乱れ撃つ、ブス。


 オーナーまでもかい‼ と頬を引き攣らせていると、俺の存在に気付いたのか、倉田くんは俺の顔を見て苦笑いを浮かべているし、馬場添は、


 「あらあらあらあらあらー」


 梅干しでも食ったかの様な酸っぱい表情を俺に向けた。


 「オ…オーナー、立ち話もなんですし、もう閉店時間も近いことですし、後はスタッフに任せて近くのカフェで話しませんか? 馬場添たちもお腹空いているだろうし…」


 鳥蔵行きを阻止してしまい、これ以上馬場添を苛つかせるのは危険な為、馬場添の腹を満たすべく、場所の変更を提案する。


 「あ…あそこですよ、きっと。来るときに通り掛かった、ふわふわパンケーキの看板の‼ おいしそうでしたよね⁉」


 倉田くんも馬場添の機嫌を直すべく、必死に盛り上げる。


 「…焼き鳥とビール」


 しかし、馬場添の目は死んでいる。


 「パンケーキとラテです‼」


 全く違う食べ物の名前を口にしながら、倉田くんが馬場添の腕を引っ張った。

 

 それでも馬場添は歩こうとしない為、後ろから俺も馬場添の背中を押す。その様子を見ていたオーナーが、


 「…迷惑でしたでしょうか」


 申し訳なさそうに眉を顰めた。


 オーナーは俺の尊敬する上司。『迷惑でしょうね』とは言えない。


 「そんな事ないですよ‼ オーナーも行きましょう。みんなでパンケーキ食べましょうよ」


 オーナーに笑顔を向けながら首を左右に振った。


 しかし、四人でパンケーキ…。そんな可愛い食べ物をつつきながらワイワイ話せる可愛い話題では絶対ないであろう事はお察しである。


 それでも、店に入りパンケーキとラテを頼んで四人でテーブルを囲む。


 『何故、焼き鳥がパンケーキに…』と呟く馬場添の声を遮る様に、


 「先ほどのお話、詳しく聞かせて頂けますか?」


 倉田くんがオーナーに話し掛けた。


 「…旦那と離婚したいんです。…去年、旦那の浮気が発覚しました。相手は旦那の趣味のサバゲーで同じチームだった女の人でした。旦那と話し合って『もう彼女とは会わない』と約束してもらって、その時は許すことにしました。それから旦那は改心してくれて、家事も育児も協力的になって、申し分はないんです。でも、やっぱり過去の浮気が引っかかっていて…。離婚を切り出してみたんですけど、『こんなに頑張ってもダメなのか? それはあまりにも酷いだろ』って言われて話は平行線のままで、そのうち旦那といるのが辛くなってしまって、子どもを連れて実家に帰ったんです。そうしたら、旦那が弁護士さんに相談したらしくて、あっちの弁護士さんに、『どうしても離婚をしたいなら、慰謝料請求します。親権も渡しません』って。『あなたのしている事は悪意の遺棄です』って言われました。そもそもの原因は旦那の方なのに…。

 旦那は本当に良くやってくれていると思う。でも、浮気相手と出会ったサバゲーだけは辞めてくれなかった。『チームは抜けた。フリーで一人でやる分には問題ないだろ』って。弁護士さんにも『旦那さんの趣味を取り上げるのはおかしい』って言われました。確かに浮気をしている様子はないんです。でも、嫌なんです。どうしても」


