焼き鳥と、ビールと、ブス。



 オーナーの件も決着し、今度こそ今まで通りの日常が…、

 

 「貝谷さーん。お客さんが来てるんですけど…」


 今日もラストのお客さんの髪を仕上げている時に、真衣ちゃんが俺を呼んだ。


 何だよ。戻ってこないのかよ、俺の日常‼ 今度は誰だよ⁉


 「俺は今日いないって言って。俺の姿を見られていたとしても、そっくりさんか双子の弟って言って追い返して」


 自分のお客さんに素気無い対応をするのは、美容師人生始まって以来だ。

 

 でも、どうしても嫌。だって、嫌な予感しかしないし。


 真衣ちゃんの呼びかけに応じず、セット中のお客さんの髪にスプレーを吹きかける。


 「貝谷さんの弟さん、三コ下じゃないですか。しかも、似てないし。弟さんの方がカッコイイし」


 俺のボケが面白くなかったのか、オヤジ臭かったのか、真衣ちゃんに面倒臭そうな顔をされた挙句、今まで弟より自分の方がイケメンだと信じて生きてきた事まで覆された。


 「オイ、コラ。聞き捨てならない」


 「別に聞き捨てなくていいですよ。心に留めておけばいいじゃないですか。てゆーか、なんかどうも、断れる雰囲気じゃないっていうか…」


 すっかり元気を取り戻した真衣ちゃんが、困り顔をしながら、馬場添ほどではないにしろ、そこそこ辛辣な事を言って『あちらの方です』と向けた掌の先には、


 「~~~貝谷さ~~~ん~~~」


 泣きそうというわけではなく、半泣きなわけでもなく、既に目から涙が零れ落ちてしまっている倉田くんがいた。


 「…えぇー」


 引くわ。何で泣いているの、倉田くん。


 「一番最後でいいので、貝谷さんにカットして欲しいそうです」


 いくら倉田くんがイケメンといえども、さすがに泣いている成人男性の扱いは困る様で、真衣ちゃんは『じゃ、後はよろしくお願いします』と俺に擦り付けると、逃げる様にシャンプー台へ引き返して行った。


 「…えぇー」


 よろしくお願いしますって…。俺も困るんですけど…。


 最後のお客さんの髪を仕上げ、レジをさっきのレセプションの子に任せると、倉田くんの元へ。


 「何。どうしたの、倉田くん」


 レジ下の棚にしまってあったボックスティッシュを倉田くんに手渡す。


 倉田くんは、ボックスティッシュを小脇に抱えると、何枚か引き抜き豪快に鼻をかんだ。そして、


 「~~~僕を貝谷さんみたいにカッコ良くしてください~~~」


 何故かまた泣いた。


 「振られちゃったの? 倉田くん」


 『よしよし』と倉田くんの頭を撫でると、


 「そんなんじゃありませんよー‼ 貝谷さんまで僕の事を馬鹿にするんですか⁉」


 倉田くんが、更に大泣きした。


 何、この子。若いとはいえ、大人でしょ? 何なの?


 「~~~裁判、負けちゃったんですぅー。立ち直れなくて…。気分切り替えたいんですぅぅううー。えーん」


 目の前で子どもの様に泣きじゃくる倉田くん。


 「『えーん』て…」


 そんな泣き方をする大人(しかも男)を目の当たりにしたのは、三十四年生きてきて初めての事だった為、『引く』を通り越して、キモイ。


 倉田くん、折角イケメンなのに、カナリ残念。


 「僕も貝谷さんみたいになれますかね?」


 誰もまだ『切ってあげる』なんて言っていないのに、『貝谷さんよりだいぶ髪短いんですけど、大丈夫ですかね?』なんて切られる気満々の倉田くん。


 「イ、イヤ。別に俺みたいにならなくても良くね?」

 

 「僕はカッコ良くなっちゃいけないんですか⁉ 裁判にも勝てない、カッコ良くもなれない。僕、どうしたらいいんですか⁉」


 のけ反りながら、なんなら後ずさりながら倉田くんから離れようとする俺に、倉田くんがずいっと身体を寄せ、折角作った空間を縮めた。


 今まで、『あんなナマハゲの様な馬場添によく耐えているな、倉田くん』と感心していたけれど、『こんなメンタル弱い泣き虫な倉田くんをよく面倒みてるな、馬場添』と馬場添に同情。


 「…カッコよくなろっか、倉田くん」


 なんかもう面倒になってきて、髪を切って倉田くんの気持ちが済むのであれば、それで良い気がしてきた。


 「ハイ‼ よろしくお願いします‼」


 倉田くんが嬉しそうに返事をした。


 こんなに喜んでくれるなら、やりがいもあるというものだ。


 閉店時間を過ぎていた為、『締め作業は自分がやるから』と他のスタッフには帰ってもらい、倉田くんをシャンプー台に案内した。

 

 仕事仕様の、ワックスでしっかり固められた倉田くんの髪にシャワーを当て、シャンプーでよく洗い流す。


 ちょっと落ち着いてきたのか、倉田くんは『あー。気持ちいい』と言って目を閉じた。


 倉田くんの髪を洗い終え、タオルドライをすると、今度はカット台の方へ移動。


 倉田くんにカットクロスを被せ、ドライヤーの風を倉田くんの髪に当てると、倉田くんが風呂上りの様なサッパリした顔をするから、ちょっと笑えた。


 倉田くんの髪を右手に持っていた櫛で軽く撫でると、ハサミに持ち替えた。


 「で、どうする? ホントに俺みたいにするの?」


 鏡に映る倉田くんの顔と髪質を見ながら、どんな髪型が似合うか考える。


 「貝谷さんに寄せなくてもいいんですけど、とにかくカッコ良くして欲しいんんです。裁判に負けた僕を、馬場添先輩が罵る気にならなくなるようなカッコ良さでお願いします」


 あまりにも抽象的且つ我儘な注文をする倉田くん。そんなに馬場添が怖いのか。


 兎に角カッコ良くなりたいと言う倉田くんは、文乃をトキめかせたくらいに、今のままでも十分にカッコイイ。


 「何その難題。馬場添のお気に召さなかったからって、俺のせいにすんなよ」


 それでも倉田くんの希望に沿う髪型にしようと、倉田くんの柔らかい猫っ毛に指を通すと、


 「僕、貝谷さんの事、信用してますもん。『こう見えても真面目に一生懸命働いている』んでしょ?」


 倉田くんが鏡越しに俺を見て、文乃の相談の際に俺が言った言葉を引用しながら笑った。


 「オイ、コラ。あの時の必死な俺をバカにしてんのか。一番細いロットで巻き上げられたいのか? 貴様」


 何の意識もせず思わず出た言葉に、自分自身がビックリして口を左手で覆った。


 「『貴様』って。馬場添先輩の口調移ってるし。こわいこわいこわいこわい」


 が、カットクロスの下で震えながら腕を摩る倉田くんにしっかり突っ込まれた。


 うわー。やだやだ。まじで嫌。馬場添が染み付くとか。


 「倉田くん、動かないで」


 気を取り直して、左手の人差指と中指の間に倉田くんの髪を挟んだ。


 「じゃ、切るよ」


 「お願いしまーす」


 倉田くんが『出来上がりが楽しみ』なんて言うから、何だか嬉しくなってしまって、持っている技術を全部使って最高にオシャレにしてやろうと張り切った。


 少し癖のある倉田くんの髪質を活かし、エアリー感のある読モ風を目指す。


 ハサミで少しずつカットを進めていると、


 「…今日の法廷、僕だから負けちゃったんですよ。きっと…てゆーか、絶対馬場添先輩なら勝てていた裁判なんですよ」


 愚痴りたくなったのか、倉田くんがポツリポツリと話出した。


 「そうなの? 馬場添だって負ける事くらいあるだろ?」


 「確かに『完全勝利』にならない事はあるんですけど、馬場添先輩って絶対に依頼者を護るんですよ。どんな事があっても護りきるんですよ。今日の僕は、負けた上にそれも出来ませんでした。馬場添先輩にどんな顔をして会えば良いのか分からないんです。合わせる顔がないんです」


