第4章 Ⅷ
(アリスさん。まさか、ここまで強き意志を抱いていたとは。やっぱり、この人は凄い)
ヒューロはワイヤーを操作しながら建物と建物の間を跳び移っていた。ロンドンは爆発的な人口増加に伴い、建造物が密集している。まるで、巨人の子供が狭い箱庭で無理矢理、積み木遊びをしたかのように。ここからソーホーの下を東西に駆けるシャッフルベリー・ストリートは中堅規模の繁華街。周りは多くの人々で賑わっている。結果、
「おい! なんだあれ、馬車が勢い良くこっちへ、逃げろ!!」
「お母さん! お母さん! 人が、人が空飛んでる! めっちゃ空飛んでる!」
「女性があんな悪魔みたいな顔で自転車に乗るなんて。やっぱり、自転車は凶器ね」
注目一点、非難轟々、興味津々のテンヤワンヤ。大通りを埋め尽くす人と馬車が大慌てで道を開けようとするものだから、いたるところで喧騒が爆発し、パニック状態に陥ってしまう。まるで、羊の群れに狼でも放ったかのような混沌っぷりだった。
通りの幅は横約八十二フィート(約二十五メートル)。それが三百三十フィート(約百メートル)以上も続く。こうなれば、ストレートだけで移動する馬車と比べ、円弧運動が加わるヒューロはかなり不利だった。
道の左右には壁のように建物が密集している。一見、ワイヤー使いの彼女には有利なように見えるが、移動する先は必ず〝ジグザグ〟になってしまう。その分だけ、移動距離にロスが生まれてしまうのだ。
「おらおらおら~!! 退け退けぇえええええ!! 私に轢き殺されたくなければ全員、道を開けやがれ! さもねえとアスファルトの地面とぺったんこでぶっ潰すぞごらぁ!!」
危うく老紳士にぶつかりそうになりながらもアリスは寸前で車体を傾けて回避する。その臨機応変な様子に、ヒューロは淡い感嘆を覚えた。どうやら、彼女は実戦でこそ、磨かれるタイプらしい。異国の少女は風を感じながら空を駆け、ふとシャッフルベリー・ストリートを高い位置から、見下ろした。
「……良い街だ。と、私は感動します」
人々が活気に包まれている。これだけ発展している街を、彼女は他に知らない。もっとも、それは当然かもしれない。山奥で芸を見につけた直後に、彼女ははるばるイギリスまで〝売られた〟のだから。己を売った人間を殺し、彼女は自由を得た。その果てが今生きる〝ここ〟ならば、本望だ。嫌が応にも、ワイヤーを操作する右腕と和傘に力がこもる。
(今、私は自分の意志で生きている。他の誰でもない。私が、私のやりたいことをやる)
それは、それはきっと、
「素敵なのだろうと信じられる!」
五階建ての百貨店、その屋上にワイヤーを伸ばし、ヒューロは側面に着地、一気に壁を蹴る。加速する体。地面スレスレまで弧を描き、さらに飛ぶ。視界は巡るがましく変化する。まるで、かつての人生のように。グルグルと世界は回る。どこに向かえば良いのか、そもそも、ゴールはあるのか。迷う暇さえなく、ただ我武者羅になって前へ、前へと進む。
ロンドンの夏。スモッグの隙間から煌めく陽光が少女を祝福するかのように降り注ぐ。
心臓の鼓動が一段と高くなる。今、ヒューロは確信している。今、自分は生きていると。
(これまで、自分以外の人間など、どうなっても構わないと思っていた。しかし、今は違う。あの子を助けたい。私の力は誰かを傷付けることもできる。だが、同時に、誰かを助けることだってできる!)
「片桐緋色。――推して参る!!」
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