第二の事件 ~お正月のドグマグ羽根突き合戦
首に刺さった矢の怪
「
今やすっかり聞き慣れた妄言を吐いて、天照宛南先輩は朱塗りの立派な鳥居を潜った。
松の内に相応しく、白地に紅い木花模様が拡がる高級そうな振袖を着て、いつもの長い髪は後方で束ねて
付き従うは約二名。
古参の家来、いや名助手たるこの俺と、昨年末に加入した新参者の少女。この第二の家来、新参ながら主人に対する心酔ぶりは古参を凌ぐ勢いで、躓いた回数に関しては俺より多かったかもしれない。
どこかでブウーンンという得体の知れない音がしたようだが、反応する参拝客は皆無の模様。空耳か。
お寺の鐘のような、いや巨大な柱時計のような。どのみち神社で聞こえる道理はない。
「何をきょろきょろしてるんですのっ下僕先輩」
少女に呼び止められた。
「あのさ、いい加減その呼び方やめてほしいんだけど」
「なんでですのっちゃんと女神先輩の許可は得てますのにっ
「そのよい子ってのもなんかさ」
「宵子を宵子って呼んで何が悪いのですのっ!」
激昂した拍子に鼻先に被さった大柄なゴーグルを額に戻し、少女は言った。事あるごとに自称していた〈よい子〉が彼女の人柄ではなく本名だと知ったのは、つい先日のことだ。
非公式のミーティングルームである校舎の屋上の一角にて、パーカーにゴーグルという例の出で立ちで先輩と俺を前に大袈裟に頭を下げると、改めましてっ一週間前に転入してきましたっ一年B組出席番号五番
容姿や相貌からは想像もつかない、弓への強い
何をしておる、と先輩の
「すいません。なんか、弦を指で弾いたみたいな音が聞こえたんで」
「それ宵子を疑ってるのですのっ」と、うら若い射手は
「首の
首の〈これ〉を見ながら先輩が呆れたように言う。俺は耳の下辺りを横目に見てみたが、〈これ〉の一部さえ視界には映らない。
「まあよいわ。早く犯人を懲らしめて事件を解決せねば、名探偵の名が廃るというもの。腕が鳴るわ」
「せ、先輩落ち着いてください。もう犯人はいませんよ」
ここの神主さんに、
「何故犯人がいないと言い切れるのだ」
「だってそうじゃないですか。お目当てのブツを盗んだら、誰だってすぐ立ち去りますよ。わざわざ戻ったりして、捕まりでもしたらどうするんですか」
「その犯人は絵巻物しか盗んでないのだろう? 肝腎の賽銭箱には手をつけてないではないか」
必ず戻ってくるわ、と確信に満ちた表情で言われ、俺は黙るしかない。家来というより家老の心境だった。
社殿に至るまでの参道は広大な一直線で、新年二日目ながら相当数の初詣客で賑わっている辺り、さすが市内でも一、二を争う有名神社だけのことはある。てっきり右手に見える社務所へ直接向かうと思っていた俺は、先輩が参拝目的の人々と同じ方向に進むのを見て後ろから声をかけた。
「神社に来たらまずは参拝であろう」
さも当たり前のように言い返された。
「またですか」
午前中に回った別の神社で、三人共初詣は済ませていたはずだが。
「またとはなんだ。ここで参拝するのは初めてであろう」
独自の理論で二度目となる初詣を正当化し、何喰わぬ顔で先輩は参道に並んだ。
人混みにあって一層目立つその麗しい振袖姿に、異性の低俗な熱視線と同性の羨望の眼差しが注がれるが、それに気づくような自称名探偵ではない。
一方、脇に控える俺に容赦なく浴びせられるのは、腫れ物に触るような冷たい視線。服装のセンスの悪さを先輩と比較されているのか。紺のダウンジャケットに薄汚れた、いやヴィンテージ風ジーンズという無難なコーディネイト。不興を買う謂れはない。左肩にお手製の切れ込みを入れ、中身がはみ出さないよう周囲をガムテープで塞いであるのはご愛嬌だ。
視線の終着点は二つ。肩から伸びる先輩所有の長剣の柄と、
……俺の躰は、新たなオブジェを首回りに生やしていたのだ。
矢が刺さったときの記憶は、ほぼない。
屋上からの死のダイブと音楽室の少女に続き、俺の記憶障害は三つ目の症例を迎えたのだ。記憶が飛ぶほどだから、恐らくめちゃくちゃ痛かったのだろう。今は少しも痛くないが、それも少女が例のレモラ云々で傷口を冷やしているに過ぎず、応急処置でしかない。無理矢理抜いたりすればっ氷結作用が弱まってっ大量出血の虞があるのですのっと言われては打つ手がない。
