惨劇の夜は遂に壊崩せり!?

「むう……不完全燃焼である」

「はあ」


 〈鬼〉の出現から一週間と一日が経過した二月十一日祝日。

 一時は自衛隊の派遣も取り沙汰されるまでになっていた我が丑寅市の大騒動は、一昨日辺りから急速に沈静化の一途を辿りつつあった。空気感染の如く猖獗しょうけつを極めていた鬼の症状が、ワクチンもないのに自然消滅を始めたのである。


「しかし納得がいかぬ。この数日の活動はなんだったのだ」

「まあまあ、良かったじゃないですか」


 先輩の名誉のために付言しておくと、決してその献身的な働きが無駄に終わったわけではない。団体行動を常とする鬼たちに対し、先輩は果敢に角の切除に挑みかかり、元に戻した人間の安全にもできるだけ腐心したのだ。が、先輩が切り取った角の数と比較しても、勝手に角が引っ込んだ人数のほうが圧倒的に多いのは厳然たる事実だった。


「何が良いのだ! これではわたしが事件を解決したことにならぬではないか。殺すぞ」

「た、確かにそうですけど」

「そうカッカしなさんな」俺の頭上で化け猫が身動ぎした。「おかげでスキー場の直行便にも乗れたんだしさ」

「喧しいわペットの分際で」

「ペットじゃねえよ!」

「そうですのっ女神先輩は立派でしたのっ」バスの最後部から身を乗り出し、少女が先輩を弁護する。「女神先輩のお力がなければっもっと被害は拡がってましたのっ」


 とはいえ、尻すぼみに終わってしまった鬼退治に先輩の苛々がピークに達しているのは明らかで、その矛先は専ら愛用の長剣を刺している鞘、つまり俺に向けられた。訳もなく殺すと言われた回数も数知れず。それでも不満が募るどころか話しかけられて嬉しいと思ってしまうところが、惚れた男の弱みというやつだろう。男心は複雑なり。


「折角開発中の豆爆弾が無駄になってしまうではないか。なんたることだ」


 先輩がぼやく。

 俺も内心頷いた。爆弾製作の参考になりそうなサイトを教えたほか、材料の買い出しも全部俺の役目だったからだ。ネットで注文すべきとの忠告も、それでは遅すぎるの一点張りで返され、何度商店街と学校を往復させられたことか。妙な物ばかり買わされ、店員さんには首回りの武器群も併せて白い眼で見られ……あ、思い出した。


「そういえば先輩、買い出しの品にあった包装紙、あれ絶対チョコレートの包装に使うやつですよね」

「違うわ」

「もしやっバレンタインのチョコですのっ」少女の眼がこれ以上ないほど見開かれ、すぐ上のゴーグルがずり落ちそうになる。「宵子の特製手作りチョコと交換するためのチョコですのねっ?」

「違うと言っておろうが。どいつもこいつも」


 ちっ違うんですのっ……と項垂れ少女は座席に身を沈めた。

 とはいえ、豆爆弾が完成しなかったのは、法の下に罰せられる可能性を考慮するならむしろ歓迎すべきだ。俺も間違いなく製作幇助ほうじょ者の一員なのだから。そういう意味では鬼の消失はありがたいことでもあった。

 後日テレビのニュースで見知ったところでは、鬼に変化した人々の共通点として、節分の日の早朝、建物の外に出ていたという点が挙げられていた。勤め先へ向かう途中であったり、境内の掃除に精を出していたり、いつも通り街中を散策していたりと目的は多種多様だが、同一の時間帯に外出していたのは確かなようだ。

 丑寅市に突如舞い込んだ鬼の基となる細菌状の何かを、外にいた人だけが浴びるなり吸い込むなりしてしたのではないか、同時期に症状が収まったのは、細菌の効力が一定時間後に消失する時限的性質を有していたからではないか……さる報道番組にて意見を求められたゲストの病原体研究家はそんなふうに宣っていたが、その初めて聞く肩書の信憑性如何はともかくとして、それが事件の真相かどうかは結局のところ不明だった。鬼の症状から回復した人々は洩れなく検査を受けたが、原因となりそうな病原菌や抗体の類いは検出されず、全員特に異状はなかったという。

