第4章 Ⅴ


 ジェイクが叫ぶ数分前、馬鹿三人もチェルシー地区を歩いていた。結局、三人は朝から昼まで飲みに飲みまくり、全員が全く同時にダウンするという女性として致命傷な結果に終わってしまう。ローラ、アンネはこの勝負に納得がいかず、アリスの『じゃあ、うちで飲み直しましょう』の言葉に賛成してしまう。そもそも、彼女の屋敷ではなくローグの屋敷であり、ヘレンに醜態を見せたくないという意見は、もうすでにゲロと共に道端に捨ててしまった。ようするに、三人はどうしようものない馬鹿だった。

 ちなみに、こんなに静かで平和な高級住宅街を赤ら顔で歩く者など、こいつらがぐらいなものだ。ローラの足取りはフラフラで、アンネは自転車に体重を預けながらズリズリと足を引きずっている。アリスはアリスで、たまにケラケラと奇病のような笑い声を上げていた。ガス灯の上に留っていた小鳥が瞬時に飛び出して逃げたのは、けっして偶然ではないのかもしれない。


「いーっひゃっひゃっひゃっひゃ。愉快だねぇ、痛快だねぇ。ねえ、アンネー。その自転車でどこまで行けるの? 火星まで飛んで行ってアポロンの金玉潰すの?」


「くひひひひひ。私に刃向かう男の脳味噌なんぜ、全部ポーチドエッグに変えてやるよ。その方がよっぽど、経済的だろうぜ。えへへっへへへへへ、いひひひひひ」


「あっへへへへへへ。馬鹿言ってんじゃないわよ。男なんてちょっと色仕掛けすればイチコロなのよ。あーあ。どっかに一年で千ポンド稼ぐ優良物件はないかしら」


 ここまで好きなように酔っ払えば、ある意味で傑作だったかもしれない。アリスが己の首を両手で支えるような変てこ・ポーズで足を進め、数歩進む度に発作を起こしたように笑う。その光景は末期の精神病患者にそっくりだった。


「ほうら、我が屋敷が見えてきましたよー。あれれ~。煙が一杯出てますねー。ヒューロちゃんがキッチンで鰻でも焼いてるのかなー? ……煙が、煙が一杯で」


 アリスの声が途中で止まる。――絹が裂けるような悲鳴に、酔いが一瞬でぶっ飛んだ。


「ヘレンお嬢様!!」


 事態の窮地を察したローラが〝それ〟を指差す。


「ちょっと、あれ見て。裏の方に無理矢理、馬車が停まって、え、嘘! かか、壁を人が歩いてる!?」


「馬鹿! あれは上から吊るしたロープで身体を支えてんだよ。なんだ、あの黒づくめの連中は、泥棒か!? つーか、さっきの悲鳴って、おい、アリス、何すんだよ急に!!」


 アンネがギロリと睨みつける。アリスが自転車を奪おうとしたのだ。茶髪は切羽詰まった顔で友へと叫ぶ。


「あの馬車にヘレンお嬢様が押し込まれたの、私、見た! 追わないと! これ貸して!」


「落ち着け馬鹿! 手前、自転車乗ったことあんのか!? これ、結構難しいんだぞ」


「それでも良いから貸して! 私は、あの子を、絶対に守らないといけないの!!」


 頑として譲らないアリスにアンネが舌打ちし、ハンドルから手を離した。


「跨ってペダル回せ! いいか、壊したら弁償だからな。ちゃんと返せよ。必ずあの子を助けろ。ほら、とっと行け!!」


 バシン! と強くアリスの背中を叩くアンネ。ついでに『しっかりやりなさいよ』とローラも叩いた。猛烈に痛くて涙が浮かぶが、それでも勇気が沸いた。


「――ありがとう!! あとで特製のハギスを奢ってやるわ。覚悟しておきなさい!」


 アリスは自転車に跨り、見よう見まねでペダルを漕ぐ。ぐんぐん体が前に進み、顔面に風が当たる。帽子が飛んでしまい、後ろに流されるも今は気にしてなどいられない。後ろ髪が浮かんでいるのを感じる。まるで、鳥になったようだ。


(なんだ、結構簡単じゃん。待っててね、ヘレンお嬢様。絶対に、私が助けてあげるから)


 胸の中で固く誓うアリス。しかし、彼女は大事なことを〝一つ〟忘れていた。


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