慰め
甘いにおいがした。
どうとはいえないし、今までかいだことのないにおいだったけどあえて言うならバラの花のにおいが一番近いかなって思う。
それと同時に、べろりとほほにしめった感触がしてあたしは身体におおいかぶさるさらさらなものの下で身じろぎした。さらさら? たしかおふとんははかけてなかったはず。それにおふとんのさらさらとは違う。
そこでいしきが浮上してくるのを感じた。そう、まるでなにかの生き物のような。
ぺろり、ふたたびのかんしょくに目を開ければ、そこにいたのは。
「わんちゃん?」
あたしの身体よりも大きなわんちゃんだった。それがおおいかぶさっている。普通だったらいくら動物好きのあたしでも悲鳴を上げるようなシチュエーションだったけど、そのわんちゃんを見てもこわさは一切感じなかった。
むしろ神々しい、あたしなんかがさわっても大丈夫なのかと思うほどのオーラが出ているわんちゃんだった。白金のさらさらの毛並みは、シャンデリアを背景にしていることもあってまるで後光のように光っていた。目は知性を灯した燃える赤。
ざっしの表紙をかざれそうな美犬、あたしが今まで見たこともないほど美しいわんちゃん。それがどうしてあたしのベッドに?あたしにおおいかぶさっているんだろう。
「どこから来たの? いさなくんは? っていうか君、おっきいね!」
「くうーん」
あたしの質問に答えず(答えられないんだけど)のっそりとあたしから降りて、そのままベッドの下に行ったわんちゃんはそこでぶるぶると身をふるわせた。トイレかなとあわてたあたしがベッドから降りようとすると同時に。またたきの間にそこにはいさなくんが立っていた。
さらさらの白金の髪に、赤い目、せんさいな美貌、黒いスーツに青いシャツとネクタイ、白い靴下。間違いなくいさなくんだった。
目を細めて、ベッドから降りかけた体制でストップし、ぽかんと口を開けているあたしを見ていた。なんてことはないように、言った。
「俺だ、主」
「いさなくん!? え? わんちゃんがいさなくん!?」
「獣の姿になれるといっただろう?」
「あ、そっか。・・・わんちゃんのいさなくん、かわいいね」
「主・・・! 君が望むなら、リードも首輪も用意しよう! 今すぐに!」
なんかほっぺを赤くしながら、あたしに視線をあわせようと膝立ちの状態でいさなくんはひしっと抱きついてきた。黒いスーツはなんだかひんやりして冷たかったし、抱き着くのはいいんだけどなにぶんのその力が強すぎて苦しかった。
だいたい「君がのぞむなら」ってあたしなにも言ってない。くびわ? リード? 人のいさなくんに使えるわけないんだから今あってもしょうがないでしょ。いさなくん、頭いいのにどうしちゃったの。あれ? 獣のすがたになったなごり? そして苦しい。
「いさなくん、苦しいよぉ」
「すまない、主。興奮しすぎた」
「ううん、あたしぎゅーってされるの好きだよ。苦しいのはやだけど」
「主!」
へにょんとまゆとかたを下げて、身を引こうとしたいさなくんに言うと、ふたたび抱き着いてくる。今度は苦しくないように手加減されていたから苦しくなくて。あたしもぎゅーってし返した。
あたしはベッドに座りながら、いさなくんはじゅうたんの上に膝立ちになりながらしばらくぎゅーぎゅーしてた。
膝立ちになっているからいさなくんの身長の方が低くて、さらさらのかみが鼻をくすぐってきて楽しかった。
そして、ふと起きた時のことを思い出して身体を離しいさなくんに尋ねる。
「そういえば、いさなくん。さっきあたしのほっぺなめた?」
「あ・・・。あぁ。獣神の舌には癒しの力があるんだ」
「へーそうなんだ、あれ? あたし怪我してたっけ?」
全然けがしてた覚えがなくて首をかしげながら言えば、いさなくんは身体を離した時は寂しそうにしてた表情を「まずい」と言わんばかりに変えた。それから、こほんとせき払いすると、今思い出したかのようにあたしに告げた。
「ところで主」
「なに?」
「もう夕飯の時間なんだが、どうする? 部屋に運ばせようか」
「ううん、食堂行く! お夕飯なにかなあ?」
「栗ご飯らしいぞ」
「わあ! あたしくりご飯も好きだよ!」
「・・・知ってる」
ぽつりといさなくんがなにか呟いたのを聞きながら、あたしはいさなくんに抱えられて食堂がある母屋まで行った。歩けるよって言ったのに。
それを見たおとやさんに、「仲良しさんだねぇ」とにこにこ笑われたのはちょっとはずかしかった。
「くりご飯、おいしかったねー」
「そうだな、まぁ俺は君がいれば何でもいいが」
「いさなくんったら・・・きゃあ!」
「主!」
お夕飯も食べおわって離れにもどる途中、増改築をくり返したという西園寺家の母屋は入り組んでいて、いきなり階段になったりとびらがあらわれたりとあたしは全然なれそうになかった。
