第2章 Ⅶ


 狭い部屋に五人も揃えば多少は寒さもマシになったような気がする。オイルランプを部屋の中央へ置き、五人は囲むように座った。アリスから時計回りにセシル、ローグ、ヒューロ、ヘレンの順である。大の男が本当に泣きかけた後、すぐにメアリーとジェームズが戻ってきた。その両手を〝色々〟な物で一杯にして。亭主は全員分のビールと紅茶、そして軽食用にとイチジクとプラムまで用意してくれた。夫人も質の良い毛布を沢山持ってきてくれた。これで、今夜は寒さに震える心配はないだろう。ちなみに、椅子に座ったのはジェントルの娘だけだった。 

 洗濯屋夫婦が『パンとスープでも用意しましょうか?』と提案してくれたものの、それは流石に断った。こんな夜更けにパブや娼館でもないのに煙突から煙を伸ばすのは不自然だ。ヤード連中の目を欺くためにも、余計な目立ちはしない方が無難である。


「いやー。やっぱり労働の後のビールは格別ですね。この無花果も実に美味です!」


 まるでここがパブの一席であるようにビールをグビグビと飲んでイチジクを貪るのはセシルだけだった。ローグは木製のジョッキで半分飲み干し、言葉に迷うように口を閉じてしまう。ヒューロは袂から取り出したナイフでプラムを切り分け、ヘレンへと差し出していた。一方、アリスはビールを数口飲んだだけで、イチジクを右手で弄んでいる。


「……あのー。そろそろ、話を進めませんか? 時間もないですし、正直、眠いですし」


 本来なら、とうに眠っている時間である。疲労も重なり、今すぐにでも横になって眠りたいところだ。目を閉じれば二十秒以内に夢の国への往復券を買う自信がある。アリスの催促に、ローグはセシルとヒューロに視線を移した。少女二人は黙って頷いた。


「そうだな。元々、アリスには全てを語るつもりだった。今から話すことは、他言無用だ。それは、ヘレン御嬢。君にも当てはまる。どうか、今から聞く話は白昼夢だと思ってくれ。語っても誰も事実だとは思わない。だからこそ、誰かに話す必要なんてない。いいか?」


「ええ。この時間、いつも私はベッドで眠っているわ。夢を見るのは、仕方のない話よ。……どうか。私にも御説明してちょうだい。ヤードの方々は貴方を怪盗〝バイオレット・ムーン〟と呼んでいたわ。私、使用人の子に頼んでこっそりと雑誌を買って貰っていたの。そこに、色々と書いていたわ。それは、本当なの?」


 紙税の廃止により雑誌の低コスト化は進み、道徳的な堅苦しい内容から、もっと大衆に親しまれるようなゴシップ系、生活雑誌系が多くなった。人間、お上品な味付けよりもジャンク的な味を食べたい時もある。そこに、身分の差は関係ない。上流階級のお嬢様が使用人に頼んで〝こっそり〟と雑誌を買ってもらう話は珍しくない。ローグは片目を閉じ、ビールを音もなく啜った。まるで、蛭が鮮血を求めるかのように。


「ゴシップには色々と叩かれたな。非道な連中だの金持ちの敵だのって。確かに、俺達の行動は〝悪〟だ。それは、変わらない。根っこはどうやっても変わらない。サクランボの木にメロンが生らないように。だが、俺は君達に真実を語りたい。聞く勇気はあるか?」


 ローグの一睨みに、ヘレンは息を飲み、ぐっと堪え、コクリと頷いた。アリスも負けじとブンブン頷く。


「……なら、教えよう。俺達が盗むのは、正確に言えば、俺達が盗む標的は悪党だけだ。他者を騙し、他者を傷付けて甘い汁を啜る連中だけ。正義で悪は裁けない。悪を以って悪を征する。それが俺達〝バイオレット・ムーン〟の〝役割〟であり〝使命〟でもある」


「――きゅ、急に何を言い出すんですか、ローグ様。ミューディーズで本でも読み過ぎましたか? それとも、一ペニー劇場の腐った演目でも観過ぎたんですか? 今、貴方、とんでもないことを言いましたよ。悪党を悪党として成敗するって、まさか、冗談ですよね」


 アリスが苦笑いするも、ローグもセシルもヒューロも大真面目な顔だった。そして、助け船を出したのは、プラムの皮を剥いて器用に八等分した異国の少女だった。


「この前のサザード銀行で三万ポンドの強奪。あの銀行は、大規模な株の裏取引をしていました。事前に価値が上がる株柄を投資家に教え、報酬を得ていたんです。また、小中規模の企業に法外な金利を突きつけ、買収し、東インドでの貿易に着手している。このままでは、市場のバランスが崩れ、多くの人間が路頭に迷ってしまう。と、私は説明します」


