不思議の2

 県の北東に位置し、緑豊かな土壌を色濃く残したのか、単に近代化の波に乗れなかったのか判然としない自然派観光地区の反対側――中核市に指定されるには人口要件が相当不足している丑寅うしとら市郊外のベッドタウン――に、私立煉獄れんごく学園高等部の所在地がある。煉獄とは穏やかならぬ響きだが、義務教育でもなく、かといって社会に出ているわけでもないモラトリアム期間にはかえって相応しいのかもしれない。で、俺はここの二年生。

 その噂が立ち始めたのが、一体いつ頃からなのか。具体的なことは未だに判らない。が、少なくとも先輩や俺が入学する遥か以前より、この学校に関する怪異の数々をまとめた所謂いわゆる〈学園七不思議〉なる事象が、生徒らの口頭に上っていたらしいことは、図書室に長らく死蔵されていた古い資料から確認できた。言うまでもないが、図書室での調査活動は凡て俺の独力によるものだ。繰り返すが、凡て俺の独力だ。先輩をあの日以来、図書室で見かけたことは一度としてない。

 では何故そんなことを調べ上げる必要があるのか?

 ありがちな都市伝説の類いと一笑に付すのは簡単だが、最近再び騒がれ出した〈七不思議〉を、先輩の旺盛なる事件解決欲の捌け口として利用できないか……そう考えたからだ。ありもしない事件を捏造するには、いかんせんコネも財力も足りなすぎる。〈七不思議〉について調べ回るほうが、成果はともかく先輩の気を反らせることができて時間稼ぎにもなる。事件の発端となる可能性を大いに強調したおかげで、先輩の喰いつきも決して悪くはなかった。

 そんなわけで、図書室の資料を粗方調べ尽くした後は、人付き合いの苦手さを痛感しつつ、なけなしの勇気を振り絞って聞き込み調査に移行したのだが……。



「つまり、最初から七つ目の不思議なぞなかったのだ。以後はもう〈六不思議〉ということにして、捜査を打ち切る。いいな?」


 憤懣ふんまんやるかたない様子で先輩が振り返る。探偵にはおよそありえない打ち切り宣言。ここまでフラストレーションが溜まっていたとは。にしても、憤怒の形相を浮かべてすら生来の美しさが損なわれていない。違う意味で恐ろしいと思った。


「せ、先輩、それはちょっと」


 表面上は異を唱えたものの、俺もこれ以上の聞き込みは時間の無駄なのではと思い始めていた。これまでに入手した、残る一不思議に関する情報は、正式に七つ目としてカウントするには大いに難のあるものばかりだ。

 曰く……。

 悪鬼の住処がどこぞの山腹にあるとか、

 寂れた神社に伝説の魔物が潜んでいるとか、

 こないだ転校してきた一年生の女子がすこぶるカワイイとか。

 学校と関わりのない不思議は除外すべきだし、たとえ関わりがあっても転入生がかわいいこと自体はなんの不思議もない。そのうち、我が校の制服を着た美女剣士の噂辺りがまことしやかに囁かれそうだ。


「そもそも、何故今頃になって〈七不思議〉なんぞ蒸し返すのだ」

「えっ」


 真顔で難詰され、俺は信じられないという顔をした。いや、信じられない。興味本位で蒸し返したと思われているのか。

 いやいや、なんてこった。俺が蒸し返すまでもなく、〈七不思議〉の件は生徒らの噂になっていたではないか。

 神経を逆撫でしないよう、ソフトな表現でそのことを告げると、先輩は長い睫毛を湛えた眼を幾度も瞬かせて、


「では何故そんな噂が復活したのだ。残りの六つについても、単なる噂や又聞きばかりで目撃証言なぞちっとも出てこぬ。既に過去の遺物と成り果てているというのに」


 本気で言っているのか?

 紫の瞳の輝きに不自然な翳りは見受けられない。本気だ。情報収集能力も、それを基に推論する能力も、先輩には些かも芽生えていないと判り、俺はどっと疲れた。

 この人が噂の復活した理由を知らないはずはないのだ。何故ならその理由とは、ここ数週の間に我が校の生徒が相次いで行方不明になっているからであり、しかも行方不明者は全員……

 自分でももどかしくなるくらい回りくどい言い方でそのことを伝えると、


「行方不明?」

「ま、まさか知らないんですか?」

「愚か者め。それくらい知っている。五人も姿を消しているのだぞ……そうか、ならばそれを不思議の七つ目にすればよいのではないか。どうだこの名案は」


 平然とそう言ってのけ、先輩は俺の横を素通りした。名案どころか、なんという酷い帳尻合わせ。反論しようとするも手で制され、更に、


「まだ何かあるのか? 次の時限は生物の授業なのだ」


 と言われた。

 先輩の言わんとしていることは判る。生物室はこの突き当たりの鏡を隔てた向こう側にあるが、廊下側から行き来する手段はない。一旦この廊下を引き返して教室棟から別棟へ移動しなければならず、その間に教室へ戻り勉強道具を持参する必要もある。先輩が急ぎ足になるのも無理はなかった。


