第七章「ぼくの戦い(後)」

7-1

 石田に『森の思い出』を返してもらう場所に、ぼくは秘密基地を選んだ。

 大切な話があるからと佐伯さんを秘密基地に連れて行く。石田のことを話さなかったのは、話したら来てくれないかもしれないと思ったから。会ってダメなら仕方ない。でも、会わないで終わってしまうのは納得出来ない。ぼくはどうしても佐伯さんに、今の石田に会って欲しかった。

 秘密基地に着くなり、佐伯さんはとらじろうのお墓に向かった。両手を合わせて祈る佐伯さん。今にもまた泣き出しそうなその顔を見て、ぼくはこれから行われる話し合いに、強い不安を覚える。

 その時、秘密基地の玄関がガラリと開いて、石田が現れた。

 先に来ていた。それにしても、タイミングが最悪だ。ぼくはごくりとつばを飲んだ。佐伯さんはあっけに取られた顔で石田を見て、次にぼくに視線を移す。

「大事な話って、これ?」

 声と表情が険しい。いつもなら情けなく縮こまってしまうところ。だけど、石田が戦おうとしているのに、ぼくが逃げるわけにはいかない。

「そうだよ。石田と話をして欲しい」

「話すことなんてない。石田君が何をしたのか、もう忘ちゃったの?」

「忘れてない。忘れてないから、話すんだ。最強の時間がやっつけちゃう前に、ちゃんと話して、自分の手でやっつけるんだよ」

 ぼくは開いた右手を自分の胸に乗せながら、佐伯さんに強い視線を送った。

「ぼくはそうした。佐伯さんもそうして欲しい。別に、許さなくてもいいから」

 佐伯さんが怯む。正しくて強い佐伯さんは、やっぱり正しくて強い言葉に弱い。

「佐伯」

 石田が前に出る。そして佐伯さんに向かって、ほとんど直角に頭を下げる。

「本当に、ごめん」

 真っ直ぐな謝罪に、佐伯さんの大きな瞳が揺れた。

「どう謝っても、何度謝っても、許されなくて当たり前のことをした。でもおれには、謝ることしか出来ない。だから本当に、本当にごめん」

 石田は頭を上げない。佐伯さんは唇を閉じて石田のつむじの辺りを見つめ、やがて、少し背筋を伸ばしてから口を開く。

「本当に悪いと思ってる?」

「思ってる」

「じゃあ、わたしが責任取って死んでって言ったら、どうする?」

 悪い奴を徹底的にやっつける正義の塊みたいな言葉。ぼくはギョッと身を引いた。そして石田は頭を下げたまま、きっぱりと言い切った。

「それは、出来ない」

 佐伯さんは眉一つ動かさない。出来ないだけでは許さない。そういう顔。

「もう死んでもいいかなって思ったこと、何度もある。でも今はイヤだ。生きたい。許されて死ぬぐらいなら、許されないで生きる」

 生きたい。そんな当たり前の言葉が、やけに重い。ぼくはもちろん、僕にも絶対に出せない重み。その重たい空気を溶かしたのは、佐伯さんの透明な声。

「――いいよ」

 石田が頭を上げた。佐伯さんは、しっとりとふんわりの中間ぐらいの顔で笑う。

「許す……とはちょっと違う気がするけど、とにかく、わたしはもういいよ。石田君がちゃんと生きてくれるなら、それでいい」

 ちゃんとした生き方なんて、僕ですら分からない。口にした佐伯さんも、耳にした石田も、きっとぼんやりとしか分かっていなかった。だけど石田は、そのぼんやりしたものを絶対に守ると、力強く頷く。

「ありがとう。ちゃんと、生きる」

 ぼくもちゃんと生きよう。あの時、強くそう思ったことを、僕はよく覚えている。今のところは守れていると思う。

「ところで石田、アレは?」

「ああ、ちょっと待って。今、持ってくるから」

 ぼくと石田の思わせぶりな会話に、佐伯さんが不思議そうな顔をした。やがて秘密基地の中から石田が紙束を持って来て、ぼくに渡す。ぼくは「はい」とそれをさらに佐伯さんに渡した。

「これ……」

「捨ててなかったみたい。つまり石田は、ぼくと仲良くしたくてちょっかい出してただけなんだよ。不器用だよね」

 無意識の方を採用。石田はもごもごと何か言いたげに口を動かしたけれど、結局は黙った。自分で言ったくせに、他人に言われると恥ずかしいようだ。

「ふーん。好きな子はいじめちゃうってやつ?」

「それはちげえよ!」

 石田が声を荒げた。佐伯さんは楽しそうに笑う。ぼくも笑い、石田もつられて笑う。石田と向き合って良かった。心の底から、そう思える光景だった。

「それで、これ、どうしようか」

 佐伯さんが紙束を掲げる。ぼくは、考えていた答えを口にする。

「安藤さんのところに持って行って、使ってもらおう。みんなに書いてもらったもの、無駄にするのは良くないよ」

 それに安藤さんに言いたいこともある。上手く話せる自信は、ないけれど。

「そうだね。いつ行く? 私、土曜日の学校終わった後、空いてるけど」

「土曜日は……ちょっと無理かな。予定があるから。休み明けの月曜はどう?」

「大丈夫だよ。予定って、出かけるの?」

「うん。プラネタリウムに行くんだ」

「プラネタリウム? 一人で?」

「ううん」

 ぼくは首を横に振った。そして気恥ずかしくて気おくれする複雑な感情に、はにかみながら告げる。

「父さんと行く」

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