 オーナーが俯きながら相談事を話し終わったと同時に、店員さんがパンケーキを運んできた。


 「だから、何故にパンケーキ…」


 焼き鳥とは似ても似つかぬ料理を見つめ、とりあえずパンケーキにシロップを掛け、ナイフを入れる、馬場添。


 馬場添の隣では、パンケーキを口いっぱいに頬張り、


 「ふわっふわー‼ お・い・し・いー‼」


 倉田くんが目をキラキラと輝かせていた。あまりに美味しそうに食べる倉田くんを見て、馬場添も一口大にカットしたパンケーキを口に運ぶ。


 「確かにふわっふわで美味しいけどさぁ。違うのよ。私が今食べたいのは、『どんだけ首動かしたんだよ』ってくらいの、コッリコリのせせりなのよ」


 焼き鳥を諦めきれない馬場添が、『歯ごたえがどこにもねぇな。つーか、歯の出番がない』としつこく文句を垂れた。


 つか、パンケーキの話などどうでもいい。


 「ねーえ‼ オーナーの話、ちゃんと聞いてたのかよ」


 視界にパンケーキしか入れていない馬場添と倉田くんに突っ込むと、


 「すみません。あまりにもパンケーキが美味しくて…。ちゃんと聞いてましたよ。離婚するに当たり、慰謝料請求されている事が納得いかないという話ですよね」


 倉田くんがナイフとフォークから手を離した。


 「慰謝料請求はオーナーさんからも出来ます。不倫の慰謝料請求の時効は、オーナーさんが旦那さんの不貞行為および浮気・不倫相手を知った時から三年間。旦那さんの浮気・不倫関係が始まったときから二十年間ですので。ただ、裁判所は有責配偶者の関係修復への努力を高く評価する傾向があります。旦那さんはちゃんと反省して、心を入れ替えた。それでもオーナーさんは家を出てしまった。それは正当な理由なく夫婦の同居・協力義務を履行していない行為になります。それが『悪意の遺棄』です。しかし今回の場合、不倫慰謝料の請求額の方が高くなると思います。相殺して、差額を旦那さんから支払って頂く形になるかと思います。親権も心配ないでしょう。親権を争った場合、日本では母親の方が圧倒的に有利ですので」


 なるべく馬場添の手を煩わせない様にと、倉田くんがきっちりと説明係の役割を遂行。


 「…と、言うのが模範解答です」


 それを黙って聞いていた馬場添が、右頬にパンケーキを詰め込んだまま喋り出した。


 「え?」


 『どういう事?』とオーナーと倉田くんと俺が一斉に馬場添の顔を見た。


 「オーナーさん、正式に私に依頼します? 私なら、『悪意の遺棄』を遺棄します。旦那側の慰謝料請求を握り潰し、こちら側の慰謝料の請求額をまるっと頂きます。もちろん親権もこっちのもの」


 馬場添が『なかなか飲み込めない。歳だからなの?』と眉間に皺を寄せながら、口の中に留まるパンケーキをラテで流し込んだ。


 「…出来るんですか? そんな事」


 オーナーが顔を上げ、馬場添を見つめた。


 「私は、する派。」


 『出来るのか出来ないのか』の質問に『するしない』で答える馬場添。穏やかではない馬場添の返答に、嫌な予感が過る倉田くんと俺の目が会った。


 「…お願いしたいです」


 オーナーが馬場添に頭を下げ、依頼してしまった。


 「では、旦那さんと元不倫相手の写真を見せて頂けますか? 旦那さんのお仕事って、土日休みですか?」


 馬場添が、オーナーに質問をしながら鞄からタブレットを取り出す。


 「はい。旦那はカレンダー通りの土日休です。写真は、これです」


 馬場添に返答しながらスマホの中身を探り、保存してあった旦那とその元不倫相手の写真を馬場添に見せるオーナー。


 「倉田―。データ吸い取ってー」


 しかし馬場添の視線は自分のタブレットから動かない。オーナーの旦那とその元不倫相手の顔確認を後回しにすべく写真データの保存を倉田くんにさせた馬場添が、


 「貝谷、アンタ今週末って仕事?」


 何故か俺のスケジュールまで知りたがる。


 「俺は基本平日休みだから、土曜も日曜も仕事」


 素直に答えると、


 「じゃあ、貝谷は夜戦ね」


  馬場添に意味不明な返事をされた。


 「はい?」


 「この週末は祝日が繋がっていないただの二連休。月曜日から仕事の中年が、サバゲーに行くとしたら土曜日。そしてオーナーさんの旦那はチームから抜けている為、行くなら一人参戦可能な定例会。この辺でサバゲーが出来て、今週末に定例会があるのはこの三か所。内一か所は夜戦。元不倫相手も周りに不倫がバレたならチームを辞めていると思われる。サバゲーが趣味だったなら、おそらくアイテムはレンタルではなく私物。そしてフル装備を揃えるにはそこそこお金が掛かっているはず。お金を掛けた趣味を簡単に辞めるとは思えない。元不倫相手も定例会に参戦の可能性が高いとみた」


