第3章 Ⅲ


『ローグ様とヘレンお嬢様はお二人で食堂を。他の者は使用人用の部屋でお昼にします』


『え? ……その、キャバリーさんと二人きりになるのはちょっと。いえ、キャバリーさんが嫌なのではなく、男女が二人きりなるシチュエーションが恥ずかしいだけですから!』


『にゃははははは。慌てて否定すると、真実っぽく聞こえるから不思議ですよねー』


『クスクスクスクス。御愁傷様です。と、私はローグさんに追悼の念を送りました』


『……俺さ。この場で一番偉いんはずなんだけど、悲しいから泣いても良いかな?』


 結果、今日は特例でアンネ、ローラ含め全員で食堂の席を囲むこととなった。

上座にローグが座り、左側にローラ、アリス、アンネが、右側にヘレン、セシル、ヒューロが座った。

 今日のメニューはカレーである。具材はC&B社のカレー粉、鶏肉、ジャガイモ、ニンジン、マッシュルーム、エンドウ豆、各種ハーブ。朝からじっくり煮込んだ逸品である。

 当初はパンを用意する予定だったが、ヒューロが白米を食わせろと暴走したので、カレーライスという形になった。白と濃い茶色のコントラクトは視覚と嗅覚を暴力的に刺激する。他には子兎の一口香草包み焼きと、マカロニグラタン、ミートパイ、手長海老のフライと所狭しに並んでいた。きちんと、サンドウィッチまで用意されている。その圧巻的な光景に、ローラとアンネが目を丸くしていた。


「凄く豪華ね。これ、本当に全部、アリスが作ったの? あんた、そんなに料理上手かったかしら? 私、パンか生ガキをナイフで切るところしか見たことないんだけど」


「昔、色々ね。っていうか、あの時はろくな材料なかったし。材料と道具があれば、ざっとこんなもんよ。二人はワイン? ビール? エール? それともジン?」


「安いビールにしてくれ。こんな飯、一度覚えたら舌が肥えちまう。ったく、チェルシーに屋敷を構える金持ちの食事っていうのは、ここまで豪勢なのか。こいつは貴重な経験だ」


 アリス、ローラ、アンネの周りだけ大衆食堂の雰囲気である。一方で、セシルは口の端に涎を垂らし、ヒューロは『久々の白米です! と感謝します』と感動していた。そして、屋敷の持ち主であり昼飯にかかった費用の全てを背負ったローグが不機嫌そうに自分で赤ワインを硝子のグラスに注ぐ。


「今日の昼飯は特別だが。祈りは捧げて貰おうぞ。それぐらいの分別は覚えてくれ」


 代表してローグが『主よ。我々に恵みを――』と祈りを唱え、皆がそれに倣う。最後に『エイメン』と決まりの文句を、ここにはいない〝天高き場所に住まう誰か〟へと捧げる。そして、あまりにも賑やかな食事が始まったのだ。誰よりも早く腕を動かしたのはセシルであり、カレーを豪快に口の中へと流し込む。ヘレンとヒューロはゆっくりと味わうように小さな口を静かに動かす。アリス含め悪友三人組はビールのジョッキをぶつけて酒場方式の乾杯を行う。唯一の男はワインを舐めるように飲み、サンドウィッチへと手を伸ばす。


「このカレー美味しいわね。レドンホールのカレー屋に負けないぐらいよ」


「こっちの海老フライも中々だ。ビネガーと塩を掛けりゃあ、いくらでも食えるぜ」


「ふふん。そうでしょうそうでしょう。二人とも、もっと私を褒めなさい、讃えなさい」


 胸を張って鼻を高く伸ばしたアリスの両肩をそれぞれが掴む。まるで、万力のように。リージェント・パークの動物園に住まうゴリラのように。


「誤魔化そうたって、そうはいかないわよ、アリス・ヨンデンシャー。ちゃんと話して貰おうかしら。どうして、ここに、行方不明中のヘレン・ストーナーがいるのかを」


「場合によっちゃ、ヤードを呼ぶぜ。安心しろ。手前が刑務所に入っても、一ヶ月に二回ぐらいは面会にいってやるからよ。……いい加減に、罪を認めたらどうだ?」


「ちょっとちょっと、さっきも言ったでしょ。これには大きな理由があるの。で、その大きな理由はどうしても喋れないの。今日のことは忘れて帰ってよね。ほら、カレーのお代わりは自由だから、好きなだけ腹を膨らませなさいよ。それで、チャラよチャラ」


