第一の事件 ~クリスマス・イブの学園七不思議

不思議の1


 何を言っているんだこの人は。訳が判らず立ち尽くす名も知らぬ男子生徒を前にして、天照宛南先輩は当然のように俺から件の長剣を抜き払った。


「え、え? なんだ? なんだなんだ?」


 無理もない相手の反応をよそに、先輩は剣を真横に薙いだ。眼にも止まらぬ速さで剣先が生徒の前髪を撫でると、まとまった一抓みほどの束がはらりと床に落ちた。


「うわ、うわわわ、なな、何これ?」


 広々と輝く額も露わにただただ狼狽うろたえるばかりの生徒。水平に前髪を刈られ、散髪に失敗したかのような額周辺がいささ滑稽こっけいだが、こっちは全く笑えない。


「せ、先輩」俺は堪らず声を上げた。「待ってくださいって。この人は犯人じゃないですよ」


 対する先輩はどこ吹く風とばかりにやかましいと言い捨て、スカートに付いた髪の毛の一部を素振りの風圧で払い落とした。


「いちいちうるさいぞ。家来如きがこのわたしに刃向かうつもりか」

「違いますって。そもそも、なんの事件の犯人なんですか?」

「なんの事件?」墨を引いたような先輩の眉が険しく持ち上がる。「それはだな、わたしが解決すべき事件だ」


 なんてこった。こんなにも事件に飢えているのか、この自称名探偵は。


「本末転倒ですよ。まずは〈をですね」

「うるさい。ご託はいいから事件を解決させろ」


 業を煮やしすぎてとろとろのビーフシチューでも作りそうな勢いの先輩と不毛な会話を繰り広げている間に、当の生徒はうわー助けてくれーと叫びつつ無人の廊下を走り去っていった。松の廊下ならぬ学校の廊下での、刃傷沙汰には至らずに済んだ模様。取り敢えず胸を撫で下ろす。

 後であの生徒が何事か言い振らすかもしれないが、目撃者もいないし大事には至らないだろう。唯一の証拠たる前髪に関しては非常に申し訳ないことをしたけれど、ここは散髪代が浮いたと思って我慢してもらうほかない。


「ちっ逃げたか」こっちも見ずに剣を俺の体内に仕舞い、悔しがる先輩。「何故邪魔をした。千載一遇の好機を」


 俺は肩先に戻った柄には見向きもせず、


「そりゃ逃げますって。あの人は無関係ですよ」

「生意気な眼つきをしていたではないか。あれは悪人の眼だ。悪者は斬らねばならぬ」

「何言ってんですか……」


 俺はすっかり困り果てていた。これでは聞き出せる情報も聞き出せなくなってしまう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ここ数日に亘る先輩の錯乱ぶりは眼に余るものがあった。ちょっとでも怪しい人物を見かけると見境なく剣を構え、開口一番お前が云々成敗云々。事件にまで発展しそうな不可解な出来事を、先輩のために見つけ出そうと躍起になっている俺のことなど全くお構いなしといった風情である。

 というより、先輩の行為のほうがよっぽど事件なのではないか。長い天然の睫毛に縁取られた聡明そうな双眸や、整いすぎてむしろ人工的な感じすらする美しい顔立ちは相変わらずだが、口を衝いて出る言葉の苛烈さも残念ながら一向に衰える気配はなかった。


「いきなり威嚇はまずいですよ。大事な情報が聞けたかもしれないんですから」

「もういい。これ以上情報など要らぬ」


 決然と言い、優雅に歩を進める先輩の後を追う。


「ま、待ってください。どこ行くんですか」

「むろん事件を探すのだ。事件は足で探せというだろう? 未だ解決の目を見ぬ難事件が、わたしの登場を待ちかねているのだ」


 捜査は足で稼げの謂いを都合よく言い換え、悠然と廊下を道なりに右折する。

 寒風吹きすさぶ十二月二十四日。

 巷間ではクリスマス・イブなる俗称――いや聖夜だからむしろ聖なる名称なのか――を持ち出して、何やら浮かれ騒ぎ盛り上がっている気配を感じないでもないが、枯山水の境地に達した俺のあずかり知るところではない。そう、決してないのだ。

 時は昼下がり。教室が近いせいか、ちらほら人影が見え始める。

 食後の自由時間を満喫中と思しき付近の生徒らが、男女の別なく先輩の颯爽と歩く姿に視線を注ぎ込む。単なる歩行がモデル歩きに見えるほどの、美貌と見事なプロポーションとくれば、周囲が気に留めないはずがない。

 やがてその視線は子分のように後ろに付き従う俺へと向かい、あいつ誰? なんでいるの? 肩のあれは何? みたいな不審人物を見るときのそれへと変化する。

 しかし、先輩の一方的な決めつけに、俺はまだ容易く折れるわけにはいかなかった。


「どうやって解決するんですか」

「決まっている。真犯人をたたっ斬るのだ。そのための得物だ」


 得物って。


「先輩、一応名探偵を目指してるんですよね? 剣豪じゃなくて」

「なんだその目指してるというのは。進行形でなく完了形にしろ」


 何かというと名探偵を標榜ひょうぼうする先輩ではあったが、ホームズの暴力的側面をクローズアップしたり助手をパシリ扱いしたりと、相当サディスティックな存在を念頭に置いているようだ。

 はあ、と返事とも溜め息ともつかぬ微妙なものを口から洩らして、俺はさり気なく肩の柄に手を添えた。


「おい!」すかさず怒声が飛んできた。「勝手に触れるでない。我が宝刀をなんと心得ておるのか」

「す、すいません」


 触る権利すら与えられないのか。はああ、と今度は明らかな溜め息。

 なんでこんな物騒なものを持ち歩いているのだろう、という疑問を思いっきり顔面に張りつけてみたつもりだが、もちろん先輩に読み取る能力は皆無だ。俺は普通に声に出して尋ねた。


「名探偵の必需品ではないか」


 まさかの返答だった。初耳である。


「時代の裂け目には鬼が出る。鬼退治には武器が必要だろう。あと家来も」


 完全に桃太郎の発想じゃないか。探偵論を云々する前に、桃太郎が探偵でないことを諭す必要がありそうだ。にしても何故に桃太郎?