 鏡の中に、悔しそうに顔を顰める倉田くんがいた。


 「結果はついてこなかったかもしれないけどさ、泣くほど悔しかったって事は、真剣に一生懸命仕事したって事だろ? 頑張ったって事じゃん。お疲れ様だったね」


 倉田くんの髪の毛を切りながら、精いっぱい頑張ったであろう倉田くんを労うと、


 「やめてくださいよー。泣きそうになるじゃないですかー」


 倉田くんが、じわりと目に溜めた涙を流さぬ様、ぎゅうっと目を瞑った。


 「イヤイヤイヤイヤ。さっき普通に泣いてたじゃん。あんな大粒の涙零す小学生以上の男、今日初めて見たから。俺」


 『手遅れだから、存分に泣きなさい』と鏡台にボックスティッシュを置くと、


 「馬場添先輩には言わないでくださいね。『泣き虫』って馬鹿にされちゃうんで」


 倉田くんは遠慮なくティッシュを抜き出すと、どこの隙間からか分からないが、閉じているはずの目から流れる涙を押さえた。


 懸命な若者に胸を打たれてもらい泣きしそうな俺は、若作りしていてもやっぱオッサンなんだなと思う。


 アシスタントからスタイリストへ。スタイリストからトップスタイリスト。そしてディレクターへ。倉田くんの姿が、上を目指してがむしゃらに腕を磨いていた若かりし時の自分と重なって、胸に『ぐっ』と込み上げるものがあった。


 「…倉田くん、カット終わったら飲みに行こっか。お兄さん、奢ったる」


 そうは言えども、馬場添と違って往生際の悪い俺は、自分を『オッサン』とは言いたくなくて、『お兄さん』と言いながら倉田くんを飲みに誘った。


 「貝谷兄さん、超優しー。惚れそう」


 『グスグス』と鼻を啜りながら倉田くんが『是非是非』と俺の誘いに乗った。

 

 「無理。俺、女の子大好きだから。倉田くんとは付き合えない」


 冗談と分かっていながらサクッと倉田くんを振ると、


 「僕もですよ。あぁー。癒し系の可愛い彼女、どこからともなく降ってこないかな。帰ったら『お帰り』って待ってないかな」


 相当弱っているらしい倉田くんが、やや恐いファンタジー発言をしながら、彼女なし情報を暴露した。

 

 「それ、怖いだろ。見知らぬ他人が家で待ってるとか。気味悪いだろ」


 「えぇー。優しい巨乳でも? 優しい巨乳が膝枕しながらおいしい手料理あーんしてくれても?」


 俺が突っ込みを入れても、倉田くんの危ないドリームは広がった。


 「行儀わりーな。そんな体勢で何か食わされたら喉詰まるだろうが。危険だわ。死ぬわ」


 「おじいちゃんかよ‼ 優しい巨乳に背中思いっきり叩いてもらえばいいじゃないですか」


 俺が何を言おうとも、広がりに歯止めの利かない暴走気味の倉田くんのドリーム。


 この後、カットが終了するまで倉田くんの妄想トークは続いた。まぁ、面白かったけど。



 「ほい。出来た」


 倉田くんと楽しく喋りながらカット終了。


 鏡を手に持ち、合わせ鏡にしながら、倉田くんに後ろ髪のチェックをしてもらう。


 「どうかな?」


 出来上がった髪型を、倉田くんは気に入ってくれるだろうか。


 「おぉ。超オシャレ。カッコ良くなりましたかね? 僕、モテますかね?」


 元々イケメンくんの倉田くんは、パーマっぽく仕上がった髪を見ながら『切っただけなのに凄い』と言いながらはしゃいだ。


 そんな倉田くんを眺めながら、『イケメンで弁護士の倉田くんに今彼女がいないのは、キミの妄想が過ぎてしまうからだよ』と少し切ない気分になった。


 「倉田くん史上一番カッコイイよ。じゃ、行こっか。のんべえでいい?」


 倉田くんからカットクロスを外す。


 「『倉田くん史上』って、ここ最近の僕しか知らないじゃないですか、貝谷さん。でも、この髪型気に入っちゃいました。今度からココに切りに来てもいいですか?」


 『ふんふん♪』とおそらく即興であろう鼻歌を漏らし、鏡を見ながらお花畑女子の様にクルクル回る倉田くん。


 「うん。大歓迎。でも、次からは予約してから来てね」


 オネエが入りだした倉田くんは若干キモイが、カットを喜んでもらえたのは嬉しい。


 「はーい」


 返事をしながらも回り続ける倉田くんは今日、ジャニーズjr以上に横回転しただろう。


 倉田くんの肩を掴み、強制的にターンを止めると、そのままのんべえに連れ出した。

 

 のんべえは、平日とあって客もまばらだった。


 適当に空いている席に座り、店員さんがやって来ると倉田くんも俺もビールを注文。


 すぐに運ばれてきたビールを手に取り、


 「お疲れ様でーす」


 グラスをぶつけ合い、二人共喉を鳴らせて一気に三分の二くらい飲み干した。


 『ふぅ』と一息つくと、腹ペコな男二人でから揚げやら、角煮やら、つくねやら、とりあえず肉・肉・肉のメニューと、気持ちばかりのサラダをオーダー。


 順次運ばれてくる料理を、『美味い美味い』と次々に完食。


 ガツガツ食って腹も満たされ、『さて、しっぽり飲みますか』という雰囲気になった時、テーブルの上に置いていた倉田くんのスマホが震えた。


 「誰だろ…はわゎゎゎわわ‼」


 スマホを手にした倉田くんが、画面を見た途端に奇声を上げ、突然熱いものに触れてしまった人の様にスマホを落っことした。


 「もー。何やってるの、倉田くん」


 倉田くんが落としたスマホを拾い上げ、何気なく画面に視線を落とす。


 「うわー。まーじーかー」


 スマホのディスプレイには『馬場添大先輩』の文字が表示されていた。


 「どうしましょう? どうしましょう⁉ 百%怒られる‼ 出る? 出ない? 出る⁉ 出ない⁉」


 倉田くん、大パニック。


 「出た方がいい‼ 出なかったら後で更にブチキレられるに決まってる‼ ホラ‼ 倉田くん‼」


 今なら倉田くんが馬場添にどんなに酷い事を言われても、俺が慰めてあげられる。


 持っていたスマホを倉田くんに渡そうとするも、


 「……やっぱり無理‼ こわいこわいこわいこわいー‼ 無理無理無理無理ー‼」


 倉田くんは、一瞬受け取ろうとしたものの、すぐに手を引っ込めてしまった。


 身体を小さく丸めてカタカタ震える倉田くん。


 倉田くんが電話に出る事が出来ないので、

 

 「もしもし」


 親指で通話ボタンをタップし、俺が代わりに出てやった。


 『…あの、その携帯の持ち主は近くにいますでしょうか』


 声色ですぐに電話に出た人間が倉田くんではない事に気が付いた馬場添。


 「いるけど、出られない。馬場添に会いたくなくて震えてるから、病気でも老化でもないと思う」


 同窓会で馬場添が文乃に言い放った言葉を拝借し、アレンジを加えて返事をすると、

 

