這いよる夕暮れ
決心
青空の気持ちいいお天気だった。
校門から続く桜並木が、白いアーチのようで。白い花びらの雨を降らせていた。その中を通るだけで、あたしはどきどきと胸を高鳴らせる。
ここには小学校、中学校でのあたしを知るものは居ない。西園寺家を知らない、いや、知っているかもしれないがあたしに関係あるだなんて欠片も思わない。
あたしは親元を離れて暮らしているただの女子高生だ。
感動に震えながら桜雨の中、白くてまだ綺麗な校舎へと続く道のりを歩く。
そよ風が気持ちいい。まったく、生まれ変わったような心地だった。
あれから。中学を卒業したあたしは地元を遠く離れた私立高校に来た。
いさなくんも伴って。本当は来なくていいって言ったんだけど、いさなくんがあまりにも死にそうな顔をするからつい負けてしまったのだ。外では他人のふりをするという条件の下で、あたしはいさなくんと2人暮らししている。
ちなみに、いさなくんはこの春からあたしが通う学校の養護教諭となるらしい。あたしが心配だからとか、成長を見守りたいとか言ってたけど要は子ども扱いしているということだろう。もう、あたし高校生になったのに。おこだよ。
そんなことを思いつつあたしは掲示板に張り出されたクラスを確認して、教室へと足を進め始業式を待った。
午前の晴天とはうって変わって暗くなった空模様。
しとしとと耳をすませば雨音が聞こえそうなほど、静かな教室に。あたしと由佳、つり目の男子生徒(上履きの爪先が赤だから先輩)、3人分の息遣いがさやかに聞こえる。あたしと由佳、先輩で対面式に座っているからだと思う。
まるで内緒話でも囁くように吐かれた言葉はそぉっとあたしの耳の中に入り込んできた。それは由佳も同じだったようで、隣同士に座ったあたしの腕に怯えたようにそっと由佳の腕が絡みつく。
「旧校舎が立って10年くらいしたころの話なんだけどね。この高校の理事長の孫が入学してきたんだ。彼女は生まれつき、光に当たると夕焼けのようなオレンジに透ける髪をしていた。それについては証明書が出されていたんだけど、そのことを知らない教師が髪について何度も注意したんだ。それがあまりにも度を越してきたから、彼女は祖母にそのことを相談した。すると怒った理事長に、教師はクビにされましたとさ」
ほっと由佳が息をつくのが分かった。今までの話で七不思議になるような要素なんて少しもない。それがどうしたんだろう?
そんな気持ちであたしが首を傾げた時、話をしてくれていたつり目の先輩が重たげな声をさらに低く、密やかに変えて言葉を紡いだ。
その言葉は暗い空、電気もつけていない教室に陰鬱に響いた。
「ところが、クビにされた教師は怒った。自分はなぜクビにされた? あの女生徒のせいだ。そう考えた教師は学校に忍び込んで、夕暮れ迫る廊下を歩く彼女を背後からナイフでめった刺しにしたそうだよ。教師は警察に捕まったものの、いまだ彼女は自分を殺した教師を探しているとか。
だから旧校舎の2階視聴覚室前の廊下、夕暮れに染まりかけた放課後には、夕日色の髪をした女生徒が髪を乱しながら今も廊下を這っているらしい。その背中から血を滴らせて、どこぉ? ってね」
先輩が話し終えたのと同時に、ぱっと教室の電気がつく。
「「ひっ・・・」」
由佳と抱き合いながら息を呑む。自然と電気のスイッチがある方に首をまわせば、長い前髪を赤いピンで留めた灰色のズボンをはいている女生徒がスイッチに手をかけて立っていた。たぶん先輩(つり目先輩と同じように上履きの爪先が赤かった)。というか何でこの人ズボンはいてるんだろう? コスプレ?
