第3章 Ⅰ


 僅かに赤毛の三つ編みを揺らしながら、ローラ・アチェートは高級住宅街として有名なチェルシー地区を歩いていた。その服装は動き易さを重視しており、スカート部分は大きく足を動かせるようにタイトとは真反対の余裕があるデザインだ。ショールは胸の前でしっかりと結んでいる。頭を飾るレース編みの帽子には穴が開けられ、通された紐は顎の下。これで落ちる心配はない。まるで、次の瞬間に走ることになっても不都合が起きないようにしているかのように。右手には手帳を持ち、左手には鉛筆を持っている。

 夏の日差しが強い午前十一時二十分。ロンドンでは珍しい猛暑日だった。チェルシー地区の大通りに人気は皆無で、一度だけ二頭立ての四輪馬車(ワゴネット)と擦れ違っただけである。ローラは気難しそうに顔を顰めており、不機嫌丸出しだった。そんな友を見兼ねて、隣に並んで〝進む〟彼女が呆れたような口調で言った。


「お前、このままだと小皺が増えるぞ。その露骨な顰め面、何とかしたらどうだ?」


 髪を肩にかからない短さまで切っている男勝りな性格である、アンネ・フランク。いつもの給仕服ではなく、外出用のお洒落な服装だった。明るい色合いで、赤いレースと白いドレスの組み合わせが良く似合っている。縁のある帽子には薔薇を模したリボンが飾られていた。化粧っ気はないものの、その分、素材の良さが活かされている。


「……こんなところ、知り合いに、絶対に、見られたくなかったのに。よりによって、あんたに会うなんてねえ。その記憶、デムズ河に捨ててきてくれないかしら? これでアリスがいたら卒倒するところだったわね。っていうか、この時間帯は仕事中でしょ。今日はまだ金曜日で、土曜も日曜もまだなのよ。とうとう、化けの皮を剥がしてサボりかしら? それは随分と良い御身分ね」


「ったく、記憶がねえのは手前の方じゃねえか。さっきも言っただろ。店長が手前のかみさんと一緒に年甲斐もなく〝デート〟に行ったんだよ。今頃、どっかの公園で仲良くピクニックしているだろうよ。仲が良いのは結構だが、気まぐれで店を休むのはどうよ」


「で、そんな格好なわけ。まあ、別に服は良いわよ、服は。けど、なんでそんな〝物〟に乗ってるわけ?」


 ローラの恨みがましい視線に、アンネは首を下方向へと曲げる。ちょうど、自分の足元を見るように。


「そんな物って何だよ。今大ブームの〝自転車〟だぜ。コイツはすげえよ。まるで風になったみたいだ」


 ――新時代の女性を象徴するアイテム。〝ドアの鍵〟と〝煙草〟。そして〝自転車〟だ。

 一八八〇年頃から自転車で颯爽と駆け抜ける女性の姿が数多く見かけられるようになった。そして、一八九〇年の現在、英国全土に五十万人以上のサイクリストが存在する。馬よりも操るのが簡単でコストもかからず、自分の意志で自由に、早く遠くへ移動出来る自転車は安定した地位を確立しつつある。とくに、女性からの支持が強い。古くから、英国男性は、物静かで華奢な女性を理想としてきた。しかし、悪い言い方をすれば『女性は家で家事をすればいい。黙って夫の言うことを聞け』という束縛であり、男尊女卑の典型でもあった。電話交換のオペレーターや、タイピストなどの社会的女性進出がようやく日の目を浴びる今、肉体的、精神的に男性から解放される自転車は〝これからの女性〟に必要不可欠な象徴としてメディアは捉えている。

 そういった意味で、アンネの姿はまさに〝これからの女性〟そのものでもあった。


「後輪駆動、前後の車輪は同サイズ。安定性に長けた三輪。後部には物を置ける広々スペース。最新式の空気入りゴムタイヤ。安全を配慮してハンドルにはベル付き。いやー、高かったが良い買い物だったぜ。自分で歩くよりも疲れないし、時間の節約にもなる。道を走る度に注目されてよ。この前なんか、取材させてくれって頼まれちまったよ。やっぱり、自転車こそが女の乗り物だ。ローラも買ったらどうだ? 世界観変わっちまうぜ」


