「我が主、貴殿らの娘殿を我が西園寺家にお迎えしたい」

「身に余る光栄です」

「謹んでお受けいたします」

「え・・・」


 ちりん。ころりと手から落ちたネコさんの筒が鈴の声で鳴いた。それに気付き、あたしを振り返るパパとママ、そしていさなくん。


 あたしを見たいさなくんの目はどこかとろりとくらくて、ゆえつに満ちていて。悲鳴を上げそうになった。そんな目で見ないで! と。


 再びいさなくんへの恐怖に震えたあたしに察したのかいさなくんが瞳の奥のくらさを消した。ほっとあたしの口から安堵の息がもれる。


 パパとママはそんなあたしを見てなんだか泣きそうな顔をしていたのが印象的だった。


 それよりも、あたしを西園寺家に迎えたいってなに? あたし、すてられちゃうの? パパとママにとって、あたしっていらない子なの? 心が苦しくて叫びたかったけど、のどはひゅっと息を呑むだけで言葉にはならなかった。そうだと言われたらどうしようと思って。


 じわっと目に涙が溜まる。それはぽろりと勝手に落ちてフローリングの床で弾けた。その場で立ち尽くしてひっくひっくとおえつ混じりに泣いていると。いつの間に来たのか、いさなくんがあたしの前にひざまずく。


「主、どうした? なにあったか?」

「ひっく・・・パパとママ、あたしのこと捨てるの? いらない子なの?」

「「まい!」」

「主、それは違う。大事な娘だからこそ、我が家に預けるんだ。君に不自由がないように、な」

「あたし、パパとママの子? いらない子じゃない?」

「当たり前だろう。・・・しかし、いらない子か」


 そうしたら主を必要とするのは俺だけか、たまらんな。ぶつぶつと何かいさなくんは呟いた後、そっと指でぬれたあたしの目元をぬぐってくれた。


 ぐすっとはなをすすれば高そうなハンカチで顔を拭いた後、はなをかんでいいと言って渡してくれた。さすがにしなかったけど。いさなくんの後ろで、パパとママがほっと息をついているのが見えた。


 でもそっか。パパとママ、あたしのこといらないわけじゃないのか、よかった。ほっとしてふにゃりと笑えば、あたしを見ていたいさなくんもにっこり笑った。


「あたし、西園寺家に行くの?」

「そうだとも、生涯をかけて大切にしよう」

「しょう・・・? でも、時々お家に帰ってきてもいい?」

「俺と一緒の時なら構わんさ」

「いさなくんとお家帰るの?」

「獣神は主人と常に共にあるべきなんだ」

「そうなんだ」


 しょうがいっていうのがなにかわからなかったけど、とにかくあたしを大切にしてくれるらしい。なんか気恥ずかしくて下を向いたら、足元に転がっているネコさんの筒に気付いてあわてて拾い上げる。


 ちりんちりんと鳴くそれをいさなくんに差し出した。


「これ、さっき言ってたの。可愛いでしょ?」

「・・・あぁ、そうだな」


 ちょっとためて、つまらなそうにいさなくんはネコさんの筒に目を落とした。さっきまできげん良さそうだったのにころころ変わるなぁ。いさなくんこそネコさんみたいだ。わんちゃんらしいけど。


 そうしたかと思うと、きらきらかがやく桃色の瞳があたしを見る。なんだろう。ふしぎに首をかしげていると、いさなくんが口を開いた。


「俺とこれ、どっちが可愛い? 主」

「え?」

「俺とこれ、どっちだ?」

「えーと・・・ネコさん!」

「・・・そうか」


 つまらなさそうだった瞳がぞうおと言ってもいい感情に変わる。ぎらぎら親のかたきでも見るようなそれに身じろぎすると、いさなくんはあたしに視線をもどした。


 その瞳はどこか泣きそうにうるんでいたから、手が勝手に持ち上がって白金の糸みたいな細い髪をさらさらとなでる。絹糸に指を通しているみたいで気持ちよかった。


 気持ちよさそうに目を細めているいさなくんのうしろで、パパとママは赤くなったり青くなったりいそがしそうだった。どうしたんだろう。


「いさなくん、可愛いけど、可愛くないよ」

「え・・・」

「まい!?」

「こら!」

「いさなくん、美人さんだもんね! いさなくんほどの美人さんって見たことないもん。きれいだよ!」

「あ、主・・・」


 ほっぺ・・・を通り越して耳の先まで赤くしながら泣きそうな声でいさな君があたしを呼んだ。なぁに? と問えば、しばらくためらった後なんでもないと返される。なんなの? そのままいさなくんの視線はあたしの指先へと落ちた。それにかまわず口を開く。


