焼き鳥と、ビールと、ブス、再び。

 馬場添の弟の小学校へ行った翌週、飲み会の仕切り直しをする約束をした。


 今日が飲み会当日。仕事を終わらせ、ちゃちゃっと締め作業と掃除をやっつけると、


 「お疲れさまでしたー」


 『鳥蔵』へ急げとばかりに、バックヤードに鞄を取りに帰ろうとした時、


 「貝谷さーん、お客様でーす」


 アシスタントの真衣ちゃんに声を掛けられた。


 イヤイヤイヤイヤ、もう閉店してるじゃん。誰だよ、他人の迷惑を顧みない客は。左右の眉毛によって押し寄せられた眉間の皺を人差指で擦り、なだらかにしながら振り向くと、


 「貝谷さんより数倍カッコイイ、貝谷さんの弟さんでーす」


 真衣ちゃんにわざわざ紹介してもらわなくても、充分に知りすぎている身内が立っていた。


 「兄ちゃん、今からご飯行かね? ちょっと相談事があるんだけど」


 弟がわざわざ俺の店までやって来ているのだから、結構な悩みなのかもしれない。が、


 「ごめん。俺、今から飲み会。明日でいいか?」


 先約があるし、相談を聞く事が一日遅くなったからって、物事がすぐにどうこうならないだろうと、弟の肩をポンと叩き、再度バックヤードに戻ろう身体の向きを変えた。


 「弟の相談より大事な飲み会って、どんな会合なんだよ」


 俺をバックヤードに行かすまいと、弟が俺の腕を掴む。


 「友達の弁護士の勝訴祝い」


 と、銘打ってはいるが、また三人で飲みたかっただけだったりする。正直、頭が飲み会モードで弟の話を真剣に聞いてやれる自信がない。


 「その会、俺も行く」


 しかし、俺の自信の有無など弟には関係ない様で、『自分も参加する』などというとんでもない発言をしだした。


 「はぁ?」 


 何を言い出しているんだ、弟よ。何だかんだで楽しいが、あの会にいるのは乙女系男子と、閻魔大王の様なブスだ。弟がノコノコやってきて楽しく飲める場ではない。


 「てか、絶対に行く。いくら逃げようとも追う。俺の方が足速いし」


 しかし、弟は我が強い。末っ子でみんなから溺愛され、我儘放題に育ってきてしまった為、自分の意見が通らない事など、弟にとってはあり得ない事なのである。


 「…えぇー」


 俺もまた、『お兄ちゃんなんだから我慢しなさい』と言われ続けてきたせいで、弟の言い分を撥ね退ける術を知らなかったりする。


 弟は本当に飲み会について来る気なのだろうか。

 


 約束の時間より少し遅れて『鳥蔵』に到着。


 店員さんに案内されて通された席には、既に馬場添と倉田くんが座ってメニューを眺めていた。


 「遅れてごめん」


 俺の声にこちらを向いた二人の目が、俺ではない方に向いた。


 「あ、こんにちは。貝谷です」


 二人の視線を感じ取った弟が、『ペコ』と頭を下げた。結局、弟の我執を阻止出来ず、ここに連れてきてしまった。


 「まぁまぁ、人間ってこんなに短時間に突然カッコ良くなるのね。整形? アレ? でも、足も長くなってる。人体の不思議だわ。で、隣の方は?」


 「お馴染みの方の貝谷だわ。こっちは弟‼ 初っ端から腹立つボケかますなや、馬場添‼」


 馬場添の白々しい寸劇にすかさず突っ込むと、


 「あんまり似てなーい。弟さん、イケメーン」


 倉田くんは、無意識にそこそこ失礼な事を言いながら笑った。それ、暗に俺の事を『イケてない』って言ってるし。この前まで『貝谷さんみたいにカッコ良くなりたい』って言ってたくせに、ヒドイもんだよ、倉田くん。