 『なんで貝谷が倉田の電話に出るわけ?』


 会話の相手が俺だという事をすぐに察した馬場添が、怪訝そうな声を出した。


 「今一緒に飲んでるから」

 

 『どこで?』


 「のんべえ」


 『ふーん。今から行くわ。倉田に『逃げたらどうなるか分かってるだろうな』って言っておいて』


 馬場添に一方的に電話を切られた。


 馬場添に言われた事を、一言一句間違いなく倉田くんに伝えながらスマホを返すと、


 「…僕、馬場添先輩が到着する前に、一杯ウォッカ入れときます」


 倉田くんは近くにいた店員さんを呼ぶと、この店にある中で1番アルコール度数の高いウォッカを注文した。


 「大丈夫だ、倉田くん‼ 俺がついてる‼」


 倉田くんの肩を抱くと、


 「貝谷さんは入れとかなくていいんですか? ウォッカ。とばっちり喰らうかもしれないですよ。僕のせいで…。本当にすみません」


 倉田くんは俺に謝罪をしながらも、俺にもウォッカを進めてきた。そこまで危険なのか、馬場添泉というブスは。


 「俺まで酔っ払っておかしくなっていたら、二人揃って馬場添に半殺しにされるって」


 結局俺はウォッカを頼まなかった。さっき頼んだ倉田くんのウォッカはすぐに用意され、


 「早く‼ 早く体内に入れないと‼」


 と、倉田くんは速攻でそれを口の中に放り込むと『早く回れ‼ 駆け回れ‼ アルコール‼』と謎の呪文を唱えた。


 しかし、全然酔いが回る気配のない倉田くん。


 「何でだろ。僕、そんなにお酒強い方じゃないのに。僕、もう一杯いっときます‼」


 どうしても酒の力を借りて、この後馬場添によって受けるだろうストレスを緩和したい倉田くんが、二杯目のウォッカを注文すべく近くを通りかかった店員さんを呼び止めようと右手を挙げた時、


 「あらあら。陽気に毛先なんか遊ばせて、随分ご機嫌な様子ですねぇ。小僧」


 頭上から、地響きの様なおどろおどろしい声が聞こえた。


 声のした方へ、倉田くんと一緒に視線を向ける。


 俺らの目に入って来たのは、鬼気を孕んだもののけブス・馬場添泉だった。


 「ひ…ひぃぃぃいいい‼」


 恐怖で後ずさった倉田くんが、椅子から転げ落ちた。


 「倉田くん‼ しっかり‼」


 床で生まれたての小鹿の様に震え、自力で動けなくなっている倉田くんの腕を自分の肩に回し、倉田くんの身体を起こすと、倒れた椅子を元に戻しながら倉田くんを座らせた。


 そんな俺らの様子を『ふんッ』と鼻息を吹かせながら眺めた馬場添は、向かい合わせに座っていた倉田くんと俺の間の誕生日席に、王様の様にドカっと腰を下ろした。


 馬場添の脅威に硬直する倉田くんを気にも留めず、馬場添はテーブルの隅に立てかけられたメニューに手を伸ばすと、パラパラめくり、


 「すみません。生一つ。あと、焼き鳥のレバーと砂肝を塩で」


 近くにいた店員さんに、馬場添の鉱物だという焼き鳥とビールを注文した。


 レバーと砂肝…。これ以上血の気多くしてどうするつもりだ、馬場添。


 「…で、『裁判に負けたからチャラついてやろう』っていう倉田の思考回路を、私に分かる様に説明してくれないかしら?」


 ビールもまだ運ばれてきていないのに、口を開いた馬場添が、早速悪意のある言い方で倉田くんを責めた。


 「馬場添先輩、すみませんでした」


 上の歯と下の歯を『ガチガチ』いわせて震える倉田くんは、謝るのが精いっぱいで説明など到底出来るわけもなく、


 「ほんっとにいつもいつも腹立つ言い方するよな、馬場添。倉田くんはチャラつきたくてカットしに来たわけじゃねぇよ。負けた気持ちを引きずらない様に、気分を切り替える為に来たんだろうが。倉田くんの話も聞かずにネチネチネチネチ。何なんだよ、お前」


 俺が代わりに言い返す事に。どっちが弁護士なんだか。


 「聞いてやろうと電話したらアンタが出たんじゃない」


 しかし、間髪入れずに、なんなら喰い気味に切り返される。馬場添が『はい、そうですか』などと言うわけがない。


 「お前が毎度毎度威圧的だから悪いんだろうが。後輩を委縮させて物言わせない様にするって、先輩としておかしいだろ」


 俺は倉田くんと違って、馬場添の後輩でもなければ同業者でもない為、臆することなく反論出来る。


 「物言えない弁護士なんて聞いた事ないわよ。自分の弱さを私の責任にするんじゃないわよ」


 ただ、俺の反駁が現役弁護士の馬場添に効くわけがなく、簡単な言葉で片付けられてしまった。


 「それはそうかもしれないけど…。でも、倉田くんなりに頑張ったんだよ。努力の過程を無視して結果で責めんなよ‼」


 それでも倉田くんを庇ってあげたい。だって倉田くんは、あんな風に泣くほどに真剣に取り組んでいたはずだから。


 「頑張って努力した結果だから仕方ない……わけねぇだろ‼ 裁判って、依頼者の人生を左右し兼ねないものよ。倉田はそれに負けたのよ。ちゃんと分かってるの⁉

今回は私も悪かったと思うわよ。私が忙しそうにしてたから、質問したくても出来なかったんでしょ? でもね、それでも聞かなきゃダメでしょうが‼ 遠慮なんかして、不安材料抱えたまま法廷に立って負けてどうすんのよ‼ 馬鹿じゃないの‼」


 馬場添が怒鳴るから、ビールを運んできた店員さんがビックリして、グラスを落としそうになっていた。


 「驚かせてごめんなさいね」


 何とか落とさずに済んだビールを店員さんの手から受け取る馬場添。


 「い…いえ。焼き鳥もすぐにお持ちしますので」


 謝られても、やはり馬場添は怖く映る様で、その店員さんは逃げる様に撤収して行った。


 店員さんの宣言通り本当にすぐに焼き鳥は運ばれてきた。余程怖かったのだろう。無関係の人間までも恐怖に陥れる馬場添。迷惑極まりない。


 馬場添はビールのジョッキの取っ手に指を潜らせると、それをそのまま口に付け、あっという間に半分飲んだ。


 ジョッキをテーブルに置き、今度は焼き鳥レバーを掴むと、奥歯でレバーの塊を挟んで抜き取り、咀嚼する馬場添。


 口の中の物を飲み込むと、


 「倉田、『私からの電話は絶対に出なさい。出られなかったら必ず折り返しなさい』って言ったわよね? シカトは許されないわよ。私が何の用事もなく倉田に電話するはずないでしょう? 友達じゃないんだから」


 空腹が満たされ、怒りが少し治まったのか、馬場添が静かに話し出した。


 「…本当にすみませんでした。僕がふがいないばっかりに、他の人から『馬場添先輩の指導が悪い』って言われたら申し訳なくて…。なかなか馬場添先輩の電話に出る勇気が出なくて…。なんか色んな事が怖くなってしまって。このままじゃダメだと思って…。気持ち吹っ切りたくて、貝谷さんに髪切ってもらいました」


