犯罪心理に目覚めてしまう絵巻物の怪

 我が名探偵とその家来一行が今回捜査している一連の盗難事件は、先輩が初めて興味を示した犯罪事件だった。

 年も明けた新年一月一日。

 丑寅市内の神社で賽銭泥棒による盗難被害が相次いだというニュースが先輩の耳に入り、これは立派な犯罪だ、犯人を成敗してついでに事件も解決せねばと奮起したらしい。ついでとはいえ、かような思考を持つに至ったのは探偵としての正しい自覚の現れだし、昨日手許の代替用スマホに先輩からメッセージが届いたときは、すわ元日デートかと密かな期待に胸を膨らませたものだった。そっち方面の思惑は、いつもながらの素っ気ない態度や恋のライバルと言っても過言でない少女の帯同で敢えなく瓦解したわけだが。

 新年二日目は初日に引き続き、麗らかな参拝日和となった。

 取り敢えず学校から程近い事件発生現場に赴いた我々は、狐みたいな顔をした偉い神主さんにすげなく追い返され、素人探偵の捜査の難しさを痛感したのだが、ダメ元で尋ねたアルバイトの巫女さんが有益な情報をあっさり明かしてくれたため、追い風を感じさせる好スタートとなった。


「目撃情報はゼロ。但し、賽銭箱の側面下にソフトボール大の穴が開けられ、そこからお金が盗まれていたんですよね」


 社務所への道すがら、確認がてら口を切ったが、先輩はそれがどうしたと冷めた眼で俺を見るばかり。少女は聞いてすらいない。一足先に社務所脇の売店へ駆け込み、破魔矢を購入していた。実用性は抜きにして、とにかく矢があると欲しくなるらしい。これも狩人の習性というべきか。

 巫女さんから聞き出した情報はもう一つあった。昨年の暮れ、とある神社で不可解な盗難事件が発生したのだという。こちらは賽銭の被害でなく、取り立ててニュースにもなっていない。

 盗まれたのは一幅の絵巻物。それも曰くつきの一品とのことだった。


「左様! 盗まれたのは確かに我が社殿に仕舞われておった絵巻物でしてな、なんでも中に描かれた絵を見た者は犯罪心理に目覚めてしまうという逸話がありましてな、何人たりとも眼にすることがなきよう厳重に保管していたのですがな、先日扉の留め金やら錠前やらが綺麗さっぱり壊されておりましてな、まさかと思い開けてみたら中に収めてあった絵巻物がどこにも見当たらなくてですな、全く以て神も仏もありませんなあ! だははははは!」


 人の良さそうな丸顔の神主さんは、随分と話し好きな御仁だった。最初の狐神主とは正反対の丁寧な応対で、忙しそうな社務所の一室にわざわざ通してくれた上、人数分のお茶まで淹れてくれた。そうして自身の被害が示唆している監督不行届を払いのけるかの如く胴間声で笑い飛ばすと、自分のお茶を美味そうに啜り、えへんと咳払いをして、


「左様! 昨日からよその神社で賽銭が盗まれておるそうで、どうも我が神社の絵巻物が盗んだ輩の犯罪心理を誘発させたとする噂が立っておりましてな、どう考えたとて絵巻物を盗んでおる段階でその素養はあるはずなのですがな、因みに拙職もこうクルクルーッと巻かれた状態でしか絵巻物を見たことがなくてですな、実際何が描かれておるのかは古来より伝わる縁起が唯一の拠り所なのでしてな、案外白紙だったりして! うわははははは! いやはやしかしなんともはや、天乃斑駒乃耳あめのふちこまのみみふりたててきこしめせとかしこみかしこみまをす、というものでしてな」

「……はあ」


 言葉が途切れたところで、どうしたものかと先輩を見る。興味なげに宙空を眺めている。聞き込みの最中に探偵が見せる表情としては不適格だが、俺からは注意もできない。

 傍らの少女は興味本位にきょろきょろと辺りを見回すばかりで、一向に落ち着く気配がない。両極端ではあるけれど、いずれも神主さんの長広舌が耳に入っているかは疑問だった。

 ここは俺が仕切らねばなるまい。冬休みを利用して自主的に進めていたミステリの勉強を、早くも役立てるときが来た。差し当たり、他に何か訊くことはあるだろうか?


「とはいえ我が神社は平安期より続く由緒正しき社格でしてな、まあ今は社格など関係ないのですがな、いやはやしかし悪評などものともせずに初詣客が引きも切らずなのはやはり我が神社の風格が為せる業なのでしょうなあ! ぬわははははは!」


 いつしか始まった自慢話を聞き流しつつ思案していると、何やら境内が騒がしくなってきた。いや、さっきから賑わってはいたのだが、それまでとは異質な感じの騒々しさ。

 不穏なざわめきが混じっている。


「た、たた大変です!」


 全員の視線が戸口に向かったそのとき、洋式のドアノブをもぎ取る勢いで別の神主さんが飛び込んできた。被った烏帽子が斜めに傾ぐのも構わずに。


「どうしたのだな騒々しい」丸顔の神主さんが露骨に顔をしかめる。「まだまだ我が神社の素晴らしさは語り尽くしておらぬというのに」

「ささ、賽銭がありません。盗まれました!」

「なんですと!」

「賽銭箱の横に、穴が開いているのを先程発見しまして」


 賽銭箱に穴。初めに回った犯行現場と同じだ。


「なんたることだいやはやしかしなんともはや天乃斑駒乃耳……」

「だから言ったであろう!」丸い顔を真っ青にして訳の判らないことを口走る神主さんを放置し、先輩は息巻いた。「ここに犯人がいると。たわけが!」

「す、すみません」


 何故俺が謝る。だが俺以外に謝る人間はいないのだから、俺が謝るしかない。


「じゃあここで現場検証ができるのですのねっ他を当たる手間が省けましたのっ宵子ツイてますのっ」


 少女が不謹慎に眼を輝かせた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 次なる犯行現場にて。

 被害があった賽銭箱の置いてあるコンクリートの土台が、数箇所土で薄汚れている点に俺は着目した。量は少ないが、明らかにここの土ではない。外部から持ち込まれたものだ。犯人の手がかりになるかもしれない。

