別たれのブランロゼ

夏野夜壱(なつのよいち)

第1話 目覚め



「お前の身体を探してやる、だけど見つけたら、お前を殺す」









 パルテナート家の地下室は、誰の出入りもなく埃まみれだった。錆び付いた蝶番の扉を開けば、陰気くさいカビの臭いが鼻を掠める。壁のスイッチを入れると、電球が部屋を薄暗く照らした。パルテナート家の令嬢であるシシアが、こっそりと忍び込んだのだ。

 ここには父親のコレクションをしまっていて、近い日に屋敷の広間でオークションを開くことになった。気を利かせたシシアは、小さい体にはたくさんの掃除道具を抱えて掃除をしに来た。年端もいかない少女は寡黙で、表情も豊かではない。常にぼんやりとした風でいて、何を考えているかわからないと使用人が悩んでいる。

 倉庫の中には、天使を模した彫像や、アールヌーボーの絵付け壺、シシアにはよく分からない絵画。それらを自分の手が届く範囲で磨いていった。


 背後でがたん、と音がした。その方を見ると、ひとつ大きなケースを見つけた。布が半分ずれ落ちていた。

 それはまだ子供のシシアにとって十分興味のわくものだった。掃除道具を一度置き、そのケースに近付く。側に来てわかったのは、それが棺だということだった。薄明かりでもわかる豪奢な装飾の彫られたそれは、蓋は閉じられていて鍵がかかっていたものの、古錆びていてシシアでも簡単に壊せた。ぎ、ときしむ音を立て、蓋を押し開ける。


「……わ」


 無口な少女でも、つい声を出してしまうものだった。真っ白なシルクにくるまれたミイラの胸には、朽ちかけた木の杭が刺さっている。そして、よく見てみれば手足がなかった。とても奇妙な骨董品に、シシアは首をかしげた。

 元に戻そうと、身を乗り出して再び蓋を引っ張る。その最中、右の人差し指に痛みが走った。見てみると、木のささくれで切ってしまったのだろうか、指から血が出ていた。傷は深いようで、指から少し垂れてしまった。


 丁度、ミイラの口に垂れたが。

 シシアは気付かずに蓋をきちんと閉めた。




 ****




 パルテナート家が名家と呼ばれる理由は少し変わっている。それは、当主は勿論、使用人の評判が良いことだ。家事も庭の手入れも立ち振舞いも、他所から完璧と評価されるほど。中でも、護衛としての剣技は随一だ。

 どれもこれも、使用人から成り上がった初代当主直々の教育あってこそだった。


 ルラン・ルギノアは使用人の中でも若い方だが、剣の腕前は誰よりも秀でていた。ただその分、家事が苦手だった。少しオレンジかかった前髪を後ろに流し、見てくれはエリートなのだが。

 今日もまた、部屋の隅に埃を残していたのを怒られて休息に入る。


「剣だって繊細な感覚が必要なのに、なんで箒やスポンジにそれを活かせないのか」


 家政婦長からよくため息混じりに言われる。ルランは決して不器用ではないが、ただどうにも家事が苦手だった。


 気分転換に自分の愛剣の手入れをする。ルランが唯一できることだ。刀身が錆びてしまえば振るうことはできないし、騎士として恥だと考えている。


「おつかれ、ルラン」


 手入れ道具をテーブルに置いたときに、使用人仲間が声をかけた。


「ああ、おつかれ」

「剣の手入れしてんのか、さてはまた叱られたな」

「うるさいな、茶化しに来たならどっかいけよ」

「あはは、悪い悪い……あ、そうだ、今度の担当聞いたか」


 彼は唐突に切り出したが、ルランには何のことかすぐにわかった。


「ああ、当主様主催のオークションパーティーだろ、俺は庭園の警備だったかな」

「それ、俺と交代な」

「は」


 ルランはきょとんとした顔をするが、彼は気にせずルランの肩を叩いた。


「ホール内のウェイター兼警備、楽しそうだろ」

「いや、勝手に」

「ちゃんとリーダーに頼んできたよ、大丈夫」

「勝手だなあ!」


 当日の会場見取図を半ば押し付けるように渡し、彼はその場をさっさと退場した。


「……グラス割りそう」


 見取図を眺めながらため息をつく。それから、自分の足を誰かが叩いているのに気付いた。見取図をどかして見ると、小さなお嬢様がこちらを見上げていた。 長くきれいな黒髪には、何故か綿埃がついていた。