 馬場添が、さっきまで凝視していたタブレットを俺の前に置いた。


 「…つまり、俺に夜戦に行けと。俺、サバゲーした事ないんだけど」


 「大丈夫、私もない。前からやってみたかったんだよねー、人を狙撃するの」


 俺に『私も行った事がないから』という何の根拠にもならない『大丈夫』を発すると、『なんか血が騒ぐわー』とワクワクしだす馬場添。


 「昼二か所って事は、僕も行くんですよね? 僕、無理です。人を撃つとか。人から撃たれるとか。こーわーいー‼」


 パンケーキにはしゃぐ倉田くんは、サバゲーに拒絶反応を示した。


 「倉田って案外薄情よね。オーナーさんの事、見捨てるんだ」


 『ふーん』と馬場添に横目で見られ、


 「そんな言い方しなくても…。行きますよー。行きますからー」


 半泣き状態の倉田くん。


 「…なんか、すみません」


 うるうるに湿らせた倉田くんの目を見て、オーナーが申し訳なさそうに肩をすぼめた。


 「あ、大丈夫ですよ、オーナー。倉田くんは日々馬場添に今以上に甚振られているので、この程度は慣れ親しんだ日常です」


 『気にしないでください』とオーナーを励ますと、


 「つか、馬場添はオーナーの旦那と元不倫相手がまだ繋がってると思ってんの? オーナーはそれはないって言ってるのに」


 『サバゲーに行くの、意味ない気がするんだけど』と馬場添に物申す。


 「繋がりなんてどうでもいいのよ。てゆーか、やっぱり焼き鳥が食べたい。今日はこの辺でいいかしら。貝谷、土曜日までに足腰鍛えておきなさいよ。オッサンなんだから。じゃあ」


 どうしても焼き鳥を食わなければ気が済まない馬場添は、結局明確な答えをせずにカフェを出て行ってしまった。


 カフェに取り残されたオーナーと倉田くんと俺。


 「…サバゲー」


 見るからに殴り合いの喧嘩など一度もした事がなさそうな倉田くんが、撃ち合いをしなければならない状況に頭を抱える。


 「…大丈夫なんでしょうか」


 馬場添の意図が分からず、オーナーも不安を隠せない。


 「…パンケーキ、食べましょう」


 悩んだところで倉田くんがサバゲーに行く事は決定事項だし、オーナーの不安も蓋を開けてみないことには分からない。


 そんな俺らに今出来る事はパンケーキを喰らう事のみだった。


 三人でパンケーキを完食し、土曜日を待つ。



 そして、土曜日。 


 別々のフィールドに向かった馬場添と倉田くんを気にしながら、いつも通り仕事をこなす。


 土曜日ということもあって、予約もパンパン。

 

 何とかお昼休憩が取れたタイミングで倉田くんに電話を掛けてみた。


 スマホを耳に当て何コールか待つと、倉田くんが電話に出た。


 「サバゲー、どう? 楽しい? オーナーの旦那と元不倫相手はいた?」


 『いませんでしたー。ずっと誰かに狙われている気がして怖いですー。あ‼ 見つかった‼ 痛い‼ ヒットしました‼ 当たりましたからー‼ もう撃たないでー‼ キャー‼』


 どうやら敵に見つかってしまったらしい倉田くんの悲鳴を最後に、電話は切れてしまった。ので、今度は馬場添に掛けてみる。


 「サバゲー、どう? 楽しい? オーナーの旦那と元不倫相手はいた?」


 『いない。コレ、ハマる気持ち分かるわ。あ‼ 見つかった‼ キルしてやる‼ オラー‼』


 どうやら敵に見つかってしまったらしい馬場添の雄叫びを最後に、電話は切れてしまった。


 どちらのフィールドにもオーナーの旦那がいなかったという事は、やはり俺も夜に参戦せねばならぬという事か…。


 まぁ、俺も馬場添寄りで、ちょっと楽しみだったりする。


 そして仕事を少し早めに上がらせてもらい、夜戦が行われるフィールドへ向かう。


 装備を全てレンタルし着替えを済ませ、スタッフから注意事項等の説明を受けていると、

 

