4-2

 まだ時間が早かったので、佐伯さんと一緒にそのまま秘密基地に行くことにした。秘密基地に着くと、ちょうどじいちゃんが縁側に座って、とらじろうに夕ご飯をあげているところだった。じいちゃんはぼくの頭のガーゼを指さして、辛そうに眉をひそめる。

「お前、それ、どうした」

 もう。今日これで三回目だ。でもじいちゃんには、ぶつけたなんて言わない。

「喧嘩して、怪我した。椅子投げつけられちゃって」

「大丈夫なのか?」

「うん。その時は血がいっぱい出たけど、今は大丈夫だよ」

 ぼくはじいちゃんの隣に座る。佐伯さんはご飯を食べるとらじろうを撫でる。とらじろうは「ちょっと食事中は勘弁してよ」みたいな顔をしながら、ご飯を食べ続ける。

 せめて食べ終わるまで待ってあげればいいのに。とらじろう、けっこう我慢強い。ぼくにはわがままなくせに。

「お前が喧嘩ねえ。そういうのはしない子だと思っていたよ」

「したくてしたんじゃないよ。相手がいきなり絡んできたんだ」

 絡んできた中身は言わない。夜中に一人で泊まっていたなんてバレたら、秘密基地を取り上げられてしまうかもしれない。それは困る。

「元々仲の良い友達なのか?」

「違うよ。話したこともほとんどないような奴」

「そうか。じゃあ、お前と仲良くなりたかったのかもな」

 じいちゃんがさらりと言った。例えば赤ちゃんが泣いているのを見て、「お腹が空いてるんじゃないか」と言うぐらいに、さらりと。じいちゃんにとって普通の発想なのが、良くわかる言い方。

 だけどぼくは、本当におどろいた。石田がぼくと仲良くなりたい。そんな発想は全くなかった。お腹を殴られたり、椅子を投げつけられたり、そんなことばかりされているのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

「それはないよ。アイツ、一人が好きみたいでさ。誰かと仲良くしたいと思うタイプじゃないもん」

 じいちゃんは石田のことを知らないから変なことを言うんだ。教えてやろう。

「誰が何を話しかけてもまともに返事しないんだ。学校に来ないことも、お昼に途中で帰っちゃうこともいっぱいあるし、学校が嫌いなんだよ。だからぼくと仲良くなりたいなんてのは、じいちゃんの考えすぎ」

「でもその誰が何を話しかけてもまともに返事をしない子が、向こうからお前に絡んできたんだろう?」

 ぼくはぴたりと止まった。確かに、言われてみるとその通りだ。

「人と繋がりたくない人間なんてそうはいないさ。少なくとも俺が先生として見て来た子どもたちはそうだった。高い壁を作って中に引きこもっている子だって、その壁を強引に乗り越えてくれる誰かをずっと待っていた。その子も、そうなのかもしれない」

「でも、喧嘩売って来て、椅子を投げたんだよ?」

「愛情表現が絶望的にへたくそなやつはいるんだよ。お前も、どちらかというと、へたくそな方だと思うけどな」

 当たっている、と僕は思う。ぼくも正直、そう思った。だけど素直に認めるのがしゃくで「そんなことないよ」と膨れて見せる。じいちゃんは、愉快そうに笑った。

「喧嘩をした時はな、相手の喧嘩の目的を考えるんだ。そうすれば相手の考えていることが見えて来て、いい形に収まるようになる」

「どうして喧嘩が起きたのかってこと?」

「それは理由だ。目的だよ。ぶつかりあうことでどういう風なりたいのか。喧嘩の元じゃなくて、先を考えるんだ」

 喧嘩の目的。石田がぼくと喧嘩をすることで、どうなりたかったのか。じいちゃんはぼくと仲良くなることが目的だと思っているみたいだけど、やっぱり納得できない。でも確かに、それ以外に目的があるようには思えない。

「目的が無い喧嘩はないの?」

 分からないなら、無いんだろう。ぼくはそう考える。じいちゃんはそうじゃないだろと言いたげに顔を歪めながらも、質問には答えてくれる。

「次の喧嘩をするために喧嘩をすることはあるな」

「それだよ。あいつがぼくに喧嘩を売った理由はそれ」

 やれやれ、とじいちゃんが肩を竦めた。そこにとらじろうと――とらじろうで、の方が正しいかもしれない――遊んでいた佐伯さんが現れた。

「ねえ。おじいさんにあの話、言ったの?」

 忘れていた。ぼくは「あの話?」と聞き返すじいちゃんに、勢いよく話しかける。

「あのね、ぼく、テレビの取材を受けることになったんだ」

「テレビの取材?」

「うん。ぼく、ゴミ処理場の建設反対運動のお手伝いをしてるって話したでしょ。その反対運動がテレビの取材を受けるから、ぼくも受けるんだ。だから――」

 ぼくは目を輝かせた。そして今まで、曖昧で、手ごたえが無くて、言いたいけど言いづらかった言葉を、じいちゃんに向かって明るく言い放つ。

「本当にこの家、無くならないかもしれないよ!」

 朗らかな声が、静かな森に溶けて飲まれる。言葉が風になったように、木々がかさかさと揺れる。きっと、きっと喜んでくれるはず。ぼくはじいちゃんの反応を、ワクワクしながら待つ。