 馬場添が落ち着いて話始めたから、倉田くんもやっと自分の言葉を言う気になれたらしく、馬場添に謝罪しながら『貝谷さんもごめんなさい』と俺にも頭を下げた。


 「吹っ切るの早ぇえわ。吹っ切る前に反省しろや。

 さっき、倉田の依頼者に会って話してきた。控訴する方向で話がついた。次は私も法廷に行く。ただ、あくまで倉田が担当。担当替えはしない。それは、依頼者の希望。私はただ、倉田の隣でサポートするだけだから。

 依頼者は、負けても倉田に信頼を置いていた。だから、倉田の仕事の仕方は間違ってなかったと思う。でも、あれは勝てるし勝つべき裁判。だから、次は絶対勝ちに行くわよ、倉田‼ 私の用件は以上。大事な用事なんだから、ちゃんと電話出ろよ、クソガキが。私にも依頼者にとっても、倉田の精神状態なんか知ったことではない」


 馬場添は、倉田くんにお説教をすると、またレバーの刺さった串に齧りついた。


 「~~~馬場添先ぱーい~~~。ごめんなさ~~~い~~~」


 獣の様にレバーを噛み砕く馬場添に、倉田くんが泣きながら抱きついた。


 何だかんだ馬場添は倉田くんを見捨てないから、『怖い怖い』と言いながらも倉田くんは馬場添を信頼してついて行くのだろう。


 「ところで倉田。アンタ、仕事の日も毛先で遊ぶ気? 別に仕事が出来る人間なら好き勝手やってもいいと思う。学生じゃないんだしね。ただ、まだ半人前だと思うなら、見た目は大事だと思う。てゆーか、はっきり言うと虫唾が走るのよ、そのチャラついた毛先‼」


 俺がカッコよく作り上げた倉田くんの髪型を見て、馬場添が『チッ』と舌打ちをした。


 舌打ちする女って、あんまりお目にかからないから、結構衝撃的。


 「毛先で遊ぶのは休みの日だけですよ‼ 仕事の日は毛先まで仕事仕様にしますから。しっかりワックスで固めて来ますから‼」


 倉田くんが『だから嫌わないでくださいー』とうるうるな目で馬場添を見つめた。


 「はぁ⁉ ワックスぅう⁉ 何だその浮ついた整髪料。ポマード使えや。ポマード使って七三にして来いや。あ、おしゃれ七三とか小癪な真似すんなよ。ゴリゴリの元来の七三しか認めないからな」


 『ここから、こうだぞ‼』と、倉田くんの頭頂に勝手に分け目を作る馬場添。


 「もちろんです‼ もちろんですとも‼ 八二でも九一でも‼ いっそ十で‼」


 倉田くんまでも、いくつも分け目を作り始め、俺がカッコ良くセットした髪は見るも無残な形になった。


 しかも『十』ってどんな髪型なんだよ。逆にやってみてくれよ、倉田くん。


 「あ…貝谷さんごめんなさい‼ 折角髪の毛イイ感じにしてもらったのに」


 倉田くんは、俺が『あーあ』という目をしている事に気付いたのだろう。自分の髪を手櫛でどうにか元の形にしようと試みながら、俺に謝った。


 …全然元通りになってないよ、倉田くん。


 「貝谷‼ 貴様か‼ 倉田を調子こいた髪型にしたのは‼」


 片や俺に謝罪。しかし馬場添は俺に牙を剥いた。


 「他に誰がいるんだよ。倉田くんの髪を切った流れで一緒に飲んでるんだろうが。友達じゃないんだから。てか、さっき倉田くんが『貝谷さんに切ってもらった』って言ってただろうが」


 髪を切っただけで何故怒られなければならないのか、全く理解出来ない為、もちろん謝る事もしない。


 「ヒドイヒドイ‼ 二人共‼ なんで僕だけ『友達じゃない』って除けモノにするんですかー‼ 三人友達でいいじゃないですかー‼ 三人仲良しでいいじゃないですかー‼」


 今更アルコールが回ってきたのか、倉田くんが変なところに引っかかり、話をゴチャつかせ出した。


 「勘弁してよ。そもそも私と貝谷は友達でもなんでもない」


 馬場添が嫌がる素振りを見せながら、俺との関係を完全否定した。


 世の中の認識というものは不思議なもので、先に悪口を言われた方が『嫌われ者』の烙印を押されてしまいがち。


 故にこの場合、『俺が馬場添に嫌われている』という構図の出来上がり。


 …冗談じゃないんですけど。耐え難いわ。


 「こっちのセリフじゃ。俺だって馬場添と友達になりたいと思った事など、一度もねぇわ‼」


 三十四歳にもなって、馬場添と友達か否かキレている俺は、きっと相当酔っている。と、いう事にする。だって、腹を立てている理由がバカすぎる。


 「えー。そうなんですか? 結構二人でよく喋ってるから、何だかんだ仲良しなんだろうなって思ってましたー。二人って、高校が一緒なんでしたっけ?」


 自分の事が一件落着したのを良い事に、コロっと俺らの話に変える倉田くん。


 「高校時代なんか一言二言しか喋った事ねぇわ。ガッツリ喋ったのなんか、この前の同窓会が初めてだわ。馬場添、当たり屋みたいに文乃に突っかかて大変だったんだからな」


 チラっと馬場添に目をやると、『フンッ』と馬場添が鼻息で俺をあしらった。


 「私、高校の時、文乃の事が死ぬほど嫌いだったのよ。あの女、私の顔を見て何て言ったと思う? 『顔面土砂崩れ』って言ったのよ。確かに文乃は昔から綺麗な方だったわよ。でも、みんなの目を奪う程か? って聞かれたら、そうでもないじゃん。しかもあの女の化粧の力は甚大よ。剥がしたら超普通よ。ただの人よ。文乃レベルの女なんか、そこら辺に普通に歩いているじゃない。『その程度の女が上から何言ってくれてんだ、死ね‼』て、ずっと思ってたわ」


 憤慨する馬場添の話に、口に手を当て顔を背ける倉田くん。


 倉田くんの肩が、上下に細かく動いていた。


 「オイ、倉田。何笑ってんだよ。引きずり回すぞ」


 馬場添が揺れる倉田くんの肩を、指がめり込むくらい強く掴んだ。


 「痛い痛い痛い痛い‼ 笑ってないです。肩の運動ですよ。最近凝ってるので。馬場添先輩は悪くないです‼ 文乃さんが全て悪い‼」


 倉田くんが馬場添に手を退かしてもらおうと、あからさまな太鼓を持つと、気を良くした馬場添は、倉田くんの肩を握っていた手を倉田くんの頭に持って行き、撫で回し、捏ね繰り回した。倉田くんの頭、取れちゃうんじゃないかと思った。


 「私たちの高校時代の話なんかどうでもいいのよ。そんな事より、なんで今回の裁判負けたのよって話よ。あんな金持ちボンボン野郎に負けやがって。生まれた時から人生勝ち組の人間になんか、土はつけてもつけられるんじゃないわよ」


 馬場添が『なんでよりによってアイツに負けるかなー』と不服そうな顔をしながら砂肝に齧りついた。


 「相手の弁護士、やり手だったの?」


 倉田くんに尋ねたつもりだったのに、


 「はぁ⁉ アイツのどこがやり手なのよ。幼稚園から大学まで私立のエスカレターに乗っかって、何の苦労もなく生きてきた男よ。こっちは小・中・高・大、公立・公立・公立・東大よ‼」