 「あ、いた」


 オーナーの旦那を発見。


 元不倫相手はいないかと見渡すと、だいぶ離れた所にいた。


 証拠写真を撮ろうにも、離れすぎていてカメラに収まらない。


 そうこうしている間にゲームが始まってしまい、プレイヤーが散ってしまった。


 とりあえずオーナーの旦那の近くの物陰に隠れて様子を見る事に。


 しかし、いつまで経ってもオーナーと元不倫相手は接触しようとしない。


 取りあえず、馬場添にオーナーと元不倫相手がいた事を報告すべく電話を掛ける。


 「オーナーの旦那とその元不倫相手、いたはいたけど、本当にただ純粋にサバゲーをしに来てるだけっぽいぞ。近づきもしなければ会話もしないし」


 『ゲームをしていれば二人が接近する可能性はある。それが意図的なのか、偶然逃げ場が一緒になったかとかはどうでもいい。とにかく二人が近くに寄った瞬間を写真に収めてきて』


 「それ、後者の理由だったとしたら偽造じゃん。つか無理言うなよ。下手に動いたら敵に見つかる」


 『アンタ、何しにそこに行ったと思ってるのよ』


 「サバゲー」


 『しっかり写真撮ってから死ね』


 自分は散々サバゲーを満喫したくせに俺にはそれを許さず、一方的に命令をした馬場添に勝手に電話を切られた。


 オーナーの為だからやるけれども‼ 俺だってここまで来たからには二、三人はキルして帰りたい。馬場添が言っていた通り、コレはハマる。めちゃめちゃ楽しい。

 

 フィールド内を駆け回り、何人かキルし、ずっとマークし続けていたオーナーの旦那と元不倫相手が最接近した時、デジカメのシャッターを押した。その時、ヒットされた。非常に悔しい。


 しかし俺が撮った写真は、オーナーの旦那とその元不倫相手が示し合わせて一緒にいた場ではなく、図らずも同じ場所でゲームをしていた様子だった。


 オーナーの旦那さんは疾しい事を何ひとつしていない。それなのに馬場添は、この写真を使ってオーナーの旦那さんを悪者にする気なのだろうか。


 写真のデータを馬場添と倉田くんに送ると、倉田くんからは『凄く良く撮れてますね』と褒められ、馬場添には『アンタの天職は美容師じゃなくて盗撮カメラマンだと思う。天職に転職した方がいいと思う』と、本人は上手い事言ってやった‼ とでも思っているのだろうが、ド滑り倒した返信が来た。