となりをあるくいさなくんの言葉に照れてしまっていたあたしは、舌をよく見ていなくて。いきなり現れた下へと通じる階段に足をとられてしまった。
まずい! と思った時には身体は空中に放り出されていた。
そのまま落ちると思いきや、お腹に力が加わって寸前で止められる。ちょっとぐえってなった。いつまでたっても落ちる気配がないことにおそるおそる目を開いてみると、空中に放り出されかけたあたしの身体はお腹にまわったいさなくんの腕に止められていた。
あたしの全体重を、そんな細い腕でどうやってと思うくらい軽々と支えてくれていた。それからゆっくりと階段にもどしてくれて、足が床につく。ほっとして力が抜けた。ぺたんと階段の一段目にへたり込んでしまう。
それを見たいさなくんがあわててかがみ込んで目線をあわせてくる。
「ふぇ・・・」
「主! どうした、怪我でも!」
「どきどきした」
「・・・俺に?」
「ちがうよ、落ちそうになったことに。こわかった」
「おのれ階段・・・」
ぎゅっといさなくんに一回強く抱きしめられたあと、ふわりと抱え上げられる。
そのときのふわっと感が一瞬前の恐怖を思い出させてこわかった。
おもわずぎゅっといさなくんの首にかじりつけば、階段をにらんでいたいさなくんのするどい目が少しだけ和らぐ。どうしたんだろう? いまだどきどきと高鳴る胸をいさなくんに抱き着くことで落ち着かせていると、いさなくんが口を開く。
「主、大丈夫だ。怖くないぞ」
「う・・・ん、いさな、くん」
「いい子だ」
その言葉に。
きゅっといさなくんに抱き着けば、ぽろっとあたしの目からこぼれた涙がいさなくんの青いシャツを深い色に染めた。そのままぽろぽろと涙があふれてくる。
どうして? たしかに怖かったけど、そんなに泣くほどのことじゃない。そんなのわかってるけど、でも涙は止まらなかった。
いさなくんがこまった顔してる、泣き止まなきゃ。いさなくんのスーツも汚しちゃう。それでもあたしのほほを伝って、落ちてくるしずくはとどまることを知らないようだった。
あたしの身体を片手で支えながら、いさなくんはあたしの目をやさしくハンカチでぬぐってくれる。そのやさしさにも、涙がでてきた。
「主」
「いさなくっ・・・ひっく、ごめんなさ・・・ひっく」
「謝らなくていい。今日はいろいろあった。さっきのがきっかけで涙がでてしまったんだろう。泣いていいんだ」
「いさなくんっ・・・ひっく・・・ふぇ、ひっく」
本当に、今日はいろんなことがあった。初めて会った時のいさなくんはこわかったし、でもその後はやさしかった。パパとママにすてられるのかと思った。けどそうじゃなくて。
西園寺家に着て、おとやさんに会ってすごく緊張したし、こわかった。本当は全部全部どうしたらいいかわからなくて怖かった、恐ろしかった。どうしようって思ってた。だからきっと、その「どうしよう」が涙になって出てきたんだってわかった。
いさなくんもそれでいいって言ってくれたから、あたしは。そのまま「どうしよう」がかれるまで泣き続けた。
階段に腰を下ろしたいさなくんに抱かれながら、あたしはしばらく止まない涙のまま、廊下におえつまじりの泣き声を響かせたのだった。
「ぐすっ・・・いさなくん、ごめんね」
「君が気にすることはない。それよりも主、もう風呂が沸いてるだろう。入ろうか」
「お風呂?」
「あぁ、離れのな。林檎風呂だ」
驚いたか? と明るく楽し気に目を細めるいさなくん。それはたぶんあたしが泣いてたから気を使って話題を変えてくれたんだと思う。その笑顔に一瞬どきりとしながらも、あたしはつかれてるんだと思い直す。
それにしてもりんご風呂。本当にやってくれたんだ。冗談かと思ってた。だって見たことないんだもん。きょとんとあたしが目を丸くすれば、ははっといさなくんは朗らかに笑って頭をなでてくれる。おとなしくなでなでされながら、あたしは口を開いた。
「本当にりんご風呂にしてくれたの?」
「当たり前だろう? 君の願いはすべて叶える」
「あ・・・ありがと。じゃああたし、お風呂入る。お風呂場どっち?」
「背中を流して」
「大丈夫だから!」
いっしょに入るのはしぶしぶあきらめてくれたいさなくんだったが、心配だといってお風呂場の前まであたしはいさなくんに抱っこされて移動したのだった。
ちなみに、お風呂はりょかんみたいに男女でわかれた仕様になっていたので、女とかかれたのれんのところでいさなくんとわかれた。いさなくんがふだん使っているっていう離れなのに、なんで女湯があったんだろう。ふしぎだ。
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