 何故かイライラしている馬場添が答えた。さり気に自慢も織り込んでるし。


 「『出身学校が全部国公立だった』って表現じゃダメだったの? 今」


 「馬場添先輩の自慢は『東大卒・司法試験一発合格』ですから」


 呆れる俺に、倉田くんがしょっぱい笑顔を向けた。


 「学歴自慢は嫌われるぞ」


 ただでさえ性格が災いして嫌われていそうな馬場添に忠告するも、


 「私は自慢しても良いでしょうよ。だって、ごちゃごちゃ僻む人間の何倍も勉強して東大に入って弁護士になったんだもの。悪く言われる筋合いがないわ。エスカレーターと一緒にしないでよ」


 馬場添は聞く耳持たず。更に、やはりエスカレーターは認めないらしい。


 「何故にそこまでエスカレーターを否定するかな」


 俺は別にエスカレーターの学校に通っていた人間に、何の恨み辛みもない為、そういう人たちを目の敵にする馬場添が理解出来ない。


 「別にエスカレーターに乗った人間全員に物申したいわけじゃないわよ。小・中・高受験からのエスカレーターは認める。それなりに難しい試験突破しているから。しかーし‼ 幼稚園受験が腑に落ちないのよ。生後三年の人間見て、頭脳や才能や可能性をどう見出すっていうのよ。そ・れ・に・だ‼ 面接も親子面接でしょ? 志望動機も親が答えるんでしょ? 子どもだけを見て判断してないって事でしょ? それって、学校をより良くする為って名目の例のアレをメニーマウスギブミーしてくれるかどうかで振り分けてるんじゃないの? 的なさー」


 熱弁を振るう馬場添の口調が、後半謎に日本に来たての外国人みたいになった。


 「なんで急に変な英語盛り込むんだよ。もう酔ったのかよ」


 『酒弱いんなら、ビールはもうお終いな』と、馬場添からジョッキを遠ざけると、


 「違う違う。わざとです。立場上、誰かに聞かれて訴えられでもしたら面倒なので滅多な事を言えないんですよ。だから、オブラートに包んでいるんです」


 倉田くんが、『僕ら、弁護士なんでそういうところは気を遣うんですよ』と、俺が馬場添の手の届かないところに置いたジョッキを再び馬場添の近くに戻した。


 「イヤイヤイヤ。何の事を指しているのかなんか、はっきり分かるじゃん」


 『全然オブラートに包まれてないやん。はみ出てるやん』と二人に突っ込みを入れると、


 「『例のアレ』は『親御さんの貴重なご意見』の事ですけど? って言ったら?」


 馬場添が頬杖をつきながら『貝谷って、すぐに揚げ足取られるタイプよね』と呆れた。


 「…きったねー」


 馬場添の腹黒さに顔を顰めると、


 「アンタが馬鹿なだけでしょ。ばーか」


 俺にどんな顔をされようが屁でもない馬場添は、ジョッキに残っていたビールを全部飲み干した。


 「すみませーん。生一つお願いしまーす‼ でも、相手の弁護士がエスカレーターの学校を卒業していたとしても、司法試験に受かるには相当勉強したと思うんですよ。『何の苦労もしていない』わけではないんじゃないですか?」


 馬場添のジョッキが空になった事に気付いた倉田くんが、馬場添の代わりにビールを注文すると、運ばれてきたビールを馬場添に手渡しながら尋ねた。


 「その時だけじゃない。それに、幼稚園から親に高いお金払ってもらって質の良い教育を受け続けてきたのよ? 勉強脳の土台を作るのだって、私と比べたら全然楽だったはずよ。そんな奴に負けやがって…。くーらーたー‼」


 倉田くんの質問に答えながら、怒り再燃の馬場添。


 「要するに、相手の弁護士が羨ましいって事か」


 何の気なしの俺の言葉に、すかさず反応した倉田くんが、


 「余計な要約しないでくださいよ‼ 不用意な発言は慎んでください‼ 貝谷さん‼」


 と、俺の口を即座に押さえつけるも、話終わった言葉というものは取り戻せないもので、


 「はぁぁあああ⁉ なんで私があんな、親と金の力で生きてきた温室育ちを羨ましがらなければいけないのよ‼ 私は温室とはほど遠いところで、頭も気も狂いかけるほど勉強したのよ‼ ぬくぬく暮らしてた奴とは生命力が違うのよ‼ 公立で、スクールゾーンを集団登校していたこの私をナメるんじゃないわよ‼ 何が『羨ましい』だ‼ 最初から温室にいた人間は、火の焼べ方を知らないのよ。暖は自ら取りに行くものよ。薪の割り方も火の起こし方も知らない、守られて守られて育った人間に負けてたまるか‼ 暖の取り方を知っている私の方が絶対に強いのよ‼」


 しっかり俺の声を拾った馬場添は、倉田くんに渡されたジョッキを叩きつける様にテーブルに置くと、憎しみを露わにした。


 てゆーか、火起こし出来る人間って、そうそういない様な…。さすが馬場添。


 「やっぱり羨ましいんじゃねぇか、馬場ぞ…ぐほッ‼」


 言い切る前に、倉田くんがお皿の上にひとつだけ残っていたから揚げを手掴みし、それを俺の口に押し込んだ。倉田くん、素手…。

 

 「黙っててください‼ 貝谷さん‼」


 鬼気迫る表情で訴えかけてくる倉田くん。馬場添の怒りというのは、倉田くんにとっての危機なのだろう。


 「も…もう、何を言っているんでしょうねー貝谷さん。完全に酔っちゃってますねー。さぁさぁ、馬場添先輩。じゃんじゃん飲んじゃってくださいよ。焼き鳥、無くなりそうですね。串盛り頼んじゃいましょう。すみませーん‼」


 必死に馬場添の機嫌を取る倉田くんが、店員さんに向かって手を挙げた。


 倉田くんが店員さんに注文をしている最中、俺は突然口の中に飛び込んできたから揚げによってむせ続けていて、そんな俺に馬場添が『チッ』と舌打ちをした。

 

 ブスの舌打ちというものは、この世のものと思えぬ程に不細工であるという事を、今知った。

 

 「ところで馬場添先輩って、高校の時に弁護士になるって決めたって言ってましたよね? 狂うほど勉強しだしたのって、高校からなんですか?」


 店員から運ばれて来た串盛りを受け取った倉田くんが、それを馬場添の近くに置きながら上手く話題を変えた。


 「私、昔から頭が良かったのよ。それで、物心ついた頃には『東大に行く』って決めてた。だから、小さい頃から勉強は人一倍やってたわ。そもそも勉強するの好きだったしね。何でも一回で理解出来るし覚えられる人間だからさ。記憶力がいいのよね。一度された嫌な事は一生忘れない。死ぬまで覚えてる。貝谷が私を『濁点まみれの名前』って言った上に『ガリ勉うんこ殺人鬼』って呼んだ事、鮮明に記憶している」