 アリスが話題を無理矢理逸らそうとするも、そうは会話のクロッケーを放棄しないのがローラとアンネだった。肩は、ギリギリと掴んだままである。


「仕方ないわね。今からヤードの管区署に行きましょう。アンネは自転車乗れるしね」


「任せろ。五分で呼んできてやる。その間、アリスは最後のディナーでも楽しんでな」


「……今日のことは忘れろ言ってんだろ! お前ら、ヤードは腐ったプラムよりも嫌いじゃなかったのかよ! このことバラしたら、ホワイトチャペルの地下賭場でブリッジのイカサマしたことヤードの連中にバラして道連れにしてやるから覚悟しておけよ!」


「はあぁ!? あれは手前とローラだけだろう? 私には一インチも関係ないね」


「ちょっと、イカサマならアンネも一枚噛んだでしょうが。自分だけ良い子ちゃんのフリするんじゃないわよ! あんたなんか、質屋で金時計かっぱらったでしょうが!」


「そうだそうだ。この中で一番手癖が悪いのはアンネ、手前だろうが!」


「ざけんじゃねえぞ! あの金時計は元々私のもんだ! 盗んだのを盗み返しただけだっつーの。一番悪どいのはローラ、手前の方だ。ヤードの連中にパチンコ玉投げるのが生き甲斐みてえな女が人を悪人呼ばわりするたぁチャンチャラおかしいぜ」


「何年前の話を蒸し返すのよ! ああ、もう、頭に来た。二人とも、表出なさいよ。そろそろ、誰が一番強いのか決着をつけるべきだわ。私が元拳闘家なの忘れたわけじゃないわよね? 三十秒もあれば、二人がかりだろうとKOにしてみせるわ」


「おいおい、粋がるなよド素人。セブンダイアルズで五年も生き延びた私に喧嘩売るたぁ面白くもねえ冗談だ。……上等だよ。手前ら二人纏めて、デムズ河に突き落としてやる!」


「あはははは。ローラもアンネも感情的にならないでよね。……お前らみてえな雑魚二人を片付けるのに十秒もいらねえよ。そこまで怪我が欲しいなら、いくらでもくれてやる!」


 椅子を転がる勢いで立ち上がる馬鹿三人。割って入ったのはローグだった。


「……静かにしろ。俺達が背負っている話は全部、包み隠さず教えてやるよ」


 シーンと、三人が黙り込み、最初に血相を変えたのは茶髪女中のアリスだった。


「ちょっと、ローグ様。そんな弱気にならないでくださいよ。あっちは二人でこっちは四人。簡単にボッコボッコのメッタメッタのギッタギッタにしてやりますから」


「え? 喧嘩ですか。いいですよ。私、素手で鹿を〝解体〟するのが趣味ですから!」


「……セシル。貴女は黙っていた方が、この場では賢明だ。と私は淡々と忠告しましょう」


 騒ぐ連中に、わざとらしく咳をしたのは、この場で最年少の娘・ヘレンだった。険しい目付きで皆を見詰め、弟を叱る姉のような口調ではっきりと言ったのだ。


「今は食事中です。全ての話は食事を終えてからです。皆さん、マナーぐらい、ちゃんと守ってください」


 アリス、ローラ、アンネがお互いに顔を見合わせ、気まずそうに椅子に座り直した。子供に正論で注意されるほど、心に突き刺さるものもそうそうにないだろう。大人しくなった連中を眺め、ヘレンが満足そうに食事を再開する。その仕草は上品であり、他の者達と空気が隔絶していた。セシル、ヒューロ、ローグも食事を続ける。

 食事はマナーを守って。それはきっと、聖書のどんな言葉よりも確かで絶対的な誓いなのだ。

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