 ここ数日来の鬼騒動は、結局のところなんだったのか。凄く気になる。先輩とは別の意味で、俺も心にかかったもやを払うことができずにいた。


「おい着いたぜ!」窓に顔を擦りつけるようにして化け猫が明るい声を上げた。「すげえ真っ白だ。吉野の里に雪が降り積もった千年前を思い出すなあ。あれも紀元節だったか」


 前の席に座っている恰幅の良いおじさんが、さっきからちらちら怪訝な視線を化け猫のほうへ投げかけていたが、完全に無視する形でやり過ごした。


「はしゃぐなペット。降りるぞ」

「へいへーい……いやだからペットはやめろや」


 スキー場前に到着した昼の便のバスを一番最後に降り、我らが聖杯探索班ご一行は戌亥山の山腹を円卓邸目指して登り始めた。

 先輩はモッズコートをルーズに羽織っていたが、その下は最近よく見かける袖だけ朱色の黒いジャージだ。この一件の正装にと考えているのか。色気は皆無だがそれ故凛々しさが引き立っている。何を着ても先輩の神々しさが変わることはない。

 遅い、遅えぞ、遅いですのっと口々に罵られつつ、雪山の行軍でも俺は殿を務めた。理由は明白だ。先輩が円卓邸より拝借したスキー用具を返却すべく、板やら何やらを全部肩に担いでいたのだから。頭脳労働担当どころか雑用全般を任されているのが今の俺。


「お前の肩えらいことになってるな。剣に矢に鎌にスキィ板にストック。スキィに興じる武蔵坊かよ。これじゃあ俺様の肢の踏み場もねえじゃねえか」

「そう思うなら少しは手伝ってくれよ」

「いやあバス結構混んでたな!」化け猫はあっさり話題を変え、少女の頭上で身を丸くした。「ちょっと前までは考えられなかったよな。バスが動いてなけりゃあ、今頃まだ丑寅市でウロチョロしてたはずだぜ」

「でもでもっ雪が凄くて道が見えないですのっこのままでは迷ってしまいそうですのっ」

「心配無用。この晴天だ」先輩は太陽以外の凡てが青一色に染め抜かれた上空を見上げて、「吹雪いてさえいなければ眼を瞑っていても着く」

「先輩道憶えてるんですか」俺は素直に驚いた。「俺が記憶を飛ばすほどの直滑降だったんですよ。目印っぽいのもないのに」

「我が記憶力をみくびるでない。そのすぐに喪失する貧弱な記憶と一緒にするな」


 踏み締める雪の軟らかい感触。なだらかな勾配が少しずつ角度をつけ、周囲の喬木きょうぼくの迫り来る感じもいかにも山道といった風情を醸し出している。

 先輩の後ろ姿を見つめる。ここに来て、先輩は極端に口数が少なくなった。山道の疲労、にしてはまだ早い気がする。


「先輩……もしかして、道に迷」

「何を言うか。そんなわけがなかろう! 終いには殺すぞ。じきに着く」


 早口に捲し立てた末、先輩は持参したボトルの中身をごくりと飲んだ。とても怪しい。


「下僕先輩っその山中のお屋敷ってどんなでしたのっ?」


 暖かそうなベージュのコートからパーカーのフードを覗かせた少女が、挑むような眼で問うてきた。外泊の件を未だ根に持っているらしい。しつこい。

 適当に答えると、尚も少女は、お屋敷の人たちっていつも仮面をつけてるんですのっ普段の生活には問題ないのですのっと訊いてきた。俺には答えようがない。あそこではそれが当たり前なのだ。不便な点もあるとは思うが、そこは余人の考えの及ぶところではない。

 少女の質問は止まらない。そこで起きた連続殺人についても訊かれた。さすがに自分が真相を外した事件に関して詳らかにする気にはなれない。


「精進が足りぬから真犯人に辿り着けぬのだ。うつけ者め」

「はあ。精進は怠ってないつもりなんですけど、まだまだなんですかね」

「最近は何を勉強してやがんだ? 暇だし聞いてやるぜ」


 化け猫の不躾な質問に、俺は先日知ったヴァン・ダインの〈探偵小説作法二十則〉を挙げた。ミステリにおけるルールブックの如きもので、有名どころでは他にノックス〈探偵小説十戒〉やハル〈探偵小説とその十則〉、チャンドラー〈九つの命題〉などがある。