 馬場添は、謙遜する事なく自分を『頭の良い人間』と言うと、俺にされたささいな事を、十年以上経った今になって蒸し返した。しつこいな、このブス。


 「馬場添だって、俺の事『雰囲気イケメン』ってバカにしたじゃねぇか」


 しかし俺もあの時の事を覚えている。正確に言うと、この前思い出したのだが。


 「あら。貝谷にも記憶力ってあったのね。高校の頃の貝谷って、見境無く力の限りにチャラチャラしてたから、脳みそ破裂してるに違いないと思ってたわ」


 自分の事は良く言うくせに、他人の事はボロクソな馬場添。


 「うるせぇわ。顔面土砂崩れが。話盛り過ぎだわ。見境くらいあったっつーの」


 散々な馬場添の言いぐさに言い返すと、


 「アンタは髪型と服装で入念に他人の目をくらましている、なんちゃってイケメンな上に、私ほど頭も良くない残念ジジイじゃないの」


 馬場添に、殺傷能力高めの悪口を急所目がけてお見舞いされた。


 馬場添の言葉がとんがりすぎていて、心臓が痛い。ショックすぎる。そりゃあ、髪の毛にも洋服にも気を遣ってるさ。でも、他人の目をくらましてやろうと思ってやっているワケじゃねぇのに。オシャレが好きなだけなのに。くそッ‼ でもここで『お前もババアじゃねぇか』とは言わない。言ってしまったら文乃の二の舞だ。このブス、『そうですが、何か?』的な開き直りをするに決まっている。あぁぁぁあああ‼ 腹立つ‼ ばーばーぞーえー‼


 悔しさの余り、テーブルの下で地団駄を踏んでいると、倉田くんがそって俺の太ももに人差指を乗せ、『どんまい』となぞった。女子か‼ てか、やっぱりオネェなのか⁉ 倉田くん‼


 「馬場添先輩って、何がきっかけで弁護士になろうと思ったんですか?」


 そんな倉田くんが、俺を思ってかまた話を変えた。


 「倉田は? 貝谷は女にモテまくりたかったからって理由でOK?」


 が、逆に俺たちに質問を返す馬場添。


 「OKなワケねぇだろうが。昔からオシャレ好きだったし手先も器用な方だったからだよ‼」


 だから答えてやったのに、


 「ほーう」


 納得していないだろう馬場添は、細い目で俺を見ると串盛りに手を伸ばした。


 そんな馬場添の態度に、『チッ』と、ふいに馬場添の様な舌打ちをしてしまった自分自身が、なんかもう信用できない。


 「…あったよ‼ モテたい気持ちも大いにあったよ‼ 別にいいじゃねぇか‼」


 しょうがなく正直に白状すると、


 「別にいいわよ。モテたい気持ちだけでよくディレクターまでのし上がったわね。あ、貝谷の役職はセレブから聞いてた。立派よ」


 と、馬場添は自分が食べようとしていた焼き鳥を俺の皿に置いてくれた。馬場添は、自分の欲しい答えを言う人間が好きなんだと思う。


 「『だけ』じゃねぇわ。その前に話した理由を無きものにしてくれるなよ」


 それでも馬場添に『立派』と言われた事は嬉しくて、馬場添がくれた焼き鳥に素直に齧りついた。だって俺、本当に頑張って働いてきたから。


 「で、倉田は?」


 馬場添が倉田くんに訊き直す。


 「僕は至って単純な理由です。子どもの頃に見たドラマの弁護士役がめちゃめちゃカッコ良くて」


 倉田くんが、『実はたいした理由ないんです』と頭を掻いた。


 「アンタ凄いわね。そんなぬるい動機で弁護士になれちゃうんだから。倉田って何気に地頭がいいのよね。メンタル激弱だけど」


 馬場添はどうしてこうも一言余計なのだろう。一回持ち上げておいて、何故下げる。

 

 「馬場添だってそもそも頭良かったんだろ? てゆーかさ、馬場添ってプライド高いわりに『死ぬほど勉強した』とか言うよな。プライド高い奴って『余裕で東大入った』とか『勉強もしないで司法試験通った』とか言いそうなのに」


 ふと疑問に思った。馬場添は自分の事に関してもそう。見栄を張り通そうとしないのはどうしてなんだろう。


 「一コ上にそういう奴がいたのよ。東大なんて、『死にもの狂いで勉強しました』って言って入ったって周りが賞讃してくれる大学よ? なのに『チョロかった』とか変な見栄出したモンだからその先輩、『じゃあ、コレも瞬殺で出来ますよね?』とか言われて、周りから面倒な事を押し付けられていたわ。東大って、頭の良い人間しかいないんだって思っていたから、ソイツを見た時は逆に胸踊ったわ。日本の最高学府で阿呆発見‼ 的な」


 『クックックッ』と思い出し笑いをしては、見栄を張らない腹黒い理由を話す馬場添を、『正直者』と呼ぼうと思えるわけもなく、ただただ『馬場添らしいな』と納得した。


 「笑ってないで馬場添先輩も教えてくださいよ。弁護士になろうと思った理由」


 倉田くんが馬場添の腕を揺すり、興味津々の視線を向けた。


 確かに気になる。馬場添は勉強熱心で頭も良かった。馬場添なら、何にでもなれただろう。何で弁護士を選んだのだろう。


 「私ねー、五コ下に弟がいるんだけど、それがまた異常な程に可愛いのよ。ホント、尋常じゃなく可愛いのね。『世界弟コンテスト』的な大会があったらぶっちぎりで優勝出来るくらいに、至上最強に愛くるしいのよ」


 しかし馬場添は、弁護士になった理由ではなく、何の脈略もなく自分の弟の可愛さを説明しだした。意味不明ではあるが、馬場添が相当なブラコンである事だけは分かった。


 「何なんだよ、その気持ち悪い架空のコンテストは」


 謎でしかない馬場添の話にツッコミを入れる俺に、倉田くんが『シーッ‼』と自分の唇の前に人差し指を当て、『黙れポーズ』をすると、


 「似てるんですか? 弟さんと馬場添先輩。弟さんはお仕事は何をされているんですか?」


 と、話は逸れているのに、嬉しそうに喋る馬場添の機嫌を損ねない様にしたいのか、倉田くんは話を戻す事なく、更に広げた。


 「全然似てない。弟はくりくりのパッチリ二重で、喋りもゆっくりで穏やかな性格なの。弟が怒ったところ、見たことないかも。弟はねー、生徒たちに大人気の小学校教諭をしてる」


 ほくほくな笑顔で弟自慢を続ける馬場添に、


 「本当に正反対なんだな。馬場添なんて、こんぺいとうみたいな目で、早口で気性が荒く、誰かを唾罵しているところしか見た事ねぇもんな」


 言ったら一瞬気を失いかける程に痛罵を浴びせられるだろう事は分かっているのに、弟とのあまりの違いをどうしても突きたくて、つい口を滑らせる。


 馬場添が、『チチチチチ』と聞いたこともない高速な連続舌打ちをブチかまし出した。

 

 俺に睨みを利かす馬場添が、どこかのマフィアにしか見えない。


 馬場添の様子に危険を感じた倉田くんが、『何なんですか? 死にたいの?』と俺に口パクすると、


 「馬場添先輩はつぶらな瞳の可愛くて優しい素敵な女性ですよ‼ 何を言っているんですか‼ 貝谷さん‼」


 馬場添の怒りを鎮火させるべく、嘘でしかないお世辞を並べた。


 今この場に『可愛くて優しい素敵な女性』は一人もいない。いるのは、焼き鳥を貪る強気なブスだけだ。


 「つーか、なんで弟の話?」


 誕生日席で、串に刺さった一番下の肉でさえ、女の子らしく箸でずらさず、串を横に持ち口で抜き取る、頭だけはすこぶる良いブス・馬場添に投げかける。自分から話を逸らしておいて、突っ込まれたらキレるって何なんだ、この女は。


 「私が高一の時、弟が冤罪に遭ったのよ。弟のクラスで二万円の入った財布がなくなって、弟が疑われたの。有り得ないでしょ⁉ あの、世界一可愛いウチの弟がよ⁉ もう、ブチキレたわよ。弟が通っていた学校乗り込んでやったわよ。小学生に二万を持たせる親の顔が見てみたいと思って、財布失くした子の親も呼びつけたわよ。その親も弟の担任も纏めて論破して、弟の疑いを晴らせてやったわ。その時、『私の仕事はコレだ‼』って思ったの」


