学校に来ませんでした。ある日私は、何故か彼の……佐藤君の想い人に話をしなければならないと思いました。

 ――何故、と聞かれてもよくわかりません。何故なのでしょう? ただ、とにかく彼の想い人と話をしなければならないと思ったのです。

 だから私は得意でもないのに親しくない人と二人きりになる努力をしました。そしてその人と、ミナの告白を聞いたあの教室で、二人きりになりました。

「佐藤君のこと、聞きたいんだけれど」

 私の言葉に、彼は不快そうに顔を歪めました。その後笑いました。それはきっと、嘲りでした。奇妙に歪んだその顔が、とても滑稽でした。私はなんだか腹が立ちました。

 その人はとてもよく話しました。そしてそれがものすごく雑音でした。――なんと言っていたかはよく覚えていません。

 ただ彼を、佐藤君を罵っているのだけはよくわかりました。私はイライラして、腹立たしくて――気づいたら、その人は地面に倒れて、血を流していました。

 私の手には、椅子がありました。

 私は、自分のように力の無い女が、男をのしたことに自分で感心しました。

 あれから三日経ちますが、その時のことは……自分が男をのしたのに気づいてからのことは、よく覚えています。殺したかどうかなんて考えませんでした。すごく冷めていて、ただぼうっとその光景を受け止めていました。後悔とか喜びとか、そんな感情はまったくありませんでした。……後はもう、知ってのとおりです。

 その男に興味はありませんでしたが、その男が死ぬと佐藤君が悲しむと思い、とりあえず救急車を呼んだのです。

 え? ――私が彼を恋愛対象として好きだった? 佐藤君を、ですか? そんな事ありません。そうであればいいのですけれど。でも、彼が否定しないでくれれば、私は彼を友と呼ぶのに近い位置に位置付けしたいと思っています。

 それだけで恐れ多いのに、何故天使に恋することがありえるのでしょう? ありえるわけありません。はじめに言ったじゃないですか。

『私はきっと、恋を知らずに終わるでしょう』と。

 愛せたら、恋ができたらそれは一種の幸福でしょう。しかし私はどうしても恋心を抱けないのです。彼に恋心を抱けるはず、無いのですよ。

 今までも、これからも、きっとその事実は変わりません。

 ……いいえ。私があの男を殴ったのは、そんな優しさじゃありません。ただ、私が腹立しく思ったからなんです。

 あ、そんなことより、聞いてもいいですか? ミナが、どうしているか。教えていただいていいですか?

 ……泣いて、ますか。ミナは、優しいですから。……嬉しそうですか? ええ、そうかもしれませんね。ミナには悪いと想いますが、悲しんでくれる事実が嬉しいんです。

 彼は、どうですか? 佐藤君ですよ。あの男なんてどうでもいいです。佐藤君は、どうしていますか? 元気にしていますか? 悲しんでいますか? 笑っていますか?

 ――?

 どうしたのですか? そんな悲しそうな顔をして。先生、大丈夫ですか?

 ……カウンセリングの先生って、共感しても同調しちゃいけないんじゃないんですか? だからそんな感情移入したら、まずくありません? 第三者としてみなきゃ、まずいんでしょう? 悲しまないで下さい、先生。

 え。何言ってるんですか、先生。悲しそうな顔したと思ったら、突然冗談なんか言って。全然面白くありませんよ、その冗談。

 彼が自殺なんて、佐藤君と自殺なんて、結びつかなすぎですよ。

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