這いよる夕暮れ

「さてさーてさあて。やってまいりました旧校舎2階視聴覚室前の廊下、本当に這いよる夕暮れは出るのでしょうか!」

「イリエ、うざい」

「イリエ、黙れ」

「イリエ先輩、静かにしてください」

「皆テンション低いね!」


 もっと上げていこーよ! いえーい! ビデオカメラを片手に持ったイリエ先輩の無駄に大きい声だけが埃っぽい旧校舎の廊下に響く。窓は開いてないしさすがに木造だからそこまで響きはしないものの、やっぱり空しかった。


(なぜか)あたしを先頭に、後ろにタチバナ先輩、イチイ先輩、イリエ先輩がいた。こういう時って普通はビデオカメラ持ってる人先頭にしない?


 夕日が迫ってくる夕暮れ。ここで、めった刺しにされて死んだ生徒がいる。どんな思いだったんだろう。痛かっただろう、辛かっただろう、きっと意味も分からないままだったんじゃないかな。それが苦しくて、こんなところにとどまっていると言うのなら。それは、とても悲しいことだよ。いけない、ことだよ。


 窓から廊下を照らす夕日に胸を詰まらせていれば、冷たい空気に寒気がした。

 春と言えども廊下はまだ寒いのだ。

 服の下に鳥肌が立って腕をさする。


 そこであれ? と気付く。あたしたちが立っているところとは反対側の廊下の端から真ん中まで、なんか微妙に床の色違くない? 


 こう・・・夕焼けの中ですら赤黒っぽいと言うか。埃で白くなっているはずなのに、それが妙に目を引いた。


 廊下に気をとられたあたしは、ぽんと背後から肩を叩かれる。

 イリエ先輩かと思って振り向けば、赤髪のブレザーを着た少女が立っていた。


 ―――夕日色の髪の生徒が。ふいにイリエ先輩の言葉がよみがえる。


「きゃああああああ!! で、でたぁぁぁぁ!!」

「何が出たのでありんすか? まさかあちきのことじゃあるまいな」

「・・・は?」

「あら失礼、何が出たのかしら」

「え・・・あ、その。本物?」

「触ってみればよろしいわ」


 そっと包み込むようにひんやりとした白い手で握られる。ひんやりとはしているものの、握られた手から伝わる温度は確かにきちんとした生身の温さでほっと息をつく。よかった、生きてるんだ。・・・失礼なことしちゃったな。っていうか言葉遣い変わってる子(上履きが青だったから同学年だ)だな。


 おずおずと後ろを振り向けば、タチバナ先輩は苦笑し、イリエ先輩は声が出なくなるほど笑っており、イチイ先輩からは冷ややかな視線をいただいた。


「あの、ごめんなさい」

「アサカ、こいつはユキヨ。うちの会員なんだ。視る体質のやつがいるって言っただろう?こいつのことだ」

雪代妙ゆきよたえでありんす。ユキヨと。ただいま舞台稽古中の身、言葉は堪忍しておくんなんし」

「え? おく?」

「ユキヨの家って舞台の大家筋なんだ。そういう役作りしてるから放っといてってこと」

「あ、そうなんですか」


 放っといていいのか。まるで西洋人形みたいに綺麗というかどこか危うさを秘めた美しい少女だった。背中に流した艶やかな赤髪に、紅をはいてもいないのに紅い唇。雪のように白い肌、赤茶の比率が大きい目。イチイ先輩よりは落ちるものの美しいことに変わりはない少女に照れ笑いするあたし。ただ、完全に拗ねられてしまったようで、そっぽを向かれてしまった。


 イチイ先輩以外は仕方なさそうに苦笑していた。

 そういえばと忘れかけた記憶がよみがえる。先ほどの寒気は一体? と思ったら一番手前の窓が少しだけ開いていて、あたしは窓まで駆けよるとぱたんとそれをしっかり鍵まで閉めた。他の窓は全部戸締りできているのに、おかしいなぁ。


 窓を見つめながら思う。・・・あれ? この窓誰が開けたの?