刀剣の前例があるので躰も慣れてしまったのだろうか。だとしたら、我ながらなんという順応性の高さだ。
「ねえ、なんで俺を射貫いちゃったわけ?」
「ごっごごごめんなさいですのっほんと申し訳ないですのっ反省してるのですのっ」
「まあよいではないか! 痛くないのだろう? ならばよし!」
「……はあ」
「ごめんなさいですのっ申し訳ないですのっ反省してるですのっ」
「気にするでない、召使いよ。悪気はなかったのだろう? 此奴はなんとも思っておらぬ。だろう? そうであろう? ならばよし!」
気になるのは、どうして俺の首を矢が刺し貫いたのかということだ。召使いと呼ばれるようになった少女も躊躇いなく呼んでいる先輩も、どういう訳か頑として口を割らない。
少女の矢は依然おっとり型で、唸りを上げずに飛んでいく。いくらなんでも、あれをよけられなかったとは考えられない。首の横に刺さっていることから、眼の届かない死角を狙って射られたのは間違いない。
しかし何故少女は俺を狙ったのか。
一番ありそうなのは――というよりこれが真相だろうが――別の標的を狙ったはずが、誤って俺を射貫いてしまったケースだ。この新米狩人ならやりかねない。先輩の不自然なフォローは、先輩も過失の一端を担っているからか。ともかく、これ以上の推理は証明困難だ。俺は原因究明を諦めた。
困るのは、両親への対応なのだ。
両親の俺を見る眼も次第に疑わしいものになりつつあった。
来年には大学受験の可能性もある息子が、何やら肩に刀剣のレプリカを常時乗せ、それを誇示するが如く服をカッターやハサミでざっくり切ってしまっている。これだけでもかなり危険な兆候なのだが、今度は首に矢である。明らかに悪化している、症状としては。
今朝家を出るときも、どこへ誰と何しに行くのか割としつこく訊かれた。どうも不良仲間とのよろしくない付き合いを疑っているようだ。壊したスマホの件もある。両親の中で俺の株は急落する一方だ。小遣いが減らされないのだけが、せめてもの救いだった。
一向に混雑の収まらない最後の階段を牛歩戦術並のペースで上りきり、賽銭箱の前へ三人肩を並べて立つ。
最初の神社では邪魔な小銭も併せ少々奮発して投げ入れたが、二度目となると慎重にならざるをえない。しかも二人には明かしていないが、実は昨日独りで近場の神社にて初詣を済ませていた。正確にはこれで三度目なのだ。散在は控えたい。五円玉一枚のみ投下。
すかさず隣の隣から、何をケチッているのかと先輩のお言葉が。
「あの、俺接着剤の代金立て替えたままなんですけど」
「接着剤?」
「憶えてないんですか? 去年の秋の」
憶えているに決まっているであろう、時期が来るまで待て、待てぬというなら殺すぞと返された。真実の響きが籠もっているのは終わりの一言だけだ。
「暗視用のゴーグルが手に入りますようにですのっ」
マイペースに手を合わせ、少女が言った。先刻の初詣と全く同じ願掛けだ。用済みになるのをいやがってか、額のゴーグルが俯いた少女の鼻先にずり落ちた。
少女を間に挟み、先輩と俺は無言で手を合わせた。先輩が何を祈願したのか気になったが、俺から質問することはなかった。少女が代わりに訊いてくれたからだ。
「企業秘密である」
先輩は取りつく島もない。
「とびっきりの家来が手に入りますように、とかですか」
「それはさっき済ませた。今度は別だ」
そっちは秘密じゃないんですか、と心の中で突っ込みつつ、いよいよ本題である社務所へ向かう。
「下僕先輩はどんなお願いをしたのですのっ?」
「内緒だよ」
「正直に教えるですのっ」
「うーん……まあ、誰かさんに壊されたスマホが早く戻ってきますようにって感じかな」
出任せを言ったが、少女には通じなかった。先輩から引き離すように俺を押しやり、声を落として、
「宵子には判りますですのっどうせ宵子と同じですのっ女神先輩は渡さないのですのっ」
と詰め寄られた。図星だ。ていうか、この子も同じことを願掛けしていたのか。
「ふーん、暗視ゴーグルはダミーか」
「お金で買えないものをお願いしてこそ価値がありますのですものっ」
何をこそこそ言い合っている、と先輩に咎められ、家来二人は神妙に従った。
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