女・子どもに容赦のないブス。
馬場添がトイレから戻って来ると、四人でオーナーの息子さんが運ばれたという病院へ。
受付で案内された病室に行くと、オーナーの息子さんらしき男の子がベットで寝ていて、その傍にはチームメイトと思われる男の子が四人と、コーチと思しき男性と、チームメイトの保護者らしき女が三人いた。
「栞太、大丈夫?」
オーナーが息子の傍に駆け寄る。
「……」
オーナーの息子さんは返事をせずに俯いたままだった。
「ごめんなさいね。練習中にウチの子が栞太くんにぶつかっちゃったみたいで。わざとじゃないから許してやってね。ホラ、ちゃんと謝って」
栞太くんに怪我をさせたと思われる母親が、その息子の頭を右手で押し下げた。
「嘘だよ‼ 今日だけじゃないじゃん‼ 一年でレギュラー入りした栞太の事を妬んで、ずっと嫌がらせしてたじゃん、原田先輩たち‼ 俺、しっかり見てた‼ 故意にぶつかって来てた‼ もうすぐ試合なのに…酷過ぎる‼」
栞太くんの友達だろう男の子が、他の三人の男子たちを指差しながら咎めた。
「証拠もないのに何て事を言うの? ちょっと、アナタのお母さん呼んでちょうだい」
原田くんの母親が、自分の息子を責める栞太くんの友達に激怒した。
「やめろ、良介。スポーツに怪我はつきものだ」
コーチらしき男性が、良太くんを宥める。
「やめなくていいでしょう。責任の所在を明らかにするのは大事な事ですよ。コーチは、栞太くんの治療費は誰が支払うべきだとお考えですか? 怪我をさせられた栞太くんのお母さんに支払い義務があると思われての発言ですか?」
一部始終を見ていた馬場添が口を挟む。
「は? どちら様ですか?」
原田くんの母親が睨みを効かせながら馬場添に尋ねる。
「弁護士の馬場添泉と申します」
馬場添が名刺を出すと、大人たちが『子どものいざこざに弁護士を連れて来たのか⁉』と驚きの表情を顔面に貼り付けた。
「『スポーツにおいて怪我はつきものだから、仮に怪我をしてもそれは自己責任であり、他者に怪我をさせてもルールの範囲内であれば、加害者は責任を負わない』などという考え方はとっくの昔に死んでますよ。現在は、『通常想定出来る危険の範囲内であれば違法性を阻却し、その範囲を超えた場合には違法性を阻却しない』という考え方をします。したがって、スポーツだから怪我をさせてしまったとしても、治療費を支払わなくて良いという事にはなりません」
馬場添がチラっと良介くんの方に目をやると、良介くん馬場添に強い視線を送った。
「今回の栞太くんの怪我は通常想定出来る危険の範囲内よ。息子もわざとじゃないって言っているし。そうよねぇ⁉」
原田くんの母親が、原田先輩の仲間とその親までも巻き込んで同意を求める。その圧に押されてか、
「原田に悪意はなかった」「偶然ぶつかっただけ」
と周りの人間が原田先輩を擁護した。
「違う‼ 嘘吐き‼ そんな事をして恥ずかしくないのか⁉」
良介くんが頭を左右に大きく振り、原田先輩を擁護している人間たちを非難した。
「もういいですから。治療費なんて、こちらで払いますから。治療すれば治る怪我ですから、大事にしなくて大丈夫ですから」
オーナーが馬場添の腕を掴んだ。そんなオーナーを見て、栞太くんが悔しそうに唇を噛みしめた。
「オーナーさんがそれでいいなら、私は構いませんよ。ただオーナーさん、栞太くんに滅茶苦茶嫌われると思いますけど」
オーナーに冷めた視線を送る馬場添。
「私も中学時代にサッカーをやっていたので、栞太くんの気持ちが分かります。努力してレギュラーを勝ち取ったのに、自分の不注意でない怪我を負って試合に出られなくなってしまうなんて、相当辛いですよ。それに、良介くんって栞太くんと同じ一年生ですよね?」
倉田くんが馬場添に同調しながら良介くんに話し掛けた。
「はい」
