第四章「喧嘩の目的」

4-1


 頭の手術をした少し後、安藤さんからぼくの家に電話があった。

 集めている『森の思い出』について聞きたいのかなと思ったけれど、話をしてみるとぜんぜん違った。なるべく早く、佐伯さんと一緒に安藤さんの家に来て欲しいらしい。話したいことがあるそうだ。

「悪い話じゃないよ。楽しみにしていてくれ」

 安藤さんは思わせぶりにそう言い残して、電話を切った。普通に教えてくれればいいのに、ぼくたちを驚かせたいのかな。だとすると、意外と悪戯っぽいところもある人なのかもしれない。

 ぼくは悩んだ。安藤さんの家に行くのは、何も問題ない。問題は「佐伯さんと一緒」というところだ。

 天体観測で佐伯さんの気持ちに気づいてしまってから、ぼくは佐伯さんを意図的に避けていた。同じクラスだし、委員会もあるから、ぜんぶ避けつづけるのは無理だけど、それでも出来るだけ避けている。

 嫌いになったわけじゃない。好きなままだ。だからこそ、辛い。嫌いな人になんてどう思われてもいい。佐伯さんが好きな人だから、ぼくの願うように思ってくれないことが辛くなるのだ。

 一人で行っちゃおうかな。そんなことも考えた。だけどそれは仲間としてさすがに冷たい。ぼくは結局、安藤さんからの電話があった翌日の朝、佐伯さんに話しかけた。

「佐伯さん」

 佐伯さんは笑いながら「なあに?」と答える。いつも通りの返事。ぼくの方もいつも通りにやるしかない。がんばろう。

「安藤さんが、近いうちに一緒に家に来てくれないかだって」

「安藤さんが? 『森の思い出』のこと?」

「違うみたい。なにか、いい話があるんだって」

「分かった。じゃあ、明日行こう。明日は塾もないし」

 すんなり話が進んだ。ぼくはほっと胸を撫で下ろす。そのタイミングを狙っていたかのように、佐伯さんの鋭い声が油断したぼくの鼓膜を刺す。

「ところで、なんで、わたしのこと避けてるの?」

 変な声が出そうになった。ぼくは目を泳がせながら、ボソッと呟く。

「……避けてないよ」

「嘘。避けてるでしょ。分かるんだから」

 ぼくはその時、「佐伯さん、鋭い」とか思っていた。違うぞ、ぼく。気づかない方がどうかしている。

「天体観測からだよね。私、何かした?」

 何もしていない。佐伯さんは佐伯さんの感じるように動いていて、それがぼくにとって辛すぎるだけ。誰も、何も悪くない。僕が思うに、それがきっと、あの状態の一番悪いところだったのだろうけど。

「……だから、避けてないってば」

 ぼくはぷいと横を向く。佐伯さんは納得いかない顔をしていたけれど、それ以上踏み込むことはしないで、「後で安藤さんに電話しよう」と話を切り替えた。


     ◆


 次の日の放課後、ぼくたちは学校が終わるなり、安藤さんの家に向かった。屋敷のインターホンを押すと、前と同じように安藤さんの娘さんが現れた。

「あら、久しぶり。頭、どうしたの?」

 娘さんが、ぼくの頭にへばりつく白いガーゼを指さす。ネットはもう取っちゃって、ガーゼだけなんだけど、大きいからやっぱり目立つ。

「ぶつけちゃって」

 ぼくは嘘をついた。クラスメイトに椅子を投げつけられたなんて、まだ二回しか会っていない人には言いづらい。

「大丈夫? 痛くない?」

「はい。大丈夫です。お風呂に入ると、ちょっと痛いけど」

 心配そうにぼくを見る娘さん。嘘をついているから、なんだか居心地が悪い。ぼくはそわそわし始め、そして娘さんは、そんなぼくの居心地をさらに悪くする。

「そう言えば、反対運動の手伝い、やってるらしいじゃない」

 反対活動なんてやらない方がいいと言われた手前、元気よく「はい」とは言いづらい。ぼくが口をもごもごさせていると、娘さんは柔らかく笑った。温かい、ほっこりする笑顔。この人も「女の人」じゃなくて「おとなの人」だ。

「別に怒ってないから、気にしなくていいのよ。今日は、父さんに呼ばれたの?」

「はい」

「なんで?」

「分かりません」

 素直に答えた。というより、答えるしかなかった。娘さんの表情が曇る。

「分からないって、どういうこと?」

「伝えたいことがあるって。でも教えてくれませんでした。悪い話じゃないらしいので、びっくりさせようとしてるんだと思います」

 ふーん。娘さんが呟き、中にいる父親を見るように屋敷の方を向く。

「あの人、そういう子供っぽいところ、あるのよねえ」

 安藤さんが子供っぽい扱い。ぼくは苦笑いを浮かべた。ぼくもほとんど同じこと、考えていたけれども。

「まあ、いいわ。案内してあげるから、ついておいで」

 娘さんの先導で、ぼくたちは屋敷に足を踏み入れる。通されたのは前と同じ部屋。座布団が二つ用意されているのも同じ。娘さんが用意してくれたお菓子が、モナカじゃなくてどら焼きだったことだけが違った。おいしいのは同じだけど。

