堂廻神社の化け猫の怪の2

 ――本気で俺様を怒らせたな……!


 周辺の樹木や紅い植込みが灰色に色褪せ、薄暗い影に覆われた刹那。

 瞳を灼く閃光! 同時に轟音。


「うわっ!」

「きゃーっですのっ!」


 雷が落ちた。それも眼の前の空間にだ。


「かっ雷キライですのーっ!」


 耳を押さえて少女はうずくまったが、それを笑う権利は俺にはない。こっちは腰を抜かして地面にへたり込んでしまっていた。

 ただ独り先輩だけが、雷の直撃した辺り……つい今し方まで〈阿形〉の存在していた台座上の落雷跡を、目許に翳したきらびやかな袖の奥から厳しく睨めつけていた。


 ――ほほう、一匹肝の据わったのがいるな。


 頭上から例の声。

 雷撃を総身に浴びた〈阿形〉は、石像であることを既にやめ、虎を思わせる金色の異形に変化して宙に浮いていた。動き出すのは想定内だったが、ここまでやられてはさすがに声も出ない。


「人を一匹と数えるか。小癪な化け猫めが」


 ――だから猫じゃねえっつうの!


 自称雷獣が高らかにえた。


 ――どう見たって虎に近いだろうがよ、ったく……しかし和装のくせして異国の刀剣の使い手か? おもしれえ取り合わせじゃねえか。


 振袖姿に諸刃の洋剣。確かに珍しいコーディネイトではあるかもしれないが、これを日本刀に持ち替えたとしても、あまり街中で見かける恰好ではないだろう。これで般若のお面でも被ろうものなら、文字通り桃太郎の名を冠した往年のお侍さんもかくやといったところ。


「貴様がこの一件の犯人、いや犯猫か。成敗してやる」

「犯人?」


 思わず訊き返してしまった。

 この一件って、賽銭の盗難事件のことだろうか。確かに現場に残されていた土はここのものと酷似しているが、それだけで犯人もとい犯猫と断定してしまうのはいかがなものか。

 先輩が事件の解決に飢えている点を考慮しても、やはり早計に過ぎる気がする。名探偵を目指すのであれば、今少し熟慮というか思索を深める必要性を理解してほしいのだが。早合点は名探偵にとって百害あって一利なしだ。


 ――ちっバレてたか。きれいな顔してなかなかやるじゃねえか。


「…………」


 化け猫はあっさり白状した。ここまで来ると、あれこれ思い悩んだ末に真相を掴み損ねる自分がバカらしくなってくる。真理に愛されているのは、結局のところ先輩のほうなのかもしれない。

 未だ四肢のここそこを蒼白く帯電させ、化け猫はゴロゴロと雷鳴の如く喉を鳴らした。


 ――ま、自分で言うのもなんだがこんなオンボロ神社じゃ稼ぎもたかが知れてるしな。人気のある神社は二日目以降も客足が絶えねえと踏んで、まずは元日にそこそこの知名度の神社で賽銭を失敬する。そういう所は初日が客足のピィクだろうからな。んで、人気スポットは賽銭箱にたんまり貯まったところを後々ごっそり頂くって寸法なのさ。効率的だろ。


 賽銭箱に開けられた孔は、すると人の腕を通すためでなく、この化け猫が虎にも似た前あしで削り取ったものなのか。切り口の乱雑さは獣性の顕れか。


「けど、こんな化け猫が賽銭箱の後ろにいたら、さすがに人目につくはずじゃ」


 ――化け猫言うな! 俺様の神通力をなめるなよ。体躯を小さくするなんざお手の物だ。それこそ猫程度の大きさになりゃあ、見つからずに盗み放題だぜ。


 話を聞くにつけ、益々化け猫に近づいている気がする。


「盗んだお金はあそこの賽銭箱に?」


 ――バカ言え。そんな不用心な真似するかよ。ちゃんと本殿の金庫に仕舞ってあるっての。いくらオンボロだからって拝殿と本殿はしっかり分かれてんだよ。


「はっ反則ですのっ」少女が辛うじて声を張り上げた。「動物が犯人なんてっそんなの判るわけないですのっ」

「いやいや、それ言ったら世界初の本格ミステリと呼ばれているポーのあれは」


 ――俺様は動物じゃねえ!


 化け猫がむきになって吼え立てる。


「煩いぞ、家来ども」


 先輩の一喝。


 ――おい、なんか俺様まで家来の一員みたくなってねえか?


「問答無用。事件解決のためならば、動物だろうと斬る」


 ――だから違うっつってんだろ!