「あ、いさなくんのお家に行くならじゅんびしないと・・・」

「大丈夫だ。荷物はすべて運ぶように手配した。明日には西園寺家に届くだろう。西園寺には来客も多いからな、着替えやらの必需品は用意されている」

「そうなの?」

「あぁ。・・・その前に、爪を整えよう。主は何かあるとすぐに爪を噛んでしまう癖があるから」


 失礼とあたしに声をかけてからあたしを抱き上げソファーのところまで戻り、自分の太ももに乗せるいさなくん。そういえばあたしのくせのこと、どこで聞いたんだろう。


 さっき何か話してた時、パパかママに聞いたのかな? だったらちょっと恥ずかしい。それにあたし、重くないかな。もじもじといさなくんの太ももの上で体をゆすると、そんなに動かないでくれと苦笑気味にいさなくんに言われて大人しくする。反省。というか爪だ。


「ママ・・・」

「俺がやろう、道具を」

「そんな、若様にそんなこと」

「俺がやると言っているだろう。主の世話を焼くのは俺の喜びだ。早く」

「は、はい。すぐ持って参りますわ」


 パパがいさなくんにそんなことさせられないと言おうとしたんだと思う。さえぎられちゃってわかんなかったけど。けっきょく、ママが道具を取りに席を立った。


 でもそうだ。相手は西園寺家忘れてたし、いさなくんって呼んじゃってるけど若様なんだ。どうしよう、爪やすりしてもらっていいのかな? 不安にいさなくんを見上げるとやさしく笑いかけてくる。それになんだかへにゃっと顔が崩れた。


 と、いさなくんにぎゅっとされた。うれしくてぎゅーってしたらぎゅっぎゅっと返された。楽しくてぎゅーぎゅーしあっていたら、ママが爪やすりを持って戻ってきたのが見えて、いさなくんを離す。ちょっと悲しそうな顔をしてた。パパはあたしたちを見て複雑な表情をしていた。


 戻ってきたママから爪やすりを受け取ったいさなくんはあたしの太ももの上にティッシュをのせその上で爪をやすりはじめる。


「主の手は小さいな、爪も桜色で本当に可愛らしい」

「えへへ、いさなくんは手、おっきいもんね。いいなぁ」

「そうか?主は小さいままで十分愛しいが」


 やすり終わったあたしの指をつつーと撫でながらいさなくんがあたしの耳元で囁いた。触り方がなんとなくくすぐったくって、思わず笑ってしまった。くすくす笑いが止まらないまま、あたしは言った。


「でもうらやましいよ。アメのつかみ取り、いっぱいとれるもん」

「飴くらい、俺がいくらでも買ってやろう」

「だめだよ! つかみ取りだから楽しいの」

「そうか、じゃあ我が家でもやろうか」

「本当!?」


 あたし、アメのつかみ取り大好きなんだ。子どもっぽいって言われるかもしれないけど、あの両手で自分のものにできる感じが大好き。だからうれしくて振り向けば、ぞんがい近いところにきれいな顔があってびっくりした。びっくりするほど近かった。


 いさなくんもあたしが振り向くとは思っていなかったのか、目を丸くしていた後、あたしの茶色い猫っ毛を撫でてくれた。いい子いい子されるのも好き。なんかほっとする。大好きって言われてるみたいでうれしい。


 目を細めながらなでなでされていれば、ママがあたしの太ももの上に置かれたティッシュを回収していった。


「さて、主。そろそろ我が家に行こうか」

「いさなくんのお家・・・うん、パパとママ。行ってくるね!」

「気をつけてね」

「ママ?」

「お前、手を離しなさい。まい、行ってこい」

「うん・・・いってきます」


 気をつけてね、と言ってからママがあたしの手をにぎってくれる。ぽかぽかで優しいお母さんの手は、お父さんにはなしなさいと言われるまであたしの手をにぎっていた。それがなんかさびしくて、ずっとのお別れみたいで。あたしは目をうるませているママの顔を振り返りながら、いさなくんと手をつないだ。


「娘は、大切に。幸せにしてくれるんですね?」

「我が命に変えても」

「まいのこと、よろしくお願いいたします」


 いさなくんとあたしに向かってパパとママは深々と頭を下げた。


 そのままにこにこ顔ないさなくんに手をひかれてリビングを抜け、花道となった廊下を通り、玄関から家を出た。


 青空の下いつから停まっていたのか、黒ぬりの・・・ええと、リムジン? が家の前にとまっていた。ハンドルにかかる白い手袋がいつでも行けますよと言っているようでそわそわした。


 いさなくんが車のとびらを開けてくれて、あたしは1番に乗り込む。中はすごく広くて、白い座席にはいっぱいの人が座れそうでびっくりした。


 いさなくんがなかなか入ってこないので振り向くと、あたしの家を見上げていて。そのあとすぐに乗り込んできたいさなくんが扉を閉めて、車は発進した。

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