第3章 Ⅳ


 小さな淑女を中心に厳粛な食事が終わり、食器をキッチンへ運び、余った料理をセシルに渡す。アンネとローラにも手伝わせ、アリスは全員分の紅茶を淹れる。ずっと座っていたのはローグだけで、ヘレンも途中から皆の傍で談笑に交ざり、和気藹々の雰囲気だった。


(なんか、最近、俺の空気が薄い気がする。なんでだろう。俺、そんなに威厳ないのか。確かにまだ二十代の若造だろうけどよ、こいつはあんまりだろうが)


 全員が元の席に戻ったのを一瞥した後、ローグは紅茶を啜った。セシルが淹れていた際は『これが一番美味いんです!』と砂糖をドバドバと入れるせいで甘ったるかった紅茶も、アリスが淹れるようになってから安定した美味さを楽しめるようになった。芳しい香りにほっと息を吐き、そして、表情を引き締める。それは、銃を構えた時と似た表情だった。

 ローグは本当に包み隠さず伝えた。アンネとローラは最後まで口を閉ざしたまま聞き、その表情は驚愕、怪訝、困惑とコロコロ変化する。アリスは吹っ切れた顔で紅茶を啜り、他三名もとくに口を挟まない。


「というわけで、俺達は一週間だけヘレン御嬢を屋敷に匿うことにした。この分だと、駅の方は警戒されている。電報を打たれてしまえば、ヤードがすぐに駆けつけるだろうからな。食料の方は変装させたアリスが調達し、セシルとヒューロは屋敷で待機。俺は義母の証拠集めをしている最中だ。……さて、ここまでで、何か質問はあるかい?」


 ローグはあくまで落ち着きのある態度をとっている。アンネがローラに視線を送った。赤毛の女は黙って紅茶を啜り、頭痛でも覚えたかのように顔を顰めアリスを睨む。


「ねえ、アリス。この人が言っていること、信じてもいいわけ?」


 話を振られたアリスは僅かな躊躇もなく頷いた。ローグが僅かに目を見開く。


「信じてよ。私、この人は信じられるの。少なくとも、ヤードよりもずっとね」


 すると、今度はアンネが口を開いた。視線の先にいる人物は、ローグである。


「こいつに、報酬はいくら払うって言ったんだ? 十ポンドか、それとも二十ポンドか?」


「報酬? ああ、そういえばまだ決めていなかったな。アリス、いくら欲しい?」


「え? そういうのは後回しでいいですよ。それより、ヘレンお嬢様の服を買ってください。たった二着を一週間も着回すなんて可哀想ですよ。貧乏人ならともかく、皆が、同じデザインの服を何着も揃えているローグ様のように貧相な思考じゃないんですから」


 笑顔で毒を吐くアリス。この女は、女中という立場を忘れているんじゃねえか? とローグは頬を引き攣らせる。一応、釘を刺しておこうと口を開きかけた男はしかし、そのまま言葉を飲み込んでしまう。ローラとアンネが、阿呆のように口を半開きにし、驚愕を露わにしていたからだ。


「あ、あの、お金に汚いアリスが、割り勘は一ファージングだろうと均等に分けるアリスが、道端に落ちていた銅貨を拾うために友達の足を踏みつけるようなアリスが、報酬の額も聞かずに危険な仕事に従事!? ちょっとアンネ、こいつ偽物よ。こんなのがあのアリスなわけないわ。私の知ってるアリスは語尾がポンドになるような卑しい女なのよ」


「そうだな。どうやら、私達は幻想でも視ているらしい。あれだ。自転車に乗ったから酔ったんだ。やっぱり、私にはまだ自転車は早かったようだな」


「……あんたら、私を何だと思ってんのよ! 私は本物のアリス・ヨンデンシャーよ。そんなことも分からない頭なら、中身をクリスマス・プティングと交換したらどうかしら?」


