堂廻神社の化け猫の怪の1
「たわけ者めが。何分遅刻したと思っているのだ」
「す、すいません。ちょっと神社の名前がマイナー過ぎたみたいで」
殺されるのは免れたが、凄味を利かせた先輩の殺気はかなり怖い。俺は少女の横に回り込んで鋭すぎる視線を避けた。
初めて来る場所だった。
ボロボロの鳥居は高さもなく、塗装も剥げて朱色の部分はほとんどない。さっきの神社のやつを少し分けてあげたいくらいだ。一方、周囲の植込みは控え目な紅で染まっていて、鳥居近くの植込みに〈クルメツツジ〉の表札。全体的にこぢんまりした造りで、ただでさえ広さのない境内が一層手狭に感じられる。
参拝客の姿もなく、野鳥の
「これ、猫ですよね」
「うむ、猫だな」
「あんまり可愛くないニャンコちゃんですのっ」
そして申し訳程度に築かれた二つの台座に向かい合って鎮座ましますのは、狛犬でも獅子でもない、どう見ても二匹の猫。頭部のやたらとでかいデフォルメ体型ながら、その厳つい形相も相俟って可愛げは絶無。
「こっちの猫はだらしなく口を開けているな」
「〈
「出来の悪いご当地ゆるキャラって感じですのっ人気投票に参加しても最下位は固いですのっ」
この少女、なかなかに口が悪い。石製の〈阿形〉を無遠慮にペシペシ叩いたりしている。罰当たりという感覚が欠落しているのだろう。
「何故にここの狛犬は猫なのだ」
「なんでですかね。まあイヌ科もネコ科も同じネコ目ではありますけどね……ていうか先輩、俺呼ぶの早くないですか?」
もう証拠見つけたんですか、と問う前に、少女はどうだと言わんばかりにスニーカーの足先で地面を踏み締め、ここの土がビンゴでしたのっと破顔した。
「……確かに色は似てるけど」
短時間での発見に俺は大いに怪しんだが、袋の中の土と地面の土は驚くほど似ていて、視覚的な差異は見当たらない。同じ土質かと問われれば、多分首肯してしまうだろう。
「女神先輩凄いですのっ最初に立ち寄った神社でもう同じ土を見つけたんですのっさすが名探偵ですのっ」
我が事のように喜びながら、少女は冗談の多い友人を
「うーん、なんか真相のほうから先輩に近づいてるような気がするな」
もしかすると、この人とんでもない探偵能力の持ち主なのかもしれない。いつもの涼しい顔で周囲の樹木を見渡している先輩を見ながら、畏敬に近い念を改めて憶えた。
「てことは、犯人はここに立ち寄った後でさっきの神社に向かったわけですね」
「ああ、あそこに賽銭箱がある」
「ですね。でも、こんな
「一応行ってみるですのっついでに参拝するですのっまた暗視ゴーグルお願いするんですのっ」
また願掛けかよ、と口に出そうになるのを我慢しつつ、ふとあることに思い至る。これは是が非でも先輩に尋ねなくては!
「先輩! ひょっとして、俺が来るまで参拝するの待っててくれたんですか?」
「たわけ。何を言っているのだ。そろそろ本当に殺すぞ」
先輩はどこまでも先輩のままだった。
さすがにこれ以上祈願することもないし、先立つものもろくすっぽ財布に残っていない。拝殿と呼べる規模では全くないが、とにかく賽銭箱のあるほうへ向かう二人をまたもや見送り、俺はその間にこの神社のことをネットで調べることにした。
地図にないからといって、なんの情報もないとは限らない。周囲を見渡しても、一般の神社によくある祭神の
……あった。
「下僕先輩っ何してるのですのっ?」
参拝を終えた女性陣が戻ってきた。俺はスマホに眼を固定したまま、ちょっとね、と受け流す。
「放っておけ、召使いよ。どうせ
「なんてことですのっそんな破廉恥漢に先輩は渡せないですのっ!」
「違うって。この神社について調べてたんですよ」
「ここは怪しさ満点ですのっ人もいなくてなんだか神社崩れみたいですのっ境内の鈴とか取れて落ちてきそうで鳴らすの怖かったのですのっ」
またしても口の悪さを発揮する少女。
「でっ何か判りましたのっ?」
「うーん判ったような判らないような」
「なんだそれは」
世の中には奇特な人がいるもので、こんな寂れた神社でも来歴を調べて公開しているサイトがあった。地図アプリにも載っていない神社としては異例の情報源というべきだろう。ただ、無名なだけに絶対的なソース不足は否めないらしく、その文章も伝聞形や推測の域を出ないものが大半を占めていた。
「祭神の名前からしてはっきりしてないみたいなんですよ。なんでも神の使いとか雷獣の末裔とか」
「雷獣? なんだそれは」
俺にもよく判らないですと答えた。例のサイトにもそうとしか書いてなかった。
「雷獣といえばっその昔源頼政が退治した鵺という化け物もっ正体は雷獣だったといわれてるですのっ頼政は得意の弓矢で鵺を射落としたのですのっ宵子憧れの英雄ですのっ」
恋する乙女の表情で指を組み合わせる少女はさて措き、源頼政という名前が気になる。さっき見たサイトに、よく似た名前が出てきたからだ。
「それ頼政っていうの?