 晴れやかな表情のアンネは自転車に跨ったままで、ローラの歩幅にゆっくりと車輪の回転を合わせている。こんな調子で進むものだから、注目されっぱなしだ。今も、窓の外からこちらを眺めている少女が数人いる。羨望と嫉妬が入り混じった瞳ほど、愉悦感を刺激するモノもそうそうにないだろう。


「そうね、この仕事が成功して金が入れば、そうしようかしら」


 ローラは前だけを見ている。アンネは呆れるように嘆息を零した。


「……私からも質問するけどよ。なんで、その仕事選んだんだよ。お前、器用だし頭回るんだから、もっと別の仕事があっただろうに」


 すると、ローラがピタリと足を止めてしまう。アンネはハンドルのレバーを握り、自転車のブレーキをかけた。アスファルトの上でゴムタイヤが僅かに軋む。赤毛の少女は忌ま忌ましそうに或いは憎たらしげに唇を震わせ、静かに語り出す。


「月曜日、アリスと別れた後、私は金融街(ザ・シティ)のレドンホールにある雑誌出版社〝カルバダード〟にタイピストとして面接に行ったわ。恙無く面接は合格、晴れて私は正社員になった。なのに、火曜日の朝になんて言われたと思う? あのデブでハゲで豚顔の上司は私にこう言ったわ。『雑誌のネタには困ってないし、タイピストも足りているから掃除でもしていてくれ』ってね。あの糞野郎、初めから騙すつもりだったのよ。給料も誤魔化そうとするし、ついに私はブチ切れたわ。『じゃあ、私が自分で自分の書くネタを探します』ってね」


 男尊女卑、ここに極まるか。しかし、こちらも貧乏暮らしが肌に染み付いた肝っ玉だ。売り言葉に買い言葉。ついにローラは一週間の猶予を貰い、雑誌に掲載するだけのネタを見付ければタイピストに昇格、見付けられなければ大人しく清掃員という賭けに出た。

 ボートレースに競馬、ボクシング。賭け事大好きな英国人。その血は誰も逆らえない。かくして、ローラは次の火曜日までに〝ネタ〟を探さなければ屈辱の清掃員となってしまう。ちなみに、アリスの年収は約二十四ポンドでアンネは三十六ポンドだ。このまま清掃員になれば年収約十二ポンド。タイピストの半分以下である。これだけは避けたい。

 本来、このように足は使わず、オフィスで優雅に仕事をするはずだったのだ。これまでローラは酒の席で散々、これからの女性は男性と平等云々、職に意義を見出す云々と偉そうに語ってきた。それなのに、清掃員になってしまえば絶対に笑われる。アリスに。『ローラが清掃員? ぷひゃははははははは。良かったじゃないですか。ある意味でプフフフ、オフィスワークじゃないですかクヒャッハハハ』。ネタを見付けられない焦燥から、少女の中で友の姿が悪魔に近付いていた。ここまで茶髪は悪い性格ではない。


「で、これからどこに行くんだっけ? ここって金持ちばかり住んでる場所だぞ。物乞いでもすんのか? だったら、シティに戻った方が効率的だぜ」


「んなわけないでしょ。取材よ、取材。……実はね、チェルシー地区で最近、怪奇現象が続いているのよ。これを解明するために、私は危険を犯してまで単独取材するってわけ。なんでも、一週間近く前に〝空を飛ぶ蝙蝠人間〟が発見されたらしいわ」


 ボソッと呟いたローラへと、アンネは呆れを通り越して可哀想な人を見る目を向けた。


「ビールなら奢ってやるから、その、なんだ。病院行こうぜ。お前、昔から頑張り過ぎなんだよ。アリスみたいにもうちょっと馬鹿になれ。じゃないと、阿片窟の奴らみたいに夢から戻れなくなるぞ。そんな酔っ払いの寝言、どうして信じるに足りる?」


 アンネのもっともな意見に、ローラはぐっと喉奥を鳴らしてしまうも、すかさず反論する。その目は、若干寝不足気味だった。


「だ、だって、目撃者は何人もいるのよ。それに、他にも〝土竜怪人〟とか〝炎の蛇〟とか色々。この場所のどこかに魔女でも住んでいるんだわ。科学が発達した現代によみがえる魔法。すっごく、大衆の興味が引かれる内容だと思わない?」