「おいおい、喧嘩するなって。……で、話を聞きたい。お前ら二人、俺達に協力する気はないか? 今は、少しでも人手が欲しい。この子を助ける手立てが欲しいんだ」


 ローラとアンネが、表情を硬直させる。ローグにとっても、これは賭けだった。確かに、人手が増えれば、それだけ手札が増える。しかし、それだけ裏切られる可能性が増えるというデメリットもあった。それでも、相手は強大だ。フローレンス率いる特殊部隊アイゼンと義母のシャルロットを攻略するには、こちらの戦力を増強させるしかない。


(逆に、これはチャンスだ。この二人を利用……いや、有効的に使わない手はない)


 ヘレンには伝えていないものの、事態は悪い方向に傾いている。怠慢と怠惰の別名だった一昔前のヤードと違い、今の連中は威厳を取り戻しつつあるのだ。その上で、少人数で対抗しなければならない。ローグはアリスが裏切らないと信じている。ならば、その友はどうだ? ローラとアンネは神妙な顔つきで紅茶を啜る。反応は、芳しくない。


(当然か。敵はヤードだ。怪盗に手を貸したと知られれば、刑務所行きは免れない。最悪、オーストラリアに流刑かデムズ河の監獄船に閉じ込められる。彼女達は若い。あんな糞みたいな場所に連れていかれたら、どんな目に合うか火を見るよりも明白だ。……やはり)

 難しい。ならば、下手に巻き込まない方が賢明か。ローグが口を開きかけ、先にローラが言う。続けて、アンネも。


「報酬が弾むなら、やってみようかな」


「そうだな。なかなか、楽しそうだしよ」


 二人の返答に『えっ?』と思わず疑問符を浮かべてしまうローグ。すると、ローラがクスッと微苦笑を零した。


「なに、その反応は。もしかして、私達が断るのかと思ったのかしら?」


「いや、その。まさか、この場で答えを貰えるとは思ってもみなくてな。本当にいいのか? とんでもなく危険な仕事だ。当然、君達二人が直接ヤードに関わらないように配慮するが、それでも危ないのは一緒だぞ」


「けっ。ヤードを殴るわけじゃねえのか。私としては、そっちの方が賛成なんだけどな」


 これに好戦的な舌打ちを零したのはアンネである。ローグは目を丸くするばかりだった。


「ローラ、アンネ、ありがとう! 本当に助かるよ!!」


 歓喜に身を震わせるアリス。すると、ローラとアンネがやれやれとばかりに肩を竦めたのだった。


「本当に、アリスはトラブルを抱えるのが好きねー。まあ、退屈しなくて済むけど」


「ティー・ショップの仕事にそろそろ〝マンネリ〟を感じていた所だ。こんな面白いこと、見て見ぬフリなんて出来るかよ。それに、手前だけに良いカッコなんてさせられるかよ」


 悪友三人が浮かべる笑みは、喜々としていた。それは、自分の力を頼りに生きてきた旅人と同じ笑みだった。アリスが二人を代表するように主へと自信たっぷりな口調で言う。


「私達三人は生きるために泥水を啜るような生活に耐えたこともあるんです。今更、怖いものなんてありません。それに憧れていたんです。〝正義の味方〟ってやつに」


 ローグは『怪盗なんて綺麗な仕事じゃない』と言わなかったし『お前は、昨日、あんなにギャーギャー言ってたじゃないか』とも言わなかった。折角、燃えてくれた薪に水をぶっ掛けるのは、野暮というものだからだ。セシルもヒューロも、嬉しそうだった。


「助かるよ」


 そして、感極まった様子で立ち上がったのはヘレンだった。わざわざローラ達の元まで駆け寄り、手まで握る。不安だったのだろう。辛かったのだろう。どれだけ、彼女は救われたのだろうか。この中で一番嬉しいのは文句なしに幼き淑女だろう。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます!」


 ローグは頬を緩め、少しだけ温くなった紅茶を啜る。何故だろう。最初に飲んだ時よりも、随分と甘く感じたのだった。

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