 馬場添たちの向かいに俺と弟が座り、早速四人でビールを注文し、乾杯。


 俺の弟が紛れ込んでいる事を何の疑問にも思っていないのか、気にもならないのか、馬場添と倉田くんは『弟くん、何食べる? 遠慮なく好きなの頼んじゃっていいからね』と、弟に親切に声を掛けながらメニューを手渡してくれた。


 弟はすんなり二人に歓迎され、和気藹々の飲み会ムード。だったのに、


 「お二人って、弁護士さんなんですよね? ちょっと意見を聞きたくて、今日飲み会にお邪魔したんですけど」


 馬場添からメニューを受け取った弟が、今日来た目的を口にすると、


 「…あら? どういう事かしら? 今日は倉田の勝訴祝いとお聞きして来たんですけれども? 作り物の方のイケメンさんよ」


 馬場添が、口角だけは上がっているが、目が睨みを利かせているという、これを笑顔と呼んで良いのかどうかさえ分からない表情で俺の顔を見た。


 どういう事なのかなんて、俺だって知らない。本当にどういうつもりなんだ、弟‼


 「も…もちろん今日も俺の奢りだから‼ たらふく食べてくれ‼」


 弟を一瞬睨みつけてから、馬場添のご機嫌を取るべく、『今度は馬場添の奢り』のはずなのに、今日も俺がお会計をしなければならないハメになる。やるせない。弟、許せない。


 「ば…馬場添先輩‼ 見てください‼ 『日本三大美味鶏盛り』なんてメニューがありますよ‼ 『比内地鶏・名古屋コーチン・薩摩地鶏』ですって‼ 豪華‼ 間違いなくおいしいですよ‼ コレ、頼んじゃいましょう‼」


 馬場添が、俺の持ち込む相談事(持ち込んでいるだけで俺の悩みではないのに)を心の底から嫌がっている事を知っている倉田くんも、協力体制で俺を援護した。


 無闇に嵐を起こしてはいけない。巻き起こる前に鎮める。


 倉田くんが店員さんを呼び、この店で一番高いであろう串盛りを頼んだ。


 なんでこんな目に…。絶対に弟にも払わせよう。てか、お前が払えや。このクソ弟が‼


 「で、聞いて欲しい話が…」


 弟の怒りも構わず、倉田くんのフォローも台無しにするように、まだ串盛りも運ばれてきていないのに、弟が喋り出しやがった。


 「オイ、誰もお前の話を聞いてやるなんて言ってねぇだろうが」


 『今日はそういう飲み会じゃねぇの。お前が主役じゃないんだよ』と即座に弟の話を遮る。頼むから、馬場添の怒りを誘わないでくれ。


 「はぁ⁉ じゃあ俺、ココに何しに来たんだよ」


 勝手について来ておいて、余りにも自己中な弟の態度に、馬場添は口角を上げる事さえ辞めた。そして、


 「チッ」


 やっぱり出た。馬場添の舌打ち。あぁ、もう。どうしてくれるんだよ。


 「か…貝谷さんの弟さんのお話は僕が聞きます‼ 忘れていましたけど、僕も一応弁護士ですので‼ あ、串盛り来ましたよ、馬場添先輩‼ 馬場添先輩は焼き鳥を思う存分に堪能してください‼」


 倉田くんは、怒りで今にも噴火しそうな馬場添をこれ以上刺激してはいけないと、日本三大美味鳥盛りを運んできた店員さんの手からそれを喰い気味で受け取ると、馬場添の前に置き、弟の件は自分が一手に引き受けると買って出た。ごめんよ、倉田くん。


