浅草の朝日に酔う

今南寛治

第1話

 先日、スカイツリーを横目に浅草を歩いた、浅草はこれで2度目。街外れにある靴職人のアトリエを仕事で訪ねたのである。

その浅草で、何十年も昔のことだが思いもしないことを経験した。

番組製作会社のディレクターから突然連絡が入った。

「XXさん浅草行ったことないでしょう」と言われたのだ。

あまりにもその言葉が唐突だったため、呆気にとられた。

「料理好きじゃないですかXXさん、浅草に旨いおでん屋があるんですよ、大多福という。それと神谷バー……」、彼は早口でまくし立てる。

根負けし、浅草へ。

のれんを潜るなりざわめきが聞こえてきた。

「ごめんなさい、こんな具合なんで1時間ほどしたらまた来て下さい」と、愛想のない大多福の主。

しばらく歩くと小ぢんまりした店を見つけた、店内は4人入れば満杯と言う具合で、とにかく寒さよけに入ったのである。酒の話題は色香が一番だ、だが彼は仕事の話題に終始した。

そこへ40代前半と思しき男が店に入ってきた、その男は店主と馴染みのようで競馬の話で盛り上がる。


「XXさん、面白い番組作りましょうよ、レーティングなんか気にしていたら何も作れませんよ」彼は大きな声で私を説き伏せるように話しかけてくる。

彼の言葉は嬉しかったが、”まあ、いつかそういう日が来ると良いね”と、軽くいなした。

すると斜め横に座ったあの男が会話に割り込んでくる。

「お兄さんたちの話、面白いね。一緒に呑もうよ。親父、お兄さんたちにビールあげてやって」と言い出した。

その男が右手を上げたときシャッツの袖から入れ墨が一瞬見えた、土地柄いてもおかしくない、生気は消え喉元の奥で唾を飲む。

すかさず、私はディレクターの足を軽く蹴り、合図を。

ディレクターは蹴られた意味が分からなかったのか、XXさん痛いじゃないですかと言い寄る、仕方なくテーブルに3文字を指でなぞった。納得したディレクターは愛想良く、その入れ墨男のもてなしに満面の笑みでコップを上げ挨拶をする。

その時頭に浮かんだのは、恐喝の2文字。

そして3人の妙な盛り上がりの時間が過ぎていく、2人ともおでん屋大多福のことはすっかり忘れてしまっていた。

 男が店主に声を掛けた「親父、お愛想! いやぁ今日ほど酒が旨い日はない、お兄さんたち有り難うな」

これで帰れるなと安堵したとき、名刺が欲しいとせがまれた、やはりそう来たかと覚悟した。

躊躇しつつ渋々名刺を差し出した、嬉しそうな顔で男は名刺を受け取ると。

「どんな番組作っているの」と訊いてくる。

適当に応え、その場から早く出ようとそればかり考えていた、もし絡まれたら……覚悟は出来ていた、まだ若かったし2人でならやれるとそんな愚かなことを思っていたのだ。

お礼を言い、店を出て帰ろうとしたとき、「待ちなよ、まだ帰るには早い、お兄さんたち浅草初めてだろう。じつくり案内するから俺と付き合いなよ」、この言葉から何を連想するだろうか。脅ししかない、どこかの事務所へでも連れて行かれ、身ぐるみ剥がされ身体にはアザが……そんなことしか浮かばない。

 新仲店通りを歩いていると、男の顔を見るなり誰もが直立不動のような挨拶をする、心臓が張り裂けるようだった。

よほどの大物あるいはこの浅草を根城とした組織の頭目かと、そんなことが頭を過ぎる。とんでもない男と出会ってしまった、どうすれば逃げられるかそればかり考えていた。

 1軒目の店に入った、今で言うラウンジバーのような雰囲気の店、場所柄おしゃれとは言えない。スコッチを飲む、30分ほどだろうかすぐまた席を立たされ次の場所へと移動する。次は洋食屋、そこでいくつか男はメニューも見ずにオーダーしていく、次々と運ばれてくる料理、既に腹は満たされていたのだ。

すぐまた次へと向かう、足は重く、しかし顔は笑みで繕っていた。3軒、4軒5軒と続いていく、全て支払いはキャッシュ、付けではない、何が何だか分からないまま時は過ぎていく。

そして6軒目の中華飯店、椅子に座り呆然と我々は座るだけ、元気なのはその入れ墨男のみ。

男が言った、「もう遅いし、これが最後、さあ思い切り食べて」食べられるわけもないのに勧めてくる、腹は膨らみ下を向くのが苦痛でしかなかった。

既に電車は止まっていた。

「今日は遅くまで付き合ってくれて本当に有り難う、お兄さんたちと出会えて嬉しかったよ。浅草って良いところだよ、それをお兄さんたちに教えたくてさ、少し強引すぎたかも知れないけれど。また是非忘れないで訪ねてきて欲しい」

帰れる、だがタクシーで帰れるほど財布には入っていない、友人は歩いて帰れる程の距離に住まいがあり自宅にと勧めてくれたが早く1人になりたかった。

中華飯店を出ると、「これ少ないけど、タクシー代持って行って」

驚く。なんという人だろう、なぜこんなにも我々に親切にしてくれるのだろう、その歓待ぶりに礼の返しようがなかった。

誘われたとき、悪意に満ちた男が我々を恐喝し金銭をふんだくることしか想像してなかった、そんなことしか思えない自分がさもしく、げすで卑劣な、それこそこちらがゆすりたかりを地で行く人間なんじゃないかとさえ思ってしまった。

男に別れを告げ、深夜の街を歩いた。

タクシー代として頂いたお金は2万円、2人で分けろと渡してくれたものだった。

友人は、サウナで時間を潰し、始発の電車で帰ることを提案したくれた。2人とも興奮冷め止まずの状態で、サウナの休憩所に於いてもなかなか寝付けることなど出来ない。

朝日が昇るってくるのに時間は掛からなかった、身体も洗うことなくそのままサウナを出た、その時目にした冬の朝日がとても眩しく、清々しい心地で朝を迎えたことにどこか後ろめたい気持ちがあったのは言うまでもなかった。

システム手帳に、鉛筆で書いた男の住所と名前がうっすらと残っている、彼は元気だろうか……。

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