第4話 無謀

 七月二十四日午前六時。出発の朝が来た。体力温存の為に空港近辺のホテルに宿泊する提案もあったが、できるだけ費用を抑えたい為、当日朝に新宿駅で待ち合わせして出発する手はずになった。しかし、ここで一つ問題が出た。空港まで行く路線でまさかの人身事故だ。発生が五時五十分。飛行機離陸時間は十一時。運転再開を二時間後も見積もると、間に合わない可能性が大だ。内田が肩を落としていると、林が言った。「俺の親父の車を使おう」その時の林の顔はとても頼もしく見えた。偶然にも林の父親は今日仕事が休みだという。すぐに新宿から電車で林の家へ向かう。林は都内にある実家暮らしで、内田も何回か泊まりに行ったことがあった。林の部屋の中に山のように積み上げられたアダルトDVDや成人向け雑誌が印象的だった。更にそれらは「母ちゃんに整頓してもらっている」という林の一言はもっと印象的だった。

 とにかく今は早く空港に向かわなければならない。新宿を出て三十分程で林の家に到着した。家には誰もいなかった。そういえば両親は昨日から旅行中だという。車の鍵のありかは林が知っていた。申し訳ないが今は一刻を争うので、事情説明は後ほど電話ですることにした。まだ少々時間があると言っても、何ぶん空港までの不慣れな道である。それにまた何かの事故で足止めを食らうとも限らない。車に乗り込み、運転席の林がエンジンをかけた。全く現状とは関係ないが、他人の車の中というのは独特の匂いがする。内田はそれを嫌いじゃないと思った。

 車を走らせてから一時間程経っただろうか。今の所問題無し。この調子なら余裕で空港まで着くだろう。目の前にディズニーランドが見えてきた。ふと恋人とここに来たときのことを思い出した。その日は彼女の誕生日で、プレゼントに四千円のポーチを買ってあげた。今でもその時の、品物の値段をこそこそと気にする、ケチな自分い嫌気が刺す。友人は二万円のネックレスを自分の彼女にプレゼントしたそうだ。愛の値は金で計れなければ何で計ろうか。一緒にいた時間の長さ?「愛してる」と言った回数?いずれも内田にとって金の方が重いもののように思えた。なんだかんだで、本当に大事なのは金だという風潮がある世相だった。金が無ければ、今目の前を通過するディズニーランドにも入れはしない。アンナ・キャラウェイだって見向きもしてくれないだろう。大人になっていくにつれ、それがどんどん表面化していくのだ。学生である自分達の中に、今のうちから将来の金脈となる根を張り出している連中もいるだろう。自分はそういう人達からは見下される存在かもしれない。しかし金よりも重いものとはなんだろうか。それは若さだ。こればっかりは金をいくら積んでも、漫画の世界でもない限り、手に入らない。「俺はまだ若い」内田は心の中で大きく呟いた。空港が近づくにつれ、内田の神経は研ぎ澄まされていくようだった。




 空港を前にして、検閲があった。内田と林がお互いのパスポートを検閲官に見せ、先に進もうとしたところ、

「運転手の方は免許証も見せてください」

と言われた。

数秒ほど応答がないので、林の方を見た。


林が固まっている。


前方の窓ガラスを見つめていて、検閲官の方を見ようとしない。

「おい」内田は話しかけた。

「免許証だってよ」

林からの返答がない。

「まさか・・・・・!」

そのまさかだった。林は無免許だった。前にシンガポールに行った時には電車で空港まで来たため、免許証は必要なかったという。

そのあと、「家に免許証を忘れた」と嘘をついたが、挙動の不審さからか、すぐにバレてしまい、空港を目の前にして、我々の身柄は拘束されることとなった。



内田達は今、空港近くの警察署へ向かっている。林は「俺に構わずお前は行け」とドラマによくありそうな行動を取ったが、内田も無免許運転ほう助の罪で連行されることになった。大きな荷物もあることだし、どうやってこの状況をかいくぐって先へ進めというのだろうか。林の劇的な芝居は無駄に終わった。