 『今思い出しても腹が立つ‼』と馬場添が鼻息を荒くした」

 

 「じゃあ、今の馬場添先輩があるのは弟さんのおかげなんですね」


 そう言った倉田くんの頭を馬場添が、『お前も可愛いぞ』とポンポンした。倉田くんは今覚えたのだろう。『弟を褒めれば馬場添の機嫌が直る』という事を。


 「弟のおかげで…。『弟のせいで』ではなくて?」


 弟さえ小学校で変な疑いをかけられなければ、こんな性格のひん曲がった女が弁護士になり、法律を盾に大暴れする事もなかっただろうに…。俺の傍で肩を寄せ合う弁護士二人に冷ややかな視線を飛ばすと、


 「だーかーらー。貝谷さんのばーか…」


 馬場添の機嫌を損なわす俺の口を封じようとした倉田くんが喋っている途中で、寝た。


 「ヒトの事、『ばーか』つって寝やがった。あ、そういえば倉田くんウォッカ飲んでたわ。今頃回ってきたか」


 『すーすー』と寝息を立てる倉田くんの鼻を『ばかって言うな』と軽く摘まむと、倉田くんは『ふごッ』と変な呼吸をして、また寝た。倉田くん、泥酔。


 「…面倒かけたね。倉田の事、ありがとう」


 馬場添が、『しょうがない奴だなー』とテーブルに突っ伏す倉田くんの頭を撫でながら、俺にお礼を言った。


 …え? 『ありがとう』?


 「馬場添って、お礼とか言えるんだな。『ありがとう』って単語、知らないのかと思ってた」


 馬場添の口から出た意外な言葉に、何となく調子が狂う。


 「貴様、終いにぶっ飛ばすわよ」


 が、すぐさま馬場添に馬場添らしい言葉を返され、あっさり調子は元通り。『なんて口の悪い女なんだ』と思うのに、馬場添はこうでなければいけないと思った。


 だけど、馬場添は眉間に皺を寄せ、倉田くんに視線を落とし、また倉田くんの頭を撫でた。


 「馬場添?」


 「…ねぇ、貝谷。頼みがあるんだけど」


 またも飛び出る、意外すぎる馬場添のビックリ発言。馬場添が俺に頼み事なんか絶対しないと思ってた。気強いから。弱み見せるの嫌いそうだから。他人に頼る事をしたがらなそうだから。


 「…何だよ」


 「また倉田の事、飲みに誘ったりしてくれないかな。たまにでいいんだ。貝谷の時間がある時にでもさ。デートの予定がない時とか。倉田、大学まで地元にいて、社会人になってからこっちに来た子だからさ、こっちにあんまり知り合いがいないみたいでさ。私に誘われたところで、寛げないだろうし、楽しくもなんともないと思うしさ。倉田、貝谷に心開いてるっぽいし、本当にいつでもいいから、倉田の愚痴の相手してやってくれないかな」


 馬場添が難しい顔をしながら倉田くんの頭を撫で続けると、倉田くんが気持ち良さそうに微笑んだ。


 「別にいいよ。それは全然構わないんだけどさ。倉田くん、馬場添にだって心開いてると思うよ。確かに馬場添にビビってる節はあるけどさ、馬場添がココに来る前、二人で飲んでる時に倉田くんの口から馬場添の悪口は一回も出てこなかったよ」


 俺には、失敗しようが泣こうが、倉田くんが馬場添の元で楽しそうに仕事をしている様に見えたから。


 「…倉田ってさ、イイ奴なんだよね。ホント、イイ奴すぎるのよ。私はさ、『この人を護る』って決めたら手段を選ばないタイプなのね。必ずしも正攻法を取らないっていうか…。でも倉田はそうじゃない。イイ奴過ぎて狡賢い事が出来ない。

 例えば、相手が敵意を持って、私の着ている真っ白いシャツに落ちない頑固な染みを付けてきたとしたら、私だったらそれより大きくて汚らしい染みを付け返して相手の間違いを反省させる。でも倉田はそんな事しないの。出来ないの。落ちないのに、それでも落とそうと洗濯して、相手の間違いを主張しようとするの。それは倉田の良いところだと思う。ただ、裁判って時に足の引っ張り合いみたいになる事がある。倉田をこのままこの世界にいさせていいのかなっていつも思う。弁護士になるって易しい事じゃない。だから『辞めた方がいい』なんて簡単に言えない。やるなら、私の持っている技術を全部倉田に教えたい。今より強い弁護士になって欲しいと思う。毎日迷っていて、倉田の為になる事を出来ていない気がする」


 自信家の馬場添が、初めて自信のない発言をした。


 「倉田くん、ちゃんと馬場添の気持ち、分かってるんじゃないかな。だって普通、毎日馬場添に叱咤されていたら鬱になって辞めるっしょ。馬場添の事、信頼しているからついて行ってるんでしょ」


 倉田くんに頑張って欲しいなと思った。きっと今も充分頑張っているのだとは思うけど。馬場添が倉田くんを想って悩んで頑張っているから。


 「貴様、下手に出れば言いたい放題だな」


 俺の皮肉を予想通り拾った馬場添が、俺の方を見るなり、眉尻をピクつかせた。


 「お前は常に言いたい放題だけどな」


 負けずに言い返すと、


 「貝谷ごときが生意気な」


 馬場添が『フッ』と息を漏らして笑うから、


 「馬場添ってポン酒飲める?」


 「ガンガンに。」


 馬場添ともう少し酒を酌み交わしながら話をしたくなった。


 早速日本酒を注文し、馬場添と乾杯をし直す。


 二人共上着を脱ぎ、それを寝ている倉田くんの肩に掛け、とことん呑む気満々モード。


 「潰してやる」


 と、何故か戦闘態勢の馬場添は、酒の強さに自信があるらしい。


 「こっちのセリフじゃ」


 が、悪いが俺もそこそこ強い。


 「キミは弱いねぇー、倉田くん」


 可愛い顔でスヤスヤ眠る倉田くんの頭を俺も撫でたくなって、倉田くんの頭に軽く自分の手を乗せた。


 幸せそうな倉田くんの寝顔を見る限り、馬場添の心配は無用に思える。


 「何。」


 「イヤ。相手の足を引っ張るよりも、真実を立証する事の方が難しいよなーと。それを倉田くんはしようとしてるんだよなーと思っただけ」


 馬場添はそれが分かっているから、相手の不利な部分を突いているんだろうに、この子は…と倉田くんを見つめる俺を、


 「何その知ったかは」


 頬杖をついた馬場添が、『貴様に何が分かるんだ』とでも言いたげな目で見た。


 「知ったかじゃねぇわ。体験済みだわ。前に、彼女がいるのに浮気した事があってさ。その後どんなに後悔して反省しても、前科があると何度『好きだ』と伝えても、言葉に真実味はなくなるし、嘘じゃないのに疑わしさの立証は出来てしまうじゃん。結局戻れなかったなーって。『嘘はなかなか強い。真実を飲み込む事がある』。その通りだなと。本当の気持ちより、疑いの方が説得力を持ってしまうと、覆すのは難しい」


 酒のせいなのか。過去の失敗をポロっと零すと、


 「アンタ、立派な社会人になったかと思えば、やっぱり馬鹿のまんまだったのね。きっしょ。美容師の恥だわ。全国の、てゆーか全世界の美容師に土下座しろ、愚か者が」


 やはり容赦のない馬場添は、手心のない厳しい言葉を返してきた。

 

