第三章「時間は最強」
3-1
五月のゴールデンウィーク明け、安藤さんたちによる小学校での活動が始まった。
活動の中身は子どもたちの『森の思い出』を集めること。期間は五月中。掲示板にポスターを貼り、クラスにチラシを配り、廊下に記入用紙と募集箱を置く。佐伯さんはポスターとチラシのデザインを手伝った。ぼくは、集まった『森の思い出』の管理を担当することになった。
そしてもう一つ、ぼくには重要な仕事があった。
それは放送委員の立場を利用して、給食の時の放送で活動について話をすること。原稿は安藤さんが作ってくれたけれど、それを読み上げるのは本当に緊張した。ぼくは聞いたこともない有害物質の名前を口にしながら、ゴミ処理場を悪魔の施設に仕立て上げ、そして最後にスピーチをこう締めくくった。
「貴重な自然環境保護のため、ご協力のほど、よろしくお願いいたします」
よく言う。ぼくはそう思った。僕もそう思う。
じいちゃんは、ぼくが反対運動に協力していることについて、何も言わなかった。良いも悪いもなし。ただ話を聞いて「そうか」と呟いただけ。別に大喜びしてくれるとは思っていたわけではないけれど、ちょっと寂しい。でも思い出の家が無くならないことが決まればきっと喜んでくれるはず。がんばろう。
意外なことに、母さんも何も言わなかった。ぼくは最大の敵は母さんだと思っていたので拍子抜け。お誕生日プレゼントの天体望遠鏡もすんなり通った。ただ「勝手に夜中、一人で星を見に出て行っちゃダメよ」と言われてしまった。佐伯さんとの天体観測、事前申告が必要になりそうだ。一緒に行く相手まで、聞かれないといいんだけど。
父さんも何も言わなかった。これは予想通り。父さんはもうぼくに興味がない。それが分からないほど、ぼくだって鈍感じゃない。
そしてぼくが反対運動の放送をした次の日、とんでもないことが起こった。
ぼくと佐伯さんが付き合っているという噂が、クラスに流れたのだ。
◆
噂の出所は、石田だった。
石田が渡辺にいきなり話しかけ、ぼくと佐伯さんがつきあっているのかと聞いたのが全ての始まり。夕方、一緒に歩いているのを見た話をしたらしい。渡辺は普段話さない石田にいきなり話しかけられて、中身がそんな話で、かなりびっくりしたそうだ。
クラスで一番お喋りな渡辺が聞いた、クラスで一番人気な佐伯さんの恋愛話。すぐに噂は広がって、ぼくの耳にも届いた。たぶん、石田の狙い通りに。
そこで「まだ付き合ってないけど、時間の問題かな」とか言えれば良かったのかもしれない。だけどぼくにそれが出来るわけはない。ひたすらに「ちがう、ちがう」と首を振り、それを見て面白がったクラスメイトの一人が、とんでもない発言をした。
「じゃあ、佐伯に聞こうぜ」
ぼくの顔からさぁと血の気が引いた。佐伯さんとはこれから一緒に天体観測をする予定がある。変な噂のせいでしばらく距離を置こうなんてことになったら、泣いてしまう。
ぼくは必死に、佐伯さんを巻き込もうとするみんなを引き止めた。でも必死になればなるほど「あーやーしー」とか「つきあってんだろ」とか、みんながぼくをからかうから、勢いはむしろ増していく。ぼくは絶望した。どれぐらい絶望したかというと、自分の恋愛話は他人にしないというポリシーを僕が持つぐらいには絶望した。
やがて渡辺がお調子者っぷりを見せつけて、佐伯さんに駆け寄る。ぼくはそれを止めようとするけれど、別の子に羽交い絞めにされて止められる。いい玩具だ。うっすら涙目になるぼくを指さしながら、渡辺が佐伯さんに問いかける。
「なあ。佐伯って、あいつとつきあってんの?」
きょとんとする佐伯さん。そしてぼくを見て、渡辺を見て――
唇の端を歪めて、余裕を見せつけるように笑った。
「さあ、どうだろうね」
渡辺含め、ぼくの周りがみんな言葉を失って呆けた。でもたぶん、ぼくが一番、呆けていた。だってそんな答え、ほとんど付き合っていると言っているようなもの。
渡辺が戻って来る。同時にぼくの羽交い絞めが解ける。渡辺は、納得いかないようにポリポリ頭を掻いた。
「本当につきあってないの?」
「……そのはずなんだけど」
不思議な会話を交わしながら、ぼくはちらりと佐伯さんを見た。佐伯さんがぼくを見てにこりと微笑む。待ってるよ。そんな声が聞こえた気がした。
「ちょっと行ってくる」
ぼくは佐伯さんのところに駆け寄った。佐伯さんは「別のところ行こう」とぼくに提案する。このまま消えちゃうなんて、完全につきあっている二人だ。ぼくはドクドクする心臓を抑えながら、「うん」と頷いた。
佐伯さんと一緒に近くの階段の踊り場へ。とにかく天体観測のためには、佐伯さんに嫌われてはいけない。ぼくは小さな頭を振り絞って、一生懸命に話を組み立てる。
まずは迷惑かけてごめんね。それから事情を説明。最後に天体観測の話をしよう。
「ごめ――」
「さっきの、どうしたの? 何かあった?」
出鼻をくじかれた。会話って難しい。
「なんか、ぼくと佐伯さんがつきあってるって噂が流れてるらしいよ」
「ああ、やっぱりそんな感じなんだ。良かった、対応間違えないで」
「あれで間違えてないの?」
「うん、私はあれでいいけど」
――本当につきあってるようにしか見えないのに?
ぼくは言葉を飲み込む。あとほんの少しの勇気が踏み出せない、弱気なぼく。
「……ごめんね」
「何が?」
「ぼくなんかと噂になっちゃって。イヤでしょ」
「なんで? 別にイヤじゃないよ」
「本当?」
佐伯さんが「うん」と迷いなく頷く。ぼくは頭の中をカッカッと熱くしながら、本命の質問をぶつける。
「じゃあ、天体観測も予定通りでいい?」
佐伯さんはこれにも、迷いなく、あっさりと答えた。
「うん。楽しみにしてる」
ぼくの世界が明るくなる。これもう、戻ったら渡辺に「やっぱりつきあってた」って言ってもいいんじゃないかな。そんなことを考えるぐらいに浮かれていた。言わなかったけれど。
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