「ロンドン塔の首無し王妃(アン・ブーリン)の方が、まだ信憑性があるな。お前、たまに馬鹿になるのは何かの病気か?」


 何も信じていないアンネの様子に、ローラは強く言い返せない。むしろ、本人もそれほど深く信じておらず、大博打も良い所だ。だが、期限はすでに半分を過ぎている。多少のリスクは承知の上だ。

 再び歩き出すローラ。しかし、アンネはペダルを踏まない。数歩前に進んだ赤毛の少女は怪訝そうに首だけを後ろに曲げた。


「ちょっと、早く来なさいよ。そろそろお昼だし、早くしないと取材の時間がなくなるわ」


「単独取材するんだろう? 私は、手前の邪魔をしないようにハイド・パークにでも行ってサイクリングに勤しんでくるよ。あそこなら、なんか食べ物か飲み物でも売ってる奴らもいるからな。ミートパイとレモネードでもあれば言うことなしだな。じゃあ、頑張――」


 くいっとハンドルを傾けるアンネの方をローラはガシッと掴んだ。その目は、親に置き去りにされそうになる子供よりも悲痛で、必死で、悲愴で、若干――気持ち悪い。


「ちょっと待ってよ。一人だと怖いからアンネもついてきなさいよ。暇なんでしょ?」


「はあ? 怖いってなんだよ怖いって。いるわけもねえ物怖がってどうすんだよ」


「もしかして居るかもしれないでしょ。だから、ね。お願いだから、ね! この仕事成功してタイピストになったら、職場の人達にアンネが働いている喫茶店を宣伝するから!」


 懇願する友の様子に、アンネは渋々と頷く。ローラの顔が、パーッと輝いた。


「助かるわ! じゃあ、さっそく聞き込み調査よ。なんとなく、こっちの方角が怪しいって私の勘が訴えているわ!」


「おい、待てよ。ったく、ローラも調子良い時があるんだからよ。……まあ、乗り掛かった船だ。つき合ってやるよ」


 ローラが進む先は表通りから外れ、裏道の奥へ奥へと進み、辺鄙な場所に辿りつく。アンネは自転車に跨ったまま〝それ〟を見上げ『ほお』と呟いた。


「表の通りからは見えなかったな。へえ、手前の勘って賭け事以外だと冴えるんだな」


 アンネに倣い、ローラも〝それ〟を見上げる。赤い屋根の四階建。壁である白い化粧漆喰に多少の〝剥げ〟が見えるも、隙間風が厳しい二ペンスの安宿と比べれば月とスッポンの差だろう。小さいながらも手入れが行き届いた小奇麗な庭があり、赤や黄色の薔薇が綺麗に咲いている。屋敷をぐるりと囲む背が高い鉄柵も、多少の錆びが浮いているものの、頑丈そうな造りだった。少なくとも、幽霊が住んでいるような様子はない。三角屋根を貫く煙突からは朦々と煙が溢れていた。恐らく、昼食用の肉でも焼いているのだろう。その香ばしくスパイシーな匂いは、昼飯前の人間には少々暴力的な香りだった。


「コイツはカレーだな。くう、美味そうな匂いだな。出来るもんなら、御相伴に預かりたいぜ」

 インドから伝わったカレーは、ロンドンで人気急上昇中である。


「オクスフォード・ストリート辺りでC&B社のカレー粉でも買うことね。とにかく、行ってみるわ」 


 腹を片手で押さえたアンネを横目に見つつ、ローラは裏口へと回る。一歩近付くごとにカレーの良い匂いが、一層強く鼻孔と胃を刺激した。手間のかかるカレー料理をわざわざ作るとなれば、それだけ〝良き使用人〟が働いている証拠であり、自ずと家主の〝地位〟も窺い知れる。……そういえば、アリスはチェルシー地区のどこで働いているんだっけ? 赤毛の少女は、脳内に様々な疑問符を浮かべつつ、裏口のノッカーを叩いた。すると、十秒もしないうちにドタドタと騒がしい足音が扉を勢いよく開けた。


「はいはーい。どなたですか? 牛乳屋さんですか? それとも、屑買い屋さんですか?」


 女中服を纏ううら若き乙女に、ローラは目を瞬かせる。綺麗に編み込んだ金色の髪、美しきサファイアの瞳。メロンか桃と見間違う豊満な胸。向日葵のように眩しい笑顔。女性としての魅力を凝縮したような彼女の存在に、圧倒されてしまう。


「あ、あの、私は雑誌出版社〝カルバダード〟の記者でして、少々、お話を聞きたく――」


「お話ですか? 御主人様にですか? 御主人様は今、カレーをパンとご飯どっちで食べるかでヒューロと喧嘩していますよ。私はどっちでも良いんですけど、お二人は食が絡むと鬼と竜に成っちゃうから大変なんです! どっちも美味しいのに、残念です!!」


(ひ、人の話を聞いてくれない。だ、駄目よローラ。こんなところで怖気着いちゃ駄目よ。私は、絶対にタイピストになって。これからの女性の象徴にならないと!)