 俺は先輩のほうを向いて、


「先輩の敬愛する名探偵シャーロック・ホームズは、来客の靴に付いていた泥を見ただけで、どこから来たのか言い当てたそうですよ」

「つまりこの土がどこのものか判れば、犯人がどこから来たか判るというのだな」

「その可能性は高いかと」


 先輩の理解力の向上に、俺は胸がすく思いだった。


「じゃあ早速持っていくのですのっ」


 透明のビニール袋片手に少女がしゃがみ込む。

 そこで俺は、大勢の参拝客や神主さんたちが見ている前で、重要な証拠品を勝手に持ち出すことの是非に思い至った。


「ちょっと待って、警察が来るまで待ったほうがいい」

「えーっそんなことしてたら持っていけなくなるのですのっ」


 確かにそうだ。警察が許可するはずがない。


「必要ならば持っていってくだされ!」助け船を出してくれたのは、意外にも丸顔の神主さんだ。「探偵さん方には破魔矢を買っていただいた上、拙職の話もいやな顔一つせず拝聴していただき大変ありがたいのでしてな、こんな程度しか力添えできませぬがどうか我が神社の未曾有の危機を救ってくだされ、いやはやしかしなんともはや天乃斑駒……」


 許可が下りたので、少女と手分けして土を採集することにした。


「全部持っていくのですのっ?」

「半分もあればいいと思うけど。警察も調べるだろうし……って、なんで周りに生えてる雑草まで入れちゃうの」


 そんなこんなで土採集を済ませ、改めて賽銭箱の下側、土台すれすれの部分に穿たれた円孔を調べてみる。


「縁とか結構ギザギザしてますね。専用の切り取り器具とかじゃなくて、刃物で無理矢理削り取ったみたいな」


 乱暴に切り取られた円形の板は、賽銭箱の内側に無造作に落ちていた。使った道具の目星でもつけば有力な手がかりになりそうだが、そこまでの知識は持ち合わせていない。


「手口も最初のと同じっぽいですね。まず、参拝してる人に見えない裏側の下をり貫く。この大きさじゃあ片腕ぐらいしか入らないけど、中身を掻き集めることは充分可能です」

「でもっその後犯人はどうやってここから逃げたのですのっ身を隠せそうな場所は見当たらないのですのっ」

「確かに」少女の質問はもっともだ。案外この子も犯罪捜査の素質があるのかもしれない。「見たところ抜け道もなさそうだし。でも、これだけお客さんがいれば目撃証言が手に入る可能性が高いよ」

「では行くか」


 俺が賽銭箱の下を覗き込んでいるときも長い袖の陰で腕組みしていた先輩が、漸く口を開いた。振袖の裾から僅かに覗くおみ足は、既に出口のほうへ進んでいる。


「え、もう行くんですか。ていうか、どこへ?」

「なんだ、まだ行かぬのか。後はその土がどこのものか調べるだけであろう」

「まだ目撃情報の聞き込みとか全然なんですけど」

「そんなことをしているうちに、犯人が遠くに逃げてしまうぞ」

「そりゃそうですけど。姿形も判らないのにどうやって捜すんですか」


 先輩は一刻も早く土の所在を突き止めたいらしい。ここは二手に別れるのも一つの手かもしれない。俺は居残って参拝客への聞き込み。先輩は土の調査。連絡はスマホがあればいつでもできる。

 俺の提示した折衷案は反対なしで可決され、俺は条件つきで単独行動を採ることになった。条件というのは、先輩の呼び出しがあったら五分以内に合流せねばならないというものだ。何故なら先輩の唯一の武器は、俺の左肩に埋まっているのだから。もし遅刻でもしようものなら、言わずもがなの目に遭うわけだ。

 足早に去っていく二人を見送りながら、ちゃっかり先輩に付いていった少女を羨ましく思った。


「さて、聞き込みか……」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「うーん……」

 きっかり十五分後、俺はなんの収穫もなく神社を後にした。

 思えば、同じ学校の生徒にすら聞き込みに抵抗を憶えるレベルなのだ。一般人相手にまともな聞き込みなどできるはずもなかった。理論は書物やネットで蓄積しても、いざ実践となると経験値不足が如実に表れてしまう。

 がっくり項垂れ参道を引き返していると、鳥居の柱に危うくぶつかりそうになった。

 先輩には偉そうに推理のいろはを語っておきながら、独りになるといつもこれだ。一ミリも成長していない。我ながら腹立たしくなる。後は先輩たちと合流するだけだが、あまりに早く手ぶらで帰ると皮肉の一つも言われそうなので、どこかで時間を潰したい。こんな下らない虚栄心にも腹が立つ。

 やっぱり合流しよう。鳥居の下でスマホの代替機を取り出したところで、折良く先輩からメッセージが届いた。


「堂廻神社……聞いたことないな。なんて読むんだ? どうかいじんじゃ?」


 スマホで調べたがまさかの該当なし。よほど規模の小さい神社なのか。簡素な鳥居の奥に、祠がぽつんと建っているだけみたいな。

 思った通り捜索は難航し、先輩たちとの合流を果たすには更に数十分を要した。



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