その後ろには同じく灰色のブレザーの男子生徒(こっちは緑だから3年生だ)が呆れたように抱き合うあたしと由佳を見ていた。
ぎゅっと腕に力がこもったからなにかと思って由佳を見てみれば、きらきらと瞳を輝かせて3年生の男子先輩を見ていた。
いや、確かに綺麗な顔してるけどさ。まさに白皙という言葉がぴったりと合う白いきめ細やかな肌に対比して黒々とした黒曜石のような瞳、キューティクルのある黒髪、薄い唇、すっと通った目鼻、人形のように美しい顔立ち。ここに来るまで「西園寺先生って彼女いないのかな」とかはしゃいでたくせに。イケメンなら誰でもいいのか友よ。
あたし? あたしはいさなくんで慣れてるから特になんとも思わないよ。いさなくんの方が美人だし、かっこいい。
教室の入り口に立つ先輩たちに、つり目先輩がにこやかに笑いかける。
「あっれー、タチバナも会長も早かったね、もう総会議終わったんだ?」
「早く終わってな。・・・君は暗い部屋で新入生相手に何してたんだ?」
「可愛い新入生、新しい会員になるかもな子たちにうちの七不思議を聞かせてたのさ」
「ほう、そうやって新入生を脅してたのか。・・・やめろっつたろ、バカイリエ」
「痛い! ちょっ、タチバナってば軽い冗談だって! 暴力反対!」
きゅっきゅっきゅとイリエ先輩に近寄ってきたタチバナ先輩がどかっとイリエ先輩の座っている椅子を蹴る。両手をズボンの中に入れて、足だけで蹴る様子は・・・なんていうのかな? ヤクザキック? だった。
一蹴りして気がすんだのか、タチバナ先輩がぐるりとあたしと由佳を振り返る。ショートカットの髪がぶわりと風をはらんで膨らんだ。どこかよどんだ・・・死んだ魚みたいな目で、あたしと由佳を見て、口を開く。
「うちのイリエがすまなかった。怖い思いをさせただろう」
「いえ、七不思議1つでも知れてよかったです」
「ちなみに、何を話された?」
「え、えーと。這いよる夕暮れ、ですけど」
入り口に立つ会長の方を見ていてまったくこちらに気を戻さない由佳のかわりに、あたしが答える。
それを聞いた途端、すぅっと息を吸って目を閉じたタチバナ先輩。くるりと振り返ってもう一度がんっとイリエ先輩の座っている椅子を蹴った。そのままイリエ先輩の胸倉をつかむ。喧嘩が始まるのかと身を固くしたあたしと由佳。
「なんでわざわざ一番物騒なやつを選んだ?」
「いやー。盛り上がるかなぁと思って」
「1回滅びておけ。・・・君たち、本当にすまない」
「えーと、あたしは大丈夫です」
「わ、私も」
タチバナ先輩がイリエ先輩の頭を鷲づかみ、深々と下げさせてくる。
遠慮がちに声を上げて発言すれば、それにつられるように由佳もあたしの言葉尻にのった。こくこくとくびが飛んでいきそうなほど頷いている。ようやく意識がこっちに戻ってきたらしい。
すると、それまで傍観を決め込んでいた会長が部屋の中に入ってくる。そのままなぜだか知らないけどあたしの前で止まり、何かを差し出してくる。
白魚のような手が掴む紙に書いてあるそれを、あたしは読みあげた。
「入会届?」
「この学校では部活動及び同好会に入らなければ何かしらのペナルティーを負う。聞いたことはありますか?」
「今日、聞きました」
「なら話が早い。オカルト研究会は君の入会を許可しましょう」
入会に会長の許可っているんですか? あ、いりますよね。傲慢にもそう言い放ちながら、ずいっと紙を差し出してくる。その手に握られている入会届は1枚。はて、あたしと由佳どちらに差し出しているのか。・・・あたしですよね、どう見ても。横でぱちくりと由佳が目を瞬かせている。うん、あたしもびっくりだよ。
ペナルティーに関しても今日の
「あの・・・」
「なんだ、早く受け取ってくれませんか。腕が疲れる」
「あ、すいません」
思わず謝ってしまえばぶっほっと吹き出す音が聞こえた。何事かとそちらを見ればイリエ先輩がお腹を抱えて声もなく笑ってた。対照的にタチバナ先輩は「あっちゃー」とでも言いたげに頭を抱えてる。
それを横目に、あたしは差し出された紙を受け取った。
と、もう自分の用は済んだと言わんばかりに教室の後ろ、空きロッカーから荷物を取り出して早々に帰り支度をする会長。
「おい、イチイ。待ってくれ、それはあんまりだろう」
「何が? 僕が言いたいことはもう言い終えた。それで十分だろう」
「彼女たちにだって都合っていうものが」
「どこかに所属しなければいけないならそれがうちでもいいだろう。それに『たち』じゃない。僕が勧誘したのは1人だけだ。その意味が、お前にならわかるだろう?」
「・・・」
ぐっとその言葉に黙り込んでしまうタチバナ先輩。真顔になるイリエ先輩。え? 入会届ってそんなに重要なものなの? 怖いんだけど。重くなる雰囲気に耐えきれず思わず現実逃避してしまう。
助けを求めていつの間にか腕を外していた由佳を見れば、どんまいという風に肩を叩かれる。何故に。
イチイ先輩としばらくの間見つめ合って(睨みあって?)いたタチバナ先輩だったが、ちょうどよくも鳴りこんだチャイムに、あたしたちの方を向き直る。
「あー・・・君たち、悪いがチャイムも鳴ったし今日は帰ってくれ」
「あ、はい」
「ありがとうございましたー」
足もとに置いといたかばんを持ち上げて、あたしと由佳は前の扉からネームプレートの下を通って教室を出た。教室を出た途端、夕方のひんやりとした空気に、身をふるわせる。
お辞儀をして扉をがらがらと閉める。
とりあえず校門に向かう道すがら、由佳はあーあとつまらなそうに言った。
「まい、いーなぁ。入会したらあの顔毎日見れるじゃん」
「うー・・・ん。でも、あの人。ちょっとこう、変わってなかった?」
「そんなのあのお綺麗な顔でおつりがくるよ! ・・・あ、でも私はパスね。なんか偉そうだったし」
「由佳ー! あたしにはそう言っておいて本音はそれか!」
「えー、だって西園寺先生の方がイケメンだし?」
「この! こうしてやる!」
「もぉー、まいったらやめてよー!」
由佳に抱き着けば嫌と言いつつも由佳も抱きつき返してくる。あははははと高い笑い声をあたりに響かせながら夕暮れの中、門を出たあたしたちに細める視線にあたしは気付かなかった。
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