 だけどじいちゃんは、ただ焦点の合わない目で、ぼんやりとぼくを見るだけ。

 僕は、あの頃のことを思い返すと、あのじいちゃんの顔が真っ先に頭に浮かぶ。ぼくは色々間違えた。でもきっと、一番間違えたのは、あの瞬間。

「……嬉しくないの?」

 ぼくは不安になって問いかけた。じいちゃんの目に、光が戻る。

「喜ぶのはまだ早いだろう。どうなるかなんて、まだまだ分からん」

「でもテレビだよ。あ、地元のローカルテレビだけど」

「だろう。そんなところで特集されたところで大した影響はないさ」

「えー。でも、本当に無理そうなら放送しないんじゃないの。ちょっとは可能性あるから、取材して流すんでしょ」

 ぼくは、気づいていない。

 じいちゃんの息子に対する想いに気づいていない。思い出の欠片の一つでも無くしたくないという願いに気づいていない。だけど、今回ばかりは諦めるしかないと、自分に言い聞かせ続けて来たことに気づいていない。そこにほんのわずかでも希望を与えてしまったことと、その罪深さに気づいていない。

 だからぼくは無邪気に笑いながら、じいちゃんに向かって誓う。

「ぼく、秘密基地、絶対に守るからね」

 そうか。じいちゃんが呟く。まあ、頑張ってくれよ。また呟く。そしてぼくは自らのしでかしたことに気づかず、得意げに胸を張り続ける。


     ◆


 佐伯さんは予想通り、親の反対で取材を受けることは出来なかった。だけどぼくは、あっさり母さんから認められた。やりたいなら好きにしなさい。それだけ。父さんの許可を待てとも、言われなかった。

 そしてテレビの影響力は、やはり絶大だった。といっても、テレビが放映されて反対運動が盛り上がり、ゴミ処理場の建設が中止になったわけではない。ぼくがテレビの取材を受けることが噂になって、クラスで話題になったのだ。

 昼休み、校長室に入るぼくを誰かが見かけて、それを担任の先生に聞いたら「テレビ取材の打ち合わせ」と教えてくれたらしい。打ち合わせから教室に戻った時の質問攻めは凄かった。僕が過去を全て思い返しても、あれ以上に大勢の注目を浴びた記憶は出てこない。この先もないだろう。あったら困る。

 ゴミ処理場建設反対運動に関する地元のローカルテレビの取材で、ぼくはちらっとインタビューされるだけ。たったそれだけを理解してもらうのに、相当な時間がかかった。そして理解してもらえたら、つまらなさそうな顔をしてみんな離れて行った。

 何だかぼくが悪いことをしたような気分になって、自分の席に座って落ち込む。先生も話すならちゃんと話してくれればいいのに。そんなふてくされた気分で、窓の外をぼうっと眺める。

 するといきなり、背中をドンと叩かれた。

 力のこもった叩き方。攻撃ではなく呼びかけだと認められる、ギリギリの範囲。背骨がピンと張り、呼吸が一瞬止まった。

 ぼくは、ぼくにそんなことをするやつの心当たりは一人しかいない。そして振り返ると、案の定、そいつだった。

「テレビの取材、受けるんだって?」

 石田がいつものように、にやにや笑いながら話しかけて来る。どう見ても、おめでとうと言いに来た雰囲気ではない。

「お前、あの家、そんなに大事なの?」

「……そうだよ。悪い?」

「そっかー。そうだよなー。捨てられた時に、行く場所無くなっちゃうもんなー」

 だから、それはお前だろ。反論は口にはしなかった。また喧嘩になるのもイヤだったし、何より、あの病院で見た石田のお母さんの姿がちらりと頭に浮かんで言えない。端的に言うと「洒落にならない」気がした。

 ぼくはじいちゃんの言葉を思い出す。喧嘩の目的。ほとんど誰にも自分からは絡まない石田が、ぼくにだけやたらと絡んでくる目的。じいちゃんは仲良くなりたいからだと言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。

「どうでもいいだろ。なんでそんなぼくに絡んでくるんだよ」

 ぼくは吐き捨てる。別に答えが返ってこなくてもいい。その程度の気持ちで。だけど石田は、しっかりと返答を示した。

「かわいそうだから」

 聞き捨てならない台詞に、ぼくは石田を強くにらみつけた。だけど石田は怯むことなく、むしろ楽しそうに声を上ずらせる。

「友達いなくて、家族にも捨てられて、かわいそうだろ。だから、おれがかわいがってやってるんだよ。ありがたく思え」

 挑発している。ぼくが怒るように、わざとそういう言葉を選んでいる。それは分かるけれど、やはり苛立ちは抑えられない。ガーゼの下の傷口が開いて、ずきずきと疼いているような気がした。

 こいつがぼくと仲良くしたいなんて、絶対にあり得ない。ぼくは勢いよく椅子から立ち上がって、教室の出口に向かった。別に外に出るような用事はないけれど、とにかく石田から離れたい。

 とりあえず図書室に行って星の本を探そう。そんなことを思いついた時、ぼくの肩を石田が掴み、グイッと自分の方に引き寄せた。

「どこ行くの?」

 肩に、ギリギリと爪が食い込む。痛みにぼくは顔をしかめる。なんでこいつ、やることなすことが、いちいち乱暴なんだろう。

「遊ぼうぜ。なあ。いっぱい、かわいがってやるからさあ」

 石田がぼくを見る。他の誰とも違う、暗くて深い黒色の瞳。黒があるんじゃなくて、何もないから結果的に黒になっただけのような、見ていると飲み込まれそうな色。

「……離せよ!」

 石田を思いきり振り払い、教室の外へ走り出す。息が切れるほどの速度で階段を駆け下り、一階の図書室に到着する。もしかして後を追ってくるかもしれないとしばらく待ってみたけれど、その気配はない。ぼくは安心して、図書室の中に入った。

 そしてその逃亡は、失敗だった。

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