第2話 未熟な騎士


 ホール上空に浮かぶ白い布が錐のように鋭い触手をくねらせている姿は、さながらクラゲのようだ。

 ルランはすらりと銀色の刃を抜き、吸血鬼の下へ歩み寄る。それを阻むように伸びる触手を斬撃で捉えた。切り落とされたそれは、べたりと液体のように床に打ち広がり豪奢な絨毯を汚した。

 吸血鬼もそれに気付き、ルランを見下ろすように向きを変える。フードのように布を被っているせいで表情は見えない。しかし冷たい視線は、氷柱の様に突き刺さっていた。


「時間稼ぎだ。来い!」


 大声で牽制すると、相手は瞬時に目の前に降りてきた。ふ、と息を吐くと同時に剣の切っ先を振り下ろす。吸血鬼は身を捻りそれを交わした。下ろした剣をまた切り上げ、遠心力をもって再び斬りかかる。しかし相手はそれを紙一重で避けるため、空気を切る音が何度も鳴った。

 ルランには少しだけ吸血鬼の知識があった。ともかく心臓を狙えば良いと。両手で柄を握り、体重をかけて突を繰り出す。穿たれた切っ先は布を捉えるも、本体には届かず勢いままに自分ごと背後へ抜けた。着地した足で軸を取り、不意の背後へ斬りかかる。だがそれは黒い盾が防いでしまった。鋼鉄のように硬いそれに傷を付けることも出来ず、ルランは一度距離を取るため飛び退いた。未だゆらゆらと亡霊のように浮く吸血鬼に気味の悪さを感じつつも、剣を構え直した。


「殺意がないな」


 ふと吸血鬼が声を発した。見た目に反したとても優しい声色に一瞬気が抜けるものの、足の指先に力を込める。彼の声にルランは答えなかった。

 再び地面を蹴り、白い布へ斬りかかる。ぶわりとした風が、一瞬だけ吸血鬼の顔を露にした。ミイラだったはずの肌は絹のように白く、緑玉の瞳は宝石の如き美しさを持っていた。金色の髪は癖を持ち優雅に遊んでいる。

 一瞬ルランは見とれてしまった。それはきっと女性よりも美しく、男性よりも凛としていたからだ。だが剣を持つ以上、彼は騎士であった。吸血鬼の攻撃に気付き、剣で受け止めた。蛇のようにしなやかなのに、刃に当たると金属のような硬さを感じた。続いて二本がルラン目掛け突撃するも、回転を用いた動きで以て切り落とす。切られた触手は再生し何度も攻撃を重ねるが、全て切り落とされ、周りの床に真っ黒な水溜まりを広げるだけだった。


「……」


やがて何度目かの攻防を繰り返したころ、ルランはふと吸血鬼の様子に気付いた。硬かった触手から段々と硬度が無くなり、吸血鬼自身も心なしかふらふらと揺らいでいる。まだ完全に復活出来ていないのだと気付いた。

今なら倒せる……ルランはそう感じた。18という短い年月の中で吸血鬼と相見えることなどそうないだろう。そのせいでルランは吸血鬼の倒し方を知らなかった。光の羽根を持ち、牙を生やした姿としか興味がなかった。だが剣を交えていれば、相手がどんな状況かは理解できた。例え化け物であろうとも。

再度柄を握りしめ、ルランは吸血鬼の心臓に狙い定める。細剣と違い刺さるには難しいだろうが、それでも一撃当たるのなら十分。


「復活したてで悪いが、もう一度死んでもらう!」


言うが早いか、地面を強く蹴り、吸血鬼の中心ただ一点を穿った。剣は運良く深く突き刺さり、背中から先端が抜け出た。ルランは彼が避ける気配がなかったのを訝しんだが、もうそんな力も無かったのだろうと考えた。

吸血鬼はどさりとその身を仰向けに床に落とす。黒い黒い穴のように広がる血が白い布も染めていった。胸に刺さった剣は十字架の体であり、彼の墓標のように見えた。


「ルランっ」


後ろから走ってくる足音。シシアがルランのもとへとやってきた。


「お、お嬢様!逃げていなかったのですか」

「ルラン、その人」


シシアが指を指す。


「ええ、心臓を狙いましたが近寄ってはなりません、まだ生きています」

「……」


シシアはじっと吸血鬼を見ていた。か細く息をする様子を見て、彼女は何も言わず柄を両手で持ち、剣を抜いた。


「お嬢様!」

「……死んだらだめ、お腹空いてるなら、私を食べて」


シシアは小さくそう言うと、汚れることも構わず吸血鬼を抱きしめた。



吸血鬼の緑の目が、再び輝いた。






「お嬢様ぁ!!」


少女の着ていたかわいらしい衣装は、今や真っ赤に染め濡れている。首元からなおも流血するのを止める術はなく、ルランは応急処置で自分のスカーフをシシアの首に当て、小さな体を抱き起こしている。

それを見下ろすように、吸血鬼は口元を血糊で汚しながら、

白い肌には無骨な黒い手と足が布の端から顔を覗かせている。彼はく、く、と手のひらを握ったり開いたりを数度繰り返した。それから自分に血を与えてくれた小さな命をじいと見つめた。


「お嬢様、シシアお嬢様!ああ、どうしてこんなことを……っ」

「……」


吸血鬼は静かにルランへ歩み寄る。自分を睨み付けるその目からは、先程感じなかった殺意が痛いほど伝わってくる。吸血鬼は自身の顔を覆っていた布を外し、その顔を露にした。ライトに照らされた金色の糸は繊細な光を煌めかせていた。


「その子を助けたいか」

「当たり前だ、ふざけるなよ!」

「その子は恩人だ、助けたい」

「……は、何」


ルランは、はっとしてシシアを確認する。彼女の傷口に、まるでチューブのように伸びる黒い触手が付いていた。ルランは咄嗟にやめろと叫び、触手を掴んで引き離そうとする。


「その子に私の血を還す。そうすればその子は助かる」

「馬鹿を言うな!お嬢様に、化け物の血なんて輸血できるか!」

「だが、お前の血を与えたところで助かるのか」

「そ……っ」

「助けさせてくれ」


吸血鬼は真っ直ぐな目を向けルランを見つめた。その目に憐憫を感じ、怒りと悔しさで感情に震える手を触手から離し、ルランはシシアの命を吸血鬼に預けた。冷たくなっていく体に温もりが戻り、荒かった呼吸も段々と落ち着きを取り戻していく。ルランはその姿に安堵した。


「……人間に異種の血が混ざった後遺症はあるだろう、その子は人でなく、私と同じ存在になってしまった」

「……戻す方法を探す」

「方法ならある、私を殺せばいい」

「なら今この場で死ね」

「無理だ、私は不完全だ」


そう言って自分の手を見つめ、握る。


「だから君に頼みたい。私の別たれた身体を探してほしい」

「……」

「四肢が戻れば、私は完全になる、そうすれば私を殺せる」

「……そう、か、……わかった」


ルランは真っ直ぐに吸血鬼を見た。







「お前の身体を探してやる、だけど見つけたら、お前を殺す」




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別たれのブランロゼ 夏野夜壱(なつのよいち) @kinoco_crow

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