 自分で稼ぎ、自分で生きる。女が男よりも劣っているとは限らない。ローラはなけなしの勇気を振り絞る。一方で、アンネは『私、やっぱり帰っていいか?』と嘆いていた。

 と、その時だ。ローラとアンネが、聞き慣れた声を聞いたのは。


「ちょっとセシル! あの二人を止めてきてよ。ヒューロがとうとう傘を振り回し出してローグ様がこのままだとキドニーパイの具材になり、そ、う、なんだ、けー、ど?」


 セシルの背後に立った〝彼女〟の姿に、ローラは大きく目を見開き、アンネが『おいおい、世間って狭いな』と呟いた。

 茶色の長い髪を頭の後ろで一本に纏めているヘアースタイル。背が高く、愛嬌のある顔立ち。酒の席でこそ光る笑顔と友の間では共通認識。黒いワンピースに白いエプロン。そして、小さな帽子。典型的な女中スタイル。お互い、顔を見合わせ、


「げっ!?」


「なっ!?」


 アリスとローラ。瞬時に詰め寄り、互いに互いを指差した。


「ローラ! なんでここにいるのよ? アンネまでいるし。ちょっと、本当になんで?」


「アリス! ここってもしかして、あの時に新聞で読んだキャバリー家!? 見ないで! 今の私は違うの。本当の私は今頃、小奇麗なオフィスで優雅にタイピングを営んでいるってもっぱらの噂なの!」


「だあ、糞馬鹿! 私の背中に隠れるな! 取材すんだから、知り合いがいるのは結構なことだろう? おい、アリス。悪いんだが、今日の午後にでも時間作ってくれよ。ちょいと、聞きたいことが〝色々〟あるんでな。なーに、その分の駄賃は弾むよ、ローラが」


 アンネが背中に未練がましくしがみつくローラを引き剥がしながらアリスに問う。茶髪の女中は『えっ? えーっと……』と言葉を濁してしまった。まるで、何か重大な用事でもあるかのように。その様子に、短い髪の女は怪訝そうに首を傾げた。


「なんだ。休みがないほど忙しいのかよ。だったら、明日のパブの時でもいいぜ?」


「い、いやー、そのあの、明日のパブも難しいっていうか。むしろ、私、出れない」


 これには隠れていたローラも、アンネもぎょっと目を見開いた。それだけの衝撃なのだ。


「パブに出られないってどういうことよ? あんた、三週間前なんて風邪で高熱出したっていうのにビール飲めば治るって来たじゃない。結局、悪化して馬鹿丸出しだったけど」


「狂ったように奇声撒き散らすまでビールを飲むのが好きな手前の言葉には聞こえねえぞ。おいおい、本当にどうしたんだよ。まさか、雇い主に外出まで制限されてんじゃねえだろう

な? だったら止めちまえよ。お前、一週間に一回パブに行かないと死ぬ体なんだから」


「あんたら、私を何だと思ってんのよ。そういうことじゃなくて、もっと別の理由が――」


 その時だ。ローラの耳に〝幼き声〟が届いたのは。


「アリス~。私、お昼には冷えたエルダー・コーディアルが頂きたいのですが、よろしいですか? なければ、レモネードを」


 青を基調としたドレスを纏う少女が優雅な足取りでアリスの傍に寄る。その瞬間、茶髪の女中はビクゥッ!! と両肩を震わした。まるで、人には絶対に見せたくなかったモノがバレてしまったかのように。その慌てように、ローラがますます眉間に皺を寄せた。


「ちょっと、アリス。あんた、また何かに首突っ込んだでしょう。それは癖なの趣味なの神様の気紛れなの? いつもいつも何かトラブル抱えて大慌てして。こっちが何度、飛び火貰ったか分かったもんじゃないわ。……そっちの子は、この屋敷の娘さんかしら?」