 ぞわり



 空気が変わる。肌で感じる温度がどんどん下がっていって、春だと言うのに吐く息が白くなる。


 ぴちょんとなにかが滴り落ちる音がした。なにより鼻につく鉄の匂い。


 それを吸い込むのが嫌で、口呼吸に切り替えて先輩たちを見れば。


 ユキヨも目を見開いて全員、あのイチイ先輩までもが呆然とあたしを・・・いや、あたしの向こうを見ていた。ビデオカメラを持っているイリエ先輩はしっかりとあたしの姿を映していたが。


 いや、あたしじゃない。あたしの向こうにいるものの姿を。

 その視線を追ってみれば。




 少女が這っていた。




 夕暮れの光に透ける夕日色の髪は床に落ちて血にべっとりと濡れていた。

 背中には無数の刺し傷と思わしき、血がにじんでぼろぼろの冬服の赤黒いセーラー。

 そこから垂れた血液が、床に溜まった血だまりにぴちょんと落ちてはねた。


 彼女の通ってきた跡なのだろう、あたしたちがいる廊下とは反対側のそこは彼女の後ろだけ血だまりが出来ていた。かすかに見える胸元にはスカーフがかかっているだけ。


 ずる、ずるっと震える指先で木造の床をかきながら、少しずつあたしたちの方へと近づいてくる。


「・・・こ」


 這いよる夕暮れ、背中をめった刺しにされた少女。その名にふさわしく、血を滴らせながら。


「どぉこぉ・・・」


 ひゅーひゅーと空気がかすめるようなそんなか細い声で、それは言葉を放っていた。どこか切ない響きすら伴って、必死に。その形相は髪にまみれて見えなかった。

 そう認識した途端、腰から力が抜けてぺたんと廊下に座り込んでしまう。


 なにあれなにあれなにあれなにあれなにあれ。


 必死に手を動かして、あたしはそのままの体勢のまま後ろににじり寄った。その間も問い続ける声は変わらない。先輩たちはただそれを呆然と見ていた。


 しかし、唐突に終わりは訪れる。

 廊下の中ほどまで這ってきたときだった。ふっとまるで何事もなかったかのように、あたしたちの恐怖以外はなんの痕跡も残さず。這いよる夕暮れは姿を消した。


 瞬間、空気は緩まり温かさが戻る。先ほどまでの氷点下ですか? と聞きたくなるほどの肌を刺す冷たさはもうどこにもなかった。


 急速に張っていた肩から力が抜ける。そこはもう、血の匂いなんて微塵もしないただの埃っぽい旧校舎だった。


「・・・あ、アサカ! 大丈夫か!?」

「あ、平気です。タチバナ先輩」

「大丈夫でありんすか?」

「うん、ありがとう」


 ユキヨとタチバナ先輩に助け起こしてもらいながら、がくがくする足で立ち上がる。次いで埃に汚れてしまったスカートをはたく。灰色のスカートだから、紺よりは目立たないくらいには落とせた。あー、この制服まだおろして2日目なのに。


 反応がないイチイ先輩とイリエ先輩を見ると、イリエ先輩の手に持ったビデオカメラを2人で覗いていた。険しい顔をしているのと、ちょびっとだけ聞こえた「霊と電気機器は相性が悪い」という言葉から、きっと這いよる夕暮れは映ってなかったんだと思う。ちょっとは心配してよ。いや、別に何ともないんだけどさ!


 恨みがましい目で見れば、それに気づいたイリエ先輩がひらひらと手を振って苦笑した。イチイ先輩に関してはこちらを見ることもなくビデオカメラに夢中だ。


「イチイ、アサカにかける言葉はないのか」

「無事だったんだろう? それに這いよる夕暮れに何かされたわけでもない。ただ驚いて腰を抜かしただけの間抜けだ」

「なにおぅ!?」

「僕は本当のことしか言ってませんが何か?」

「ぐっ・・・」


 たしかにその通りだけどもうちょっと言葉ってもんがあるでしょう!? こっちはあなたたちと違って怪異に遭遇したことなんて1回もないの! 


 獣神なら見たことはあるっていうか一緒に暮らしてるけど、幽霊なんて見たことないんだから! なぜか涙が溜まっていく瞳できっと睨めば、やれやれとでも言いたげにイチイ先輩は肩をすくめた。


 むかつく!


 そんなあたしたちに苦笑しながら、タチバナ先輩が言った。


「とりあえず、今日はもう帰ろう。また明日、話し合いの場を設けると言うことでどうだ」

「え、明日ですか」

「ん? アサカ、何か用事があったか?」

「いえ・・・ないです」

「暇人ですね」

「はぁ!?」

「イチイ!」


 騒がしさを残しながら、あたしたちは階段を降り旧校舎をあとにした。

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