「ではっそのルールブックに従ってないものはミステリに非ずなのですのっ?」

「いや、そんな排他的なものじゃないよ。あくまでミステリとしての面白さを保証するためのものだから。それに古臭くて荒唐無稽な内容も眼につくし」

「例えばどんなですのっ」

「全部は憶えてないけど、恋愛禁止とかあったような」

「なっなんなんですのっそのふざけた内容はっ」

「うわ、こら暴れるな」


 少女は激昂のあまり頭の化け猫を振り落としそうになった。


「だってだってっ恋愛できないなんて酷い話ですのっうちの校則のほうがもっとずっとまともですのっ」


 小説の中での決まり事に過ぎないのに、少女は構わずわめき散らしている。なんだか賑やかな行軍になりそうだ。ひょっとしたら、前途は割と明るいのかもしれないな。最後尾をとぼとぼ歩きながら、なんとなく思った。

 完全に道に迷ったことを悟るまで、それから更に数時間を要した。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「こりゃまた随分手荒な歓迎じゃねえか!」


 冬の陽も落ちて久しい夜の雪山。吹雪や雪崩に見舞われなかったのは幸いだが、やっとの思いで到着した円卓邸で待ち受けていたのは、以前赴いたときの親切な歓待とは対極的な一触即発の臨戦態勢。


「だっ誰も仮面つけてないのですのっ話が違うのですのっ」


 古い材質だが頑丈な造りの玄関ホールに立ちはだかる家人らは、少女の言う通り、誰一人仮面を装着していなかった。手には槍やら斧やら棒やら思い思いの武器が握られ、言葉など通じそうにない凶暴な表情が仮面に取って替わり、その額には数日前まで頻繁に見かけた、あの不吉なが……。


「お主ら、鬼であったのか」

「顔を隠すのはやめたか、〈無傷の秘剣〉の使い手よ。今更何しに来た」


 当主が一歩進み出て、トレードマークの葉巻を火のついたまま噛み砕いて乱暴に呑み込んだ。


「お前あれだろ」鬼の本性を顕したことで一層悪人の相を強めた次男氏が、ペルシャ絨毯に降り立ち鎖分銅を回す化け猫に向かって言う。「頼光にとっちめられた弱小猫」

「猫じゃねえ! うるせえぞヘボ鬼どもが」

「麓の紛い物どもと一緒にするなよキジトラ風情が。我らは


 そう言って棘だらけの鞭をきりきりと引き絞るのは、あろうことか応接間で秘書に首を掻き斬られたはずの三男氏ではないか。


「ど、どうして?」俺は戦慄した。「あ、貴男は殺されたはずでは」

「本物の鬼はあの程度じゃ死なない」


 その背後に控える数名の鬼も、かつて命を落とした八男氏以下の弟たち。

 ここはもう以前の邸宅ではないのだ。死者が生き返る世界。そこに至ってミステリはその意味を失う。死者の蘇生を前提としたミステリもなくはないが、ここではその論理も通じそうにない。

 当主が手で合図を出した。武器を持った鬼の円卓一族が一斉に躍りかかる。


「下がっておけ」


 長剣を抜いた先輩に指示され、壁際へそっと引っ込む。

 戦火は激烈を極めた。

 先輩の周囲に幾つもの白刃が閃き、同じ数の火花が飛び散る。正確に弾き返す先輩の剣技は一切の無駄を省いた流れるような所作だ。柔和で親しみやすかった四男氏も、温和な笑顔が印象的な六男氏も、今や戦列に加わり先輩に刃を向けていた。以前の日々は見る影もなかった。ここは殺伐とした殺陣の世界。

 離れた場所では、少女と化け猫が別の鬼たちと激闘を繰り広げていた。前衛の化け猫が鎖分銅で一定の間合いを維持し、その間に後衛の少女がピンポイントで矢を放つ。遠目に見ても絶妙なコンビネーション。

 しかし鬼たちも怯む気配を見せない。実力は拮抗していた。


「なんとまあ、凄まじい」


 いつしか傍らに老執事が立っていた。額に角はなく、表情も穏やかだ。円卓家の血はこの人には流れていないらしかった。


「我々常人には及びもつかない世界に、あのお方たちはおられるのですな」

「はあ」


 以前俺がいた応接間での光景が、遠い過去のように感じられた。眼前の戦闘はどこまでも生々しいのに、臨場感がこの壁際にまで伝わってこない。同じ部屋だというのに現実味が稀薄だ。