 オーナーの旦那とその不倫相手が写った写真を手に入れた馬場添は、真衣ちゃんの時と同様に、オーナーの旦那に内容証明を送り付けた。


 後日、定休日のサロンに集まり、相手方の弁護士を交えて話し合いをする事になった。


 そして、話し合い当日。


 約束の時間にオーナーの旦那とその代理人の弁護士、馬場添、倉田くんがやって来た。


 応接室に通し、オーナーの分を含め、コーヒーを五つ用意する。それを持って応接室に入ると、


 「あ‼ この前、サバゲーにいましたよね?」


 オーナーの旦那が俺の顔を見て、仲間に再会したかの様な笑顔で会釈をした。


 違うのに。俺、アナタの味方じゃないのに。と、どうしていいのか分からず、『ど、どうも』とたった三文字の言葉を噛みながらコーヒーをオーナーの旦那の前に置いた時、


 「そうなんですよ。この方もサバゲーが趣味で。この前行ったらたまたまこんな写真が…。元不倫相手とは二度と会わないお約束をされていたと伺っていたのですが…」


 馬場添が、俺が撮った写真をコーヒーの隣に置いた。


 「違う‼ 約束をして一緒にサバゲーをしていたわけじゃない‼ 本当に偶然会っただけなんだ‼」


 自分と元不倫相手が写った写真を目にし、焦った様子で必死にオーナーに弁解をするオーナーの旦那。


 「偶然である証拠はどこに?」


 馬場添が『偶然を証明しろ』という無理難題をふっかけた。


 「俺はもう、相手の連絡先を知らない。ちゃんと削除した。スマホもパソコンも見られても構わない。連絡のしようがない」


 『どうぞ、見てください』とスマホのロックを解除し、馬場添に渡すオーナーの旦那。


 「幾度となく会い、何度も肉体関係を持った女性の連絡先など、頭で覚えていても不思議ではないですよね」


 馬場添がオーナーの旦那のスマホを突き返した。


 「それは…」


 言い返せず、口籠ってしまうオーナーの旦那。


 オーナーの旦那がなんだか不憫に思えた。


 だって、本当に覚えてなどいなかったと思うから。


 正直、俺だって元カノどころか家族の携帯番号も全く覚えていない。


 そういう人の方が大多数だと思うが、馬場添が言う事に不自然な部分がない為に反論出来ない。


 「この辺りでサバゲーが出来るフィールド数をご存じでしょうか? 数える程しかありません。約束などしなくとも、ばったり会ってしまう事など不思議ではないんですよ」


 言い返せなくなってしまったオーナーの旦那の代わりに、相手の弁護士が口を開いた。


 「百歩譲って…本当は一万歩ぐらい譲ってますけど。本当に偶然遭遇しただけだったとしましょう。しかし、オーナーさんはそれが嫌だから旦那さんに『サバゲーを辞めて欲しい』と言っていたのです。にも関わらず、サバゲーに行き続け、元不倫相手に出くわした。この辺でサバゲーが出来るフィールドが少なく、元不倫相手に会ってしまう確率が低くない事を知りながら、遠くのフィールドに足を運ぶ配慮すらしなかった」


 『だからなんだ』とばかりに馬場添が弁駁。


 「旦那さんは多趣味な方ではありません。サバゲーはたったひとつの趣味です。毎回毎回遠出するのは困難ですし、酷です」


 相手の弁護士も駁説。


 「日本は一夫多妻制ではありません。たった一人の奥様を傷つけながらも行くサバゲーは、そんなに楽しいのでしょうか。それに、趣味は今はたった一つでも、探そうと思えば探せますよね。他の趣味を作る努力はしなくて良いのでしょうか。

 私の依頼者に『あなたのやっている事は悪意の遺棄だ』と仰ったそうですが、旦那様の不倫によって負った傷心を、どうにか立て直そうと努力していたオーナーさんの気持ちが、不倫相手と会わないという約束を旦那様に破られ事により踏み躙られてしまった。耐えられなくなり家を出たオーナーさんの何が悪意の遺棄なのでしょうか。悪意があるのはオーナーさんの方ではない。

 旦那様は不倫後、家事も育児も協力的にやって来たと聞きましたが、協力ってどういう事ですか? それって当たり前の事ですよね? 共同生活をしているのですから。そうでなければ、初めから協力的な余所の家庭の旦那さんは、罰ゲームでも受けている事になりますからね。もともとほとんどをオーナーがやっていた家事育児を積極的にするようになって、役割がイーブンになっただけで、反省している? 償っている? はぁ⁉」


 馬場添が遂に『悪意の遺棄を遺棄』した。


 「でも俺は本当にもう、不倫なんかしていないのに…」


 オーナーの旦那が『違うのに』と言いながら、俺が撮った写真を握り潰した。


 申し訳なくて、オーナーの旦那の顔を見ることが出来ない。


 俺が撮ったのは、ただ同じ空間でサバゲーをしていたオーナーの旦那とその元不倫相手の姿だ。


 それがあたかも裏切り密会の証拠写真の様に扱われてしまっている。


 「誰かを赦すという事には、我慢と諦めが必要なのよ。何度となく蒸し返してくる怒りに無理矢理蓋をして、どうしようもない悲しみを『どうにもならない』と、思考停止させなければいけない。それって簡単じゃない。傍からは、アナタはとても反省し、努力もしている様に見えたかもしれない。アナタ自身もそう思っていたかもしれない。でも、傷付けられたのは傍から見ている人じゃない。オーナーさんなのよ。オーナーさんの心の傷が癒えなければ、オーナーさんがアナタを赦せなければ、アナタの努力はただの独りよがりにすぎないわ」


 馬場添の言葉に、オーナーが涙を零した。


 馬場添は、オーナーの旦那に対しては非道な事をしているが、オーナーの心には寄り添っているのだろう。


 「…俺は、どうすれば良かったんですか?」


 オーナーの旦那が馬場添の目を見つめた。


 「不倫を、しなければ良かったのよ。アナタは不倫をしてしまった後の正しい行動を聞きたかったのだと思うけど、そこじゃない」


 馬場添が見つめ返す。


 「…仰る通りだと思います。慰謝料と養育費、ちゃんと払います。お手数をお掛けしました。失礼します」


 『行きましょう』と、自分の弁護士に声を掛け、立ち上がるオーナーの旦那。


 「いいんですか? あちらの要望を丸飲みする形になりますよ」


 とオーナーの旦那の弁護士が、オーナーの旦那の二の腕を掴んだ。


 「はい」


 オーナーの旦那は、短く返事をすると、弁護士と一緒に応接室を出て行った。


 「…なんだか後味が良くないです。オーナーさんの希望通りになって良かったとは思うんです。でも、旦那さん、やっぱり不憫だなって。結果として償いが足りなかったのかもしれないけど、償ってもダメなのかなって。じゃあ、どれだけ償えば良かったのでしょうか?」