 空港の検閲官から警察へ身柄を引き渡され、今二人はパトカーの中にいる。そういえば幼稚園の頃、体験学習で近所の警察署のパトカーに乗せてもらったことがあったっけと内田は思った。自分と同い年の仲間で、成長してからパトカーに乗った奴は自分以外に何人いるのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。まさかこんなことになるなんて。林は首を下に下げたまま何も言葉を発しない。パトカーに乗せられる直前に、一言内田に「ごめんね」と言った。無責任な男だとは思っていたが、まさか無免許で運転していたとは。あまりに平然と運転していたので、逆に凄い神経の持ち主だと思った。しかし今ここで褒めてどうする。こんなところで終わってしまうなんて、と内田は思った。

 警察署に着くと、内田と林は別々の部屋に通された。いわゆる取調室。内田は部屋の中で見張りの警察官と二人きりになっていた。内田には、林を責める気持ちはあまりなかった。自分無謀な旅に付き合ってくれた感謝の気持ちがあったからだ。プラマイゼロとはいかないが、次に顔を合わせるときにはそこまで責任を追及するようなことは言わないでおこうと、内田は思っていた。

 それにしても長く待たされている。別に殺人を犯したわけでもあるまいに。もうすぐ待たされて一時間になるのではないか。昼食に出ているにしてもまだ時間は早すぎる。一体何が行われているというのか。


 しばらくすると、刑事らしき男が入ってきた。

「待たせてしまっているね」

「あの・・・・林は?俺の友達は?」

「あ、彼ね。実はね。彼の取り調べはもう終わっているんだよ」

「え?」内田は状況が理解できなかった。

「それでね、今重要なのは君の方なんだよ、内田君。君のスーツケースなんだが、この署に何匹かいる麻薬探知犬が反応した」

「は?」

内田は信じられなかった。

「比較的簡単な鍵だったのでスーツケースはこちらで開けさせてもらった。しかしそれらしきモノは出てこなかった」

内田は当たり前だと思った。

「そこでね。どのように隠してあるのか教えて欲しいんだよ」

「え?」

内田は段々と冷や汗をかいてきた。本当に身に覚えがない。まさかあの家電量販店の中年販売員が自分をハメようとするなどありえるだろうか。

内田は言った。

「身に覚えがありません」

刑事は一息つくと「そうか」と答えた。

「こちらに来てもらおう」

そう言われ、内田は部屋から出され、地下へ続く階段へ連れて行かれた。内田には状況は良い方向に向かっていないことがわかった。地下にある廊下をいくらか通り過ぎ、突き当たりのドアを同行していた警察官の一人が開けた。中に入ると、そこは薄暗く、湿った空気が漂っていた。素人でもここが留置場であることはよくわかった。内田は幾つかあるうちの一つの房へ通された。

「しばらくここにいて貰おう」

内田は言葉を無くしていた。自分には麻薬など一切覚えがない。冤罪なのは明白だ。しかし相手は警察だ。下手に無罪を主張しても取り合ってもらえるとは思えない。呆然と考えを巡らす中、ガチャンと牢屋の鍵が閉められる音がして、内田はビクッと体を動かした。

「しばらくしたらまた来る。その時は本当のことを話すように」

そう言い残し、刑事達は行ってしまった。

思考停止。まさしく思考停止の状態で、内田は手足をピクリとも動かさずに立っていたのだった。



 内田がしばらく立ったままでいると、房の奥の方から「Hello(ハロー)」という声がした。内田は心臓が飛び出そうになる程驚いた。暗がりの中から、黒髪の外国人女性が現れた。

「 ドウシテ、ツカマッタ、ノ?」

片言の日本語で話す女は大きな瞳で、内田をじっと見つめていた。


————こんなことがあるものなのか。



内田は混乱した。自分は取り乱してはいるが、ここが警察署の留置場で、麻薬所持の疑いで拘置されたばかりなのはわかっている。しかしその留置場で男女相部屋なんてことがあるのか。他の房に目をやると、ほとんど寝ている囚人の男たちが目に入った。女性は他には見当たらない。

「えっと・・・ドラッグ!ドラッグ!の冤罪ってなんて言うんだ?ポリス!ポリスメイドミステイク!」

「アー、ソーデスカ。オキノ、ドクデスネ。ワタシハ、ティファニー、ヨ」

内田は無理に英語を話そうとしていたが、日本語がわかるようなので、無理して英語で話さなくてもいいことに気がついた。

「アイム ウチダ」

内田は少しその女性と会話した。

ティファニーも麻薬所持で捕まったが、こちらは本物だった。アメリカから麻薬を輸送しようとしたが、日本の空港に来て御用なったという。日本はセキュリティが甘いのではと甘く見たという。