少女の円い瞳が俄然輝きを増した。テリトリーに獲物が入り込んだとばかりに。
「源頼光は
「へえー、そ、そうなんだ、へえー」
本業より達者な矢継ぎ早の発言に辟易しながらも、愛想笑いだけは忘れない。先輩や少女との狭い交友関係からでも、人付き合いの作法は学ぶべきところが多かった。
「なんかその頼光って人が、
「ではではっ頼光公を祀ってるのがここなんですのっその割には寂れ過ぎですのっ」
「いや、そっちじゃなくて化け物のほうらしいよ。怨霊化して祟られるのを鎮めようみたいな」
「だから荒れ放題なんですのねっ不人気で弱っちい化け物をありがたがる人なんてそういないですのっ」
「お主ら、なんの話をしているのだ」先輩が苛立たしげに割って入った。「我が目的は賽銭泥棒の成敗なのだぞ。ここがいかなる神社であろうがどうでもよいわ」
「でもでもっ女神先輩の得物はっ頼光の愛刀
「知らぬ。興味もない。我が〈無傷の秘剣〉は過去の栄光に縋らず。未来に生きるのだ」
「かっ……かっこいいですのっ」
少女は惚れ惚れと先輩に見入ったが、それも長くは続かなかった。
――おい、お前。
どこからともなく聞こえたのは、胃の腑を揺るがすような低い声。
「お前だと? まさか、わたしをそう呼んだのではあるまいな?」
俺を見る先輩の切れ長の眼が、怒りに縁取られて凶悪に吊り上がっている。
「いえいえいえ滅相もない! 俺じゃないですよ」
強く首を振ると、それに呼応して左の鏃が剣の柄をカチカチと擽った。
「今のは明らかに男の声音であったぞ。鞘の分際で造反を企てるつもりか? 凡庸なるワトソンとしての職務を放棄し、主人格たるこのわたしに下克上の宣戦布告を突きつける所存であると」
「違いますってば……」
先輩の苛烈な追及をどう躱そうか考えあぐんでいると、
――お前に言ってんだよ。そこのシケた面した坊主、お前だ。
また聞こえた。三人で顔を見合わせる。先輩にも少女にも聞こえている。空耳の可能性は消えた。
――お前だけ賽銭入れてねえだろ。ふざけんなよコノヤロ。さっさと入れろよバカヤロォ。
一体全体どこから毒を吐いているのか。正直言って謎というほどのものでもない。ある程度予想はついている。残る二人と視線を交わした後、同じタイミングで視線を移した。
互いに向き合う一対の猫の石像。喋っているのは多分左側の〈阿形〉だろう。
「貴様だな」
「こっちのニャンコちゃんですのねっ」
冷静に立ち位置を変え、二人は〈阿形〉を取り囲むように距離を置いた。もちろん先輩は事前に俺の肩から剣を抜き取るのを忘れなかった。
――もっと驚いてもいいんだぜ。
今度ははっきりと、口あんぐりの〈阿形〉から声がした。口が動いた様子はないが、声の主は疑いようがない。
――なあおい、石像が喋ってんだぜ。人語を発してんだぜ。
「はあ」
そう言われましても……クリスマスの夜に動く銅像や人体模型を見ていなければ、もう少し大仰なリアクションも取れただろうが、今ではやれやれお次は喋る石像かとしか思えない。
この石像が牙を剥いて動き出したとしても大して驚かない。そして実際に動き出すのだろうけれど。
――なんなんだその態度は! クッソ気に喰わねえ。ムカつくわ。ムカつくついでにそこの小娘!
「よっ宵子のことですのっ?」
少女のゴーグルが斜めにずり落ちる。
――黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって。神社崩れだのご当地ゆるキャラ最下位だの! 第一、俺様はニャンコじゃねえ。由緒正しき雷獣だ。
「でっでもっその名も高き頼光公に退治されたと聞いてるですのっ雷獣は結局源氏一族には勝てない宿命ですのっ祀られ方もしょぼいしなんだか大したことないんですのっ」
――うるせえ! どさくさに紛れて神社の悪口言ってんじゃねえぞ。それに作法もちっともなってねえ。参道は神様の通り道なんだ、堂々と道の真ん中歩いてんじゃねえ!
ゴロゴロゴロと遥か上空で雷鳴が轟く。
初詣日和は一転し、一天俄に掻き曇り始めた。
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