 「そう。じゃあ、いただきます」


 馬場添は、弟を倉田くんに任せると、串盛りの皿から一本焼き鳥を掴み、口に突っ込んだ。


 「うま‼」


 焼き鳥の美味さに目ん玉を丸くし顔を綻ばす馬場添に、倉田くんも俺も一安心。てか、そりゃ美味いだろうよ。それなりの値段してるんだから。


 「じゃ…じゃあ、お話聞かせて頂けますか?」


 馬場添が焼き鳥に喜んでいる間に弟の話を聞いてしまおうと、倉田くんが弟に話をする様促した。俺もビールを口に含みながら、しょうがなく弟の話に耳を傾ける。


 「嫁の行動が目に余る。離婚する場合の財産の配分を知りたい」


 『ぶほッ』突然の弟のビックリ発言に、我慢しきれず口の中のビールを吹きだしてしまった。


 「きったな」


 俺の口から噴射されたビールから焼き鳥を守ろうと、馬場添が串盛りの皿を抱きかかえた。


 「ごめんて。てか、ちゃんと壁側向いたやんけ。それより離婚て、お前‼ 二ヶ月前に結婚式したばっかじゃねぇか‼」


 ご祝儀泥棒になろうとしている弟は、身内の恥でしかない。そりゃ、兄もビール吐き出すさ。もう、何なんだよ。新婚ってもっとラブラブなモンなんじゃないのかよ。


 「その結婚式で不信感MAXになったんだっつーの。あの結婚式、俺の元カノも出席してたじゃん。大学の時、同じ旅行サークルだったからさ。嫁、ブーケトスでブーケ投げずに元カノに手渡ししてたじゃん。何のつもりかと思ったわ。仲間もみんな『超怖かった』ってドン引きぢてたし。まじで結婚失敗したわ。

 俺、大学中はずっと元カノと付き合ってたじゃん? 就職であっちが他県に行って遠恋になってダメになったパターンじゃん。で、その隙間を同じサークルだった嫁が埋めただけじゃん。

 ちゃんと仲間の女の意見聞いときゃ良かったわ。

 嫁、女子大じゃん? 仲間がさ『ウチの大学のインカレサークルに入るとか、男漁りに来ているとしか思えない』って言っててさ。俺、まんまと捕まったんだなーって。

 で、この前久々旅行サークルの仲間と飲み会だったんだけどさ、嫁に言ったらピーピーうるさそうだから、黙って行ったわけさ。別にやましい事してないし。俺からしたら嫁に気を遣った優しい嘘じゃん。にも関わらず、嫁が嗅ぎまわってバレて大騒ぎ。まじでウンザリ。結婚に後悔しかない。騙された感がハンパない。これって嫁の落ち度での離婚理由になりませんかね?」