 「他にも浮気した事ある美容師はいるだろうよ。なんで俺だけ世界に向けて土下座なんだよ。つか、馬場添の言う通り、俺は雰囲気イケメンなの‼ 女を選び放題のイケメンじゃないんだよ‼ だけど、中途半端にそこそこモテんの‼ だから、たまーにタイプの女の子に『私、イケますよ』的な感じで近寄って来られたら、フラフラしちゃうんだよ‼」


 俺の言う『中途半端なチャラ男あるある』が、馬場添に受け入れられるわけもなく、

 

 「何なのよ。畳みかける様に怒涛のキモさを発揮しないでよ。キッツイわー、コイツ」


 馬場添がまるで汚いものを見るかの様な目を俺に向けた。


 「ブレる事なく辛辣だな、馬場添は。…なぁ馬場添。俺はどうしていたら彼女を繋ぎ止められたかな」


 今更でしかない質問を馬場添にぶつける。


 自分じゃ消化出来なかった問題を、頭の良い馬場添なら解決してくれる様な気がした。


 「『好きだ好きだ』言って『結婚しよう』とは言わなかったの?」


 馬場添が、ポン酒を水の様に口に入れた。馬場添は本当にアルコールに強いのだろう。


 「言えねぇだろ。自分の事を信用してくれない人にプロポーズなんか出来ないだろ」


 馬場添のペースにつられる様に、俺も日本酒を口に運んだ。


 「何様だよ、貴様。アンタを信頼していた彼女を裏切ったのはアンタでしょうが。彼女が貝谷を信用出来ないのは当然。結婚を申し出て、覚悟を見せて彼女を安心させてあげるべきでしょ」


 酒が入っていても、馬場添の言う事は至極まっとう。ぐうの音も出ない正論だった。


 「それはそうなんだけど…。その前に、俺の事をもう一度信じて欲しかったんだよ。勝手な事を言っているのは分かってるんだけどさ。腹を決める為に信用して欲しかった。曲論である事も重々承知。だけど、あの時に馬場添の意見を聞けていたとしても、俺は結婚を考えられなかったと思う」


 『どのみち、よりを戻す事は出来なかったかぁ』と情けなく笑うと、


 「ヘタレが。」


 呆れながら馬場添がグラスの中のポン酒を飲み干した。


 「飲むねぇ、馬場添氏。俺、ヘタレだからすぐフラフラしちゃうじゃん? だからさ、今度彼女が出来たら馬場添に紹介するわ。彼女と馬場添が繋がってるって思ったら、浮気なんか絶対出来ないじゃん。どんな恐ろしい制裁をされるか分かったもんじゃないし。フラついて、また誰かを傷つけたりするの、もうしたくないからさ」


 俺も負けじとグラスを空け、『次、何飲む?』と馬場添の前にメニューを置いた。


 「いいよ。交換条件成立ね。倉田の事宜しく頼んだわよ、貝谷」


 俺の提案を快諾した馬場添が、『どれ飲もうかなー』とメニューを選び出した時、


 『はっくしょい‼』


 倉田くんが豪快なくしゃみをした。が、起きず。


 「今日はお開きにしよう、貝谷。倉田が風邪ひく」


 馬場添が見ていたメニューを片し、『帰るよ、倉田』と倉田くんの左腕を自分の肩に回した。


 「倉田くん家ドコ? 倉田くん、俺が送ってく。酔っ払った男って結構重いし」


 『こっちにおいで。倉田くん』と、倉田くんの右腕を自分の肩に乗せると、


 「大丈夫。お店出たらすぐタクシー乗るから。それに倉田のマンション、めっさ分かり辛いトコにあるのよ。本当、どういうつもりで選んだのか理解出来ない。間取りも普通で、家賃が安いわけでもないのに。貝谷、悪いけどお会計お願い」


 馬場添が、俺の肩から倉田くんの腕を外すと、財布の中から数枚のお札を取り出し俺に手渡した。


 「いい。いらない。俺が奢るってこの前約束したじゃん」


 手渡されたお金を馬場添に押し返す。


 「あ、そっか」


 馬場添は、真衣ちゃんの件を頼んだ時に俺がした約束を思い出した様で、お札をすんなり財布にしまった。


 「次に飲む時は馬場添が奢ってよ」


 「え?」

 

 「近々また倉田くんを飲みに誘おうと思ってるから、その時は馬場添も来いよな」


 何だかちょっと飲み足りなくて、めちゃめちゃ嫌な事を言う馬場添が、不思議と嫌ではなくて、今日の飲み会が結構楽しくて、また馬場添と飲みたいなと思った。


 「…じゃあ、次こそ潰してやるわ」


 馬場添は、また一緒に飲んでくれるらしい。


 「だから、こっちのセリフじゃ」


 今日はどっちも潰れなかったから、次こそ馬場添を潰してやろう。


 「御馳走様、貝谷。また今度」

 

 馬場添は、倉田くんんの肩にかかっていた俺のジャケットを剥ぎ取り、俺に渡すと、倉田くんを引きずる様にしながら店を出て行こうとした。


 倉田くんをしっかり支える馬場添の背中を見て、言いたい事があった。


 「馬場添」


 帰りがけの馬場添を呼び止めると、


 「何?」


 馬場添が立ち止まり、振り返った。


 「俺もさ、後輩には自分の技を全部教えたい。だからって、俺のやり方通りにしろとは思ってない。後輩には、自分が良いと思うやり方を見つけて欲しいと思ってる。馬場添もそうだろ? 倉田くんなら見つけられるよ。馬場添はさ、倉田くんがそれを見つけるまでの間、支えてあげるだけでいいんじゃないかな。それまで待ってやろうよ。馬場添が迷って焦って『どうにかしなきゃ』って感じだと、倉田くんも追い込まれてじっくりそれを探せないだろ? 大丈夫だよ。馬場添はちゃんと、倉田くんの『良い先輩』だよ」


 酒のせいだろうか。普段なら言うのにためらうキザな言葉が、言いたくて仕方なくなった。


 「…貝谷ってさ、たまーに、たまーーーーに、年に一回くらい良い事言うよね」


 俺の言った事がキザすぎたのか、馬場添が困った様に笑った。感動されても困るから、この反応でいいんだけど…、


 「お前に俺の何が分かるんだよ。勝手に年一にしてくれるなよ。半年に一回は言ってるっつーの」


 俺はもっと良い事言えるとばかりに反論するが、


 「年に二回になっただけじゃないのよ」


 アルコールが入っても冷静な馬場添に、恥ずかしい指摘を受ける羽目になった。ダサい。ダサすぎる。折角良い事言ったのに、馬鹿ずぎる。


 「ばーか」


 そして、改めて馬場添に『バカ』と罵られる。


 「酔ってて簡単な計算が出来なかっただけだろうが」


 「はいはい。じゃあね。気を付けて帰ってね、酔っていらっしゃるようなので」


 言い訳も馬場添にサラっと流される始末。


 「じゃあな。…頑張れよ、馬場添」


 帰り際の人間をくだらない話でこれ以上引き止めるのもうっとしいだろうと、馬場添に手を振ると、


 「貝谷も。お互い頑張ろう。じゃあ、また」


 馬場添は倉田くんを支えているから手を振り返す事はしなかったが、俺の『頑張れよ』にコクリと頷き、店を出て行った。


 馬場添と『頑張れ』と言い合って、明日からまた頑張ろうと思った。

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