「円卓家の方々は、普段は仮面を被り額の角を隠すと同時に、鬼としての特性をも隠しているのです。仮面を外してしまうと、あのように凶暴になり言葉遣いも荒々しくなります。故に鬼の末裔として代々畏れられ、こうして山に籠もり静かに暮らしていたのですが……山の麓でも鬼が出たとか。何かの凶兆やもしれませんな」


 独り言にも聞こえる語りかけに返答に窮したが、そもそも答えなど期待していなさそうだ。なるほど、とだけ取り敢えず言っておいた。症状としての〈鬼〉と真の鬼。麓の騒動となんらかの関連があるのは確実なのだろうが、どうもよく判らない。


「秘書の方は、あれからどうなりました?」


 訊きたいことは色々あったものの、口から出たのはこんな質問だった。俺の推理は彼女の前に敗れ去った。思えば、ミステリの崩壊はあのとき既に始まっていたのかもしれない。


「消えてしまいましたよ。あなた方が去られた直後に、神谷もまた。お腹の爆弾は威嚇に過ぎなかったようです。その後一度だけ戻ってきましたが」

「戻ってきた?」

「ええ。四日前……二月八日に、主人格と思われるを連れて」


 ちょっとやそっとでは死なない家人と無益な殺人事件を繰り返し、一旦は姿を消した秘書。それが何故舞い戻ってきたのか。新たな客人まで引き連れて。


「その女性は〈魔術師マーリン〉と名乗っていました。そして、跡継ぎである柚上一郎様から聖なる杯を奪い取ってしまったのです」

「えっ」


 俺は二の句が継げなかった。と同時にとうとう思い出した。

 どうしてこんな山奥の豪邸にわざわざ出向いたのか。長男氏の被っていた聖杯を入手するためではなかったか。


「ちょっとちょっと、ストップストーップ!」


 大きく両手を振り、俺は声の限り叫んだ。当然誰も聞いていない。しかしどうにかして止めないと。聖杯が存在しない以上、聖杯探求を目的とする俺たちがここにいる理由はない。この戦いは時間と労力の無駄でしかないのだ。


「うわわわっ!」

「バカ、あぶねえ!」


 近くにいた化け猫をまずは止めようと近づいた瞬間、電光混じりの鎖分銅が弧を描いてすっ飛んできた。頭を揺るがす衝撃に、思わず横ざまに倒れ込んだ。


「命拾いしたな。鎖鎌のおかげだぜ」


 直撃を覚悟して眼を閉じてしまったが、どうやら頭に刺さったままの鎖鎌が俺への直撃を防いでくれたらしい。僅かに電光を帯びた鎌の柄が右肩の上に仄白く見えた。


「俺様の先見の明に感謝するんだな。抜かなくて正解だったろ」


 化け猫は尊大に言ったが、大いに怪しい。こんなことまで見越して頭に刺したりするわけがない。


「つうか、ふらふら出てくるなよ。死にてえのか坊主。どっかの隅っこで寝てろや」


 次なる分銅を近場の相手に打ち出そうとしている化け猫に、俺は聖杯がここにないことを口早に告げた。


「マジかよ。じゃあここにいる意味がねえってことか」

「そう。早く先輩たちも止めないと」

「しかし、あの様子じゃあなあ。難しいぜ」


 確かに先輩も少女もヒートアップしている。制止の声が聞こえるとは思えない。


「仕方ねえな。久しぶりにあれ使うか」


 武器を収めた化け猫は、身を屈めて何やらもごもご唱え始めた。


「お、おい……なんか囲まれてるけど」


 周囲を年若い鬼たちが取り囲む。化け猫は瞼を下ろして詠唱に集中したきり、一向に手を出す気配がない。このままだと一緒にいる俺も危ないのだが……。

 再度声をかけようとした刹那、化け猫の背中から巨大な塊が飛び出し上方へ浮き上がった。


 ――おいこら! 撃ち方やめーい!