 弟がマシンガンの様に喋り出し、倉田くんに尋ねた。


 「お気持ちはお察ししますが、離婚理由としては…。奥さんの落ち度も特に…」


 俺の弟と言う事もあり、無碍には出来ない様子の倉田くんが、遠慮がちに答えた。


 倉田くんの隣では、馬場添が焼き鳥を一本食べ切り、露になった串をポイっと皿に投げ入れると、中途半端に伸び、時折目の中に入る前髪を『あぁー』とウザがりながら掃った。


 そんな馬場添は、焼き鳥をもう一本食べるのかと思いきや、鞄の中に手を突っ込み、名刺入れを取り出すと、名刺を一枚弟の傍に置いた。


 「やっぱり、相談料取りますよね。タダで聞いてもらおうとしてスイマセン」


 弟が馬場添の名刺を手に取った。


 「離婚をする事になりましたら、この馬場添泉にお任せください。必ずやお力になります。アナタの納得できる条件で決着させます」


 流石馬場添。倉田くんの手に負えない案件も、自分なら片付けられるとばかりに自信満々に弟に宣言。


 「ありがとうございます‼」


 弟が馬場添の手を握った。


 「…と、アナタの嫁に伝えて私の名刺をお渡ししておいて頂けないかしら? アンタの嫁は、私がガッチリ護って差し上げます故、ご心配なく」


 馬場添が弟の手を勢い良く振り払った。


 「え?」


 俺の知る限り、誰かに手を弾かれた事などないであろう弟は、驚きというより若干のショックを受けて固まった。


 「アンタさぁ、ココに来る前に何時間漫喫に入り浸って、どんだけの量の漫画を読み漁ってきたの?」


 「は?」


 フリーズ状態の弟が、脈略の分からない馬場添の質問に答えられるはずもない。


 そして、助けを求める様に俺に目配せをしてくる弟を救う事など、当然俺に出来るわけがなかった。だって、相手は馬場添だし。弟の視線に気付かないフリをしながら、ひたすらビールを飲む。


 頼むから、馬場添を怒らせないでくれ。弟よ。…が、


 「よく『優しい嘘』なんて夢見がちな言葉を堂々と息巻いて言えたものだと思って。どんな漫画読んできたのよ。その漫画の登場人物は『優しい嘘を吐いてくれてアリガトウ』とか言いながら、お涙ホロリしてた? 何なんだよ、『優しい嘘』って。実際それを吐いてみたら嫁にブチ切れられたんだろうがよ。何が『優しい』だよ。そんなモン、嘘吐く側の都合の良い独りよがりの解釈でしかないだろうが」


 俺の願いとは逆に、馬場添のイライラはもういよいよなところまで来ている様で、お得意のディスりが始まってしまった。


 「……」


 馬場添に恥ずかしいディスられ方をして、言い返すことも出来ない弟に、


 「大体、嫁がブーケを直接元カノに手渡す事が何で『怖い』って感想になるのよ」


 馬場添の尋問が始まった。


 「…ブーケって、投げるもので手渡すものじゃないじゃないですか」


 返事を間違えれば、次にどんなディスりをされるか分からないと察したのだろう。いつも思った事をすぐ口にする弟が、慎重に言葉を選んで返答した。


 「ねぇ。質問に沿った回答をしてくれない? 私の質問、意味分からなかった? あれ以上に分かり易く砕かないといけないのかしら?」


 しかし、弟の意図は馬場添の怒りを誘う結果になってしまった。


 しかも、イラつく馬場添に弟までもがイライラしてきてしまい、


 「さっきから何。このブス」


 なんて、わざと馬場添に聞こえる様に俺に同意を求めてきやがった。


 安易に頷いたりして、俺にまで火の粉が飛んでくるとか本当に迷惑な為、弟の声さえ聞こえない事にして、一心不乱にビールを飲み続ける。兄ちゃんを頼るな。自立をしなさい、弟よ。


 「アンタ、まさかとは思うけど、『嫁があんな事をしたから元カノが傷ついた』とでも思っているの? 元カノが喜んでブーケを受け取っていたとは思わなかったわけ? 『元カノは別れても自分の事が好きなはず』的な? 幸せな性格ね。てゆーか、気持ち悪い性格ね。たまにいるわよね。『別れても、元恋人にはずっと自分の事を好きでいて欲しい』って人間」


 「……」


 馬場添に図星を射られ、黙り込む弟。


 弟が、怒りを堪える様に歯を喰いしばるから、顎の筋肉がピクついていた。


 そんな弟を鼻で笑うと、まだまだ責める気満々の馬場添が口を開いた。


 もう、馬場添に『ブス』と言った自分が悪いと思って、潔く罵倒されろ、弟。


 「で? 他の大学に通っていた嫁が、アンタの大学のインカレサークルに入ったら『男漁り』だなんだと言っていたわね? じゃあ、アンタはどうしてインカレサークルに入ったのよ。他の大学の女子とも触れ合いたかったからじゃないの? 何で喋りながら自分の言っている事の矛盾に気付かないのよ。脳みそに鼻くそか何かこびりついているの? アンタさぁ、大学の時に他の学校の女子と合コンしなかった? 自分はガッツリ他校の女子と絡むけど、嫁は許さないんだ?

