終章「ぼく」

9-1

 霊園の休憩室で話をしていると、飯田さんになった佐伯さんは、佐伯さんだった頃よりも肩の力が抜けているように感じられた。そのことを指摘すると、飯田さんは「ああ」と自分でも納得したように呟いた後、ふっと目線を横に流した。

「あの頃は、正しさの塊みたいな感じだったもんね、私。イヤだったでしょ」

「いや、別にそんなことないけど」

「そう? なら良かった」

 頬杖をついて笑う飯田さん。だいぶ肉づきが良くなったけど、佐伯さんより飯田さんの方が僕の好みだ。いや、僕が佐伯さんの方が好みだったら、大問題なんだけど。

「癖なんだよね。こうじゃなくちゃいけない、こうあるべきだって考え方するの。旦那がちゃらんぽらんだから、イライラすること多くて。子育ても大変」

「え? 子どもいるの?」

「うん。男の子。一歳と二か月」

 飯田さんがそこで、何か思いついたように悪戯っぽく笑った。

「ねえ、今日、旦那に子ども預けて来たんだけど、何て言って出て来たと思う?」

「普通に墓参りじゃないの?」

「『初恋の人と大切な人のお墓参りに行って来る』って言って、出て来ちゃった」

 思わせぶりな言葉。からかわれていると分かっているのに僕は硬直する。こういうところは変わっていない。飯田さんも、僕も。

「初恋だったの?」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ」

 ついさっきとは全く逆の会話。もしかして、だからさっきは僕の指輪なんか見ていたのかな。そんな自惚れた考えを抱く。たぶん、違うんだろうけど。

「そんなわけで、髭面の熊みたいな男が、そっくりな子ども抱いていちゃもんつけてきたら、それ、旦那だからよろしくね」

「そんなの、どうよろしくすれば――」

 休憩室の扉が開く音が聞こえた。僕は言葉を止めてそちらを見る。腰の曲がった老女がよろよろと中に入って来て、すぐ近くのテーブル席に座った。

「旦那だと思った?」

「いや、そうじゃなくて、あいつ、遅いなと思って」

 あいつ。僕に訃報を送り、今日墓参りがてら会う約束をして、佐伯さんまでこの場に呼び寄せたあいつ。早く、早く会いたい。

「そろそろ来るでしょ。約束の時間、もうだいぶ過ぎてるし」

「本当に来るんだよな?」

「そこは信じてあげようよ」

「そうは言っても、あいつからじいちゃんの訃報が来ること自体、もう信じられないレベルの出来事だからさ」

「まあ、それはそうだよね。私もあの話を聞いた時はさすがに――」

 再び、休憩室の扉が開く音が聞こえた。

 開いた扉から出て来たのは、若い男。よれよれのジーパンに黒いTシャツ。逆立てた茶色い短髪に顎髭と口髭を生やして、ポケットに手を突っ込んで歩いてくる様は、いかにもガラが悪そうで平和な霊園の休憩室にそぐわない。現に僕と佐伯さん以外の皆は、怪訝な顔で男を見ている。だけど僕は――笑ってしまった。

 ああ、そういう風になったのか、お前。

「石田!」

 僕は手を上げる。男は僕の元に寄って来ると、畳の上に座る僕を見下ろしながら、眉間に皺を寄せた。

「違うだろ」

 違う。ああ、そうか。今は――

「田原、だっけ」

 田原隆聖。それがあいつの今の名前。僕を呼び寄せた名義。

 じいちゃんの訃報は最初、母さんの住む実家に届いた。

 母さんはじいちゃんのことをすっかり忘れていて、「あんたに訃報が届いてるんだけど、田原幹久さんって人に心当たりある?」と東京で働く僕に連絡して来た。そして訃報の送り主を尋ねる僕に「息子さん」と伝えた。

 当然、ぼくは交通事故で死んでしまったじいちゃんの息子をイメージした。本当に生きていたのか。一瞬、そんなミステリーじみたことを考えた。だけどその息子の名前が「田原隆聖」であると聞き、全てを察した。

 訃報に書いてあった連絡先に連絡すると、予想通り、「石田隆聖」はじいちゃんの養子になって「田原隆聖」になっていた。葬式をやるような身内がいないので、直接火葬場へ運び、墓だけを作ったらしい。直葬と言うそうだ。

 つもる話は墓参りで会って話すことにした。「粋な計らい」とやらで佐伯さんも参加することになった。そして、あの頃の仲間がおよそ十八年ぶりに三人揃った。全員あの頃から苗字が変わった、少し奇妙な形で。

「久しぶり。元気だった?」

 僕は弾んだ声で話しかける。だけど男は、不快そうにしかめた顔を解かない。

「田原だけど、それも違えよ」

 田原も違う。僕は考え、すぐに答えに至る。そういえば、そうだったな。ごめん。

「隆聖、久しぶり」

 隆聖はようやく、眉間の皺を消して笑顔を浮かべた。

「おう。ひさびさ」

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