「どこで見つけたんですか、この剣……無傷の」

「秘剣だ。よいか、秘剣とは秘密を帯びていてこそ秘剣なのだ。余計な詮索はするな」


 あっさりかわされた。

 触るのを禁じられた代わりに、肩から生えた隣の柄に鼻先を寄せてみる。

 いつぞやのお婆さんが言っていたように、決して持ちやすい形状には見えない。包丁や日本刀にはシンプルなものが多いが、諸刃の洋剣でもここまで複雑なフォルムは珍しいのではないか。持つ部分全体に奇妙な彫刻が施されている。

 間近に見ると、太さの異なる植物の蔓を面倒臭げに巻きつけたような、一見デタラメな装飾。緑を基調としながらも、所々に鮮やかな赤が顔を覗かせている。無傷というより柄の奥に生々しく開く傷を隠しているかのよう。

 鮮血に絡みつく蛇を思い起こし、それが目と鼻の先にある事実に一瞬怯む。鍔は中途半端に拡げた鳥類の翼そっくりで、それが逆さに刺してあるため力尽き墜落死直前の両翼といった風情だ。


「持ちにくそうですね」

「愚考だな。むしろフィットするのだ」


 誇らしげに胸を張る。意外とエルゴノミクス的観点による、考え抜かれた流線型なのかもしれない。


「今更こんなこと言うのもあれなんですが」

「なら黙ってるがいい」

「言わせてくださいよ……」俺はめげずに続けた。「これ何日も刺したままで、もし錆びたらどうするんですか。絶対体に悪いですって」


 実のところ、これだけ体内深くに突き刺さっている時点で相当体には悪いはずなのだが、自覚症状がないのをいいことに、その辺の感覚は麻痺してしまったらしい。


「バカにするでない。ちょっとやそっとで錆びるナマクラではないのだぞ。それに万が一錆びが生じたのであれば、それは管理する側に問題ありということだ。よもや入浴時に肩まで浸かってなどおるまいな? もしそんなことをすれば……判るであろう?」


 珍しく断言は避けたが、言外に殺すと言っているのは間違いない。ダメだこの人、剣の心配しかしていない。

 先輩はこっちを一顧だにせず、そんな無駄口を叩く暇があるなら肩の剣を抜きやすいように差し出す練習でもするがいい、いつになればワトソン役の自覚を持つのだ、となじってきた。


「近頃は、ワトソンじゃなくてワトスンが一般的らしいですけどね」


 下宿先のおかみさんも現代訳では〈ハドスン夫人〉となっているらしい。ただ、ハドソン川は未だにハドソン川のままなようだし、どこで発音と慣用の線引きが成されているかはよく判らない。


「口答えするでない。一般的なものが優れているとは限らぬのだぞ。わたしはそういう易きに流れる真似は好かぬ」


 我が道を行くとばかりにそう言いきり、先輩の足は更に進む。

 ハーレー・ダビッドソン辺りで反論してくるかと思いきや、なんの反証も示さないのがいかにも先輩らしい。最後のソンはともかく、ダビッドの正確な発音はデイヴィッドですけどね、という俺の用意した陥穽かんせいは不発に終わった。

 それにしても、本当にどこへ行くつもりなのだろう。この先は確か行き止まりだったような……。


「先輩、本当に事件を探してるんですか」

「むろんだ」


 即答。一点の曇りもない澄んだ声。しかしその探し方となると全くもって場当たり的。真の探偵道とは埋めようのない隔たりがある。


「でも、そうそう事件なんて転がってないと思いますよ」


 無言のまま立ち止まる先輩。廊下の突き当たり。

 長い髪を垂らした背中をこちらに向けて立つその奥に、今度は正面を向いた、一回り小さい先輩の全身が見えた。姿見を思わせる巨大な鏡面が、突き当たりの壁を覆うように張ってあるのだった。行き止まりであるにもかかわらず、鏡のせいで更に通路が続いているふうに見える。


「〈七不思議〉の情報ならば見つかるというのか?」


 向かいに映ったほうの俺を見据え、先輩は挑発するように言った。そして肩の上に差し出した一際白い右手を指折り数えながら、


「深夜に鳴り響く音楽室のピアノ、七色に輝き巨大化する理事長の銅像、女子トイレに出没する謎の美少女、血染めのプール、開かずの扉、廊下の大鏡に映る落武者の霊……は、ここのことだな」


 それから七つ目と共に伸びるはずの薬指を大袈裟に震わせて、


。どれだけ調べても。初めはわたしも如何なる事件に発展するのかと期待していたが、捜査はすっかり行き詰まっているではないか」


 久々に聞く正論は耳に痛い。俺の提案した〈七不思議〉調査も、いよいよ限界なのかもしれなかった。

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