 あのさぁ、アンタにアンタの嫁を『男漁り』って言った女たち、モテなかったでしょ? 共学に通っていながら校内で彼氏が出来なかった女どもが、『何ウチの大学の男狙いに来てんだよ』的に、アンタの嫁に嫉妬しただけじゃない。他の大学の女というライバルがいようがいまいが、どっちにしろ校内の男に相手にされないような女たちだったでしょうよ。よくそんな喪女の言う事を真に受けられたものね」

 

 悉く弟の話を否定する馬場添。勢いづいた馬場添の弁は、もう誰にも止められない。


 「そんなことねぇわ。俺の仲間は嫁に嫉妬するようなダサイ人間じゃねぇわ。失礼な女だな、アンタ」


 誰にも止められないのに、馬場添に喰ってかかる弟。弟を『あぁ。この馬鹿』と思いながらも、俺は一切口を挟まない。


 存在を忘れるほどに静かになってしまった倉田くんに目をやると、処世術を心得ている彼は、ひっそりと息を殺し、馬場添の影なのか? と思えるほどに気配を消していた。


 「ダサくない人間は、インカレサークルに入る人を『男漁り』と思う発想すらないわよ。ダサイ人間をダサくないと思っているアンタは、自分の事もダサくないと思い込んでいる、相当ダサイ勘違い馬鹿よ。類って友を呼ぶらしいからねぇー」


 馬場添が、眉毛を八の字にしながら可哀想な子を見る様な目で弟を見た。


 「…くっ」


 テーブルの上で拳を握りながら怒りに震える弟。


 「さーらーにー。同じサークルだったはずの嫁をハブって飲み会に行ったのよ

ね? そこにはきっと元カノもいたんでしょう? 嫁がキレるのは当たり前でしょうよ。アンタだって、嫁が元カレのいる飲み会に何も言わずにこっそり参加していたら怒るでしょうよ。なんで嫁は呼ばなかったのよ? まぁ、元カノに自分の事をずっと好きでいてほしいばっかりに、嫁を元カノに近づけさせて余計な事をされたくなかったのだろう事は想像できるけど。

 ねぇ、なんで嫁に飲み会の事がバレたと思ってる? 仲間はみんな自分の味方で、バラす人間なんていないと思ってた? だとしたら自意識過剰の限度を超えて過剰ね。アンタみたいな考え方の人間を、みんながみんな好きなわけがないでしょうが。

 アンタ、卑怯なのよ。アンタにとっての元カノは、嫁にとってのサークル仲間よ。アンタの勝手で、元カノだけじゃなく、他のサークル仲間からも嫁を引き離したのよ。

 アンタの想像通り、嫁が元カノにブーケを手渡したのはわざとかもしれない。でもそれは、卑怯者のアンタの事がそれでも好きだから、『私たちは結婚したの。だから私の旦那に近づかないでね』っていう嫁のマーキングでしょう? それの何がいけないのよ」


 馬場添の指摘に、怒りからなのか、恥ずかしさからなのか、弟が顔も耳も首も真っ赤にした。


 「……」


 何も言えずに悔しそうに歯ぎしりをする弟。


 「ねぇ、『何がいけないの?』って聞いているでしょうが」


 弟にもう十分ダメージは与えただろうに、馬場添はまだ攻め込む。


 きっと、弟に反省の態度が見られないからだろう。


 「オイ、謝れって」


 もう、謝ってしまった方が弟の為だ。だって、これ以上辱められながら馬鹿にされたくないだろう。


 『ごめんなさいって言えって』と言いながら、弟の腕に自分の肘を何度もぶつけるも、弟は『ごめんなさい』の『ご』の字も言わず、馬場添を睨み続ける。


 ずっとチヤホヤされ続け、自分の思うが儘に生きてきたせいで、昔から『謝る』という行為が嫌いな弟。


 父よ、母よ。弟がちょっと可愛く産まれてきたからって、大成功とみなして大喜びしてしまったのかもしれないが、謝罪も出来ない人間になるほど甘やかして育てるなよ。


 頑なに謝罪しな弟にイラついて、両親にまでもちょっとした恨みを感じ始めていると、


 「アンタさぁ、『優しい嘘』とか言う、他人が聞かされて寒イボ出てくる様なこっ恥ずかしい名前の嘘がアッサリバレた時、『俺は正直者だから嘘が下手なんだよねー』的に開き直っていたタイプでしょ」