「やあ、待たせたね。久しぶり」

 安藤さんが現れた。この台詞も、たしかほとんど同じ。

「どうしたんだい、その頭」

 また始まった。ぼくは娘さんと同じようなやり取りを安藤さんと交わす。安藤さんはぼくの嘘に気づくこと無く、話を反対運動の方に移す。

「思い出集めは順調か?」

「はい。一応、持ってきました」

 ぼくは、その日までに集まった『森の思い出』の束を渡した。安藤さんは「ふむ」「なるほど」と独り言を呟きながら、その紙束を読み進める。

「だいたいが虫捕りの思い出のようだな」

「夏休みにカブトムシ捕まえるの、みんな、結構やっているので」

「エッチな本を拾って嬉しかったとかいうのもいるが」

「そいつはぼくのクラスの渡辺ってやつで、ちょっと頭がおかしいんです」

 安藤さんが「頭がおかしいのか」と愉快そうに笑った。渡辺、笑われてやんの。

「まあ、上手く進んでいるようで良かったよ。そんな君たちの活動をさらに上手く進めることが出来るニュースを、今日は持って来た」

 紙束をぼくに返しながら、安藤さんが胸を張る。本当に、勿体ぶる。

「我々の活動が、テレビ局の取材を受けることになった」

 テレビ。

 僕は、テレビも一つのメディアに過ぎないと理解している。だけどぼくにとってテレビとは、世界を支配する道具だった。テレビ局から取材を受ける。それはすなわち、世界に影響を与えるということ。

「本当ですか!」

「本当だよ。地元のローカルテレビ局だけどね」

 なんだ。でもテレビはテレビだ。すごい。

 ぼくは興奮した。佐伯さんも「テレビだって」とはしゃぐ。そして安藤さんは、燃え上がった火に、さらに薪をくべようとする。

「その取材を、君たちも受けてほしい」

 ぼくたちがテレビの取材を受ける。

 つまり、ぼくたちがテレビに出る。

 話が大きくなって来た。ぼくは自分の理解が正しいかどうかを探るように、上目づかいで安藤さんの顔を覗き込む。安藤さんは、そんなぼくに、にやりと不敵に笑う。

「小学校でこのような活動をしていると紹介して貰うんだ。そこに、君たちの希望で始めた活動だとインタビューを挟む。校長先生の許可は取ってあるから、あとは君たち自身の気持ちと、君たちのご両親の許可だ。やってくれるかな?」

 ぼくは大きく首を縦に振った。秘密基地を守りたい。そのためにテレビ出演は強力な武器だ。断る理由はない。

 母さんは説得できる気がする。テレビに出るなんて言ったら、むしろ喜ぶんじゃないかな。父さんはどうせ何も言わないから関係ない。テレビに出た後、テレビを見てくれるかどうかすら、怪しい。

「――どうした?」

 安藤さんが不思議そうな顔をしてぼくに尋ねる。いや、違う。ぼくじゃない。気づいたぼくは、安藤さんと同じように佐伯さんに目をやる。テーブルのぐるぐるした木目をじっと見つめながら、佐伯さんが暗い顔をしていた。

「何でもありません。家に帰ったら、聞いてみます」

 何でもないって言う人が、本当に何でもないことって、あんまりない。だけど何でもないって言うなら、何にも聞けない。

 安藤さんは「そうか」と短く呟いて、話を変えた。話のあいだ、佐伯さんはずっと、テーブルの何でもないところをじっと見つめていた。

 安藤さんの家を出ても、佐伯さんは元気が無かった。ぼくはやっぱり気になって、声をかける。

「佐伯さん、どうしたの?」

「どうしたって?」

「元気ないよ。テレビの話を聞いてから、ずっと」

 心配なんだ。好きだから。それはさすがに言えないし、言わない。佐伯さんは、ふうと重たい息を吐いた。

「わたし、たぶん、取材受けられないと思う」

 え。ぼくは驚き、佐伯さんは寂しそうな顔をする。

「わたしね、この活動、あんまりパパとママに気に入られてないの」

 佐伯さんが手持ちぶさたに、長い髪を毛先に向かって撫でつけた。

「なにかが無くなって、寂しくても、時間が経てば忘れる。これからもそういう、どうしてもさよならしなくちゃならないことはいっぱいあるんだから、我慢しなさいって言われてるの。時間は、最強だから」

 時間は最強。言葉が、ずきりとぼくの胸を刺す。たしかにその通りかもしれない。でもぼくには、今、秘密基地が必要だ。回復ポイントが必要なのだ。

「友達が一生懸命だから手伝ってあげたいって、パパとママを説得してるんだけど、テレビはたぶんダメだと思う。ごめんね」

 佐伯さんが申し訳なさそうに頭を下げる。友達、かあ。ぼくは本題ではないところにちょっと引っかかりながら、強気に答える。

「いいよ。ぼくが何とかする」

 佐伯さんがふんわりと笑った。特別じゃない、普通の、だからこそ安心できる笑顔。

「ありがとう」

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