 すかさず先輩が身構える。

 遠くで雷鳴。化け猫も動じない。が、戦闘態勢というわけでもない。相変わらず空中で静止したまま、凶悪そうな指先のかぎ爪をぎらつかせるばかりだ。


「かかって来ぬのか? ならばこちらから行くぞ」


 ――ちょい待ち、随分血気盛んな姉ちゃんだな。松も取れねえうちにそんな危なっかしいもん振り回すなっての。しかもここは神聖な境内だぜ。


「構わぬ。犯猫は懲らしめるのみ」


 ――話になんねえな。


 ネコ科特有の細長い瞳孔に怪しい影が差す。

 前触れもなく、その背後から白銀の光が一筋飛び出す。それは一瞬にして対峙する先輩の間合いに達し、長剣の根元に絡みついた。


「これは……鎖か!」


 意思を持った蛇を思わせるその光は、一分の隙なく組み合わされた堅固な鎖分銅。


 ――なあ、もちっとゆとりを持とうや、振袖の姉ちゃん。折角のめでたい日をお互いの血で染めるのは感心しねえ。


「くっ!」


 振り解こうと懸命にもがく先輩だったが、がっちり巻きついた鎖は容易に外れそうもない。そんな様子を嘲笑うように化け猫は眼を細めて、


 ――だからそう焦るなって。時間はたっぷりあるんだ、ここは正月に相応しいやり方で決着を着けようじゃねえか。


「正月に、相応しいやり方だと?」


 ――おうともよ。


 化け猫は針金のような口髭を震わせて言った。こうもあっさり先輩の動きを封じてしまうなんて、実は結構な曲者だったりして。


 ――オイチョカブだよ! 正月にする勝負っつったら、オイチョカブに決まってんだろが。もしロォカルのルゥルを適用すんなら、今のうちに言っとけよ。子のアラシは親のクッピンに負けるとかな。んでレェトは。


「ま、待て」必死に剣の柄を握り締めながら、先輩が切れ切れの声を発した。「なんだ、その、なんとか株というのは」


 呆れたように化け猫が牙の間から溜め息を吐いた。


 ――おいおい姉ちゃんオイチョカブも知らんのか。正月の醍醐味じゃねえか……ほら、花札のさ、柳の絵あるだろ。小野道風おののみちかぜと蛙の有名なやつ。俺あいつ実際に見てんだぜマジで。蛙じゃねえよミッチィのほう! 京の都に遊びに行ったときに……え、柳も知らねえの? ひでえなこいつら。これだから近頃の若いもんはダメなんだ。学が足りねえわ遊びもできねえわ。


 と、正月の風物詩になっている飲んだくれの親戚の叔父さんみたいな戯言を言う。


「や、喧しい」先輩も負けてはいない。「下らぬ世迷い言は、そこのたわけ者で充分だ」

「それ、俺のことですかね」

「ほ、ほかに誰がいるのだ」

「ですよね……」


 さっきからずっとたわけ者呼ばわりされている俺は少なからず傷ついたが、そんなことはお構いなしにやり取りは続く。


 ――しょうがねえなあ。んじゃ別の遊びにすっか。あと、どうでもいいけど姉ちゃん相当しぶといねえ。並の連中ならとっくに武器ほっぽり出して逃げてるぜ。ま、俺様の鎖鎌はその気になりゃあ大木も薙ぎ倒すがな。


「くっ鎖鎌なのですのっ?」


 新たな武器の名に少女が反応した。


 ――まあな。けど鎌のほうは使わねえから安心しな。三が日は戦闘モォドは封印だ。嬢ちゃん弓矢使いだろ? 見たところ狩人見習いって感じだが、その割に良さげな得物持ってんじゃねえか。うちの神社、破魔矢一本もねえんだよ。ちょっくら恵んでくんねえか?


「だっ誰があんたなんかにやるかですのっ」少女は冗談じゃないとばかりに頬を膨らませた。「これは古今最強と名高いレモラの弓矢ですのっあんたなんかブサイクな氷の像にしちゃうんですのっ猫号擁柱びょうごうようちゅうしてももう遅いんですのっ」


 ――レモラ? なんだそりゃ聞いたこともねえ。ケチ。あとブサイクは余計だ!


「そっそれに鎖鎌の達人なんて宍戸ししどなんとかぐらいしか思いつかないんですのっ弓矢のほうが有名な使い手いっぱいいっぱいいるんですのっ李広に花栄に養由基っ……」


 ――あーはいはい判った判った。お嬢ちゃんが弓矢大好きなのは充分判ったから。


 何かと脇道に逸れがちな話し合いの末、オイチョカブに代わる正月恒例の伝統ガチンコ勝負として最終的に選ばれたのは。


「羽根突き、か」


 小学生の時分に無理矢理所属させられた野球クラブでは、振り回したバットにボールを当てた記憶がない俺としては、あまり喜ばしい勝負ではない。しかも何故か俺が最初に化け猫と対戦する羽目になった。どう考えても露払い役だ。