 そんな弟に更に腹を立てているだろう馬場添が、『鼻っ柱へし折ってやろうか』と言わんばかりに、また弟に攻め入った。


 「まず、正直者は嘘を吐かないから。そして、嘘が下手だという自覚があるならば、嘘を吐くべきではない。

 人間なんだから、見栄を張りたくなったり、自分を良く見せようと嘘を吐く事もあると思う。でも、それは他人からしたら『しょうもない』くらいの印象しかない

 別に害はないからね。でも、誰かを対象に吐いた嘘だったなら、それはどんな事をしても吐き通さなければいけない。傷つく誰かが、悲しむ人間がいるんだから。

 嘘を吐き続ける事は、面倒くさい上にしんどい事よ。その覚悟も忍耐力もないアンタがヘラヘラしながら嘘なんか吐くな‼

 アンタは、嘘を吐き通す努力をしない、思いやりのない自意識過剰の卑怯者よ」


 馬場添が、弟を指さしながら痛烈に批判した。


 『何かを護る時にしか、嘘は吐いてはいけない。軽々しく扱うものでは決してない』 


 前に、馬場添が言っていた言葉を思い出す。


 馬場添はきっと、軽はずみに嘘を吐く弟の事が許せなくて怒っているのだろう。


 「…なんでお前なんかにそこまで言われなくちゃいけないんだよ。何様だよ、くそブスババア‼」


 怒り狂った弟が突然立ち上がり、突き出しとしてずっとテーブルの上にあった、揚げ出し豆腐のあんかけが入った小鉢に右手を突っ込んだ。


 「ちょッ‼ 待っ‼ ダメッ‼」


 弟の正面に座っていた倉田くんも、椅子を倒してしまう程に慌てて腰を上げると、弟にタックルするように覆い被さった。


 …が、一足遅かった。弟は俺より背が高く、俺より腕が長い。


 気付いた時には弟の手が、あんかけでとろみを帯びた揚げ出し豆腐を馬場添の顔面に擦りつけていた。


 崩れた豆腐の欠片が、馬場添の頬を伝い、顎から落ちた。


 豆腐がテーブルに落ちた微かな衝撃音さえ聞こえてきそうな程に静まり返る店内。


 他のテーブルにいたお客さんも、唖然をしながら俺らの方を見ていた。


 時が止まったかの様に、金縛りに遭ったかの様に、弟も倉田くんも俺も馬場添も動かない。


 一番最初に金縛りが解けたのは、倉田くんだった。


 「貝谷さん、馬場添先輩の事押さえておいてください‼ 僕、この人引きずり出してタクシー乗せるんで‼」


 『硬直している場合じゃないです‼ 早く動いて、貝谷さん‼ 戦場になっちゃう‼』と俺を急かすと、倉田くんは弟の腕に自分の右手を絡め、弟を無理矢理店の外まで連れて行こうとした。


 「お、おう。分かった‼」


 俺も慌てて馬場添の後ろにまわると、馬場添の両脇に自分の両腕を通し、羽交い絞めする様に馬場添をロックした。


 「…待ーてーやーコーラー‼ 逃げんなや‼」


 馬場添が肩を激しく前後させながら、俺を振り解こうと暴れる。


 「あぁ⁉ 誰も逃げてなんかないだろが‼」


 いきり立つ弟を、


 「落ち着いて‼ 深呼吸‼ 馬場添先輩は、冷静さを欠いた状態で反論して勝てる相手じゃありません‼ 今日はこのまま帰りましょう‼ ね⁉」


 倉田くんが全力で馬場添から引き離す。


 たまにオネエ感をチラ見せしたりするけれど、普通の成人男性と同じくらいの体力はあるだろう倉田くんは、危機感も相俟ってか一般男性以上の物凄い力を発揮し、荒れ狂う弟をグイグイ店の出入り口に追いやった。