「…絆創膏ちょうだい」

「え」


 じっと見つめる方を辿ると、手入れ道具の箱があった。どうやら救急箱と勘違いしたらしい。


「お嬢様、怪我でもされましたか」


 そう聞くと右手を見せた。人差し指の出血は止まっているが、凝固した血が黒くなっている。

 ルランは慌てて救急箱を取り出してくると、テーブルに一旦置いたあと、シシアの手を水で洗った。それから、きちんと消毒をして絆創膏を貼った。


「ありがとう」

「どこでそんな怪我をしたんですか、まるで何かで切ったような」

「……」


 シシアの青い目が泳いでいることにルランは気付いた。




 *****




 それから数日後、パルテナート家のオークションパーティーが開催された。交流のある者からお忍びの著名人まで、多くの貴族が集まった。ルランは、数日前突然変更になった持ち場に付き、ごった返す人の隙間を縫っていった。まだ粗相はしていない。パルテナートの奥方はワインを片手に挨拶に回っている。そこにはシシアの姿もあった。かわいらしい淡いブルーのワンピースを着込み、母親の後ろをついて歩いている。

 右手の指には絆創膏が貼ってあるままだった。


 やがて壇上に当主が現れ、メインディッシュの開催を宣言する。その声を聞いた貴族達は、皆一様に壇上に運ばれる品々を見ていた。

 オークションハンマーが高らかに打ち鳴り、壺や絵や彫像にどんどん高値が付いていった。


「さあ、本日のメインをご紹介いたしましょう」


 オークショニアがそう告げると、談笑に興じていた他の貴族も壇上に目を向けた。皆が目の色を変えて待ちわびたものの登場だ。会場の空気が変わったことに気付いたルランは、つられて皆の目線の先を追った。


「初代当主様の時より保管されておりました、この棺。吸血鬼のミイラにございます。さあ皆様存分に値をお付け下さい。20万から!」


 かぁんっというオークションハンマーの音を皮切りに、会場の全員が高々と声を上げ値をつけ始める。150万、470万、2000万……積み上げられていく大金はまだ山を作り続けた。


 吸血鬼は一般的な伝承通り、各国に存在するという夜の王族。彼らは皆特徴として光状の羽根と鋭い犬歯をもつ。日光と銀が弱点であり、心臓を貫いたとしてもそれは一時的な封印であり、いずれ復活するため死ぬことはない。

 それら特別な存在をコレクションできるまたとないチャンスに、皆涎が止まらず争っているのだ。

 ルランは少し異常な熱気に顔をしかめた。ふと壇上に飾られた花を見る。


「……あれ、あの花あんなに萎れてたかな」


 色とりどりの花は美しく花弁を開いていたはずだ。それがこの数時間で枯れるのに少し違和感を感じた。つい足を止め見入っていると、草花はどんどん変色し、萎れ、花弁がひとつふたつと床に落ちた。そしてついに色は消え失せた。

 だがそんなこと、今の彼らには興味のないことで、未だに跳ね上がる額は止まるところを知らない。


 やがて終息が近付いた頃、突然オークショニアが倒れた。会場は一瞬静かになったがどよめきで溢れた。

 使用人数名が駆け寄り確認すると、あっ、と声を上げたじろいだ。

 オークショニアは壮年の男性だったが、今の彼はそれよりもはるかに年老いて見えた。目は濁り、腕はいくらか痩せ細っていて、絶命していた。

 ふと、ルランはミイラを見る。


「……!?」


 ルランは違和感を理解し、そして事態の深刻さに気付いた。

 ミイラ、いや吸血鬼は復活しかけている。血を吸わない別の方法で。まるで息をするように周りから吸い取っている。

 やがてミイラから黒く光沢のある“何か”が、胸に打ち込まれた杭を引き抜く。床に投げ捨てた音で、会場は再びミイラに注目した。

 枯れた木のように張り付いていた肌に生気が宿り、黒い触手が蠢いては、吸血鬼自身を持ち上げていた。落ち窪んだ眼孔にはエメラルドの瞳がギョロりと動いている。

 会場は皆立ち尽くし、吸血鬼から目が離せない。逃げたいのに体が動かない。その間に、吸血鬼は棺から這い出した。側にいた使用人達も、オークショニアの様に倒れ、干からびる。吸血鬼は真っ白なシルクを纏い、ふわりと浮いていた。


 瞬間、その体は壇上から消える。人々の間に一陣の風が吹き、そしてそれが過ぎ去ったと同時に、彼らは地に倒れた。その上空には、十字架を二つ束ねたような形をした、橙の輝きを放つ一対の翼を広げた吸血鬼がいた。

 ようやく誰かが絶叫したのを合図に、貴族達は出口へと走り出す。精鋭の使用人達は剣を抜き、吸血鬼へ斬りかかった。しかし、黒い触手はその刃の威力を食い、滑らかに軌道を変えると心臓に向かって穿たれた。

 その間にも逃げ惑う者は次々に倒れ、死に、会場から命が消えていった。

 ルランは残った使用人と共に主人たちを避難させる。裏口から逃がし、ルランは会場にいる化け物の始末を買って出た。


「私もいく」


 そう言って腕を掴んだのはシシアだった。なりませんと拒否をしても彼女は離れない。母親はシシアの手を無理矢理引き、どうにか引き離した。


「大丈夫です、直ぐに戻ります」


 そういってルランは静まり返ったホールへ飛び出した。

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