「あの、俺だけ独楽回しで勝負ってのはどうです?」


 ――何言ってんだ坊主。さっさと準備しろや。


 年季は入っているが一般的なへら状の羽子板を受け取り、とうに着地しているお喋りの化け猫に相対峙する。


 ――久方ぶりの真剣勝負だ。腕が鳴るぜ。


 口にくわえた羽子板をものともせず、化け猫は人語を発し続けた。


 ――俺様が丑寅一帯で幅を利かせてた平安中期には、まだ羽根突きは存在してなくてな。嬢ちゃんみてえな女児の娯楽だった毬杖ぎっちょうが、羽根を付けたムクロジの種子を胡鬼板こぎいたで打ち合う競技に変わったのは、足利あしかがの治世に入ってからだ。


 見てきたような物言いだ。まさかネットで得た情報が史実通りで、本当に今から千年も昔に源頼光に退治されたとでもいうのだろうか。


「いやいや、まさか」


 ――何ぶつくさ言ってんだ。さっさと始めるぞ。俺様が先手でいいな?


 否応なく化け猫のサーブからとなる。

 ルールは普通の追羽根おいばねに決まった。相手に向けて交互に打ち合い、羽根を地面に落としたら負け。二度打ちも負け。躰のどこかに羽根が当たっても負け。五点先取で決着。

 そして一点獲られる毎にペナルティが科される。俺はオーソドックスな顔に墨という罰であるのに対し、化け猫は盗んだ賽銭を一定額返すという内容。

 それって化け猫側はちっとも損してないんじゃ? と抗議するも、じゃあ金は返さねえとねつけられ、結局受け容れてはもらえず。


「万に一つの勝ち目もあるまいが、負けたら殺す」


 直立不動で腕組みしたまま先輩は言った。愛用の剣は鎖でグルグル巻きにされた上、黙して語らぬ〈吽形〉の口の隙間に挟み込む形で奪われてしまい、その麗しい眉間に深く刻まれた皺は当分消えそうにない。


「下僕先輩っ程々に頑張ってですのっちゃんと捨て石になってっ少しでもニャンコちゃんの体力を消耗させてほしいんですのっ」


 続いて口さがない少女の言葉。もう少し本音を隠した応援はできないのか。

 ただ、実際の俺はそれほど悲観的でもなかった。異形とはいえ相手はネコ科の動物。前肢で持てない羽子板の柄を口に咥えていては、羽根を打ち返すだけでもひと苦労だろう。左肩もいつになく軽いし、全勝とまではいかなくとも、かなりいい勝負になるはずだ。

 しかもだ。ここでの頑張りが認められれば、とうとう先輩に名前で呼んでもらえるかもしれない! 逆に考えればこれはチャンスだ。俺はダウンジャケットを脱ぎ捨て、フリースの袖を肘まで捲り上げた。


 ――よおし、俺様からいくぞ。いざ勝負!


「あ、はい。よろしくお願いします」


 前肢の指に挟んだ羽根をふわりと放り上げ、柄を噛み締めた化け猫の眼が大きく開く。

 ……俺の顔面が墨汁による落書きのキャンバスと化すまで、それから三分とかからなかった。ワンサイドゲームと呼ぶに相応しい大敗。

 水平に咥えた羽子板から繰り出される化け猫の豪快なスマッシュは計算し尽くされた試合巧者のそれであり、首の捻りを最大限に活かした全身の躍動は王者の風格すら漂わせていた。獰猛どうもうそうではあるけれど決して俊敏には見えない虎風情に、こうも完膚なきまでに打ちのめされるとは思わなかった。


「たわけが。あっさり負けおってからに……くく」

「せっせめて一矢ぐらいはっはっ報いてほっほっほしかったんですのっ」

「ま、まあ端から期待など、していなかったが……ぷっ……くくく」


 手にした筆で俺の顔に何やら書き入れながら、先輩は怺えきれぬように語尾と肩を震わせた。何故に先輩が罰ゲームの執行係を引き受けたかは、俺如きの理解の及ぶところではない。化け猫に顔面を蹂躙じゅうりんされるよりは遥かにマシだと自分に言い聞かせ、先輩の為すがままになっているが、固より下僕なので待遇に差はない。


「けっけけけ傑作ですのっ! シャッターチャンスですのっ」


 少女がここぞとばかりにスマホをこちらに向ける。が、内側から湧き起こる発作的な笑いに、手許が全く定まらない様子。


 ――絵心っつうか画才あるな姉ちゃん。少し見直したぜ。


 明らかに笑い声と判る断続的な低い声を喉から絞り尽くした後で、化け猫は漸く意味のある言語を発した。

 どれだけ酷い顔になっているのか。見たいが確認できる手段はない。とにもかくにも俺の出番はここまでだ。戦場となった境内の一角をそそくさと離れ、次の挑戦者である少女に羽子板を手渡そうとした。


「あれ? どこだ」


 いない。どこにもいない。少女は姿を消していた。一体どこへ? まさか尻尾を巻いて逃げ出したとでもいうのか?


「わたしが出よう」

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