「あのお金は、人々を騙したお金です。だから、私達は奪いました。ヤードの動きを待つのは遅いんです。勿論、私達でお金は使っていません。仕事の依頼をしてくれた〝とても偉い方〟に返しました。そりゃあ、綺麗事かもしれませんけど、でも、誰かがやらないと不幸な目にあう人が大勢います。皆が戦えるわけじゃない。誰かが戦わないといけないんです。ええっと、二週間前の宝石だって、あれは盗難品でしたし、前に貴族様の屋敷に忍び込んだのは、えっと、なんだっけ、そう、権利書を奪い返すためです」


「……オーエンダー伯爵が持っていたのは、別の男爵から奪ったフランス南西部の土地利用権利書だった。ワインの産地であるフランスの土地は、価値が増大しているからな」


 三人の言葉に、ヘレンは眉を潜め、アリスは口を閉ざしてしまう。急な説明に、頭が着いていかないのだ。やっと言葉を紡げたのは、ビールを数口飲んでからだった。


「つまり、皆さんは、悪人を懲らしめるために泥棒を、していたって、ことで?」


「そういうことだ。……勿論、すぐに信じてもらえるとは思ってないよ。俺達が君達を騙す為に都合の良い嘘を吐いている可能性だってある。けれど、これだけは信じてくれ。俺やセシル、ヒューロは、ヘレン御嬢を助けたい。それだけは、偽りじゃないんだ」


 真摯な声だと、アリスは思った。もしかすれば、彼の機嫌を損ねれば屋敷で働けなくなる。そんな、打算も心の隅にあったかもしれない。それでも、彼女は、彼の声を無碍にするだけの理由も持ち合わせてはいなかった。


「ここまで乗り掛かった船ですしね。……まあ、ローグ様達が本当に悪者なら、私なんて途中で見捨ててるでしょうし。むしろ、私って邪魔ですかね? あはははは」


 やや自嘲気味に笑うアリス。小腹が空いたとイチジクを一つ掴み、御尻の方から半分に割る。玉葱のように伸びた軸から皮を剥いて一口。やや繊維が多くザラザラした食感で、優しい甘味があった。ビールには少々、合わないが、まあ仕方ないと諦め――。


「――まあ、アリスは最初からこっちの仕事に巻き込むつもりだったけどな」


 ローグのとんでもない発言に、アリスは『ふごっ!?』と盛大に咳き込んだ。ゴホゴホと何度も喉を震わせ、セシルが優しく背中を撫でてくれた。今、雇い主は何と言った?


「ケホケホ。あははは、ローグ様。今、なんて言いました? 私、聞こえなかったんですけど。もう一度言って貰えませんか? 出来れば、田舎出身の私でも聞きとれるように簡単な声でお願いします。今、巻き込むつもりとか言いましたよね? 言いましたよね?」


 すると、セシルが呑気な顔でプラムをマグマグ齧りつつ、口の端から甘い汁を零した。


「最初から、アリスのことは仲間にするために雇いましたもんね。私、そろそろ仲間が欲しいなーって思っていたところなんです。だから、来てくれた時はすっごく嬉しかったんです。私はアリスのことを仲間にするの、大賛成です!」


「ごめんね、セシル。私、今、話についていけないから、黙ってイチジクでも食べてて」


「私は研究の実験……おっほん。研究の協力者がいればと思っていた次第でと説明します」


「ヒューロちゃんって意外と物事をズバズバ言う性格だったんだね! ちょっと黙ってて」


 乙女二人を黙らせ、セシルはローグを睨みつける。武器を持たぬ女中の眼光に、銃を持つ雇い主はばつが悪そうに顔を逸らした。


「ほ、本当なら、もうちょっと後になってからさり気なく説明するつもりだったんだけどな。いやー、あははは、まさか、こんなことになるなんて。――す、すまん」


「すまんで済むならヤードはいらないんです! 私、殺されかけたんですよ? すごく酷い目にあったんですよ? すっごく怖かったんですからね!! じゃあ、なんですか? 私を怪盗の一味として就職させるために女中として採用したんですか? 詐欺ですよ詐欺。私みたいな何の取り柄もないような貧乏暮らしお似合いの田舎娘に何が出来るって言うんですか!? ああ、もう。自分で言っててすごく惨め! なんでこんな目に……」


 がっくりと項垂れるアリス。どうしてこうなった。いや、初めにもっと警戒するべきだった。今時の御時世、紹介状ナシに女中として雇ってくれるような場所は滅多にない。だからこそ、何か裏があるんじゃないかと疑うべきだった。


(私、泥棒になるの? いや、だって、これはヘレンお嬢様を助けるって大義名分があるから協力しているわけだし、これから泥棒になるのは、ちょっとなー。ええ、もう、本当にどうなっちゃうの!? 私女中兼泥棒になっちゃの?)


 自分の人生にアリスは悩み、ヘレンは睡魔の限界だとコックリコックリ頭を揺らすのだった。

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