9-2

 父ちゃんの墓に案内する。隆聖はそう言って、僕と飯田さんを先導した。

 道中はずっと、隆聖の身の上話ばかりをしていた。隆聖が児童養護施設に入った後、じいちゃんはすぐに隆聖を里親として引き取ろうとした。だけど独身、年金暮らし、高齢と、里親になれない要素が揃いすぎていて不可能だったそうだ。

 仕方ないのでじいちゃんは、足繁く隆聖のいる養護施設に通うようになった。そして隆聖は、そんなじいちゃんを「父ちゃん」と呼んだ。結果として、里親として認められてはいないけれど、ただ認められていないだけという状態になったらしい。

 そして施設を出るや否や、即座に養子縁組をして隆聖はじいちゃんの息子になった。以来、じいちゃんが亡くなるまで、ずっと一緒に暮らして来た。そこまでを話した辺りで、じいちゃんの墓の前に着いた。

 墓には『田原家』と刻んであった。隆聖も将来はそこに入る。そういう意思が感じられる墓石。まずは僕が線香に火をつけ、供えて両手を合わせ、瞼を閉じた。

 話したいことがあり過ぎて、何から話せばいいか分からない。渦を巻く生の感情を漏斗にして、その中心から言葉を一滴一滴絞り出すように、心の中で取りとめなくじいちゃんに話しかける。


 じいちゃん、久しぶり。

 僕は元気だよ。結婚もして、楽しくやってる。

 隆聖のこと、養子にしたんだってね。びっくりしたよ。

 そんなに前を向いて生きていると思わなかった。

 最後に会った時、じいちゃんの花瓶を割って良かったのかな。

 もしあの時、花瓶を割ったおかげで、じいちゃんが前を向けたなら――

 僕は――凄く嬉しい。


 瞼を開く。暗闇から一転、眩い陽光が飛び込んできて、眼筋を絞る。涙は全く出ていない。僕もだいぶ、泣き虫から成長したようだ。

 僕に続き、飯田さんが線香を供える。煙に乗って、優しい香りが辺りに広がる。その光景を眺めていると、隆聖が寄って来て声をかけた。

「お前に渡したいものがあるんだ。父ちゃんから頼まれてる」

「渡したいもの?」

「ああ、これだ。どこかで開けてくれ」

 隆聖が僕に細長い封筒を渡した。封筒の底に、何か小さくて硬いものが入っている。

 ――ああ。これか。

 触った瞬間、その正体が分かった。帰りに立ち寄る場所が増えたな。そんなことを考えながら、封筒をビジネスバッグの中にしまう。

「父ちゃん、お前のこと、かなり気にしてたぜ。父ちゃんが死んだら訃報を送りたいって言ってた相手、そんなにいないんだけど、その中でもお前は二番だった」

 二番。一番がいるのか。誰だろう。ぼんやり考えていると、隆聖があっけらかんとした口調で言葉を続ける。

「でも不器用だよな。父ちゃんも。そんなに気にしてんなら会いに行けばいいのに」

 不器用。その評価に、僕は苦笑いを浮かべた。僕も、同じだったから。

 花瓶の割れたじいちゃんがどうなっているか、僕もずっと気になっていた。でもどうなっていてもおかしくないから、怖くて会いに行けなかった。じいちゃんも僕にどう思われているかが怖くて、会いに行けなかったのだろう。そして不器用同士、再会が遅くなってしまった。

「俺、最初は父ちゃんのこと、父ちゃんって呼ばせてもらえなかったんだ」

 隆聖が目を細めて墓石を見つめる。じいちゃんもたまにしていた、過去を見る目。

「息子の代わりを求めているわけじゃない。けじめだってな。でも俺が『おれは父ちゃんって呼びたい』って言ったら、呼ばせてもらえるようになった。『どうして俺はすぐに自分の都合ばかり考えるんだろうな』って、反省してな」