 一言も発しなかった倉田くんが、視線を床に落としながら切ない表情を浮かべた。


 「倉田、過ちって誰にでもあると思う?」


 そんな倉田くんに質問を投げかける馬場添。


 「あると思います」


 「貝谷は? どう思う?」


 馬場添が同じ質問を俺にもした。


 「あると思う」


 倉田くんと同じ返事をすると、


 「ねぇよ。あー、なんかアンタたちの事も信用出来なくなってきた。ねぇ、オーナーさん」


 「…え?」


 急に馬場添に同意を求められ、困惑するオーナー。

 

 「『過ちは誰にでもある』っていう人間ってさ、『だから仕方がない』とでも思っているんでしょう? 『許せない方が心が狭い』とか開き直りやがるでしょ? 本当に嫌い‼ そういう奴‼

 確かに間違いは誰にでもあるのよ。でも、過ちが誰にでもあってたまるかよ。

 たとえばテストでミスしたとしても、そこには悪意はないじゃない。努力しかないじゃない。間違いだと分かっている回答を書いたとしても、『部分点が貰えるかも』っていう頑張りしかないじゃない。

 でも、不倫は違う。誰もが過ちだと知っているし、傷付く人がいる事も分かり切っていてやるのよ。テストでいうなら0点よ。部分点さえ見込めない。だから、初めから受けるべきではない。よっぽどの馬鹿でない限りしないのよ。悪意のない人間は、絶対にしないのよ」


 『倉田までもがそんな考え方の人間だったなんて』と額に手を当て天を仰ぐ馬場添。


 「『どれだけ償えば』って、相手の気が済むまでに決まっているじゃない。相手が嫌がるなら、自分にとってどうしても譲れないものも、譲らなければならない。誰かを赦す時に多くの人間が『もういいよ』って言うじゃない? あれ、男に多いんだけど、そのままの意味で捉えがちじゃない。違うからね。あの『もういいよ』は、『一生反省して一生私が嫌がる事をしないのであれば、もういいよ』って事だからね。『もういいよ』って、実は全然もう良くないからね。だから弁護士って必要なのよね。そういう果てしない恨みに、条件と金額を明確にして終結させられるから」


 ワーっと喋り、喉が渇いた馬場添は、コーヒーを一気飲みすると、俺におかわりを要求した。


 「総じて、『不倫はするな』って事でOK?」


 馬場添のカップにコーヒーを注ぎ足して、馬場添の前に置く。


 「総じ方が雑だな」


 オーナーが笑った。泣いて喉が渇いたであろうオーナーにもコーヒーを注ぐ。


 「でもまぁ、そういう事ですね」


 倉田くんがオーナーに笑い掛ける。


 「長々話した馬場添の熱弁、七文字で済んだな」


 『ぷぷぷぷぷー』と馬場添に向かって笑ってやると、


 「相変わらずウザいな、貴様。ちょっとトイレ借りるわ。そしてそのまま帰る。では」


 馬場添は、速攻で来たコーヒーの利尿作用により、応接室を出て行こうとした時、オーナーのスマホが鳴った。


 「息子のサッカークラブからだ」


 『ちょっとすみません』と俺たちに断りを入れて電話に出るオーナー。


 「え⁉ すぐ行きます‼」


 電話を切ったオーナーが、俺たちの顔を見る。


 「息子がサッカーの練習中に怪我したみたいで…。コーチは『骨折した』としか言わなかったのですが、奥の方で息子の友達が『あれ、ワザとだよ。俺、見てた‼』って叫んでて…」


 オーナーが目で『どうしましょう』と訴えかけて来た。


 察しのついた馬場添と倉田くんと俺は、目を合わせて苦笑いをするしかない。


 「ごめんだけど、先にトイレに行かせて」


 馬場添がお腹を摩った。


 「どうぞどうそ」


 倉田くんと一緒に掌を上に向け、『行ってらっしゃい』と馬場添を送り出す。


 俺の周りの人間は、どうしてこうも次から次へと…。


 とりあえず今日、家に帰ったら塩でも撒いてみようと思った。

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