 ティファニーは内田がどこへ行くところだったのか尋ねた。

アメリカと答えた。何をしに?と言われた時に、内田は非常に返答に困った。本当のことを言うべきか適当にごまかすべきか。しかし嘘をつくのが苦手な内田は本当のことを話すことにした。相手はただの一般人ではない。内田はその時何かしら淡い期待を既にしていたのかもしれない。彼女は非常にスタイルが良く、その豊満な胸は、アンナ・キャラウェイのそれと互角と言っても違わない。彼女が着ている薄緑のジャージのような上着が、少々小さめのサイズだったのでより、彼女の胸の大きさを際立たせていた。

 内田は今回の旅の目的をよく考えた。アメリカへアンナ・キャラウェイに会いに行くことだ。それは、あわよくば彼女とセックスができればということ込みである。そう考えると、今ここで彼女に似た外国人と関係を結ぶことで、今回の旅の目的は達成と言っていいのではないか。正直場所はアメリカでなくても良いのである。周りの囚人は全員寝ている。場所が場所だがやるのならチャンスは今しかないのではないか。内田の停止した思考が一気に回り出した。どうやって、どのようにして、そういう空気に持っていくか。相手は本物の犯罪者だ。怖い反面その点有利でもある。きっと異性との関係は奔放に違いない。口に出して頼めばそのままOKかもしれない。でもいきなりはどうなんだろうか。殴られたりはしないだろうか。

 下を見ながら思考を巡らせる内田を尻目に、ティファニーは立ち上がり、内田のすぐ横に座り込んだ。内田の鼓動は急速に高鳴っていった。

 向こうから来た。

 いやまだだ。ただの友情の表現なのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、彼女は上着のジッパーを下ろし始めた。信じられない光景に、内田の視界が一瞬グラついた。彼女の顔に目をやると、薄笑いを浮かべており、それが一層淫らなものに思えた。


 確実。ほぼ確実にやる気だ。しかも向こうから。

それとも、ここまで来て蒸し暑いから脱いだとでもいうのか。または行為の後に大金を要求するつもりだろうか。考える内田を尻目にティファニーはどんどん服を脱着、ブラとパンツだけになっていた。

もうやるしかない。これは神の意思だ。神がこの不条理な現実に救いの手を差し伸べたのだ。意を決して内田は彼女の方を見た。

 豊満な胸は目算通り、アンナ・キャラウェイと同じくらいの大きさだった。それよりも内田の目を引いたのは彼女の下半身だった。パンツが内田の手前まで伸びてきている。

何故?

そこには、上半身とアンバランスなことに、内田の見慣れた男根が付いていた。いや、内田のものよりかなり大きい。それは既に肥大化している状態だった。

 思考停止。またしても思考停止。内田の脳は今日ほど忙しい日はなかったろう。

そんな内田の意思とは関係なく、彼女は後ろから内田のズボンとパンツを脱がしていった。

「ホワット!?」

なぜか内田が英語を喋っていた。既に内田の尻があらわになっていた。

「ワタシ、モトハオトコダカラ、コッチネ」


ワタシモトハオトコダカラコッチネ——————



「あのー、その胸は?」内田は訊ねた。

「Fake tits(フェイク・ティッツ)【豊胸よ】」


内田は「ですよねええええ!」と言うのが精一杯だった。内田の顔は笑っていた。もう笑うしかなかった。




 刑事が部屋に戻ってきたのは既に行為が終わった後だった。

「内田。内田康介。釈放だ。麻薬の正体は君が古着屋で買ったと思われる外国産のTシャツだ。原産国でついたと思われる麻薬の匂いがべっとり付いていた。それがスーツケースの中を転がりまわったらしく、いたるところに匂いが付いていて分からなかった。無免許運転ほう助の保釈金も、君の親御さんが来て支払うそうだ」


 憔悴しきった内田は房の中で横たわっていた。そして薄れゆく意識の中で、彼は、この一連の出来事をいつか絶対酒の肴にしてやる、面白おかしくふれ回ってやると、心に固く誓ったのであった。



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野心ーYASHINー 黒煙 @maruyasu1984

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