 久々の出現である。正月にオンボロ神社で見て以来の、虎形の巨大な幻覚だった。


「むむっ、どうせ妖術か何かによる幻覚であろうが」

「かような虚仮威こけおどしで我らの眼を欺こうとは笑止な」


 ――いやまあそうなんだけど。


 円卓家の鬼たちには通じなかったが、化け猫は意に介さず続けた。


 ――おい姉ちゃんに小娘! 聖杯はここにはないらしいぜ。


 幻覚は幻覚だが耳に聞こえる大音声は本物だ。それぞれ鬼たちと相対していた二人もさすがに手を止めて幻覚を見上げた。


「聖杯がないとな。それはまことか?」


 ――らしいぜ。


「知らんはずがないだろう」当主が詰るように、「うぬの仲間が奪っていったのだぞ」

「仲間? 聞き捨てならんな。どういうことだ」

「あのマーリンとかいう魔術師が、うちの秘書と一緒にやって来て聖なる杯を奪ったのだ。身に憶えがないとは言わさんぞ。秘書が証言しておるのだ。前に〈不死の聖剣〉を魔術師に渡したとき、うぬにそっくりの女性が同行していたと」


 どうにも奥歯に物が挟まったような物言いだった。同行は認めても、仲間であることは認めたくないという言い方。


「そんな戯言信じられるかよ!」三節棍を両肩にかけた長男氏が口を開いた。「聖なる杯が消えちまって、うちは大迷惑してんだよ。俺たちがつけてた仮面は、鬼の力を制御する霊波を受信するためのアンテナでもあったんだ。その霊波を発信していたのが、あの杯だったんだよ。こないだあんたがここを立ち去るときに、俺に一発喰らわしたろ。あれのせいで留め金が壊れて頭から外れちまったんだよ! おかげで頭は軽くなったし肩凝りも治ったけども! どうせ後から盗りに来た連中とぐるだったんだろ」


 いつにない饒舌ぶりも、被り物から解放された副作用だろうか。


「だから仲間ではないと言っておろう。もしあの場で聖杯だと気づいていたら、その時点でとっくに奪っていたわ」

「どのみち聖杯は狙っていたのか」


 五男氏が呆れたように言い流星槌をドスンと床へ落とした。


「柚上一郎兄さん、この女性はやはり彼女たちの仲間じゃないよ」


 鬼となっても、四男氏は相変わらず理解ある鬼だった。


「何故だ、晴四郎」

「あまりに動きがバラバラ過ぎる。もし本当に仲間なら、ここに聖杯がないことくらい知っているはず」

「うむ、確かに連携は取れていないようだが」

「だけど知り合いなのは事実なんだよね」六男氏が渋い顔をして頭を抱えた。「ああもう、よく判らないな」


 ――ん? 誰だあんた。


 初めに気づいたのは、一匹だけ玄関口のほうを向いていた化け猫本体だった。つられて一人また一人と視線を巡らせていく。


「か、神谷女史……」


 玄関口に、登山着を着込んだあの秘書が立っていた。腕の力が萎えたように手荷物を足許に落とすと、秘書はぽろぽろと涙を零した。今夜は珍客が多いな、と溜め息混じりに誰かが洩らし、何しに来た、と別の誰かが問いかける。


「あのお方に、捨てられてしまいましたあああ」

「あのお方とは」四男氏が顎に手を添え、「聖なる杯を奪ったあの女性ですか」


 秘書は答えない。しかし剣を手にした先輩を見た瞬間、ふっつり落涙を止めて、


「あ、貴女は、あのお方と一緒にいた……〈不死の聖剣〉をお渡ししたときの」


 思わぬ再会に身震いしたのが見えた。先日爆弾騒ぎを起こした際にも先輩とはニアミスしていたはずだが、あのときはマスクと髪型のせいで気づかなかったのだろう。


「貴女に、言伝ことづてがあります」秘書は粛々と続けた。「〈秘剣〉を持つ紫の眼の女性に会ったら、伝えておくようにと」

「聞かせてもらおう」


 呼ばれた先輩の顔つきが、戦闘時以上に厳しく引き締まった。


「三日後、例の場所にて待つ、他言無用」


 低い声でそう言い、秘書は場に頽れ、抑えていた感情を噴出させて大泣きし始めた。

 他言無用なのに……心中思いつつ、俺は秘書の伝言に既視感じみたものを感じていた。

 似ている。

 あれは……そう。去年の文化祭シーズン、図書館で、先輩から受け取った手紙の文面。


〈放課後 屋上にて待つ

 他言無用〉


 号泣だけが虚ろに響く玄関ホールで、俺は言いようのない胸騒ぎをどうすることもできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る