 「帰るなら、最後に一つだけ答えてくれない? 超絶簡単な二択問題だから。今回の件、悪いのは嫁とアンタ、どっちだと思う?」


 あと一歩で店外に脱出出来る‼ という所で、馬場添が弟と倉田くんを呼び止めた。


 「……」


 馬場添にあそこまで言われて『嫁が悪い』と言えるわけもなく、でも『自分だ』とも言いたくない弟は、馬場添曰く『超絶簡単』なはずの二択問題に答えられない。


 「ねぇ、なんで答えないの? 分からないから答えられないの?」


 弟が『なんで答えないのか』分かっているくせに、それでも答えを出させようとする馬場添。


 「……嫁…ではない」


 向こう意気の強い弟が、可愛気は全くないが、やっと自分の非を認めた。


 「だったら、さっさと家に帰って嫁に頭を下げなさい。私にとっては、アンタの結婚生活が継続しようが破たんしようが、そんなの関係ないし興味もない。アンタが『やっぱり嫁とは無理だ』と思うのなら、離婚すればいいと思う。ただ、その理由を嫁のせいにするのは間違っている。気に喰わない」


 弟に『帰れ』と言った馬場添は、もう弟に用事はない様で、周りのテーブルに

『騒がしくして申し訳ありません』と詫びると、椅子に座り直した。


 「気が収まらないかもしれませんが、今日のところは帰りましょう。頭を冷やして心を落ち着かせてから、ご自分のした事と、馬場添先輩の話を思い返してみてください。ここにいたって、落ち着いて思考を巡らす事なんて出来ないでしょ?」


 倉田くんが、悔しそうに馬場添を睨む弟の腕を再度引っ張った。


 「貝谷さん、僕、タクシー捕まえて弟さんお送りしてそのまま帰りますね。後の事、宜しくお願いします」


 「この埋め合わせは…てゆーか、倉田くんの勝訴祝い、絶対仕切り直させてな‼」


 『ごめんね、倉田くん』と両手を合わせる俺に、倉田くんは『次こそゆっくり飲みましょうね』と苦笑いすると、弟を連れて店を出て行った。


 倉田くんが帰ってしまった為、ご機嫌が斜めどころか折れ曲がって倒れてしまっている馬場添と二人きりになってしまった。


 気まずさ満載の空気の中、


 「……」


 カンカンに怒っているだろう馬場添は、無言で日本三大美味鳥盛りに貪りついていた。


 顔に貼りつき、カピカピに乾いたあんかけを気に留める事なく、次々焼き鳥を平らげ、カランと音を鳴らせながら串を皿に入れる馬場添は、視界を邪魔する前髪は気になる様で、時折『ふぅ』と息をかけて避けようとするも、前髪にも豆腐あんかけが付いてしまっている為、ビクともしない。


 「…弟が、ごめん」


 馬場添が自分で拭こうとしないから、テーブルの隅にあった紙ナプキンを手に取り、代わりに馬場添の顔を拭ってやると、


 「食べ終わったら口の周りと一緒にババっと拭くからイイ。それより貝谷も食べて。ちゃっちゃと食べて店出るよ。私、この店まじで常連なの。騒いだ挙句に長居して、『迷惑な客』扱いされて出禁にでもなったら生きていけない」