ローラはアリスの隣にキョトンと首を傾げて立っている少女に視線を移す。歳は十代前半。身長はアンネよりも低い。緩いウェーブがかかった金髪は腰の半ばまで伸び、背中を撫でるようにサラサラと揺れている。愛らしい瞳、可憐な唇。まるで、理想郷・アヴァロンで竪琴を奏でる風の精霊か。これだけの美少女、滅多に見られるものではない。


「ほ、ほら、お嬢様。そろそろお昼ですので、早く食堂の方へ――」


「――ちょいっと、待ちなアリス。おいおい、こいつは一体、何の〝冗談〟だ?」


 小さな淑女の背中を両手で押そうとしたアリスに待ったをかけたのは、厳しい目付きのアンネだった。その表情は怪訝、困惑、怒りが綺麗に三等分されている。ローラは友の変化に息を飲んだ。ここまで真剣な友の顔を見るのは、本当に久し振りだったからだ。


「私は喫茶店で働いている。当然、客と話すのも仕事の内だ。で、話題にことかかねようにと、朝刊は三つ読んでいる。経済新聞、ゴシップ新聞、そしてロンドンでの事件を扱った情報新聞だ。そこには、こう書かれていた。昨日の晩、ヤードの連中が、ストーナー家から誘拐された娘、ヘレン・ストーナーを拉致監禁している犯人の情報を掴んだってな」


 状況を次第に飲み込むローラ。アリスの顔面にブワッと汗が噴き出す。金髪女中の姿はすでになく、廊下の奥から『白米を食わせろと私は訴える!!』と叫び声が聞こえてくるも、三人は険しい顔付きで膠着したままだった。幼き淑女だけが、首を傾げている。


「あはははは。ちょっと、アンネ。もしかして、この子が例の誘拐されたヘレン・ストーナーって言うわけ? この子は、ここの屋敷で昔から住んでいるお嬢様だよ。ね、ねー?」


 眼光険しくアリスが隣の女の子に露骨なアイコンタクトを送る。幼き淑女が、はっと思い出したかのように。ブンブンと首を縦に動かした。


「そ、そうですよ。私はけっしてヘレン・ストーナーではございませんことよ。おほほほ」


「新聞には人相書きが載っている。今朝の〝ユインカー・タイミズ〟を読んでねえのか?」


 ロンドンでは朝刊十五社、夕刊十二社のペースで新聞が刷られている。全ての新聞を買っている者など、滅多にいないだろう。アリスの顔色がどんどん、青白く変貌していく。


「た、他人の空似じゃあ、ないかなー? アンネったら、疑り深いぞー」


 すると、アンネは腕組みし、小馬鹿にするような笑みを浮かべて言ったのだ。


「……確かに。ライアーク・ストーナーの晴れた日の海を想わせるような瞳と比べると、こっちの御嬢ちゃんの目は若干、暗いかな」


「し、失礼ですね! 私の瞳はお父様譲りのオーシャン・ブルーです! ……あっ」


 しまったとヘレンが口元を押さえるも、もう遅い。アンネが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「ガキはこれだから、嘘が下手なんだよ。で、アリス。こいつがヘレン・ストーナーってことはだ。手前が怪盗〝バイオレット・ムーン〟の一員ってことで、間違いないんだな?」


 アンネの言葉に、ローラが目を点にした後に薄く唇を裂くような笑みを浮かべたのだった。


「私ね、アリス。特ダネを求めているの。だから、ねえ、アリス。ちょっと手前のこと取り調べてもいいでしょう? 大丈夫、すぐに終わるわよ。すぐに、終わらせるから」


 友二人に睨みつけられ、アリスは目尻に涙を浮かべる。嫌だ嫌だと首を横に振るも、アンネとローラは退かず、怯まず、徐々に距離を詰めてくる。その動き、まるで遠い土地で語られた〝生ける屍〟か。その間に『火を飛ばすな! 矢を撃つな! 止めろ。止めろおおおおおお!』と聞こえるも、悪友三人衆には届かない。事態の歪さを察したのか、ヘレンが無言で廊下の奥に消えた。きっと、道徳的に世界的に賢明な判断だった。


「「ちゃんと話して貰おうか!!」」


 結果。今日の昼ご飯タイム。キャバリー家の食堂に椅子が二脚追加されることとなる。


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