「一年生がたった一人で複数人の上級生に抗議をするって、とても勇気がいる事です。今回に至っては、上級生の保護者もいます。それでも栞太くんの悔しさを共有し、栞太くんの為に怒り、勇気を持って発言する良介くんを、心根の優しい素晴らしい人間だと尊敬します。穏便に済ませたいオーナーさんのお気持ちは理解出来ます。でも、その行為は彼らの心を傷付けてしまうと思います」
倉田くんの言葉を聞いて、自分の心を汲んでもらえたのが嬉しかったのか、栞太くんと良介くんが、目から流れ出る涙を手の甲で拭った。
「では、栞太くんと原田くんが接触してしまった時の様子を詳しく教えて頂きたいのですが…あ、先に言っておきますが、今回は栞太くんが怪我をしていますので、栞太くんが警察に被害届を出せば刑事事件になります。刑事事件の場合、裁判所で虚偽の発言をすると偽証罪に問われます。怪我をさせたのは自分ではないからと、安易に話をせず、慎重に発言することをお勧めします」
馬場添がニヤリと口角を上げた。
「スポーツ中の子ども怪我で刑事事件⁉」
驚く俺に、
「貴様、私が民事しか出来ない能無しだとでも思っていたのか? こういう些細な案件にこそ、刑事・民事から攻められる、二重の旨味があったりするのよ」
『あと、誰が最初に原田くんを見捨てるのかっていう面白さ』と馬場添が悪代官の様な笑みを向けて来た。…まぁ、面白そうではある。
「まずお聞きしたいのですが、部員数は何人ですか? 練習はレギュラーとその他の部員とは別々にしていましたか?」
サッカー経験者・倉田くんがコーチに質問をした。
「はい。試合が近いので、レギュラーとそうではない部員とで別れて練習していました。部員数は五十二名で、内二十名がレギュラーメンバーです。」
「栞太くんはレギュラーですよね。原田くんは?」
「レギュラーメンバーではありません」
倉田くんの問いかけに、コーチが淡々と答える。
「因みに栞太くんが接触した時は、どんな練習をしていましたか? レギュラー組に欠席者はいましたか?」
倉田くんの質問はまだ続く。
「二人一組になってパス練習をしていました。今日は、全員揃っていました」
コーチの返答に『プッ』と馬場添が噴出した。
「何だよ、馬場添」
真剣な話の最中に笑い出した馬場添に白い目を向けると、
「イヤ、だってさ…。ねぇ、キミたち『原田くんはわざとじゃない』って意見、覆さなくて本当に大丈夫?」
馬場添が、笑いながら原田くんの友達たちに意思確認をした。
「…え?」
馬場添が何で笑っているのか分からず、馬場添に返事が出来ない男子二人。
「じゃあ、ダメ押しヒント、行ってみようか。倉田」
馬場添に話を振られ、『笑わそうとしないでください』と、倉田くんが笑いを噛み殺しながら、
「では、レギュラーとその他の部員が練習していた場所の位置関係と、栞太くんと原田くんが接触した位置を書いてみてください」
とコーチに紙とペンを渡した。
「レギュラーメンバーは右側のグラウンドで、その他の部員は左側で練習していました。栞太くんと原田くんがぶつかってしまったのは、この辺です」
コーチが書いた図を見て、
「…これは…詰んでますね」
俺も笑ってしまった。
「はい。これで原田くんが悪意を持って栞太くんを怪我させた事がハッキリしました。栞太くんの治療費は原田さんがお支払いください。栞太くん、慰謝料も請求しますか? 被害届はどうしますか?」
「え⁉ えっ⁉」
急に馬場添に話し掛けられ、あたふたする栞太くん。
「ちょっと待ちなさいよ。なんでウチの子が悪い事になっているのよ‼」
原田くんの母親もあたふたしながらキレ散らかす。
「え? コーチが書いた図を見ても分かりませんか?」
『逆にどうして分からないの?』と馬場添が原田くんの母親に聞き返す。
「では、コーチが書いてくださった図を使いながらご説明しますね」
倉田くんがみんなが見やすい場所に、コーチが書いた図を置いた。
