第4章 Ⅵ


「離して! 離してよ!! 私をお屋敷に返して!!」


幌付き四輪馬車(ランドー)に無理矢理押し込められた幼き淑女・ヘレンは必死になって抵抗するも、十歳半ばにも届かないような小娘の抵抗など、男達にとっては痛くも痒くもなかった。あっと言う間に手足を縛られ、猿轡まで噛まされる。二頭の馬が勢い良く駆け出す幌の下には、彼女以外に三人ばかりのガタイが良い男がいた。顔の鼻より下半分を布で覆い隠し、全体的に黒で服を統一している。歳や髪の色はバラバラでも、その瞳だけは同じ、下衆と下卑の色で濁っていた。


「くけけけけけ。楽な商売だぜ。このガキをアジトまで連れて行けば一人五十ポンドだろう? それだけあれば娼館で良い女が山ほど買えるぜ。ひひひひ。今日は金玉が空になるまでファックしないとな。うひ、うひひひひひひひ」


「おいおい。仕事はまだ終わってないんだぞ。だが、まあ、気持ちは分かるがな」


「恨むのなら、あんたのお母さんを恨むんだな。頭目は良いよな~。あんな女を好きなだけ抱けるんだからよ。ちょっと熟れているが、弛んだ尻に腰を打ちつけるのも楽しいもんだ。こう、胸がブルンブルン震えてよ。がははははははははは」


 男達が向かう先は、北東方向。このまま進めば、ロンドン最悪の貧困窟・セブンダイアルズへと続く。ヘレンは、数日前の恐怖を思い出し、目尻へと大粒の涙を浮かべた。


「なんなら、これを味見するか? へへへへ。どんなガキでも股に阿片を塗ればたちまち雌に変わるんだぜ。きつい穴に固くいきり立った物を何度も押し込めばすぐに天国だ」


 鼻息荒い男達の様子に、ヘレンは背筋に幾百の毛虫が群がるような悪寒を覚えた。人としての論理的な思考ではなく、脳の片隅に残っていた動物としての原始的な本能が最大の危険信号を彼女へと示していた。ここに居ては駄目だ。きっと、殺されるよりももっと酷い〝何か〟が待っている。早く、逃げないといけない。しかし、逃げられない。


(嫌よ、こんなの嫌! 誰か、誰か助けて。ローグ、ヒューロ、セシル、アリス!)


 心の中で、必死に皆の名前を呼ぶ。心臓が冷えた鉛に変わってしまったかのように重い。額に嫌な汗が浮かび出し、視界がグルグルと回る。やはり、誰も助けてはくれないのか。このまま義母が、あの悪人が笑うのか。どうして、自分が。本当に誰も助けてはくれないのか? ヘレンは何度も何度も、胸の内で助けを求めた。


(お願い、神様。どうか、どうか救いを私に。どうか救いを与えてください!!)


 果たして、神はヘレンの願いを聞き入れたのか。少女の耳に、様々な声が届く。


「そこの馬車、停まれ!! 停まらんと直ちに発砲するぞ!!」


「ヘレンを返せと、私はここに命令する! さもなければ斬る!」


 もしかすれば知っているような声と、確実に知っている声。そして、


「ヘレンお嬢様を返せぇえええええええええええええええ!!」


(ヒューロ、それにアリス!)


 ヘレンは確かに、光明を見た。この馬車を、あの二人が追っている。涙の意味が、悲しみから歓喜へと変わる。ああ、神は私を見捨てなかった。今すぐ、彼女達の元に戻りたい。外も見えぬ現状が呪わしい。


(けれど、二人はどうやって馬車を追って? 馬にでも乗っているのかしら)

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