 自分のことだけを考えて生きるようになったら、人間はおしまい。じいちゃんの言葉が僕の脳裏に蘇る。

「その時もお前のこと、思い出してたぜ。お前のおかげで変われたそうだ。十歳のガキが六十超えたジジイを変えたんだから、あいつは大物になるぞとか言って、笑ってた」

 自分を変えた。そうか、そう思っていてくれたのか。僕の胸にじんわりと温かな感動が広がる。だけどその感動を、隆聖が痛いところをついて台無しにした。

「で、大物にはなったのか?」

 ――そんな簡単になれるわけないだろ。僕はふて腐れる。

「いや、普通のリーマンだよ。悪かったな」

「普通のリーマンか。なるほど」

 隆聖はポケットに手を突っ込みながら、愉快そうに笑った。

「そりゃあ、大物だ」

 パッと聞くと皮肉。だけどなぜか僕にはそう思えなかった。「普通」を手に入れるまでに苦労し続けた、隆聖の言葉だったから。

 飯田さんが線香を供え終えた。さて、これからどうしよう。そんな雰囲気になる。すると隆聖が、僕と飯田さんに指示を授けた。

「とりあえずお前ら、さっきの休憩室で待っててくれよ。俺、これから用事があるから、終わったらそっちに行く」

「用事?」

「ああ。ちょっと人を――」

 僕の問いかけに隆聖が答えようとする。それを、甲高い男の子の叫び声が遮った。

「パパー!」

 奇声と呼んでも差し支えないような叫び声。小学校低学年ぐらいの男の子が一人、遠くからこちらに走り寄って来る。僕はその男の子の姿を見て、ハッと息を飲んだ。

 あまりにも、昔の隆聖そのままだったから。

「どうした?」

 隆聖が屈んで男の子に問いかける。男の子は、不機嫌そうな膨れ顔。

「もう飽きたー。まだ用事終わらないの?」

「来たばっかだろ。ママと一緒に散歩してろ」

「お墓しかないんだもん。つまんないよ」

「じゃあ休憩所でゲームやっててもいいから。とにかくママんとこに行け。パパ、もうちょっとかかるから」

「はーい」

 文句を言うだけ言って満足したのか、男の子が聞きわけ良く走り去っていく。僕はポカンと男の子の去った方を指さしながら、隆聖に尋ねた。

「何歳?」

「七歳。今年で八歳な」

 つまり二十歳か二十一歳の時の子ども。僕はその時、彼女すらいない大学生だ。

「早いねー。親の集まりに行くと完全にヤンパパでしょ」

 飯田さんからママ視点の意見。隆聖は、首を大きく縦に振った。

「クソ目立つよ。晩婚少子化が嘘じゃないって良く分かる」

「目立つのはそんなチンピラみたいな見た目してるからじゃないの?」

「こうしないと舐められるんだよ。そういう仕事してるから」

 どういう仕事だ。そう思いながらもとりあえずは突っ込まず、話を逸らす。

「七歳だと、あの子も秘密基地とか作るのかな」

 秘密基地。隆聖が自分の息子が消えた方角を見つめながら、しみじみと語り出した。

「もう時代が違うんだよ。迷惑とか危険とかで外で遊ぶ機会はめっきり減った。第一、秘密基地を作れる場所がない。今や野外に秘密基地作って喜ぶようなガキは時代遅れ。遊びたい盛りだからって秘密基地を作ると思ったら大間違いだ」

 秘密基地は時代遅れ。薄々分かってはいたけれど、厳しい現実を聞かされ、僕は密かに落ち込んだ。すっかり僕の一部になったあの秘密基地の思い出が否定されたようで、どうしても気が沈む。

 だけど続く言葉が、そんな僕の沈んだ気持ちを一気に引き上げた。

「でも、俺の息子は作ってるみたいだ」

 隆聖の目元が優しく緩む。きっとその目は、自分の息子を見る時の目。そこにいなくても思うだけで引き出せる。あの子は隆聖の中で、既にそういう存在になっている。

「近所に竹藪があるんだ。そこにダンボール敷いて、仲間で集まって、色々やってるらしい。まあ『何やってるんだ?』って聞いたら、『公園に遊びに行く』とか言ってたから、秘密基地っていうかただの集合場所だけどな。つうかまず、俺にバラしてる時点で秘密じゃねえし。子どもって馬鹿でかわいいよな」

 かわいい。その言葉を口にした途端、隆聖の表情がだらしなく緩んだ。

「本当、かわいいんだ。凄く、かわいい」

 親の顔。誰だって自分が一番かわいいはずなのに、その大前提を覆しかねない顔。自分自身と天秤にかけられるものが出来た人間の表情。

「――あのさ!」

 気がついたら、叫んでいた。目を丸くする隆聖と飯田さんと相対しながら、僕は自分の胸に手をやる。

「僕もなんだ」

 勢いのまま喋っているから、言葉が足りない。隆聖と飯田さんの頭の上に「?」マークが見える。僕はたどたどしく、ぶつ切りの言葉で状況を伝えた。

「最初の子どもが、女の子で、二週間後に」

 ああ。二人が頷いた。隆聖が、笑いながら僕の肩を叩く。

「おめでとさん」

 ありがとう。笑い返しながら礼を言う。だけどすぐに、飯田さんが僕のことを鋭い目つきで睨みつけていることに気づき、笑みが消えた。

「ってことは、予定日二週間前の奥さんを放って、ここに来てるわけ?」

 そっち視点。さすが女性だ。一番触れられたくないと思っていたところを的確についてくる。

「まあ、そういうことになるけど……」

「あり得ない。早く帰りなよ。産気づいたらどうするの?」

「いや、でも、仕事の時に産気づいたらどうせそうなるわけだし……」

「そういう問題じゃないの。産気づいた時に旦那は休日なのに不在で、初恋の相手と会ってましたとか、永久に言われ続けるからね」

 永久。そこまでの案件か。この後、もう一つ行かなくてはならないところがあるなんて、言える雰囲気では無さそうだ。

「大丈夫だよ。私たちもう、いつでも会えるでしょ?」

 飯田さんが優しく微笑む。隆聖をチラリと見ると、そちらも同じように微笑んだ。

「産まれたら教えてくれよ。今度は酒でも飲もう」

 僕は頷いた。そして軽く頭を下げながら、二人に向かって礼を告げる。

「ありがとう。それじゃあ、また」

 手を振り、踵を返す。キラキラと眩い新緑に目もくれず、駆け足でバス停へと向かう。僕が走ればあの子が早く生まれてくれるかもしれない。まだ寄る場所があるのに、今産まれて来たら一生ものの負い目を背負ってしまうのに、僕はそんなことを考えていた。

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