「栞太くんが練習していたのは半分より右側のグラウンドで、原田くんは左側。そして、二人がぶつかったのは右側のグラウンド。右と左を分ける境界線付近ではなく、右側の奥の方です」
「間違って右側のグラウンドに行ったのよ。息子は先回まではレギュラーだったから」
倉田くんの説明に、原田くんの母親が反論。
「だとしても、すぐに気づくはずなんですよ。だって、レギュラーの人数は二十人。欠席者はなし。接触は二人一組になってパス練習をしていた時に起こった。原田くん、誰とパス練習をしていたんですか? 一人も余らないのに。原田くんにしか見えない秘密のお友達とかですか?」
馬場添におちょくられ、
「……」
原田くんの母親は、言い返せずに顔を真っ赤にした。
「最終確認なんだけどさぁ、原田くんは、本当に悪気なく偶然に栞太くんにぶつかったと思う?」
今度は原田くんの友達たちに話し掛ける馬場添。
原田くんの友達の母親たちが何やらコソコソを相談を仕出し、自分の息子に耳打ちをすると、
「…すみません。原田に悪意は、あったと思います」「偶然ではなかったと思います。嘘を吐いてすみませんでした」
原田くんの友達たちが謝罪の言葉を口にしながら頭を下げた。嘘を吐いて原田くんの肩を持った所で、デメリットしかないと判断したのだろう。
「原田くんも、何か言わなきゃいけない事があるんじゃないの? さっきから押し黙っているけど」
今度は原田くんに謝罪を求める馬場添。
「……ごめんなさい」
ようやく口を開いた原田くんが、消え入るような声で謝った。
「だってさ。どうする? 栞太くん。この流れ、ドラマとか漫画だと『謝ってくれたから、許すよ』的な安っぽい綺麗事で纏められて終わりがちだけど、警察に被害届出して、慰謝料請求したって別にいいと思うわよ。だって、『イヤイヤイヤイヤ。こっち、怪我させられて試合出られねぇんだぞ。ごめんじゃ済まねぇわ』って私だったら思うもの」
『恨み、晴らせてあげるよ』という馬場添の提案に、
「俺、爽やかスポーツマンだから『謝ってくれたから、許すよ』って普通に思いましたよ」
さっきまで暗い表情だった栞太くんが『ふふふ』と笑顔を零した。
「そんな爽やかな事ってある⁉ それ、本心⁉ 慰謝料で好きなゲーム買えるよ⁉ むしろ、慰謝料請求してやった方が『もうこんな事は二度としてはいけないな』って原田くんの心にも刻まれるだろうし、原田くんの為にも貰った方が良くない⁉」
栞太くんにエグい説得をする馬場添の言葉に、原田親子の顔が引き攣った。
「悪意を悪意で叩き潰しても怨恨が残るだけじゃないですか? それはスポーツマンシップに則ってない」
『だから慰謝料請求はしません』と栞太くんが笑顔で馬場添の説得を退いた。
「「カッコ良過ぎだろ」」
倉田くんと俺は、『スポーツマンシップ』などという言葉を、ここ最近耳にも口にもしていない為、羨望の眼差しを栞太くんに向けた。
「あー‼ 無理無理。私、ダメなのよ。キラキラで爽やかって。三半規管がおかしくなるのよ。私は、ネチネチで真っ黒い沼の袂に立ち、悪人をその沼に蹴り落としていないと精神衛生上良ろしくないのよ。青春が眩しすぎて、自律神経にまで支障をきたし兼ねないから、私はそろそろ帰るわ」
『ここにいるのは危険だわ』と馬場添が帰り支度をし出した。
「馬場添先生、ありがとうございました」
そんな馬場添えに栞太くんがお礼を言うと、
「どういたしまして。栞太くんは、本当に良い友達を持ったわね」
『大事にしなさいよ』と馬場添が笑った。かと思えば、
「はい。良介は俺の自慢です」
という栞太くんの返事を聞くと、
「私の自律神経を狂わす気か。帰るよ、倉田。貝谷」
馬場添は、俺たちを呼び、『早く帰らねば。お大事にー』と言いながら病室を後にした。
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