 馬場添は、俺の手から紙ナプキンを奪うと、代わりに焼き鳥を握らせた。焼き鳥大好きな馬場添に『残す』という選択肢はあり得ない様子。


 「一応、他に焼き鳥の美味い店探しておくわ」


 確かに店に居辛いので、持たされた焼き鳥に喰らいつく。


 「焼き鳥だけ美味しくてもダメなのよ。ビールも大事なの‼ 後味まろやかとか、どうでもイイのよ。のどごしスッキリ辛口ドライじゃないと‼」


 ビールにも強い拘りを持っているらしい馬場添。言う事も性格も辛口ドライな馬場添は、ビールにもそれを求める。


 「オッケー。それも踏まえて探すわ」


 接客業の良いところは、色んなお客さんから情報収集が出来る事。お客さんから良い店を聞きまくって、しばらくは焼き鳥屋巡りでもしようかな。馬場添の舌が唸る様な店を探せば、ご機嫌も治ってくれるだろう。


 しかし、ここの焼き鳥は美味いな。馬場添が足しげく通う理由が分かるわ。なんて考えながら食べ進めるも、結構値段の張るメニューだった日本三大美味鶏盛りは、量も多めでなかなか食べ終わらなかった。


 ずっと無言で食うのもつまらなくて、


 「俺の弟が悪いのは間違いないんだけどさぁ、馬場添ももう少し優しい言い方をしてくれても良かったんじゃね? そしたら、弟もあんな奇行に走る事もなかったと思うんだけど」


 ついつい馬場添に話しかける。


 「良かったわ。奇行だったのね。日常的にああいう事をする人なのかと思って、どんな親に育てられたのか親の顔が見たくなったわよ。てゆーか、あんなのにくれてやる優しさなんかないわよ。なんでそんなもったいない事しなきゃいけないのよ。馬鹿につける薬がないのと一緒」


 なんだかんだ、馬場添は返事をしてくれるから。面倒臭そうな顔をするくせに、弁護士である馬場添は他人の話を聞くのが好きなんだという事を、ここ最近で気付いた。だから弟の件だって口を挟んでしまうんだ。


 「オイ、親の悪口言われるのは許しちゃおけねぇわ。つか、『もったいない』って、別にいいだろ。減るモンじゃないんだし」


 弟が悪い事は分かっているけれど、兄としては弟を庇ってやりたい。馬場添と同じで、あんな弟でも俺にとっては大事な兄弟なわけで。


 「『親の顔が見たい』ってだけで悪く言ってないでしょうが。しかも、減らないからって無駄使いしなきゃいけない道理なんかないでしょうよ。てゆーか、厳しく接したのも私の優しさよ。アンタの弟、優しくされすぎて増長したんじゃないの? 優しさは必ずしも人の心を癒してくれる薬じゃないわよ。勘違いと甘えを引き起こす事もあるから」


 馬場添の言葉はごもっとも。だけど、


 「馬場添は厳しすぎ。厳しさの中にもう少し優しさを入れても良かろうに。反感しか持たれなくなるだろうが」


 毎回口調が強すぎて、それこそもったいない事をしているなぁと思っていた。あんな言い方では、どんなに良い事を言っても素直に受け入れてくれない人だっているだろう。


 「…まぁ、一理あるかもね。流石、長い事接客業してきただけあるわね、貝谷」


 馬場添は、自分をしっかり持っていて芯の強い人間がけど、他人の意見を聞かないわけではなく、自分より他の意見が良いと思ったらすんなり受け入れる人間だ。と、いう事もこの頃気付いた。


 「イヤイヤイヤ。馬場添だって接客業みたいなモンだろ。何百人もの相談受けてただろうよ」


 だから俺は馬場添に何か話したくて、


 「私って、キッチリ仕事するタイプじゃない? 結果を出せちゃうから、そういうところを指摘してくる人って、周りにあんまりいないのよね」


 馬場添の話を聞きたくなるんだと思う。


 「あぁー。なるほど」


 馬場添と飲む酒は、あんな事があった後でも楽しい。

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