「はあ」だが俺は喰い下がる。「でもそれを七つ目にしちゃうと、時間軸がおかしくなっちゃいますし、それに」

「それになんだ?」


 こっちが続けようか迷っているときに限って詮索してくる。こんなときだけ勘が鋭くなるのもどうにかしてほしいのだけれど。


「先輩のクラスの集団失踪事件は、その」

「珍しく拝聴しているのだ、さっさと続きを言え」


 口調の乱暴さは相変わらずで、珍しくもなんともない。


「……先輩が一枚噛んでるんじゃないかと」


 一定の歩調を保っていた細く白いおみ足がふと止まる。


「なんだと?」


 肩越しに俺への強烈な一瞥。


「一枚噛んでる? わたしが関係しているというのか。何を証拠に」

「証拠ってほどでもないんですけど」


 経験上、ここで言い渋っていても先輩の眉間の皺が増えるばかりでなんの得もない。俺は正直に打ち明けた。

 想像の域は出ないが、俺と図書室で出会う前に手頃な肩の持ち主を求めて見境なく斬りかかり、大怪我を負った哀れな被害者たちを闇に葬っていたのではないのか。ほかにも、行方不明者の中にはいつぞやのグラウンドで先輩に斬られそうになった、スラッガーの野球部員も含まれていたらしい。私怨による犯行の線も捨てがたいが、そこまでは口にしなかった。


「バカバカしい」言葉による一刀両断。声量はなくても切れ味は抜群だった。「言いがかりも程々にしておけ。しかも見境なく斬りかかったとは聞き捨てならんな」


 そして拳銃を突きつけるように俺の額に人差し指を伸ばし、


「今までに直接刺したことのある人間は一人だけだ。いいか、肝に銘じておくのだぞ」

「…………」


 そう言われては、返す言葉もない。



 教室棟を出て、屋根を支える鉄柱が立ち並ぶ渡り廊下に差しかかる。

 右に視線を巡らせると、裏庭のとある一角に、表面に緑青の噴きまくった人型の立像が見えた。ほぼ原寸大だろうか。一毫いちごうも残さぬ見事な禿頭で、古めかしい燕尾服に身を包み、敷地の奥に拡がる貯水池のほうへ片手を差し出している。モデルとなった我が校の理事長は、重要な式典で遠目に見かける程度の存在なのだが、バレバレのカツラを被っていることもあり、どこまで精巧に似せてあるのかは知らないし興味もない。しかし本校のトップたる理事長の像がこんな目立たぬ場所にぽつねんと据え置かれているのは、考えようによってはミステリアスかもしれない。


「ところで先輩」


 別棟に足を踏み入れたところで声をかける。


「まだ疑っているのか、いい加減に」

「いえ、それじゃなくてですね……さっき先輩がおっしゃった、名案の件なんですけど」

「名案? どれのことだ。我が意見は基本凡て名案なのだがな」


 要領を得ない返答だが、当人は至って真剣なのだから始末が悪い。


「集団失踪事件を〈七不思議〉に含めようっていうあれです」

「漸くその気になったか」


 フフンと鼻でわらう先輩。


「いえ微妙に違うんですけど。それを候補にするんでしたら、もっとそれっぽいのがあるんです。二年ぐらい前に立った噂がありまして」

「二年前とな」


 その少ない年数すら律儀に指折り数える姿に、俺は呆れを通り越して感心せざるをえない。


「ふむ、それでどんな噂なのだ」

「どうも、この学校の女性教師が、今回の件同様行方不明に……」

!」


 元々通りのいい声が、その激昂も相俟あいまって一際高らかに辺りにこだました。背後が吹き抜けでなければ更に朗々と響き渡っていただろう。


「そんな噂は知らぬぞ! 知らぬ知らぬ! 一切知らぬ! いや知らぬ!」


 雑談に興じていた廊下周辺の生徒を一瞬にして凍りつかせ、先輩は尚も支離滅裂な否定を繰り返す。

 明らかにおかしい。ここまで狼狽する姿は、この一ヶ月に満たない付き合いの中でも見たことがない。

 二年前といえば先輩は高一、既に入学済みだ。噂を知っていてもおかしくはない。けれども、この反発は尋常じゃない。知ってはいるが、それを他人に悟られたくないという、実に判りやすい反応だった。何故だろう?

 クールで名の通った先輩が見せた、素のリアクション。貴重といえば貴重なショットだが、懐のスマートフォンでこっそり撮影するチャンスは結局やって来なかった。


「最後の一つなどどうでもいい」


 吐息のかかる距離まで額を寄せ、先輩は頭ごなしに言った。思わずのけぞる俺の頬を、見下ろす恰好になった先輩の耳から滑り落ちた、長い髪の尖端がくすぐった。

 左肩の柄を逆手で掴まれたが、そうされるまでもなく一歩も動けない。女怪メデューサや怪鳥コカトリスの怪異を借りることなく、俺は独りで勝手に石化した。


「ああ、どうでもよいではないか! そんなことより、いい加減〈七不思議〉の実地検証に取りかかる時期なのではないか。そうだ、百聞は一見に如かず。最早一刻の猶予もならぬ。早速今日の放課後にでも……そういえば、音楽室のピアノは深夜に鳴るのだったな? 他の不思議も生徒の大勢いる日中は起こらぬだろう。ならば夜まで待って……」


 あまりの近距離にどぎまぎしている俺には気づかぬ様子で、先輩は独りごちながら身を翻した。


「調べねばならぬ。二年前のことなど知らぬし、そんなことより〈七不思議〉を調べねばならぬ。そうだ、何も知らぬし、調べねばならぬし……」


 ぶつぶつ呟きつつ離れていく後ろ姿を見つめる俺の胸に、ほっとするやらガッカリするやら様々な思いが去来する。あの掌の返しようは怪しすぎることこの上ないが、取り敢えず夜までは大人しくしていてくれるだろう。

 深夜の校内デート……なんて考えは甘すぎる。それはいやというほど判っている。判っていてもなお、枯れた心に聖夜の甘い粉雪が沁み込む。特別な夜に何かを期待してしまう男の性には抗えそうにない。

 かといって相手は美人の衣を被り探偵の看板を掲げた、血気盛んな剣豪である。クリスマス・イブに関する言及は一度としてなかった。

 何かが起こるはずもない。煩悶は尽きなかった。

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